6

 夕陽をバックに、桜花は一人で支部へ向かっていた。

 元来それほど明るい表情が地となる性格では無いが、今はいつも以上に暗い顔をしている。別に追加課題が出された事を気に病んでいるだとか、まだ完全に治り切っていない肋骨が痛む、などが主たる要因ではない。

「適合者狩り、ねぇ……」

 八千代と同様に、桜花もその報を昼休みに受けていた。もっとも、エクスがメンテナンス中である為に、彼は即時召集をかけられる事はなかった。


 エクスカリバーが無ければ、お前の価値などない。


 上層部や周囲からのキツイ評価を暗に突き付けられている様な気もしたが、そのような感情を振り払って授業に集中した。感情の逃げ道がなくなった今、またそれがぶり返してきたのかもしれない。

「事実は事実なんだし、そうヘコむなっての。戦わなくて済むなら……」

 独り言を打ち切り、脳内のスイッチを切り換える。


 自分に対して向けられる、妙な物を感じたのだ。


 周囲を見渡すも、突如警戒行動を取った桜花を、不審な目で見て通り過ぎていく通行人ばかりで敵影はない。そもそもの問題として、エクスを持たない状態の桜花の感覚では、敵がいたとしてもこの場所は開け過ぎていて捉えられず、捉えた所で勝算は十中八九ない。

 何もせずにエクスを迎えに行って帰る選択肢も確かに存在する。現時点で何も捉えられておらず、気のせいである可能性が存在しているので、そこまで非難される選択でもないだろう。


「……選べる訳もない、か」


 自分にしか聞こえない声量で呟きながら少しだけスマホを弄り、鞄から取り出した物騒な物を突っ込んだホルスターを腰に装着して、桜花はまた歩き出す。最短で支部へと行ける道ではなく、態と遠回りして人通りの少ない道を進む。

 日が沈み黒が空を塗り潰す頃、桜花は市街地から遠く離れた復興途中で放棄され、廃墟と化した区画に辿り着く。

 目に喧しい、アウトローな皆様お手製の悪趣味な自己主張アートを見ながら、桜花は大きく息を吸い、吐いた。

「……そろそろ出て来いよ。ここなら誰もいない。だから、俺でも気配はハッキリと感じられるんだけどな」

 虚空に向かって呼びかける。声が溶け切る前に、桜花の眼前の空間が揺らいだ。


 半ば信じ難い光景ではあるが、揺らぐ空間を割って人間が姿を現した。


 普通の人間が着ていても滑稽な様にしかならない、装飾の多い優美な服を見事に着こなしている相手は、自分とそこまで離れてはいない年齢と推察される容貌をしているが、離れていないのは年齢だけだ。


 宙を遊ぶ細やかな白銀の長髪や、深淵を思わせるアンヴァーの瞳を始めとして、目の前の相手は作り物としか思えぬ程に輝きを放ち、暗がりの中でもはっとするような美しさを持っている。端的に言えば、自分とは住む世界が違う。


 日常でこんな奴に声をかけられれば、間違い無く逃げる。

 だが、今は日常の枠組みの中に自分はおらず、尚且つ友好的な展開に発展する可能性も彼女の纏う物から考えて皆無に等しい。

 敵の可能性が非常に大きい相手ならば、物怖じせずに幾らでも言葉を吐ける。

「で、理屈の分かんないステルス機能を使ってまで、俺を尾けて来たのはどうしてですか? サインだとか写真とかを提供出来る……」

「エクスカリバーは何処かしら?」

 予想しきっていた言葉を耳に捉え、桜花は小さく嘆息する。

 そうですよね、俺個人に用があるんじゃないですよね。知ってますよ、そんな事は。内心で毒づきつつ切り返す。

「今ここには無いね」

「ならば場所を教えなさい。素直に言えば、記憶がなくなる位で済むわ」

 直球極まりない要求に呆れながらも、桜花は頭の中で時間を計る。

 ここに到着する直前に、八千代の携帯に改めて着信を入れた。逆探知が可能な仕事用の携帯にそれを行う意味を、彼なら理解して駆けつけてくれるだろう。だが市街地から少し離れすぎた。

 結構な時間を稼ぐ必要が生まれてしまった事は自明。いずれ実力行使によるやり取りになるのは間違いないが、明らかに勝算が薄い故に少しでもその時間を減らしたい。

「教える必要ないと思うんだけどな? というか、エクスをワザワザ手にして何をするつもりなんだ?」

「劇に加われない無力なゴミに、主役と同様の情報を与えられる事は無いわ。大人しく従う事を勧めます」

 美しくも無機質な目で実に失礼な事を言ってくれる。若干憤りつつも、大幅に言葉は本質から外れている訳でもないので、かなり心が痛くなる。

 表には出さずに、桜花は敵の全身をざっと観察するが、武器らしい物は見受けられない。しかも彼女の装いは激しい動きには絶望的に適しておらず、明らかにこちらの方が動ける要素は揃っている。

 通常なら多少の安堵を抱かせる事実が、適合者狩りの情報を聞いた今では脅威を抱かせる。

 故に、下手に切り込むことが出来ずに、桜花は相手を睨みつけるだけに留まり、時間を空費させるだけの状況が続く。

「なるほど、話し合いには応じないか。……なら、力尽くで吐かせてあげるわッ!」

 救いようのない愚者を見る嘲りの色を目に含ませ、相手は嗤う。

 殺意が膨れ上がるのを感じた桜花は、何の衒いもなくナイフを三本抜き、投げ付けた。

 適合者の中で肉体が貧弱な部類に入るといっても、一般男性からはかなり逸脱した力を持った少年が放ったナイフは、少女の首と胸へ狙い過たず飛んでいく。

 先手を取ったのは間違いなく桜花。

 加えて、クイックモーションからの投擲はなかなか堂に入った物で、分かっていても回避は難しい。完全な不意討ちだった為に気取られる事は無かった筈。

 にも関らず、少女は一本を明後日の方向に右手で弾き飛ばし、二本目を跳躍で回避。そして三本目は着地の際に踏みつけて破壊する。


 ――おい、何のじょ


 相手の出鱈目な挙動に思考が出来たのはそこまで。桜花は反射で仰け反る。

 直後、空気を裂く音と共に拳が飛んで首元のネクタイと前髪が大きく舞い、背後から破砕音が届く。

 背後の光景が嫌でも克明に脳内へと描き出され、全身からどっと汗が噴き出すが、それ以上の答え合わせを行う猶予などない。 

 仰け反った姿勢から桜花が一番速く仕掛ける事が出来たのは、技でも何でもないただの肘鉄だった。出鱈目な姿勢からだが、制服の下に仕込まれたプロテクターの強度をもってすれば、打撃を当てれば隙を作れる筈だ。

 ドリフトじみた旋回で見事に回避され、目論見は崩壊するのだが。

「――がっ!」

 がら空きになった腹部に無慈悲な拳が叩きこまれ、全身が激しく揺すられる。

 湧き上がって来た吐瀉物が零れるのは堪えたが、こんな攻撃を何度も貰っていては確実に嘔吐だけで済まなくなる。 

 この少女に人道的な配慮は無用と判断し、痛みを堪えながらチョキの形を作り、相手の両の目に思い切り突きこむ。何の予備動作もせずに跳躍して躱され、無様に空振った。

 悉く常識外れな動きをする相手に驚愕する暇もなく、頭上から猛烈な勢いで踵が落ちてくる。動揺しながらも、桜花はどうにか後退してそれを躱す。

 轟音、そして震動。


 超局地的な地震が、廃墟で発生した。


 何もかもが理屈では説明出来ない出鱈目な動き、見方によっては確かに素人と言えるのかもしれないが、巨大なハンマーが撃ち込まれた様な痕跡を刻む剛力とあっては、素人云々のお話は無意味でしかない。


 言葉で立脚される理論は、安全圏にいる者の吐く遊びだ。


 このまま格闘を続けた先に待つ物は敗北、そして死亡であるのは自明。かと言ってエクスが居ない今、桜花の手にある選択肢は非常に限られている。

 戦いに変化を付けられそうな、強化ピアノ線もヴェード戦で使い切って補充をまだしていなかったので無い。自らのミスに内心で地団太を踏む。有ったとしても引きちぎられるだけに終わりそうではあるが。

 ならば先程取り出して、腰に装着した銃はどうか? 情けない事に、桜花の持つ銃は殺傷能力の無い弾丸しか装填されていない。これ単体で、目の前の化け物を撃破するのは絶対に不可能。

 使えそうな選択肢のない桜花に向けて、怒涛の勢いで連撃を仕掛けていた少女だったが、突如として動きを止め、嘆息した。どうぞ狙ってくれと言わんばかりの露骨な隙を見て、桜花も仕掛けるが片手でゴムボールか何かを投げる調子で放り投げられ、受け身も取れずに廃墟の柱に激突。

 全身の骨が軋み、肺から苦鳴が漏れだす。

「話にならない位に弱い。……こんなのが継承者だなんて、出来の悪い喜劇ね」

「喜劇で悪かったな。俺だって望んで継承者になった訳じゃ……」

 皆まで言う事は許されず、制服が裂けて鮮血が踊る。加えて、強烈な痺れが全身に走って桜花は地に伏せる。

 激痛の余り、このまま意識を手離したいと主張する本能をねじ伏せて、どうにか立ち上がろうともがいていると、眼前の地面が激しく抉れている光景が目に飛び込む。


 反射で少女の方に顔を向けると、悪夢のような現実がそこにあった。


 何処から引き摺りだしたのか、彼女の手には一振りの両刃大剣が握られていた。黒光りする凶悪な刀身を持つ剣の正体が何であるのか、昨日八千代から話を聞いた桜花には分かってしまい、顔が絶望で塗られていく。

「カラドボルグか。そんなの持ってるなら、態々エクスを奪い取る必要なんかない気がするんだけど?」

「貴方如きに私の目的を知る必要はない」

 辛うじて問い掛けの態を作った呻き声に、無情な断言を返しながら、少女はゆっくりとカラドボルグを振り上げる。徹頭徹尾相手の事を舐めた遅い動きだが、それを止める術を桜花が持たない事を知っているからだろう。

 このまま何もしなければ間違い無く骨も残さず殺される。だが、エクスを持っていない今、自分に勝ち目は皆無。情けないが、これが現実だ。

 ならばどうするか。桜花の中で、答えは意外なほど早く出た。敵前逃亡は色々と不味い上に、こんな原始的なやり口にかかるとは思えないのだが、最早これしかなかった。

「当た、れぇッ!」

 手持ちのナイフを全て放る。一応刃には神経毒が塗られており、掠めたら暫くは身体の自由が利かなくなる筈なのだが、彼女の速度を考えると、一つだけでも当たるかは怪しい。

「見苦しい!」

 侮蔑の言葉と共にカラドボルグが振るわれ、避ける暇もなく雷撃を食らう。

 全身を焼かれながら無様に吹っ飛びつつも、桜花は腰のホルスターから銃を抜き、出鱈目にぶっ放した。

 怯む気配もなく突っ込んでくる相手に対し、弾倉の中の弾丸を撃ち尽くした事を確認して、背を向けて目を閉じ、桜花は全力で走り出した。

「待――」

 瞬間、夜は昼への逆転を果たす。

 目を瞑ったまま、水を激しく叩く音を聞いたので、狙い通り川に飛び込む事は出来た筈だ。

 そこから先は、記憶がはっきりしない。

 獣に近しい物を感じさせる咆哮、銃声、金属音。

 全てが激しく巡る中、体力が限界を迎えていた桜花は、意識を失った。

 ――あれ、水中で意識を失ったらヤバくないか?

 

 今更過ぎるクエスチョンを浮かべながら。


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