2
宵闇を二色の光が蹂躙する。
桜花とノーラ。二者の戦いは旧市街の風景を大きく変化させながら、休む間もなく続けられている。刃を交える度に大地は震え、アスファルトは波打ち、高層ビルの壁面には亀裂が走る。
かつてこの市街を蹂躙した『ミズチ』以上のエネルギーをバラ撒きながら、両者は打ちあう。
戦況は互角。あくまでも現時点に限っての話だが。
「このままじゃ俺達のが……」
「来るぞッ!」
一撃を貰って、ビルの屋上に叩き付けられた桜花は、全身のバネで起き上がり、紅い閃光と化したノーラをエクスで受け止める。
破裂音が響き、互いの切っ先が激突。腕の痺れと擦過傷の痛みを堪えながら、本来の狙いとは少しずれた場所に着地したノーラにエクスを振り下ろす。普通の戦闘なら、ここでケリは付く。
馬鹿げた力と技量、そして闘争心を持った相手でなければ、の話だが。
「チクショウ!」
片腕のカラドボルグで斬撃を止め、残る腕を用いて放たれたトライデントの突き込みを避ける術は桜花に無い。
三叉の内一つが脇腹を掠めた結果、桜花は屋上から追放され空中へ放り出される。
都合の悪い事に、他のビルとの間隔は程良く開いている。
何処か適当な所にエクスを突き立てて留まる手法も使えず、歯噛みしながら落下していく桜花だったが、背中から炎を噴き上げてこちらへ落ちてくるノーラを見て目を見開く。
「――ァアッ!」
襲来した横薙ぎから、致命傷と化する傷を産む事を防ぐのが精一杯。別のビルの中へと放り込まれる。割れたガラスが背中に刺さった上にコンクリに叩き付けられ、泣きたくなる痛みが身体を巡っているが、そんな物に従っている暇などない。
相手が強ければ強い程、ほんの僅かな時間であっても停滞は死に直結するのだ。
「飛ぶぞッ!」
エクスの切迫した指示に従い、這いつくばるように走り再び窓から飛び降りる。
転瞬、ビルが業火に晒されて跡形も無く融解する。
少しでも遅れていたら、遺体の無い葬式が開催決定だった。最悪の結末を回避し、地面に落下した桜花は寒い物を感じて身体を震わせる。
「余所見する暇なんて、ないんじゃない?」
声に反応して、上を見上げる。一瞬、何が起きているのか理解出来ずに思考が停止する。
「ただ武器を振るう、それだけでは芸が無いわ」
カラドボルグを天に掲げたノーラの周囲に、剣から発せられた光に絡め取られたビルが漂い、何処から引っ張り出したのか、渦潮が荒れ狂っている。ここ数日、散々未踏領域の所業を見てきた桜花でも、これは予想もしていなかった。
「なぁエクス、アレは一体どう使うつもりなんだろな?」
「そりゃ決まって……なんて言ってる場合じゃない!」
タクトの様にカラドボルグが下ろされるのに呼応して、桜花一人を死体に変えるには十分過ぎる量のコンクリート塊が殺到し、渦潮が周囲を包囲していく。
どれか一つでも直撃を許せば死ぬ。だが上下左右何処にも逃げ場など無い。
ならば選択肢は一つ。成功率は……この際見ない事にした。成功しなければ、何もしない時と同じ結末が待つだけだ。覚悟を決め、一度納刀して体勢を低く取る。
「剣使いが荒いぞ。……まぁ、良いけどさ」
苦笑気味の声を聞きながら、桜花は力強く地面を踏みしめ抜き放った。
瞬間、抜かれたエクスの刀身は風を纏い殺到するコンクリート塊を粉微塵にし、どこぞの指導者を想起させる形に水を両断する。
だけでは止まらず追撃体勢に移行していたノーラの元へ届き、彼女が身体に纏っている強固な炎の鎧をも穿ち、苦鳴の声を上げさせた。
「もらった!」
動きが止まった時を見逃す訳も無く、桜花は残光が消えるより速く、砕けたビルの破片を次々と飛び移り、重力の縛に囚われて落下しつつある彼女と同じ高度へと辿り着き、がら空きとなった心臓部へと突きを放つ。
狙いを一切過つことなく、エクスはノーラの胸元に吸い込まれていく。
どのような擬音でも形容出来ない音が、旧市街を搔き乱す。
「な、アンタ冗談だろ……」
前の持ち主の分を含めると、星の数ほど戦を経験してきたエクスが困惑の声を漏らすが、現実は見事なまでに冗談を提示している。
音は、ノーラの顔から聞こえてきた物だった。
必殺の突きは、ノーラの歯によって阻止された。落下によって剣の届く位置がズレた事による産物だろうが、歯で噛み付いて止める馬鹿げた行為など、常人には強度などを考えるとまず不可能であり、想像し、対処出来る者はそういない。
出来る敵を想定して戦う者がいたのならば、そいつは間違いなく夢想家だの馬鹿だののレッテルを貼られるだろう。
「ヤバいぞ桜花、一旦手ぇ離すんだッ!」
混乱で停止していた思考が活動を再開。この状況は相手の両の腕が自由に扱える事になる。対する桜花達は、歯でエクスを止められている為に出来る動きが皆無に等しい。
まさしく彼女にやりたい放題やられる、最悪の状態。一刻も早く、状況を変えなければならない。
だがここで手離せば、エクスはノーラによって奪われる事が確定しており、それは敗北に直結する。故に、彼女の提案を採用する訳にはいかなかった。
「お前を離せる訳がな――」
皆まで言うより先に、カラドボルグの刀身が自らの腹の肉を喰らうのを感じ、全てが赤く塗られる。目元を伝う感触で、自分が泣き喚いている事に気付く。
意識が遠のいて行くが、身体に侵入した肉厚の刀身から発せられ、体内を走る雷によって何とか踏みとどまる事が出来た。
エクスに更なる適合を果たした身故に、この一発目は自らの感覚が吹っ飛ぶ程度の痛みにまで軽減されたが、これ以上の身体への侵略を許せば問答無用で終わる。ノーラを引き剥がす必要に駆られ、ヤケクソで適当な攻撃をエクスに対して念じる。
「――ッ!」
刀身から口を放し、背中から噴き出す炎の推力を用いて逃げに移ったノーラの頬を黄金の弾丸が掠め、傷跡を作る。すぐに塞がったが、追撃を防ぐ役割にはなった。
流石に口腔内部からの攻撃は、彼女も無傷でいられる確信は無かったのだろう。
地面に落ちた桜花は、首を狙ったノーラの追撃を転がりながら避けて立ち上がり、彼女に向けて渾身の斬撃を叩きこんだ。
直撃すれば確実に引き寄せられる可能性は十分にあったが、読まれていたのか一気に後退され空振りに終わる。
斬撃そのものが躱されるのは一応想定の範囲内。エクスの先端から放たれた光がアスファルトを砕きながらのたくり、ノーラに更なる後退を余儀なくさせる。
一応仕切り直しには成功した。安堵の溜息と共に、桜花は咳き込んで血を吐いて膝を折る。
倒れ込む事は堪えたものの、旗色はどこまでも悪い。
エクスの保持で得られる肉体修復能力はあっても、バルドルの鎧とノーラの持って生まれた天倵の才と、彼女が重ねてきた血の滲むような修練が齎す力に並ぶ物は彼にはなく、完全にはダメージを消せない。
消耗戦に持ち込まれれば勝ち目は絶対に無い。かと言って、真正面からの殴り合いに於いても有利に立てない。手詰まりだ。
「……不味いな。絶望的に不味い」
「今持てる全力を出してるつもりだけど、アイツの再生能力の範疇に収まっちまう。……桜花、もう一段階覚醒出来ないか?」
「精神的な覚醒がそうホイホイ起こってたまるか。言っとくが、友の死ってのは無しだぞ。お前が死ねば俺はその瞬間負けるし、逆は絶対に御免だ」
「そりゃそうだ……な!」
紅蓮の雷の突撃を、飛び退いて避ける。
ノーラは着地の際に身体にかかる衝撃など無い物のように、停止する素振りを一切見せずに旋回へと移行、断頭には十分の速力でカラドボルグが襲来する。
倒れ込むような形で斬撃を躱し、相手の懐に入り込み、エクスを斬り上げる。完全に隙を衝いた形だが、あっさりと反応され、蹴りをブチ込まれて射程から追放。
追い討ちと言わんばかりにカラドボルグが襲来、体勢が崩れた所に、トライデントによる激流で屋上から押し流され、またビルに落ちる。そこからどう動くべきか、思考を回し始めていた桜花に逆袈裟斬りが炸裂。
制服が避けて深い裂傷を負ったが、驚愕すべきはそこでは無い。
「ビルが……消えた!?」
墜落予定地点となっていた筈のビルが、ノーラの描いた斬線に従って両断されていた。アテにしていた場所が消えて無くなり、無様に宙で足掻く桜花を嘲笑うかのように、炎で飛行するノーラが接近。
飛行の速力をそのまま乗せた、規格外の突きが世界に生まれる。
カラドボルグの切っ先にはソニックブームが発生し、まだ刀身が触れてもいないのに桜花の傷口を更に抉り、肉が弾け飛んでいく。走馬燈のせいか、全てが速過ぎるせいか、桜花の視界はやけに遅く目の前の事象を捉えていた。
故に、この一撃をどうにかする事が不可能であるとも、理解出来てしまった。
金属同士が絡み合う甲高い音。決着はここで付いた。
「桜花ぁッ!?」
悲鳴が上がる。
桜花はエクスと強制的に分けられ、病葉同然に宙を舞う。
「まだだ!? まだ終わっちゃいない!? だから……」
少しの間頼む。
恐らくこう続けようとしていたと、長い付き合いからエクスは理解した。
だが言葉が発せられるより先に、カラドボルグから撃ち出された雷撃に貫かれ、桜花は無情にも、旧市街の路地に吸い込まれた。
「
相方を失った動揺はあったが、エクスは自らを手中に収めようとする敵に反応し、再び人の姿を取る。その者の手を蹴り付けて適当な場所に着地。どうにか最悪の結末は免れた。
――今向かっちゃ駄目だ。一発目が駄目だった時の二発目の策、これを成功させるように動くのが、今のアタシの仕事だ!
すぐにでも相棒の元へ駆けつけたい感情を押し殺して己の仕事を再確認し、目の前の存在を睨む。
傷は治ったと言っても、消耗が激しくなるこの姿では長時間戦えないのは自明の理。負けないように、かつ消耗し過ぎないように戦わねばならない。
「……彼はよく戦ったと思うわ。私相手に、ここまで長時間戦いを繰り広げた人は皆無。まさかここまで手こずるとは思ってもいなかった。素直に賞賛する」
「まだ終わっちゃいない! お前は、アタシ達が倒す!」
多分に虚勢が入った啖呵に、ノーラは笑みを浮かべながらカラドボルグを構える。エクスもそれに反応して、腰に差した『アルマイド』を構える。
「勝つことが分かっていても、伝説の聖剣と一戦交えるのはなかなか興奮するものね」
「……ほざいてろッ!」
演者が一人減るアクシデントを経て、決戦の第二幕が開く。
◆
「やぁ桜花君。……大丈夫かい? いや、大丈夫じゃないか」
あちらこちらが常識から逸脱した剣戟で荒廃した旧市街の廃道に、赤い獅子が停車していた。
人間無骨に抱かれている、かなり変貌した姿の少年に、運転手にして異次元の戦いの観劇者である八千代は努めて普段通りの声で問う。
「ご心配なく。心臓と脳と肺が動いてて、身体も意思に従っていてくれますから」
「桜花殿、それは人としての最低限であって、大丈夫の基準にはならないぞ」
虚勢を張ってみるが、あっさりと突っ込まれる。実際のところ身体は危険信号を放ち続けているし、一度激しい動きを止めてしまったからか、身体がやけに重く感じる。
恐らく、もう一度上空で繰り広げられている戦いに加わるのは無理だ。途切れたリズムに乗り直そうとしている間に、今度こそ死体に変えられる。
剣と剣が絡み合う甲高い音は、桜花が落下した時から止む事なく、延々と旧市街に響きわたっている。桜花の枷が外れた事によって、戦いの速度と拮抗具合は飛躍的な上昇を見せているが、延々とやらせる訳にはいかないのは、この場にいる者全員の一致した見解だ。
「ほい、用意してたブツだよ。俺と君の年収の合算くらいの経費だから、失敗したら楽しい事になると思うよ。……今からでも、俺が替わろうか?」
桜花はありとあらゆる防具に袖を通しながら、笑って首を振る。気遣いは有り難いが、ここで降りる訳にはいかない。
希望的観測ではあるが、万が一にでもそれが当たれば、この場に於いて最弱の存在である自分が仕掛ける事で、最良の結果が生まれるかもしれないのだ。
加えて言うなら、根拠が非常に薄いこの自爆同然の作戦の責任は、全てぶち上げた自分が負うべき物なのだ。優しさに甘えて八千代にリスクを押し付けるなど、絶対にあってはならない。
観念したように八千代は肩を竦め、赤い獅子の後部座席に座るように促してくる。
後部座席に乗り込み、ぶつかり合いながら激しく動き回る二つの光点を追いかけて走り出した車内で、桜花は自らの動きをシミュレートする。
相手がノーラである以上、チャンスは一度きりだ。外してしまえば桜花は死に、全てが終わる。エクスも、人間無骨も奪われる。その先は想像もしたくないが、彼女の燃える意思を見た今では、嫌でも想像が出来てしまう。
重圧からか拳を握り締め、自分の膝を見つめるだけしか出来ない桜花に、運転席と助手席から声が飛ぶ。
「ヘヴィに考え過ぎちゃ駄目だよ。空回るだけだしね」
「彼女に対しての策を打ち出せたのは桜花殿だけだ。失敗しても、責める者など居る筈もなかろうよ」
「余計な事言う奴がいたら、俺とむっちゃんが遠慮なくぶっ飛ばしてあげるから安心しなよ。それに、ね……」
言葉を切って八千代はこちらに向き直り、ニヤリと笑う。
「今の君には戦う理由も、守りたい物もちゃんとあるんだろう? だったら、そいつを精一杯掲げて挑んでやれば良い。ちゃんと持っている奴が何も残せずに終わる、残酷な作りに世界はなってないからさ」
背中を押す言葉に胸が熱くなる。
「や――」
ドガシャン、と物騒な音が発せられるのと同時に赤い獅子が停止。桜花の言葉も停止させられる。
「あーデブリに当たっちゃったか。動きはするけど、修理代が……」
「桜花殿に伝えたい事があるのは理解出来る。だからと言って、アクセルを踏んだまま後ろを向くのは間違いだったな」
「や、先に言っておくれよむっちゃん……」
「……すみません、本当に……」
イマイチ締まらない雰囲気になったが、八千代に言われた言葉は胸にしっかりと焼き付き、改めて覚悟は決まった。再び動き出した車内で、桜花は相方に心の中で呼びかける。
――待ってろよエクス。もう少しで追いつくからな!
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