終章〝長い夏の終わりに〟

〝長い夏の終わりに〟(4)



――皇紀AI2780年、11月19日、土曜日。〔20:48〕



そして、第七の夜がやって来る。

ベルクリヒト・ローエングリンは未帰還。


Eigisが、〝天緋核エスプリ〟の反応だけが彼女の生存を示している。

居場所は知れないが、その事実だけが誰もを安心させていた。


黒岩クロイワ 双葉フタバ 特務 少尉は、命にこそ別状はなかったが。

深刻なダメージは纏者クローサーへの復帰を絶望的なものにしていた。


即ち、この場に居るのはたった五人。


Birthday-clothesバースディ・クロース出流イズル 龍起タツキ 特務 少尉、及び吾続アツヅ ツカサ 特務 准尉。

TausendタウゼントJenaイェーナPfannkuchenプファンクーフェン 特務 少尉。

Yearly-βイェーリー・ベータRobinロビンRobinsonロビンソン 中尉。


そして、



「起きよ、〝しるだれす〟」


声に応えて組み上げられるのは鋼の刃。

遠い未来からの来訪者が鋼をまとう、燐光は橙。

舞い踊るは三角形の浮遊する黒鉄、その数八つ。





大雷おおいかづち火雷ほのいかづち黒雷くろいかづち柝雷さくいかづち

 若雷わきいかづち土雷つちいかづち鳴雷なるいかづち伏雷ふしいかづち

 八雷やくさのいかづち纏いまとひてここに言祝ことほぐ。

 逆登さかのぼるは根之堅洲國ねのかたすくに妣國ははのくに底根國そこつねのくに

 言開ことひらくは道反大神ちがえしのおおかみ

 黄泉戸喫よもつへぐいを祓い捨て、投げ放つは意富加牟豆美おおかむづみ

 ——結びて開け、」



――〝親神殺しの逆下り〟




うたわれるは異形の祝詞のりと

稲背脛命イナセハギノミコトが〝Eigisしるだれす〟の第三段階phase3を起動する。


虚空を鏡面が寸断し、青天の霹靂が音もなく天地を繋ぐ。

ひず闇天あんてんに、が姿を現す。



おぞましき怪物の名は鵺漆号No.7

その能力ちから、人心を写し取り、攻撃たたかいの意思それ自体を刈り取る忌まわしの呪い。





「——今夜は、月が奇麗ですね」


少女オルトルートの姿をした怪物第七の鵺は、楽し気にそううそぶいた。




「……趣味が悪いにも程がある」


イェーナが吐き捨てる、ツカサは無言、出流は表面上動揺を見せず。


だが、否。


その程度が、その程度で。

怪物は第七の悪夢を名乗れるだろうか。





「——猟犬Jagdhund


少女かいぶつこえも高らかに。

応えて高音を響かせ虚空に生じるのは、菱形の悪夢さつい



老父Alter Vater債権者Gläubiger


続けて2つ、合わせて3つ。



『おい、冗談だろ』


 骨振通信を通じて戦士イェーナが、



『——避けろ!』 


 そして少年ツカサが叫ぶ。




寡婦の息子Der Sohn einer Witwe

 盗賊の息子たちSöhne von Dieben

 ポリュフェーモスPolyphem

 ——食人鬼kannibalischer Dämon


続けて4つ、合わせて7つ。


楽し気に、少女かいぶつが嗤う。


幼子も、老人も、男も、女も、美しきも醜きも。

さかしきも愚かしきも違いなく、諸人もろびとみな区別なく。

――死にまどえ。



Yearly-βロビン・ロビンソンは発砲する。

秒間6,000発の砲弾しにがみは、しかし鵺漆号かいぶつに届かない。


空を舞う〝竜剣Drachenschwert〟がそれを阻む。

回転する刃は絶対なる盾。

そして命を奪う牙なれば。



――白鳥Schwan


囁くように第八ので呼ばれた剣は獰猛だった。

出現と同時に高速回転、射撃体勢を取っていたYearly-βロビン・ロビンソンを無音で両断。


黒鉄のEigisよろいが解けるように崩れ。

人間が2つに分かれて崩れ落ちる。



『くっ——?!』


飛来する〝竜剣〟を刃渡り2mの直剣で受けるBirthday-clothesツカサ

真正面からまともに受け止めることはできない。

その速度と回転、質量から繰り出される威力は砲弾に比するのもおこがましい。


かろうじて刃を傾けて受け流す。

軽く触れただけで勝負を終わらせることを指して鎧袖一触と言う。


この戦いはまさにそれ。




次々と飛来する〝竜剣〟をかろうじて受け流しながらツカサは判断の甘さを呪った。

最悪を想定したはずだった、誰の姿になろうと斬ろうと覚悟を決めたはずだった。



だが、そんな覚悟はあまりにも甘い。


最悪の敵はその覚悟の上を通り過ぎて行く。

――覚悟どころの話ではない、戦力差が違い過ぎる。



『ツカサ、5秒』


イェーナが囁く。

笑う、戦友かのじょの無茶振りはいつもの事だ。


『イズル』


『はい!』


Birthday-clothesヨロイの一部が自ら弾け飛び、接近中の〝竜剣〟の進路を変える。

そう何度もやれる手ではない、Eigisの質量には制限があり、補充の隙は無論ない。


だから躊躇はしなかった。

稼いだ1秒以下の時間で踏み出す。

――電磁加速。



飛び交う〝竜剣〟の嵐の中を駆け抜け一直線に鵺漆号かいぶつに肉薄する。



〝竜剣〟が迫る。2枚。

身体を傾けてすり抜ける、装甲どころか身体にくの一部を削られながら避ける。


膝部の装甲を射出、崩れた体勢を無理やり引き戻し、さらに歩を進める。



〝竜剣〟が迫る。4枚。

振り返りもせず直剣を振った。


飛行軌道を遮り運動エネルギーをぶつけ合い無理やりに凌ぎきる。

装甲よろい身体その下もどこもかしこも削られて。

背を濡らす血が自分のものだけでない事には気づいていた。

だが信じた、致命傷は避けているはずだと。


崩れた体勢から更なる電磁加速、地面を削りながら直剣を切り上げる。

死角から迫りつつあった1枚を直感だけで迎撃した。


肩関節に激痛、外れたか、砕けたか、考える暇はない。

痛みを無視して無理やり直剣を引き戻す、あと3歩半、それで届く。


――1歩、2歩、3歩と半分。



横薙ぎに振り抜かれた直剣は、だが。


金属の破断する嫌な音とともに刀身の半分が切り飛ばされる。

それこそが〝竜剣絶対防御〟。


だが、——5秒、機会ときは稼いだ。



――〝略奪者の雷牙Der Plünderer-Donnerzahn




あらゆる障害物を、飛び交う〝竜剣〟それ自体をすら足場に戦鬼イェーナが空を駆けた。


稲妻のように、あらゆる全てを最短距離で反射しながら雷爪が走る。

それは一閃ひとすじの雷鳴、絶死の魔槍。

反撃を警戒する事すらなく全速で、ただ真っすぐに。



それはいつかの再現。

軌道に割り込んだ八枚の〝竜剣〟が壁となり魔槍を阻む。


そのすべてを貫いてなお五指にまとった爪は輝きを失っていない。

単純に、八枚の〝竜剣〟に腕より太い肩と胴部が引っかかって止まったに過ぎず。


故に、鵺漆号かいぶつが嗤う。




――まわれおどれ


戦友イェーナの右腕に貫かれたまま八枚の竜剣がまわる。




引き裂かれ文字通り八つ裂きになって飛び散るイェーナの右腕。



動け。

動け。

動け!


この一瞬しかもう残されていない。

竜剣が再度攻撃態勢を整えるまでのこの一瞬だけが、


このサツイが届く唯一さいごの機会。


だが現実は残酷だ、装甲はあちらもこちらも破断。

その状態で連続使用した電磁加速は全身を電子レンジのように焼いている。

出血はおびただしく、体が動くまでに、——もう一瞬が足りない。



どっ、と大質量が衝突する濁音が響く。


正方形の断面を持つ刺突剣エストックが怪物の胸を貫いている。



『——最悪の気分』


骨振通信を通じて響いた声は第八の戦士パビルサグのもの。

唯一の例外、〝竜剣〟の絶対防御をすり抜けるもの。



「遅刻だぜ騎兵隊、」


響いた肉声はイェーナのもの、Tausend装甲が音もなく解ける。

維持限界。


足が震える、動かない、もう一瞬が足りた。

半ばで折れた剣を振り抜く。


刃を少女かいぶつが片手で受け取めて笑う。

姿通りの存在ではない、これは怪物ぬえなのだから。



――使えよ。


戦友イェーナの唇が音もなく告げた。

崩れ落ちる彼女の姿を見ながら、戦士ツカサの脳は駆動する。



あらゆる黒鉄がEigisの支配下にあるという基本的な思考。



――




崩れ解けた〝Tausend〟に指先が振れる。

――金属変形、形質固定。


そうだ




意識などしていない、考えてなどいない。

反射的に、無意識に。


振り上げる。


人の心を読み、分析する鵺漆号かいぶつであるが故の死角。

滑り込む、最後のサツイ



解けるように、燃え尽きる灰のように。

怪物が消えていく。


それでもなお、怪物は嗤う、最後まで。


――おまえたちも死ね。



八枚の〝竜剣〟は宙を舞う。

最後の一瞬、命を刈り取るにはそれで足りると言わんばかりに。




金属音が響く。

その八枚を阻むものもまた、八つの〝竜剣〟。



「——させません」



高らかに宣言するのはベルクリヒトオルトルートローエングリンヴァインライヒ





猟犬Jagdhund老父Alter Vater債権者Gläubiger

 寡婦の息子Der Sohn einer Witwe盗賊の息子たちSöhne von Dieben

 ポリュフェーモスPolyphem食人鬼kannibalischer Dämon

 そして白鳥Schwan


〝竜剣〟八基、我が全身全霊わたしのすべてをもって全員の生還を保証します。


 対象、〝鵺漆号No.7〟の形象崩壊を視認。

 ――お疲れさまでした、我々じんるいの勝利です」





************************************





「まあ全員の生還を保証って言っても……。

 ロビンアメ公がやられちまったけどな」


止血キットで右肩を塞ぎながら蒼い顔でイェーナがひとりごちる。



「申し訳ありません。

 個人的にロビン彼女には思い入れがないもので」


ツカサの応急処置を終えたベルクリヒトオルトルートがイズルに処置をしながら

言う。


「それはちょっと、もうちょっと建前と言うか……」


「ほんとにね」


ツカサが呆れたように言い、それに同調してサクラが嘆息する。


ロビンは即死だったが、他は重症なれど致命傷はなかった。

もっとも重症なのは右腕を失ったイェーナ。

それ以外も大小あちこちに傷を受けてはいるが生きている。



「はあ。気が重い。まだもう1体居るんでしょ……」


思わず吐いたツカサの愚痴に、サクラが首を振る。



「——第八は、いわば消化試合よ。

 ……誰が犠牲になるかって問題はあるけど。

 そうでしょ、ハギ。

 オルトルートは死なせない」



サクラの言葉にハギが表情を凍らせる。


「……それがあなたが4巡目を始めた理由なのね」


「どういうことです?」


イズルの問いに、ハギが口を開く。

酷く、重たげに、数千年を生きた戦士ハギが吐き出す最後の事実。



「鵺は、別のどこか、時間か世界かはわかららないけど。

 そこから熱量エネルギーを簒奪するために送り込まれた先兵。

 彼らは自動的で……、一定の条件を満たした時に現れる」


「条件?」


いぶかしげにイェーナが問う。

それはなんなのだと。


「文明の発展、一定以上の。


 ——鵺はエネルギーを奪う。

 際限なくなんでもね。

 質量と情報、熱量は等価だと言ったでしょう。


 浮動遊電子非接触給電システムはそのために用意されたの。

 奪いやすい電気エネルギーで空を埋め尽くしておかなければ。

 あれは文字通り


 だから、鵺の到来を止める方法がいくつも考案された。

 その結果、わかったことがある。


 鵺は全てを奪うがゆえに、同一世界に同時に複数存在できない。

 仲間同士でエネルギーを奪い合うから」



 全員が無言で聞いていた。

 別の時間からの来訪者、サクラだけがその先を知っている。



「——だから7体分の鵺のデータをもって、

 我々の手で


 それを活性化したのち、休止し続ける鵺をくさびとする。


 それが最終段階、第八夜さいごのよる



「誰かを犠牲にするってのは何だ」


イェーナが問う、その先を聞きたくはなかった。

だが聞く必要がある、そのために7つの夜を超えて来たのだから。



「もう、気づいてるでしょう。

 Eigisは


 当然よね、Eigisは鵺の模倣品。

 

 ——最後の鵺、〝竜〟はEigisから生まれるの」



「それは、」


 イズルが言葉を失い。



「ふざけんな、なんだそりゃ」


 イェーナが静かに怒りを吐き出す。



「——だから簡単な話でしょ。

 


 吐き捨てるようにそう言ったのはサクラだ。



「確かにだれにとっても他人事じゃない。

 けどあんたが、あんたたちがはじめたことでしょう!

 どうせもう時間遡行物質は品切れ、やり直しは効かない。

 だったらあんたが犠牲になればいい!!」


「それは、できない」


「ッ!」



 ハギの言葉にサクラが立ち上がり、その胸ぐらをつかむ。

 怒りに震える手で、言葉で、彼女を糾弾する。



「ふざけんな!

 この上、私たちの誰かに死ねって言うの?!」


「——そうじゃない、したくないんじゃないの。

 私は厳密には人間じゃない、私は刻まれた命令には逆らえない。

 そういう風にできている、最後まで活動し鵺に抗うように



 それは確かに悲鳴だった。


 ハギ、稲背脛命イナセハギノミコトと名付けられた人造の。

 哀れなニンギョウの確かな感情だった。



「なに、それ。

 じゃあ、なに。

 私らの誰かが犠牲にならなければ――」



 ——第八の夜がはじまる。



 その絶望コトバを口にしたのは誰だったのか。





************************************





全員が言葉を失い、静まり返る。


どれだけそうしていただろう。


沈黙を破ったのはツカサだった。



「……とりあえず、帰ろう。

 少なくとも次の鵺の到来まで58日はあるんですよね?」


その問いに、うなだれていたハギが弱弱しく頷く。



「じゃあ、まだ時間はある。

 何か手を考えようよ。

 みんな疲れてる、今色々思い悩んでもろくな事は思いつかないよ」



誰も返事をしなかった。



最初に動き出したのはサクラで、オルトルートの手を取って立ち上がる。

ベルクリヒトオルトルートは困ったように他の皆を見回し、だが結局何も言わずに従った。


深く息を吐き、ツカサはイェーナの肩に軽く触れ、次いでイズルの手を取る。


「——行こう。

 さ、立って」


促され、イェーナが、イズルが立ち上がる。

ハギに背を向け、誰も振り返らずに去っていく。




誰もいなくなった後、ハギは弾かれたように顔を上げる。


骨振通信、個人回線。

申請者は、吾続アツヅ ツカサ




『——ひとつ、質問があります』





************************************




 質問です。


 可能性が還元されるというのなら。


 俺にも****を使う資格はありますよね?




************************************






――皇紀AI2780年、12月11日。




イェーナは山中を走っていた。


嫌な予感が止まらなかった。


背後にイズルが続いているはずだったが振り返る余裕はなかった。


単純に体力以前に歩幅が違う。


イズルを待っている精神的な余裕はなかった。



イェーナは山中を走っている。


――吐いた息が白く、背後に流れていく。




どうして今夜、ツカサあいつの姿を見ていないのだろう。


どうして道中、若樹に背を預けてハギがうずくまっていたのだろう。


彼女の胸から流れる血はなんだったのだろう。


思考の歯車は噛み合わない、噛み合う事を拒んでいる。


――考えればきっとわかることなのに。




わかりたくない。


走って、走り続けて。

……見覚えのある山腹のキャンプ地に出た。



木立の合間から空を見上げている後ろ姿に見覚えがある。



――やめろ、と誰かが叫んでいる。


声をかけるなと、話しかけるなと、振り向かせてはいけないと。


――やめろ、と誰かが叫んでいる。


彼女の中で、彼女の声がする。



「——ああ、来ちゃったか。

 さっさとはじめておけばよかった」



振り返って。

ツカサが笑う。



「——おい、寒いだろ、帰ろうぜ。

 おまえほんとここ、好きだよな」


震えるな声、強張るな頬。

笑えイェーナあたし

いつものように。

いつものように。

同じように明日を迎えるために。


彼の、血に濡れた胸元は見えない。

何かを埋め込まれた胸を、彼女は見ない。



「こうするって決めたから、ごめん」


「やめろ、ツカサ!」




――さあ、最後の悪夢第八の夜を始めよう。


最後ぜつぼうの夜を始めよう終わらせよう




主人公つかさが笑う。



物語を終わらせるために。


英雄ヒーローが生まれる為にはかたきやくが必要だ。




――少年の決意をもって。第八の夜が、終わる。





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