2

「させるかよッ!」

 咆哮と共に黄金の剣閃が奔る。派手な接触音が奏でられる。刀越しに伝わって来る力の奔流に、最初の邂逅時とは大きく異なる感情をノーラは感じ取る。

「エクスカリバーを持っているのね。……いいわ、遊んであげる!」

「舐めるなァッ!」

 酷薄な笑みを浮かべ、悠然と二本の剣を構えたノーラに、桜花は何の策も見受けられない突撃を選択。

 満身創痍の八千代が、そして相棒のエクスも目を疑う、日頃の彼と百八十度異なる攻撃一辺倒の動き。それはノーラによって引き起こされた物だった。

 桜花が開発エリアに転がり込んだ時、ノーラは八千代にトドメを刺す事を止め、桜花に視線を遣った。そして、彼にのみ見えるように、嘲りの感情を表情に出した。

 ――さぁどうするの? あぁでも、貴方じゃ何も出来ないわね。無力で無能なゴミだから。

 言葉には出さなかったが、はっきりと桜花は感じ取り、理解出来てしまった。瞬間、彼の血は馬鹿げた熱で沸騰し、真っ当な判断力を奪い去った。

 明らかに冷静さを失っている動きに、原因を知らないエクスは動揺の声を漏らす。

「お、桜花……。少し落ち着け。こんな直情的な攻撃じゃ……」

「――た斬れろッ!」

 完全に何かが切れてしまっている桜花に、声は届かない。壁を蹴って跳躍し天井に貼り付き、逆転する視界の中天井を疾駆。敵の頭頂部へ刃を振り下ろす。

「温い!」

 天井に貼り付いた時点で予測していたのか。ノーラは桜花が頭上に来るまでに、放り捨てていたフランベルジュを連れ戻し、交差させて受けの姿勢を取る。

 三本の伝承の剣の激突による爆発的なエネルギーの噴出で、八千代とのバインドで亀裂が入っていた天井に穴が空き、皮肉なほどに青い大空が顔を覗かせた。 

 普段の桜花ならば、ここで一度距離を取っていた。地力の差があまりに大きい相手に力比べは自殺行為。様子見は常識的な選択であり、彼はそれを選べる冷静さを本来持っている。

 にも関らず、今の桜花はひたすらに前に切り込んでいく。言うまでもなく、この選択は愚策だ。

「何してんだ桜花! 距離を取れ、取るんだ!」

 制止の声にも応じず、出鱈目な剣戟は止まらない。暴れ狂う桜花の攻撃を受け流しながら、ノーラは只々嗤い続ける。

「止めても無駄よ。親しい人間を傷つけられた怒り、何も出来ない無力な自分に対して圧し掛かる重圧への恐怖、そして貴女への劣等感。負の感情に身を浸してる。素の力を考えればお話にならないから、ゴミにしては良い選択をしたと思うわ」

「そんな……」

 途方に暮れるエクスの心を余所に、両者は観劇者たる八千代の耳目にも捉えられぬ速度で何度もぶつかり合う。


 右に左に上に下に、目まぐるしく舞い続ける。


 膠着した戦いに痺れを切らしたか、桜花は自ら身体を宙に浮かせて背後に回り込み、ノーラの首を狙った斬撃を放つ。相手はこちらの動きに追従出来ていない。故に勝利を確信した桜花は目に昏い喜びの色を浮かべる。

 狙い違わず、ノーラの白く美しい首筋にエクスの刀身が走り、鮮血が走る。

 完璧な流れが決まった。

 それ以上何も起こらず、彼女の生命活動が止まらない点を除けばの話だが。

「……嘘、だろ?」

「信じたかないけど現実だ! 一旦――」

「遅いッ!」

 誰よりも先にノーラが動き、首筋に突き刺さったエクスを掴み、彼女もろとも天井に向けて打ち上げる。浮遊の感触を認識するより先に、桜花を一条の稲妻が貫く。

 声の態を為さない絶叫を口から吐き出しながら、墜ちた桜花は床を転げ回る。幾ら筋肉や皮膚がエクスに適合して強化されていても限度はある。

「冥土の土産に教えてあげる。感情で強くなると言っても、元々の地力の差が覆るなどまず有り得ない。加えて、怒りや憎しみで挑んでも、お前程度の生き様で、そして非常に短期間で抱いた感情で私を凌駕する事など、毛虫が空を飛ぶ可能性より幽かな物でしかないわ」

 勝利の宣告と共に、二本の剣が悠然と掲げられる。

 地獄の業火と雷撃を同時に受けた先にある物など、底抜けの馬鹿でも分かる。自分が超えてはならない一線を超えてしまったと、手遅れの今を迎えてようやく桜花は気付く。

「さよなら、身の程知らずの愚か者」

 必殺の斬撃が放たれる。死ぬ前に走馬燈が巡ると世間で語られているが、この瞬間、桜花はまさにそれを体験していた。

 ノーラの動きも、自分に対して決定的な物を焼き付けようとしているからか、緩慢であるのは事実。だが、自らの身体を喰らおうとしている刃に刻まれた、無数の傷が視認出来るのはやはり前述の走馬燈の作用だろう。


「体艤装」


 諦観から目を閉じた桜花の耳に、聞き慣れた声で、聞き慣れた言葉が飛び込む。次に聞こえてきたのは肉を裂く音と、生温かい何かを浴びる感触。前者はまだしも、後者は斬られた自分が感じるのはおかしい。

 付け加えると、自分が斬られたのならば、前者の感触も感じられる筈だろう。

 最悪の可能性を描きながら、ゆっくりと目を開く。

 結論から言えば、桜花の描いた可能性は見事に的中していた。

 自分の手に握っていた筈のエクスは消えてなくなり、両の腕には赤い斑点がやたらと付着して、趣味の悪い刺青の風情を醸し出していた。腕だけに留まらず、よく見ると全身に斑点は付着し、ある意味で親しみのある匂いが鼻を刺激する。


 油の切れた人形同然のぎこちない動きで首を上げ、桜花は現実と対面する。


 彼と二本の剣の間には、腹部を裂かれ、噴水のように勢い良く血を撒きながら、ゆっくりと崩れ落ちて行く見慣れた金髪の少女の姿があった。

 目の光が失われ、血の気が加速度的に抜けていく中、エクスはぎこちない笑みを作りながら声にならない声を発し、桜花へ手を伸ばす。

「う、そ……だろ?」

 無意味と知りながらも口から逃避の言葉が零れる。伸ばされた手は自らの手を握る事はなく、ごとりと鈍い音を立てて床に彼女が崩れ落ちた時、桜花は叫ぶ。

「……なぁ冗談だろ? お前が死ぬ訳ないだろ? お前、エクスカリバーなんだろ? なぁ……。いつも言ってたじゃないか。俺が死んでも、自分が死ぬ事はないって……。お前は死んで良い存在じゃないだろ!」

 狂乱のまま喚き散らす桜花の目の前で、エクスの肉体が光の粒子と化して消失していく。再び粒子が結合した時、彼の手には、完膚無きまでに刀身が砕け散ったエクスが握られていた。

 完全に対抗手段が失われた桜花の顔面に、ノーラの膝蹴りがぶち込まれる。

 宙に浮き、晒された腹部にカラドボルグの柄が追撃と言わんばかりに刺さる。

「……かはっ」

「なるほど、まだ意識は有るわね。なら、一つだけ救いをあげるわ」

 実際の所、この二発を貰った段階で桜花の心身はほぼ破壊されている。マトモな返答はまず期待出来ない。知ってか知らずか、淡々とノーラは言葉を紡いでいく。

「砕けても、エクスカリバーの価値は下がらない。大半を失った事で、制御が易くなったから寧ろ価値は上がったとも言えるわね。言いたい事が分かるかしら?」

 エクスを差し出せ。そう言っているのだ。床に伏せたままの状態で、今にも意識をロストしそうな状況ではあるが、一応理解は出来た。

 恐らくここで差し出せば、命だけは助かる。ノーラの目的は伝承の武器の回収で、大量殺戮ではない。それに、無条件降伏した相手に生き恥を植え付け、一生消えない傷を刻み込む方が、復讐の為に再起される可能性がなくなると、彼女は知っているからだ。


 どうせ自分がここから引っ繰り返す手段はない、とっとと手離して楽になろう。自分は戦いに身を投じるなど、そもそも望んでいなかった。桜花の内側でそんな囁きが生まれる。


 ここで手渡しても、責められる事などまず無いし、責められても一瞬の話。エクスカリバーを失った自分を、機関が引き留める筈もない。望んでいた平穏な生活への回帰を果たせるのだ。

 客観的に見て、ここでノーラに差し出すのは良いこと尽し。迷う必要など、何処にもない。

 桜花はゆっくりと、しかし迷いなく首を上げて、ノーラに向けて言葉を絞り出す。

「……嫌だ。エクスを……、お前みたいな奴には、渡さない。……あいつの意思を踏み躙って良い様に……利用させるなんて……、絶対にさせやしないッ! ……何も出来なかったんだ、それぐらいはしなきゃいけない。……だから……死んでも渡すかよッ!」

 まるで正反対の言葉を吐いた。戦闘を続行するのが不可能な無様な姿から吐かれた言葉からは、説得力が何処からも感じられず、まさしく愚者の戯言と形容するのが相応しい。

 しかし、ノーラは彼の言葉が、虚勢や戯言の類ではなく、絶対に曲がらない確たる意思に基づいて放たれたと気付く。

 故に、彼女の心は一気に冷え切った。

「ここに来て色気を出したのね。……反吐が出るッ!」

「……!」

 フランベルジュが脇腹に突き刺さり、傷口から肉の焦げる臭いが漂ってくる。悲鳴をあげる暇も無く、頭部に容赦のない踵が落ちる。

 跳ね上がってがら空きの背中にカラドボルグが走り、浅い傷ながら盛大に血が噴出し、何度も桜花の身体が痙攣する。

 地面に落ちると思った次の瞬間、襟首を掴まれ、胃の辺りに膝を入れられる。

 再び飛びそうになる意識は、頭頂部への鉄拳で強制的に覚醒。桜花はもはや何も出来ずに、ただ嬲られるしか無かった。

 膝の骨を砕かれて足が自重を支え切れなくなり、崩れ落ちそうになっていると顎に掌底が飛んで跳ね上がり、そしてまた隙が出来た胸部に対して再びの膝。股間への蹴りで強引に身体の位置を高く保たれ、鳩尾に手刀が入る。


 液体ではなく、血塊が桜花の口から吐きだされた。


 とっくに意識云々の問題を通り越して、生命活動自体を論ずる状態に陥りながらも、桜花はエクスを放そうとはしなかった。どれほど痛めつけても、それだけは変わらない事に、ノーラの怒りのボルテージは上昇する。

 只の肉塊と化しつつある桜花を床に叩き付け、美しい顔を赫怒で歪め、カラドボルグを再び構え直す。

「もういい。ゴミのヒーローごっこには付き合えないわ。……死ね!」

 今度は一切の遊びがない、首筋にカラドボルグが襲来する。確定した未来の急接近を前にしても、それをを覆す者はこの場には――

「桜花に何しとんねんこのクソ女ぁッ!」

「⁉」

 ガラの悪い関西弁と共に、突如飛来した何かがノーラの頭部に直撃。あれほど狂った強さを誇ったノーラが、派手に吹っ飛んで壁にめり込む。

「総員に命ずる。二人を回収しろ! 私が動きを止める!」

 力強い叫び。連続する発砲音。ブランドン・ファルフスが、ようやく到着したのだ。異形殲滅に特化した銃弾が雨のように飛び、ノーラの動きを停止させる。

 ファルフスの銃捌きは、場の全員が瞠目する代物だった。激しく動き回りながらめくら撃ちをしているようにしか見えないのに、全ての弾丸がノーラの身体と、彼女が次に行こうとする場所に着弾し、動きを止める。

 神速のリロードで、銃使いが直面する再装填の際のリスクも完璧に潰している。故に、ノーラも再装填の隙に踏み込む戦いの定石を使えない。


 だが、彼女はそこで指を咥えて立ち止まる凡人では無かった。


「――ッ!」

 剣を振るうだけでは、手筋をある程度知っているファルフスが相手だと分が悪いと判断したのか。ノーラは何処からか三叉の槍を引き出し、水の奔流を纏って突貫を仕掛ける。

 誰かが「トライデント……だと⁉」と叫び、室内にいた全員が絶望の表情に変わる中、激流の一撃がファルフスの腹に過たず突き刺さる。

 だけでは終わらず、ノーラはそのまま身体を一気に回転させる。俗に言うデスロールに近い動きに晒され、百キロを超える体重を持つファルフスの身体が、宙に浮いてまわり始める。

 回転で腹部の傷が抉れ、肉が削られて苦痛で顔を歪めるファルフスだったが、次の瞬間、不敵な笑みを浮かべてホルスターから一丁の銃を抜き、撃った。

 自身の仕掛けによって、回避が出来ないノーラはファルフスの狙い通り、腹部に弾丸を貰う。しかし、それだけでは何の意味もなく、彼女はそのまま攻撃を続行する姿勢を取った。


 転瞬、弾丸が突き刺さった部位が爆ぜ、熱い血肉が空間を舞う。


「ガァァァァァッ‼」

 たたらを踏んでノーラは旋回行動を中断して後退。相も変わらず傷口はすぐに再生が為されるが、口元には紅い線が描かれる。

「そろそろ、君には世界からの退場を願いたい。……行くぞ」

「お前とは二度刃を交えたな。……ならば、今回も結果は同じだッ‼」

 咆哮と共に両者が再度激突。少しでも隙を与えれば、相手に首を取られる。故に、傍らに転がるボロ屑どもからは、注意が逸れる事となった。

 結果、桜花と八千代は回収されて彼の背後に運ばれる。受けたダメージを考えれば、すぐにここを出て機能が生きている治療室に連れて行きたいのだが、二人の激突の激しさを考慮すると、下手に動けば巻き込まれる可能性が高い為に動けない。

「……な、なぁ。これ、ホンマに桜花なんか?」

「俺と同じようにズタボロで死にかけだけど、桜花君だ。まぁこの場を乗り越えたら、身体はすぐ治ると思……ごボっ!」

「浅川さんも喋らないでください! あなたの身体も結構不味いんですよ!」

 常識では有り得ない肉体の損傷を受けた友人を目にし、投擲を仕掛けた本人である大樹が、震える声で漏らす。息も絶え絶えながら言葉を返し、別の隊員に制止させられた八千代にも、励ましの言葉を絞り出す余裕は無い。

 彼は支部まで桜花を送った後「絶対に入って来るな」の言葉に従い施設の入口で待機していた。だが、ファルフス達が只ならぬ雰囲気で突撃しようとする様を見て、強引に同行したのだった。

 結果として桜花を救う事となったが、喜びよりも驚愕や絶望の方が大きい。何も言えずに、桜花を見つめる事しか、大樹にも出来そうになかった。

 観劇者を余所に、ファルフスとノーラの戦いは終息に向かい、互いに大きな動きを起こさずに睨み合う。

 短時間の接触でファルフスも決して軽くない傷を受けたが、ノーラの様子もおかしい。先程大樹の投擲で出来た頭部の傷が、桜花や八千代、そして先程のファルフスから受けた攻撃とは異なり、いつまでも治癒せず、それが影響してか動きのキレも明らかに悪くなっている。

 ファルフスに天秤は傾いているが、仕留めに行く余裕は彼にも無い。加えて場の者に、彼と同等の攻撃を仕掛けられる人物はいない。故に、勝ちを狙うならばこのままノーラのスタミナ切れを待つ事を、ファルフスは選択せざるを得ない。

 そして、ノーラがそのような形で沈む間抜けな相手では無いと、重々理解している。優位な状況に在りながら追い込まれたファルフスに、ノーラは告げた。

「お互いに面白くない状況ね。貴方との決着は日を改めて行いたいわ。……そうね、五日後の日没、旧市街でどうかしら?」

「そんな馬鹿げた提案、承服出来る訳――」

「お前に発言権を与えた覚えなどない」

 反発の色を見せた隊員をフランベルジュの炎が覆う。悲鳴のバックミュージックが追加される中、明らかに不利になる提案に、苦悶の表情を浮かべていたファルフスは、ゆっくりと口を開いた。

「……分かった。五日後、我々二人で決着を付けようじゃないか」

「決まりね。では、またお会いしましょう」


 淑女の作法でノーラが一礼。


 そして、フランベルジュを自らの肉体に突き刺す。すると、背中を裂いて激しく噴き出した炎が巨大な翼が形成。周囲の人間が驚愕に目を見張る中、ノーラは悠然と翼をはためかせ、空高く舞い上がって消えた。

「アイツも消えたんや! はよ運んで治療したろうや!」

 切羽詰まった大樹の声に、停滞していた者達が弾かれたように動き出し、桜花と八千代の移送に動く

『継承者』二名の完膚無きまでの敗北。内一名と、その相棒である武器の生死が危うい状況。

 多大な損害を被っても尚、ノーラ・ブロムクウィストと、彼女の身に付けた『バルドルズ・ソウル』に関して、撃破の糸口となり得る何かを見つけ出せなかった。

 関わる者達が皆、打ちひしがれたように沈黙したまま日は没し、夜は更けていく。


                   ◆


 浅川八千代、出灰桜花の二名にはすぐに緊急手術が行われ、外科的な治療に加え活性剤を大量に投与する事で、深夜の時点で命の危機を脱し、翌日の昼には日常的な動作が行えるまでに回復した。

 だが刀身の大部分を破壊され、力を消失したエクスカリバーの方は、外観こそ元の形への修復はすぐに果たされたものの、失われた意識の回復という最も重要な現象が確認される事は無かった。

 ノーラ・ブロムクウィストの提示した、決着の日まで残り四日。希望は何処にも見当たらないまま一日が終わる。

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