第1話:エスプレッソの飲み方

昔々、あるところに―――

え?なによ茜。雅が、そんなに昔じゃないって言ってる?


もう半世紀以上前の話じゃない。この子たちからしたら十分大昔よ。


えっと。昔々、あるところに、1人少女が―――

え?今度は『天才美少女』だって言ってる?


わかったわよ。確かにそう呼ばれていたのは事実だし、そう呼んであげるわよ。

だから茜、もう雅の言葉で邪魔しないでくれるかしら?わかった?



昔々、あるところに、1人の天才美少女がいました。

彼女の名前は雑賀雅。


彼女は、由緒ある雑賀家の中でも飛び抜けた才能と美貌を持っていました。


そんな彼女が15歳になったばかりのある日、とある店へと足を踏み入れました。


店内にほとんど客は居らず、それでも数少ない客は大声でバカ話に花を咲かせていました。

雅がふと店の奥に目を向けると、1人の男が机に向かい、黙々と参考書を広げて勉強に励んでいました。


「こんな所で勉強なんてして、集中できるの?」

雅は男の隣のテーブルに陣取り、そう声をかけました。


雅から声をかけられたその男は、それが突然のことであったにも関わらず驚いた様子もなく、その濃い眉の下に笑顔を浮かべ、ボサボサの髪をかきながら返しました。


「私はね、こういう雑多な環境のほうが集中できるんだよ」

「ふーん」

男の言葉に、雅は素っ気なくそれだけ答え、手元のメニューに目を通し始めました。


ふと雅が顔を上げると、無愛想な店員が、隣の席の男へと小さなカップに入った飲み物を持ってきていました。


「平八。女連れとは珍しいな」

「いやいや、違いますよ。彼女はたまたま、この席についただけですから」


平八と呼ばれたその男の言葉に、店員はただ鼻を鳴らし、雅へと目を向けました。


「こういう所、来たことないからよく分からないわ。何か適当に、飲み物を持ってきてちょうだい」

まだ幼さの残る少女に横柄な態度でそう言われた店員は、表情も変えずに頷き、カウンターへと戻っていきました。


「もしかして、あんたがあの甲賀平八?」

雅が、男に再び声をかけました。


「『あの』っていう部分は引っかかるけど、確かに私の忍名は甲賀平八だよ」

平八が、そう言って笑いました。


「あんたの噂は色々と聞いているわ。天才、脱線の名人、猿真似、それから、契約忍者の希望、だったかしら?」

最後の言葉を馬鹿にした表情を浮かべながら、雅は言った。


「あと、女に弱いとも聞いてるわ」

「そんなことまで?いやー、お恥ずかしい」

雅の言葉に、平八は苦笑いをして答えるのを聞いた私は、居ても立っても居られなかった。


(ちょっと平八!こんなガキの相手なんか、することないわよ!)

平八の具現獣である私は、彼の中に居たままそう平八に忠告しました。


(えー、こんな可愛い娘の相手なら、むしろお願いしたいくらいなんだけど)

(何てこと言うのよ平八!あなたには私がいるでしょう!?)

(あっはっは。まったまた~)


私が本気でそう言っているのなんか知らない平八は、私の言葉にそう笑って返していました。


「ガキって、あんたの具現獣失礼ね」

雅は無表情に言いました。


「あれ?もしかして、今の聞かれてた?流石、天才美少女と呼ばれるだけのことはあるね」

「私のことも知っているみたいね」


「そりゃあね。こんなに可愛い娘、なかなかお会いしたことがないからね」

「よく言われる」


「その不遜な態度も、噂通りだね」

「仕方ないじゃない、事実なんだし。あんただって、その程度の実力で天才とか呼ばれて、さぞかし気分がいいでしょう?」


「私としては、天才なんて呼ばれるのには異議を申し立てたいんだけどね。私は君とは違って、才能があるわけじゃない。ただ、必死に努力をしてきただけなんだよ。『努力の天才』って呼ばれるなら、甘んじて受け入れるけどね」

雅の馬鹿にしたような言葉など気にも留めずに平八が笑って言うと、雅もそれを鼻で笑い、


「契約忍者には、そっちのほうがお似合いね」

と、さらに馬鹿にしたように返していました。


そんなとき、またしても無愛想な店員が2人に近づき、雅の前に無造作にカップを置いて、すぐに立ち去りました。


「さて、君にも珈琲が届いたことだし、この出会いに乾杯でもしよう」

平八はそう言うと、自身の目の前にある小さなカップに、備え付けの砂糖を入れようとしました。


「あんたのも、珈琲ってやつでしょ?」

「ん?まぁ、正確には少し違うけど、同じようなものだね」


「珈琲に砂糖入れるのは、子どものやることだって聞いた」

雅は、平八の手元を見ながら言いました。


「いや、これはエスプレッソって言ってね、砂糖をたっぷり――――」

「へー、言い訳するんだ。『努力の天才』さん?」

雅が、挑発するような笑みを浮かべていました。


その笑みに引き込まれるように魅入っていた平八は、ため息をついて手に持った砂糖の容器を、元に戻しました。


それと同時に雅は、自身の元に届いた珈琲に、大量の砂糖を入れ始めていました。


「人にあれだけ言っておいて、君は砂糖を入れるのかい?」

「何言ってんのあんた。私はまだ、15歳の子どもよ?」


「はぁ、そうですか。まぁいいか。じゃぁ改めて、2人の出会いに、乾杯!」

平八がそう言って砂糖の入っていないエスプレッソの入ったカップを掲げましたが、雅はそれをただ無表情で見返していただけでした。


しばらく腕を上げたままでいた平八は、諦めたように肩をすくめ、エスプレッソを口にしました。


「くぅ〜!この苦さ、たまらないね!」

平八が、無理に笑顔を作って言いました。


本当は、エスプレッソには砂糖を入れるものなのに。

何故平八がこの時、そんなことをしたのか私には理解ができませんでした。


そんな平八を見ていた雅は、ただ黙ってその様子を見たあと、自身も珈琲を口にしました。


「・・・苦い」


雅のその言葉だけが、少し騒がしい店内で平八を通して、私の心にも響き渡りました。

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