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「――はっ!」
強烈な意思を感じて、桜花は目を覚まし布団から飛び退く。小さな風が、彼の髪の毛を盛大に巻き上げる。
数秒後、彼の居た所に金のミサイルが突き刺さっていた。無論、こんな真似をするのは一人しかいない。というか、この六畳一間の安アパートの一室には桜花と彼女しかいない。
「……ようエクス。まだ六時十五分だぞ、学校行く時間じゃないんだが」
「よう桜花! まー気にすんなよ、早起きは何とやらだぞ!」
無駄に輝く白い歯と金髪を見せながら、唯一の同居人エクスは笑う。良い光景かもしれないが、彼女の振り下ろした手刀の着弾点を見ると、起きていなければどうなっていたのかが怖い。
「……んで、なんでまた今日はこんな時間に起きてんだ? ゲームの続きは今やらないぞ。お前とやったら長いからな」
「な訳ないだろ。思い付いたから飯作ったの! ……大丈夫だって、フライパン焼いたりとかはしてないから! 泣くなって桜花!」
別に自分も料理が出来る部類では無いが、来た頃のエクスはそれ以前の問題だった。
フィクション世界なら可愛いと言える料理下手も、現実では悪夢でしかなかった。
何度も調理器具と掃除用品を買い足し、休日の大半を始末に費やしたか分からない苦難の日々が刷り込まれ、最低限過程をこなせるようになった今でも、心の準備なしに「飯を作った」の単語を聞けば、恐怖と絶望が湧き上がる位には怖い。
「ほ、ほら。つべこべ言わずに食えって! 無骨のおっさんから聞いたから食えるからさ!」
慌てた様子でフォローするエクスを横目に見つつ、桜花はちゃぶ台に座り、おそらくアジと思しき魚の焼いた物を口に入れる。
魚は、何故か甘かった。
快楽として感じられる甘味ではなく、魚の味をぶっ壊す甘味に、舌が悶絶する。
「……塩と砂糖を間違えたな?」
「あっ!」
エクスの顔色がみるみる変色していく。久方ぶりの失敗ようだ。
「俺もデカい口叩けるレベルには無いけど、次から気を付けろよ」
「お、おう……」
今回もそうだったが残すのも彼女に悪いし、他の物は普通に食べれる為に、それ以上は触れずに別の話題を提示する。
「……で、今日は何か予定あったっけ?」
「十一時からメンテナンスだ。夜は何か仕事あるか?」
「今のところは無いな。昨日みたく突発的な出動が出れば分からないけど」
「……」
「パトロールはしないからな」
「むぅ……じゃ、帰ったらまたアレやろーぜ! 今日はもう宿題ないんだろ?」
「手加減しろよ?」
「やだ!」
大して実のない会話を交わしている内に、登校する時間が来た。鞄に課題を突っ込み、スニーカーを引っ掻けて、桜花は家を出る。
「早く迎えに来てくれよ~。八千代とかいなきゃ、あそこは暇過ぎるからな~」
「善処する。お前も戸締りと火の元を確認してから行けよ。鍵はいつも通りポストに入れとくんだぞ。他の所に放り出すなよ」
「分かってるって!」
ぴょこぴょこ飛び跳ねながら手を振るエクスに見送られ家を出る。ヒーローらしい感じはあまりしないが、まぁこれはこれでアリなのだろうと、一年以上抱いている感情と共に学校への道を駆けて行く。
「……七時半か。どーしようかな」
一人残されたエクスは思索に耽る。十時半に出れば、支部には間に合う。後三時間の自由時間で何をするべきだろうか。
「ゲームは一人でやってもつまんねーし、飯作っとこうにも、アタシより桜花が作った方が良いだろうしなぁ。むぅ……」
頬を可愛らしく膨らませながら、狭い部屋の中をぐるぐると回る。
現代の生活には大体順応出来たが、まだ貨幣について完璧に理解できていないし、好き勝手に外出出来る訳でも無い。下手に外出すれば色々と面倒くさい事になる為に、無許可の外出は厳重に禁じられている。
もっとも、桜花抜きで何処かに行っても、ちゃんとした反応を返してくれる相手がいないせいか、そこまで楽しく感じられないので、最初こそ不満だったが、今は彼女もその措置を受け入れている。
「よし!」
しばらくして、取り敢えず風呂の掃除をやろうと思い立つ。実に平穏かつ、桜花にも自分にとっても有益な活動だ。
一度泡だらけにして桜花に青い顔をされたが、それ以来一度も失敗の無い、自分にとって稀有な家事を実行しようと風呂場に向かった時、自分の髪の毛の一部がピンと立つ感触を感じて足を止めた。
「……なんか久しぶりだな、これ」
絶望的に低い精度だが、強力な敵が近くに現われると、エクスの髪の毛はアンテナのように張る事がある。今回は身体が髪の毛に振り回されつつあるので、相当に強力な存在なのだろうと思うが、それ以上は彼女にも分からない。
――桜花に言っとくべきかな? いやでも、携帯は学校では使えないって言ってたな。どうしようかな……?
悶々としたまま、彼女一人の時間は過ぎて行く。
◆
彼女が悶々としている頃、桜花は属する公立高校の自席で伏せっていた。中性的な顔は、睡眠不足に起因する生気のない色で塗られている。
耳を澄ませば、彼が恨み言を放っているのが聞き取れるだろうが、態々聞こうとする物好きはいないので、怨嗟の声は止まらない。
「……畜生眠い、それもこれも人が課題やってる隣で、延々ゲームやって騒いでるエクスが悪いんだ。いや、何とか終わらせて寝ようとしてたのに、電話でよく分からん話を繰り広げた八千代さんのせいか……」
言葉通り、八千代の話は『夜食にカップ麺を食べようとしたら人間無骨に怒られた』がメインの中身が無いものだった。しかし一つ忘れている事がある。
根本的な問題として、課題を提出日前日の夜まで放置していた、との一番重要な事実は、少年的責任転嫁で放り投げている辺り、今後も彼は痛い目に遭いそうだ。
「よう、桜花! 課題出来とるやろ? 見せてくれや!」
呑気な言葉と共に、桜花の背中が派手に叩かれる。のろのろと首を後ろに回すと、相も変わらず校則に全力全開で喧嘩を売っている大樹が立っていた。活力にあふれている大樹に対して、ゆっくりと口を開く。
「よう、相変わらず元気だなお前は」
「そらぁ快食快眠を徹底しとるからな! 昨日もバイト終わったらすぐにバタンキューよ」
「一応聞くが、課題はどこまでやってるんだ」
「白紙や!」
桜花が手刀を入れるが弾かれる。互いに気味の悪い笑い声を発して、実にアレな空間が教室の一角に形成される。
一度鞄の中で放り込まれた状態で学校に来たエクスは「二人だけで妙な会話ばっかしてるから、ツラは良いのにモテないんじゃないのか?」との感想を述べている。
「まぁ課題なんかどうでもええんや。適当に先生に怒鳴られりゃ済むわ。……てか桜花、そろそろ展示会やろ。ウチにも弁当の発注がぎょーさん来始めてるわ」
展示会、とは通常兵器を生産している企業などが対「異形」に用いる事が出来る武器のプレゼンの場を指す。
少数の適合者だけしか、異形との戦いに出られない現状を憂う各国は、積極的にそれらの開発を進めている。
そして毎年何処かで展示と情報の公開が為されて、情報を共有する事で更なる進歩を図るのが云々……。ともかく、そのような意図の催しが今年はこの外崎市で開かれるのだ。
もっとも、現時点でようやく最弱の異形を狩れる程度でしかない為、まだまだ桜花たち適合者が駆り出される現実は変化する事はなさそうだ。
大樹の実家は惣菜店を営んで、ある意味ではイベントの詳細な情報を掴むのに適している家庭である。組織に所属しながら、未だに詳細を知らされていない桜花と比にはならない程に。
いい加減回って来てもおかしくないが、今年はヤケに連絡が遅い。
「俺にも連絡回せよ。働かないぞ……」
「お前も信用ないんやなぁ。末端でも警備職やからもう伝わっててもおかしないのに」
けたけた笑いながら大樹が発した言葉通り、桜花の対外的な立ち位置は支部の非常勤警備員というものだ。
「適合の兆しが僅かに見えてはいるが、すぐに判断は出来ないので、監視の為に」という、色々と微妙なお題目は、思いの外疑われることなく一年が経過していた。
ほいほいとエクスカリバーの『継承者』と名乗るな。上層部からそんな指示を飛ばされ、言いふらしても敵が増えるだけで特段のメリットはないので、大人しく従っている。
しかし「アタシが自由に喋れないし動けない! 剣権侵害だ!」とエクスからは熱い抗議を食らった。
彼女が持つ価値、また引き起こしかねない様々な厄介事などを考慮した結果が今であり、六人近い人員を割いて説得し、どうにか納得させた暗黒の記憶が蘇り、桜花の顔に影が差す。
彼の表情を見て、何かを察したのか。それは定かではないが、大樹が話題を転換させるべく口を開こうとした時
「席に着けー。ホームルーム始めるぞー」
間延びした声を引き連れて、担任が教室に入ってくる。いつもなら自分の話が済むまで延々話し続けるのだが、気まぐれで積もり積もったやらかしを考慮してか、大樹は珍しく話を続行せずに席へと戻っていく。
とりとめの無い連絡事項を淡々と述べた後、課題の回収作業へとそのまま移行する。
「センセ! やってきたけど……」
「それが通じるのは小学二年生までだぞー」
大樹が神速で言い訳の口上を述べようとし、皆まで言わさずに担任が切って捨てて、教室に小さな笑いが生まれる。笑いの輪に混ざりながら、桜花は自らの課題を提出しそれはすぐに担任の手に収まった。
全員分の課題をざっと見た担任は、ゆっくりと口を開いた。
「吉村と戸井、そんで出灰。お前ら後で職員室な」
「ちょっと待ったぁッ! 俺も職員室送りですか⁉」
自分の名が呼ばれた事に驚愕し、思わず声を発しながら、椅子を蹴倒して桜花は抗議する。対する担任は、動じる事なく淡々と切り返しを行う。
「確かにお前は提出してるなー。資料も独自路線だけどなかなか良いチョイスしてるとは思うぞー。でもさ、レポートを作れって言ってるのに、歴史小説を書いたら駄目だと思うんだな。それに題材がマニアック過ぎるぞ。森長可なんて、普通の高校生は知らないぞー」
「……ぐっ!」
題材を森長可にしたのは、八千代の相方である『人間無骨』に協力を仰いだ故。
非常に生き生きと持ち主について語ってくれたので、ほぼ全てを盛り込んだのだが、それが過ちだったようだ。
冷静に考えれば不味い点を幾つも感じながら、早く事を済ませたい気持ちが勝ってしまい、全部スルーしたのは他ならぬ桜花自身なのだが。
「提出したから一応追加課題は減らしてやるけど、ちゃんと職員室には来るんだぞー。それじゃ、一限の準備しろー」
堰を切ったように喧騒が教室に生まれるが、桜花は加わる気になれず机にもう一度突っ伏す。すると、大樹がこちらに近づき、優しく肩を叩いてくる。
「職員室デビュー、おめでとうさん。ま、シバかれはせんから安心しとき」
「安心するポイントそこなのかよ……」
親友の励ましになっていない励ましを受ける形で、出灰桜花の一日は幕を開ける。
◆
「桜花君に色々喋った? 何を? ……そいつは不味い気がするなぁ」
「何が不味いのだ? 桜花殿が課題、とやらに用いる為に我が主君についての偽りなき事実や、心情などを話しただけだぞ。八千代と違って熱心に耳を傾けてくれるから嬉しかったぞ」
「そこについては良かったねって言ってあげるけどさ……」
とあるアパートのうず高く本やら何やらが汚らしく積まれた一室、その中に埋もれるような形で、浅川八千代はちゃぶ台を挟んで、鎧武者と対峙していた。
現代日本に於いて二メートル近い隆々たる身体を鎧で覆う人間など、そうそうお目にかかれない存在なのだが、八千代は動じる事もなく気の抜けた会話を続けている。
何故か? 疑問には簡単に答えが出せる。この鎧武者こそが、八千代の適合武器『人間無骨』なのだ。武器の形態、そしてこの人の姿の形態どちらに於いても、非常に高い実力を有し、八千代と多くの戦果を挙げてきている。
彼は『
だが『体艤装』を発動して人間の姿を得ても本来の持ち主であった、森長可が逸話で語られる容姿に近しい物になる事に、八千代は少し不満に思っている。
「エリちゃんはあんな感じだし、綴のきりちゃんなんて小学五、六年生にしか見えないしさ。何でむっちゃんだけ、そんなにムキムキなのさ?」
「エクスカリバーにせよ雷切にせよ、後世の人間が多くの創作の類によって、多様な姿を描かれている。そのような物が『体艤装』が形作る姿に影響を及ぼすのだ。これは何度も言った話だな。私が長可に近い姿なのも、それが理由だ」
「まぁ、人間無骨なんて知名度が低いからねぇ。俺がきりちゃんに適合してたら、それはそれで不味いんだけどさ。道徳的にね。性的に、とかじゃないからね!」
「何を意味の分からぬ事を言っているのだ。知名度を上げるべく、八千代と共に武功を挙げねばならぬ。だから八千代、三食カップ麺は止めるのだ。身体の機能が低下する。綴殿の様にきちんとした食事を……」
思いもよらぬ方向へ転がった話題に、八千代は面食らった表情を浮かべる。同時に、キッチンタイマーがけたたましい音を響かせる。隣にはカップ麺。某社の特盛仕様で二三〇グラム。ジャンクフード指数はかなり高い代物。
「……今はこれ食って、夕飯からは改めるからさ。……それじゃ駄目かな?」
「駄目だ。八千代は毎度そうやって先伸ばしをする。もっと厳しく接して、改善をして行かねばならぬと気付いたのだ」
「……誰から吹き込まれたんだい?」
「雷切だ」
「きりちゃんかぁ……。見た目によらずしっかりしてるね……」
ぼやきつつ、とりあえず湯切りをすべく、カップ麺を持ってシンクへと向かおうとした時、喧しいギターロックが始まる。八千代の携帯の着信音。
「出て良いよー」
「この音楽は仕事に使う方からの音だろう。私が出る訳にはいかない」
実に常識的な返事をもらったので、八千代は一旦カップ麺を置き、通話を開始する。
「浅川ですよ。で、一体何が? ……はい、はい。……了解しました。すぐに向かいますね。とりあえず、生き残りにはメンタルケアをやってあげてくださいね。……そりゃ分かってるか」
通話を終えた八千代の表情は、笑顔を貼り付けたままであったが、緊張といった類の感情も、若干見て取れるようになっていた。
「……何が起こった?」
「この町で適合者狩り、だってさ。十人がかりでやり合って負けたみたいだから、結構ヤバ気な相手だね」
「……それだけの実力の持ち主では、私達と対峙する事になるのかも疑問符が付くな。捕捉するまでに逃走されるのでは?」
「それでも構いやしないさ。動かなきゃ、ゼロもゼロに確定させる事は出来ないんだからね。ひとまず、事件発生現場に行ってみようじゃないか」
戦闘用の眼鏡に替えてゆらりと立ち上がり『体艤装』を解除し二メートルを超える大槍の姿に戻った『人間無骨』を革袋に仕舞って背負う。非常に短時間で準備は完了し、八千代は家を出た。
「あ、焼きそば食べるの忘れてた……」
「社会平和の為の致し方ない犠牲だ、諦めるのだ」
これから待ち受けているかもしれない何かに対して、微塵も恐怖を抱いていないと思わせる会話を交わしながら。
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