4:世迷い言の結実

1:NO SCARED

 才能とは望まぬ者にも与えられ、過酷な現実とは、一度転げた奴を徹底的に蹂躙するかのように連続して起こるものだ。

 銀髪少女ノーラは旧外崎市街で一番高い廃ビルの屋上に立ち、暗闇を睨む。

 二度と戻れない風景、風化を止める術を失くした思い出が、暗闇の中を浮かび上がって消えていく。

 耳に届いていた騒々しい排気音は何時の間にか止まり、こちらに登ってくる足音は、彼女が想定していた相手よりも遥かに軽い。


 ――自棄か博打か、それともまた別の何かか。配役を変えたみたいね。


 身体に焼き付いた『バルドルズ・ソウル』がジワリと熱を帯び、『カラドボルグ』が小さな閃光を放ち始める。あれほど見下していた存在を、自分の中は待ち望んでいる。

 ――何を期待しているのだろうか。

 自嘲気味に嗤う。何もかもを捨てて、壊して、殺してきた筈の自分でも、まだ誰かに理解して、情を抱いて欲しいとの浅ましい欲望はあるらしい。

 所詮、人間は完全無欠の兵器になどなれない良いサンプルだ。

 暫し嗤い続けていると、彼女の前に、先日徹底的に痛めつけた一人の少年が立っていた。

 適当に切った趣が隠せない黒髪も、勇ましさの類が欠落した中性的でひ弱な顔も、手に握られたエクスカリバーも、何もかもがまるで変わらないが、纏っている物と目に宿る光だけは違う。

 彼なりの決意を抱えて、ここに来た事は間違いないだろう。

「……あなたは言っていた、大願を為すと。俺には何もないと。そうまで言えるあなたの持つ、大願ってのはいったい何だ? ……何故武器を、適合者を狩るんだ?」

 ノーラはカラドボルグを屋上に突き立て、両の手を広げる。どう転んでも、この少年との逢瀬はこれが最後だ。話しても支障はないだろう。不思議な程にクリアな思考と共に、ノーラはゆっくりと口を開いた。

「廃船の出来るまで、なんて面白くも何ともないけれど話してあげる。冥土の土産にね」


 ノーラ・ブロムクウィストは、北欧のとある国の小さな村に産まれた。節目ごとに両親が帳簿と睨み合いを繰り広げていたのを見るに、かなり貧しい家だったのだろう。村を出て首都の学校へ通い、立身出世を果たすなど望める訳もなく、この村で一生を終えるのだろうと、幼心に理解していた。

 立身出世など幸せの見方のあくまで一つでしかない。賢し気に否定の言葉を並べ立てる人間は、持たぬ者の惨めな負け惜しみと嘲笑するだろうが、自分にとっては関係無い。

 この村で、家族や親しい友人に囲まれて人生を全うする方が、幸せに決まっている。ノーラはずっとそう思って生きてきた。

 全てが狂ったのは、ノーラが小学校に入学した年の事だった。

 突如現われた異形『セルマ』によって、村は壊滅。何人もの住民が大蛇の腹に収まるか、身体を砕かれるかして死んでいった。

 ノーラは自身の眼前で父が呑み込まれ、母が強酸性の胃液によって生きたまま溶解していく姿を目の当りにし、自らも食われようとしていた。

 恐怖のあまり意識が暗転し、次に目を覚ました時、彼女はSSA北欧支部の施設内に保護されていた。間一髪で『継承者』の一人が場に滑り込み、セルマを切り伏せて救ったのだと、職員から聞いた。

 何も無くなったノーラは、当然のように異形への復讐を終生の目標に掲げ、『適合者』への道を歩く事を決めた。

 適合する『血』を見つける為に受けた検査で、自らが複数の適合を可能とする『到達者』の兆しが見えたと告げられた時、一切の躊躇なく

兆しを力に変えるべく外科手術を受けた。

 十一歳で戦場に身を投じ、才覚と憎しみが力を授けたのか、ノーラは他を圧倒する戦果を挙げ続けた。戦場に出れば憎しみを晴らす事が出来、施設に戻れば自分と似た存在である『到達者』の仲間と訓練を積む。

 厳しくはあったが、理解し合える人間と共に過ごす日々は何事にも代え難い物で、一度狂った人生の歯車も上手く回るようになったと感じていた。

 しかし、幾ら異形との戦いの為とは言え、倫理に引っ掛かりかねない人体実験が許容去れているのか? そんな疑問は、ずっと心の中に残っていた。

 彼女の疑問は在り来たりな物かもしれないが当然で、その回答も在り来たり、しかし当人達にとっては全てを揺るがし、ヒーローという美しい虚像とはかけ離れた、薄汚れた話だった。

 更なる効率と戦果を手にする礎として『到達者』のデータを収集し、可能性があれば大々的に喧伝し、主戦力に用いる手筈だったのだろう。普通なら倫理によって制止される改造が許容されたのも、期待されるリターンの大きさから世界が認めた行為だった。


 そして彼女達が許されなくなるのも、損得勘定に依る物だった。


 ある程度の形にするのに莫大なコストが必要なものの、戦場で使えるスペックを得るどころか、自立行動を行える程度の人員を作り出す事も難しい状況からの進展を、開発者達は見せられなかった。

 停滞の間に、量産可能な上に非適合者でも使用可能な異形討伐の武器が、少しずつ、だが着実に進歩を見せていた。

 どちらに金を投じるべきか、そしてどちらがキレイであるかの格付けは、ここで済んでしまった。

 これによって上層部の人間は『到達者』開発の放棄を決定。

 この瞬間、ノーラ達『到達者』は世界を救うヒーローの称号を奪われ、代わりに与えられたのは、非人道的な行為を自ら望んだ『唾棄すべきケダモノ』の烙印だった。

 決定が下されてから、主流派は計画に携わった主要な人間を迅速に殺害。彼らが産みだし配備を進めた『到達者』が世界に跋扈する異形と同種の、人類に牙を剥く存在であると大々的に喧伝した。

 血祭りに上げられ息の絶えかけていた産みの親と友人に促され、追っ手を振り切って故郷の村に走った。

 追っ手の攻撃は苛烈、しかしノーラ自身の高い力量によって、どうにか振り切って故郷に辿り着いた。何度か異形絡みで村には戻っている。その時に自分に向けられていたあの眼差しは、決して敵意などではなかった。

 きっと、あの村は自分を受け入れてくれる。

 期待を胸にして戻った故郷の人々が、彼女に向けた最初の言葉は「人殺し」だった。

 様々な情報が捻じ曲げられて公開された結果、悪逆非道の快楽殺人鬼として、『到達者』の存在は村に伝わっていたようであった。

 この村で過ごした時の自分、何度かここに立ち寄って言葉を交わした自分。今ここにいて言葉を発している自分ではなく、世間を巡る「正しさ」を、村の人間は信じたのだ。

 石や汚物をぶつけられながら村からも逃げ、流れ着いた次の場所も、その次も、何処に行っても自分を受け入れてくれる場所などなかった。

 どうして自分だけ、蔑まれるのだろうか。やってきた事は主流派と変わらない筈だ。人類の為に戦ってきた筈だ。なのに、彼らは主流派を持て囃し、自分達を排斥するのか。

 涙も涸れ果てた頃、ノーラは一つの結論に至る。

 所詮、世界は勝者がルールを規定する。自分が今のような扱いになったのも、間違い無く政治ゲームに敗北した故だろう。このゲームによる敗北は他のそれより負のリターンが大きい。恐らくもう、自分には地獄以外への行先はないのだろう。

 ならば、地獄に堕ちる運命は甘んじて受け入れてやろう。だがそれは全ての適合者を殺し、全ての武器を破壊してからだ。

 自分達を守護する存在が消えた時、人々は自分に頼るだろう。犬畜生や売女のように罵倒していた事など忘れ「最初から貴女を信じていた」「あの時は周りに流されていた」「仕方がなかった」などと宣って縋るに違いない。

 そこで、ノーラは自らの心の臓を抉って死ぬのだ。

 為す術も無く異形に蹂躙され、人々が絶望に包まれるのは、どれだけ素晴らしいだろう。

 昏い、何も待っていない決意だ。だが、それだけしか自らの砕けた心を動かせなかった。 

 全てを決めてからは自らの肉体の更なる進化を目指して鍛練を積み、極秘裏に開発が進められていたバルドルの鎧の完成を待った。鎧を手にした後、アイロットと、彼の家族を殺害してカラドボルグを奪い取った。


 数多の『演者』と『継承者』を殺害し続けて、今に至る。


「勝者が全てを規定するのならば、私が勝者になるッ! 後ろ指を指されても構いはしない! 救いなど望みもしない! 私の選んだ道だッ! ……誰にも否定などさせないッ!」


 血涙を流し、狂気で濁った眼を剥いて、ノーラは獅子孔を上げる。

 心胆を鷲掴みにされ、直接揺さぶられる彼女の姿に、しかし桜花は恐怖を感じなかった。  

 そこに世界中から畏れられる『適合者狩り』の姿はなく、帰る場所を失い、修羅の道へ突き進まざるを得なくなった迷子の姿を、彼は幻視していた。

 心を揺るがされなかった、と切り捨ててしまうのは大嘘になる。

 自らが所属している組織に、狂った内ゲバがあった事を知らなかった上に、変革する力もない自分が、その波に蹂躙された当事者である彼女に賢しげに宣う権利などないのだろう。

 そして北欧支部だけに穢れが在り、他の支部は清廉潔白。故に自分達は無罪だという論理も、掲げられる筈もないのだ。


 ――でも、な。


「出来る筈もないんだよ」

「……な、に?」

「あなたの境遇がどうであったとしても、進む道が他の誰かの持っている何かを蹂躙する道であるならば、俺はあなたの選んだ道を肯定出来るはずもない」

 桜花はゆっくりと鞘からエクスカリバーを引き抜く。縛めを解かれた聖剣から、不浄を払う風が放たれ、黒髪が宵闇に踊る。

「今の俺はエクスを握る資格の足りない凡骨だ。闘う覚悟も何もかもあなた足下にも及ばない。……それでも、だ。俺は自分の決めた黄金律を貫いてやるッ! ……だから、あなたをここで倒す」 

 一瞬の沈黙の後、地獄の底から響く呻き声が、否、ノーラの笑い声が旧市街を包む。

「そう、それが貴方の選んだ道。ならば、貴方も破壊すべき存在でしかないわッ!」

 正気を捨てた笑顔と共にフランベルジュを抜き、身構える桜花を他所に自らの胸へと突き刺す。本来ならば身を貫通する筈の刀身は、底なし沼に呑み込まれるかの如く、あっという間に彼女の体内に姿を消した。


 転瞬、ノーラの身体中から血液が噴出する。


 足に手に腕に胸に背中に、首と頭部以外の全ての部位に赤い線が奔り、そこから放出された血液は泡立って彼女の身体に纏わり付き、重厚な鎧を形成していく。

 背中に設えられた二つの穴からは炎が踊り、翼となってゆらめく。光源に惹かれた羽虫だけでなく、足下のコンクリートさえも融解させ、握られたカラドボルグの漆黒の刀身には雷光が絶え間なく奔り回る。

 偽りのない、彼女の全力が解放されようとしている現実に直面し、桜花は身震いをする。

「――ッ!」

 振るわれた大剣から雷光が現われ、桜花の元に迷いなく殺到する。モーションで予見していた桜花は、逸脱した反応でエクスを振るい応じるが、以前の戦いでは受ける事が出来なかった記憶が、ノーラに笑みを浮かばせる。

「今のアタシと、桜花を舐めんじゃねーぞ」

 ぽつりと呟きが聞こえた時、エクスを黄金の光が包み刀身が一気に長大な物へと変貌し、触れた雷撃を霧散させる、だけでは止まらない。

「しま――」

 剣閃はノーラの所へと向かい、反応する暇を与えずに彼女を呑み込む。

「普通なら、これで終わりなんだけどな……」

 相手がこれだけで終わる筈がない。エクスの意を汲んで、桜花自身も光の中へ飛び込んで、気配に向けて斬撃を放つ。一撃で決められる訳は無い。だが、未知の攻撃を受けた事によるダメ―ジは確実にある。

 踏み込むならば今、との思考と共に踏み込むが、事は上手く運ばない。

 光の中から、猛る漆黒の刀身が伸び上がり桜花の首へ迫る。カラドボルグか、と理解するより先に身体が反応し顔を振って回避、前進しようとする身体を強引に後退させる。

 無理な動きで痛む足を叱咤しつつ、元の黒を取り戻そうとする前方を睨む。案の定、そこにはノーラが悠然と立っていた。幾つか傷は作れたようだが、それも一瞬泡立った後に修復されたようだ。

「虚勢ではないようね。……貴方、名前は何かしら?」

「……名前?」

「以前の無様な姿とは何もかもが違う。引き出せる武器の力の量を、ここまで短期間に上昇させるのは、使い手の変化があってこそ。ここに来たのは誰かの意図でも義務感からでもない。決意を抱いて立つ人間の名を知らぬまま殺すのは、惜しいでしょう?」

 エクスカリバーの付録という認識を捨て、戦う相手として彼女は自分を見ている。

 多少なりとも敬意を払われているのならば、応えるべきだろう。油断なくエクスを構えつつ、桜花は名乗る。

「俺の名前は出灰いづるは桜花おうか。……これから嫌って程顔を合わせるだろうから、覚えといてくれ」

「オウカ、ね。……女の子の名前みたい」

「よく言われるよ」

「まぁ面も女っぽいし、身長も筋肉も全然付かないからな。似合ってるんじゃね?」

 エクスの横槍もあって、空間は決戦の前とは思えぬ程に柔らかな空気が満ちる。両者は互いの得物を構え、決意を秘めた目で一言一句変わらぬ言葉を叫ぶ。


「さぁ、始めよう!」


 全くの同時に踏み出し、全く同じ動作で以て刀身をぶつけ合う。爆轟と共に、鉄筋コンクリ―ト製のビルが、戦いのゴングの役目を果たして崩壊していった。

  

                   ◆


「……始まったのか」

「みたいだねぇ。……よくよく考えたら恐ろしいマッチアップだ」

 旧市街の入口に停車している、フランスの獅子の助手席で、八千代は双眼鏡を両目に当てた鎧武者と会話を交わしている。「体艤装」を発動させた人間無骨だ。

「本当に彼らだけに託してよかったのだろうか?」

 相棒の当然の疑問に、八千代は少し顔を顰める。出来る事ならば、桜花達に代わってノーラに挑みたかったが、それをさせない現実が彼の前には厳然として存在していた。

 ノーラは外科的処置によって素質があるだけ、の状態に留まっていた複数の存在への適合をモノにしている。だが彼女の真の才は、戦いの中で得た物をすぐに武具に反映させるフィードバック能力の方だ。

 それによって、一度受けた攻撃の強度を『バルドルズ・ソウル』に記憶させ、攻撃に耐えられる上限を戦いの中で引き上げる事を可能とする。

 八千代やファルフスの攻撃は既にフィードバックが為され、最早彼女に対して少しの傷も負わせられないだろう。前線にしゃしゃり出るだけ無駄という悲しい現実が、厳然と存在している。

「エリちゃんの更なる力を引き出す事が出来るようになった桜花君が、バルドルの鎧を打ち破る。これが理想のシナリオ。俺達の役目は失敗した時の二の手の補助」

 後部座席に大量に積まれた防具に目をやる。どれも現在のSDAが持つ技術の全てを注ぎこんだ強力な物であり、通常の相手や戦闘では一つでは事足りる。

 複数を重ねて使用するなど、前例がまるでない。この事実だけで、ノーラの強大さと、桜花の選んだ二の手の無謀さが伝わって来る。

「本人がやるって言ってるんだ。俺やむっちゃんと言えども、意思を曲げちゃいけないよ」

 沈黙する鎧武者の肩を優しく叩いて、八千代は笑う。

「むっちゃんが責任を感じる事なんて無いさ。彼女に勝てなかったのは、ひとえに俺の力不足に依る物だ。……そろそろだね、行こうか」

 桜花と打ち合わせた場所へと向かうべく、八千代はアクセルを踏んだ。

 

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