3

 退院許可が出た翌日、その次の日と、桜花は学校を無断欠席した。家から出る気には到底なれやしなかった。カーテンを閉めきり、電気を消した部屋の隅で、微動だにせず座り込んでいた。

 結構な数のメッセージが送られて来ていると、スマホの明滅から察するが、見る気になれずに放りっぱなしにしている。今は、どんな言葉にも触れたくなかった。

 

 自分が弱いのは、誰よりも自分自身が一番よく分かっていたはずだ。


 ノーラを倒せる算段など、あの場面のどこを探しても無かった。一人で勝手に熱くならず、一撃を加えた後は八千代を守りながら時間稼ぎをして、ファルフス達の救援を大人しく待つ。これが、あの時に出灰桜花が選ぶべき最善の行動だった。

 そうしておけば、あの化け物を撃破出来た可能性だってあったかもしれない。

 だが、自分がした行動はなんだったのか。

 無謀な突貫。エクスの忠告を無視。勝ち目の無い相手への特攻。愚の骨頂と断じれる選択を大量に採用したのだ。仲間を傷付けられた激昂で、フィクションの登場人物のように覚醒する事など、現実には起こりうる筈がないと知っていたのにも関らず、だ。

 馬鹿な行動の結果が、自分に返ってくるのならばまだ良かった。自分が死んでも組織に、そしてエクスにも痛手は無かった筈だ。

 しかし実際にその報いを受けたのは、何ら非の無いエクスの方だった。温い傷では済まずに、何もかもを彼女は失ったのだ。

「……畜生。畜生畜生畜生畜生!」

 これほどまでに、出灰桜花という人間が、世界に存在している事を憎く思ったことはなかった。しかし、今この場で悔やんで、泣いて、喚いて、拒絶して。ありとあらゆる形で感情の爆発を起こしても、現実は何も変わってはくれない。

 一人きりの少年の慟哭が、狭い部屋の中にいつまでも響く。


                    ◆

 

 同時刻、桜花と同様ノーラに敗北した痩身に眼鏡の青年、つまり浅川八千代は十二階から上が吹っ飛んだ支部にいた。肉体の傷自体は桜花より深かったものの、精神的なダメージの大小の差か経験の差か、彼は平常通りに振る舞う事が出来ていた。

「あーあ。暇で暇で暇でしょうがないや」

 もっとも、しばらく前線に出る事は禁じられてしまった上に、ノーラに関する調査からも締め出される羽目になったのだが。

「や、負けたから前線に出るなは分かるけどね。でもさ、追加で情報を貰うことすらNGって酷くない?」

「情報を与えると、必ずや暴走するという読みだろう。少しばかり解せん部分もあるが、概ね正しい選択だ」

「うーん。戦国時代の武器の方が組織をよく分かってるってどうなんだろう」

「八千代が組織に向かない人間。というだけだろう」

「正論は人を傷つけるんだぜ、むっちゃん」

 痛い所を相棒にたっぷり衝かれ、行儀悪く椅子に身を預けて周囲を見渡す。

 ノーラ云々を抜きに、近頃の外崎市は異形発生率がかなり高い。本来人の出入りが減少してくるこの時間でも、忙しなく行き交う人々の姿を茫と眺め――


「そういや、出灰は?」

「出てきてない。エクスカリバーぶっ壊されてからトンズラ」

「だっせーなぁ。まっ、インチキで隊員になった奴の末路なんてそんなモンだろ」

「日本支部の面汚しだから、このまま辞めてくれりゃ良いのにな」


 ここにいない桜花への悪意の言葉で楽しく盛り上がる隊員を目撃し、貼り付けている薄ら笑いが見事に歪む。

「……ほどほどにしておけよ」

「大丈夫だって、俺、今日は機嫌良いんだ」

 言葉と空気が絶望的に乖離した八千代は、隊員達の進路上に立ち塞がる。組織内の序列と実力。どちらに於いても日本支部で上位に立つ存在の登場に顔を引き攣らせた隊員に、八千代は微笑みを向ける。

「あ、浅川さん……」

「いやぁ、なかなか楽しそうじゃないか。や、確かに桜花君はノーラに負けた。でもさ、俺も彼女に負けたんだよ。つまり、俺も面汚しって訳だ。桜花君と違って、今ここに俺はいる。さぁ! 遠慮無く罵ってくれたまえ!」

「い、いや、それは……」

「それともアレかい? 君達はこうして絡んでくる俺には良い顔して、反論してこなさそうな桜花君しか強く言えないって事かな? や、困るねぇ。人類の救世主たるSDA隊員が、そんなチキンハートじゃ。君達の方が、よっぽど面汚しって奴じゃぁないかな!?」


 フロア中に響く大音声で発せられた問いに対する答えは、そそくさと八千代の前から去るという物だった。

 噛みついてくれば叩き潰す算段は付けていた為、消化不良気味ではあるが、少なくとも不愉快なノイズは排除出来た。

「大人気ないぞ」

「馬鹿に誠意と理性を以て対応するのは無駄だよ、むっちゃん」

 やや棘の残る言葉を発しながら、元の席に戻った八千代は、胸元から震動を察知。取り出したスマホの画面に映る名を見て、溜息を一つ吐いてから通話に応じる。

「綴か。……まぁそう言う訳でさ、見事に負けたんだよ。すまないね」

「俺に謝ってどうする。……しかし厄介な事になってきたな」

 電話を掛けてきたのは『雷切』の適合者、立花綴だった。日本の継承者二名が纏めて負けた情報は、思いの外高速で世界を巡り始めているようだと、状況を簡潔に説明しながら八千代は実感する。

 普段はヘラヘラと構えている彼も、その現実を前にして忸怩たる思いで胸が詰まる。自分がノーラに勝利していれば、こんな事態に陥らずに済んだのだから。

「お前の方は良いとして、桜花君の方が心配だな……」

「俺の方も少しは心配して欲しいよ本当に。……ノーラにはボロクソに言われてたけど、そこまで彼は弱い訳じゃない。ただ、自分に強い自信を持っていない子だし、この仕事やってるのもエリちゃんと適合したから、って受動的な物が大きい。だからエリちゃんを自分の失策で破壊されて精神をやられた今……」

「立ち直るにはハードルが無数に並んでいる、か。……決して適性が無い訳では無い。彼に『ぐげッ!』立ち直るきっかけでもあれば良いのだが……」

「ちょっと待って綴。今の悲鳴は何? 結構ヤバ気な声だったけど」


「ああ、売人組織の連中だ。闇討ちにでも来たんだろう……どうかしたか?」


 自分も割と真剣さの類を何処かに捨てた部類に入る人間なのだが、この三次元に飛び出したマーベルヒーローは、自分とはまた別の場所に置いてきたに違いない。悲鳴について追及していても意味が無いので、八千代は話題を元に戻す。

「……まあ良いや。桜花君が立ち直るには、当然ながらエリちゃんの復活が必要だと思う。形は戻ったけど意識が戻らないんだよねぇ……」 

 エクスカリバーの外形自体は、スタッフの尽力の甲斐あって、二人の肉体の復活より先に完了した。だが、修復後に何度呼びかけても、破壊される前のように多彩な感情を表す事はなく、強化ガラスで出来た保管ケースの中で、沈黙するばかりだった。

「……適合者と武器は互いに深く絡み合っている。桜花君がまたエクスカリバーを握ろうと思える様になれば、彼女もまた再起動を果たす筈だ」

「でもその為には、義務感以外の戦う理由って奴が必要になりそう、か。……や、なかなか難しい問題だねこりゃ。力になれそうもない」

「俺もお前も、この仕事をやる理由が元々はっきりしていたからな」

 綴の家は異形出現の前から代々『雷切』を継承する立花家であり、来るべき瞬間の為に過酷な鍛練を幼い頃から受けてきた。『継承者』として『雷切』に選ばれた時、迷いもなく応の回答を出したのも、当然の環境にいたのだ。

 八千代自身も、人に言えぬ低俗な物ながらも、理由を持って戦いに身を投じている。

『人間無骨』を引き当てたのは予想も出来なかったが。

「可能性は低いけれど、今日も一応会いに行ってみるよ。……そうだ、ノーラの力について綴はどう思う?」

 スマホから低い唸り声が聞こえて少し間が空いた後、綴の推測の言葉が耳に入って来る。

「バルドルの鎧に関しての事象は恐らく改造でどうにかしたと推測するのは良い。恐らく、強制的に従えているカラドボルグやフランベルジュといった、奪い取った武器のエネルギーを用いるか、奴の持つ先天的な素質が働いているのだろう。意思を無視して力を引き出している時点で、それが出来ない理屈はない。だが……」

「全部が力を引き出せる所まで適合するのはねぇ……。やっぱりアレしか考えられないよ、俺にはさ」

 ノーラに関連していそうな資料を、非公式のルートで取り寄せた結果、なかなか衝撃的な物が出てきた。全てが彼女に関っている訳では無論ないだろうが、これならば北欧支部が情報提供を拒んだのも頷ける。 

「技術者間における派閥争いの結果が、今の危機を産んだとなるとな。……何処の国で起きていたとしても、北欧と大差ない対応を行っていた筈だ」

「彼女に勝っても負けても、あんまり明るい未来は無さそう……。ん、てことはファルフスが不味くないかい?」

「不味いだろうな。お前も桜花君も出られない為に、彼と北欧の連中で討伐部隊を組織すると聞いているが、きな臭い匂いしかしない」

「……今からファルフスに会ってくるよ。可能性の芽は摘まないとね」

「気を付けるんだぞ。……そうそう、雷切から言伝を頼まれていた。『負けたのはジャンクフードばっかり食べていたから、というのも大きいと思います。これからはキチンと自炊をしましょうね。日本に帰ったら、私がまた作りに行きます』だとさ。それじゃ、またな」

 八千代にとって恐ろし過ぎる伝言を残して、綴は通話を終了してスマホが沈黙する。元々よろしくない顔色を更にアレな色にしながら、八千代はファルフスの宿泊する施設へと向かう。

 が、彼の足は施設の入り口に立っていた、柄の悪そうな少年の姿を目撃するなり止まる。昨日の今日だ。当然、相手が誰なのかは記憶している。

「君、確か桜花君の……」

「ちょっとええですか? ……嫌、言うてもお願いしますけど」

 少年の言葉に、八千代は首肯を返して方向転換。

「俺に話せることなら話すよ。門限には間に合うようにするから気軽に聞きなよ」


                    ◆


「八千代さん、大丈夫そうでしたか?」

「あれは問題ないだろう。桜花君とエクスカリバーは心配だが、彼等もどうにかする筈だ」

「……信用してるんですね」

「俺とお前、八千代と人間無骨。そういうことだ」

 一八○センチメートルの痩身を、ラフなジャケットとカーゴパンツで包み、短く切られた黒髪の下に映る、猛禽の黒瞳とそれに相応しい闘気を湛えた貌。頬や手に刻まれた傷跡に、腰に括り付けられた全長約一メートルの使い込まれた刀。

 日本支部に留まらず、全世界のSDAに所属する『継承者』の中でも上位に位置する男、立花綴は刀から届く童女の声に頷いた。

「折られれば、再び立ち上がれば良い。彼にはそれだけの能力がある。でなければ、エクスカリバーに適応しただけで隊員に推挙などしない」

 桜花がエクスカリバーに適応した時、慎重論を展開した八千代とは対照的に、いきなり最前線に飛び込む事こそ否定したが、この世界へ足を踏み入れること自体は否定しなかった。 

 スマホを弄び宵闇の世界を歩みながら、青年の独白が続く。

「俺のような血の定めも、八千代のような異形との因縁もない。にも関わらず、彼はここまで生き延び、そして実績を積んできた」

「結構扱き下ろされているみたいですけれどね……。エクスカリバーなんて持ってる割に、実績が国内限定では当然でしょうが」

 的確に打ち返される童女の声に、綴は首肯を返す。

「それはそうだ。宿命を持たない者がいきなり実績など残せる筈も無い。伝承の武器の力は、継承者の力量に左右される。ノーラに敗北するのも当然だが……彼は最後までエクスカリバーを離さなかったそうだ」

「……へぇ」

「桜花君の強さも、伸びしろもそこにある。そして、既に彼はそれを活かして出来る事をやっている。となると……雷切、ここはどこだ?」

「はぁ!?」

 真剣な面持ちで呟いた綴に、雷切と呼ばれた声の主が素っ頓狂な叫びを上げる。彼の手に握られているのは、目的地までの道筋を記した地図。ご丁寧に太いマーカーで線まで引かれていて、これを辿れば目的地に誰でも辿り着ける筈。

 筈、なのだが。


「もーなんで地図があるのに迷うんですか!? こんなの小学生でも読めますよ!」

「その謎を解明するには、まず俺の生まれから……」 

 戯けた物言いが、不意に止まる。

 舞台は南米某所の森。野生動物の気配は皆無。

 いや、未だ数多くの神秘が残る大森林で沈黙が生じる事自体が、そもそもおかしかったのだろう。

 気付きに至った綴の眼前の木々が、爆轟と共に引き裂かれる。

「五月蠅いな」

 抗議の呟きは完全無視。茶色の剛毛に覆われた前肢が突き出され、土煙が吹き払われる。自身の手で全貌を露わにした闖入者は、生物図鑑の住民に成り果てた類人猿に酷似した姿をしている。

 だが、血に濡れた牙と悪意に輝く目。そして右手に握られた、人の道具を強引に縛って作り上げた棍棒の存在を見れば、闖入者がマトモな生物であるという認識は綺麗に拭い去られるだろう。

「ビッグフット、か」

 小さく呟いた綴の上方。棍棒が無慈悲に振り下ろされる。

 どれだけ頑強であろうが、体格差がこれほど大きければ人に勝ち筋は無い。描かれる未来予想図はたった一つしかない。

 鈍い音が森に響く。だが、ビッグフットが望んでいた肉がはじけ飛ぶ音はない。

「どうした。それで終わりか?」

 呆れ混じりの声。

 

 転瞬、雷鳴が世界に響く。


 先刻の煙とは異なる黒煙と、物体が焦げる匂いを引き連れ、醜い断面を晒して棍棒が夜空を舞う。

 殺人への喜悦が薄れ、驚愕をありありと見せたビッグフットの目に映るは、怜悧な光を放つ刀を握る綴の姿。

 バチバチという攻撃的な音、闇を照らす稲妻を纏う刀を正眼に構え、人類の切り札とも称される青年は薄く笑う。

「予定には無かったが、人類を殺める異形と出会ったのならば、俺の使命は一つだ。人類の正義を、果たさせて貰う」

「えぇ、やっちゃいましょう!」


 雷切の声に獰猛な笑みを返し、綴が疾走。

 辛うじて混乱から脱して咆吼するビッグフットと瞬時に距離を詰め、雷切を振り抜いた。

 一撃で決着が付いた、この戦いを詳細に語る必要は無い。

 敢えて何かを語るのならば、一撃の後に生まれたのはビッグフットの物悲しい絶叫だった。

 深夜の森を引き裂いて生まれたそれは、すぐに落雷の音に飲み込まれて世界から消え失せた。

 


 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る