**8話(4)**
「どういう事なのか説明してくれ」
渋面のイェーナが吐き捨てるように告げる。
「……だから、私にもわからないと言っているでしょう」
こちらも渋い顔でハギが応える。
この部屋にやって来てから既に3回、同じように繰り返された会話。
「わからない、じゃねーだろ。
ってことはアンタが持って来ない限り存在しない、知らないはずがない」
まったくもってイェーナの言い分は正しい。
ハギの主張には明らかな矛盾がある。
――だからこそ、吾続 司は1つの仮説について思考を巡らせていた。
このまま2人に続けさせても進展は恐らく望めない。
であれば、
「えっと、ちょっと思いついたことがあるんだけど。
……たぶんハギ、さんは。嘘はついてないと思う」
意を決して口を開く、イェーナが眉をしかめながら振り返る。
「……どういうことだよ」
「ええっと、まだまとまり切ってないんだけど。
なにか、書くものあります?」
「確か
イズル、そっちの部屋から持ってきて」
なんでそんなものが。と思ったがひとまずツカサはそれには触れない事にした。
ハギの指示を受けて素直にイズルが隣室に入っていくのを見て溜息をつく。
彼女の素直さは美点だけれど、主不在の部屋に躊躇なく入るのはどうかと思う。
ややあって、イズルが
部屋の中央に据え置くのを手伝い、水性ペンを手に取った。
「——まず、1巡目の世界」
[1巡目]
↓
↓
↓
<鵺襲来>
↓
↓
[破綻×]
「……ここから、ハギさんが過去に飛びます」
[1巡目]
↓
↓
↓
<鵺襲来>
↓
[西暦3412年]→[2巡目]
↓
[破綻×]
「うむ」
「ああ」
「はい」
「で、更に――」
[1巡目]
↓
↓
↓
<鵺襲来>
↓
西暦3412年]→[2巡目]
↓ ↓
[破綻×] ↓→→[3巡目]
↓ ↓
[失敗×] ↓
↓
[現 在]
加えて、白板に書きつける。
「ここまでは良いですよね?」
ツカサが問い、その場の全員が頷く。
「前に、人や物を移動させても増えない、とハギさんは言いました」
「うむ、言いました」
「なぜ増えないと判ったんですか?」
「……2巡目から3巡目に飛ぶとき、移動先を調節した。
3巡目に飛んだ時、既に私とEigisがあるはずだったのだけど」
「無かったんですね?」
「うむ、だがそれが何だと、」
「まず、それが1点目です。
2巡目の世界に入った時、2巡目の未来にはEigisがあるはずです」
ツカサがそう言い、ハギが眉を寄せ、イズルが首をかしげる。
イェーナは顎に手を当てて黙って聞いている。
「つまり、2巡目の世界ではEigisが全体としては2個になってもおかしくはない。
でもそこで持ち込んだEigisが消えたりはしていない。
ということは、重複せずに消えたのは2巡目の未来に存在するEigisです」
「……そうなる、のか?」
「全体で総数が同じになるって説明を受けましたから。
理屈としてはそうなるはず、です。
踏まえて2巡目と3巡目での出来事を考えると、1つ仮定が生まれます」
ハギが良くわからなげに首を傾げ、ツカサが言葉を重ねる。
言っているツカサ自身も正直、完全に腑に落ちているわけではないのだが。
「どんな?」
イェーナの言葉に頷き、ツカサは再び口を開く。
「
——って事じゃないかと思うんだ」
「なるほど、だから増えないと?」
「はい。
ですから、2点目の仮説はこうです」
言いながら、ツカサは水性ペンを走らせる。
[1巡目]
↓
↓
↓
<鵺襲来>
↓
[西暦3412年]→[2巡目]
↓ ↓
[破綻×] ↓→→[3巡目]
↓ ↓
[失敗×] ↓→→[4巡目]
↓ ↓
[現在×] ↓
↓
[現 在]
水性ペンの蓋をしめてツカサが振り返る、全員が言葉を失っていた。
「これで矛盾が全部説明できる、と思う」
「——いや待て、どういう事?
「だから、それがおかしいんですよ。
ハギさんは覚えてませんか、
〝
あなたはそう言ったんです」
「……なるほど、計算が合わないな」
「は? いや待て、え、……え?」
指折り何かしらを数えていたイェーナが頷き、ハギが混乱の表情を浮かべる。
「3回分を使い切るには、当然ですが3回の跳躍が必要です。
つまり〝今〟は4巡目じゃないとおかしいんですよ」
ツカサの言葉にハギが今度こそ絶句し、代わりにイズルが「ああ」と声をあげる。
「だからハギさんがあの人とあのEigisを知らないんですね」
「たぶん、そういうことだと思う」
「なんだって?」
イズルが納得し、ツカサが首肯する。
質問を重ねたのはイェーナ、沈黙し続けるハギ。
「はい。
つまり、あの人が3度目の遡行跳躍をしたんでしょう?
そしてこの4巡目のあの人とEigisを上書きしたから、
——私たちを含め、ハギさんも誰もその存在を知らなかった。
人をダメにするクッションに
ツカサはうん、と頷く。
そう、それが一番すっきり全てが矛盾なく収まる説明、のはずだ。
この世界の時間遡行物質は、残数0の時間遡行物質に上書きされていたのだ。
おそらくはハギの認識を捻じ曲げ、そこに疑問を抱かないようにもなっていた。
「だとすると手詰まりじゃないか、それ?
あいつはこの時代に何の痕跡も残してなくて、Eigisのデータもない。
探しても手掛かり1つ出てこないって事だろ」
イェーナが渋い顔で言い、ツカサは無言。
――そう、そうなってしまう。
この世界における彼女は上書きされて消えてしまった。
だとすれば彼女に届き得る情報もまた何1つ無いのだ。
あとはもう〝すばる〟による調査くらいしか手は残されていないのだが。
その肝心の〝すばる〟は〝
おそらくはそれも、存在しないはずのEigisを感知してしまったからなのだろう。
その混乱に乗じて
今にして思えば痛恨のミス、あの時無理にでも追跡できていればあるいは。
「……まあ、ベルクリヒトのやつはたぶん大丈夫か。
重症を負わされた双葉に比べたら扱いが丁寧だったし。
殺さずに連れ去ったって事はひとまず始末する気はないんだろ。
目下の問題はAcht-Drachenが無いってこった。
——まあ、実を言うと心配はしてないんだけどさ。
あるんだろ、予備」
確信めいた口調でイェーナが言い、今度こそハギが言葉を失う。
「な、なんで」
「いや、アタシはアタシでずっと考えてた事があって。
Birthday-clothesが
アタシの Tausendと双葉のFerro fino が
Yearly-αとYearly-βが
Acht-Drachenは
配分が妙だろ、普通重要度の高いとこに予備を用意するもんだ。
でもあいつが、Pabilsag が正規のEigisなら奇麗に収まるんだよ。
——
そうすると、
奇麗に2騎ずつ、それぞれに予備騎があるって事にならないか?
と、
ハギが深々と息を吐いてクッションに沈み込む。
「Acht-Drachenは、全騎のEigisの中でも最も特殊で、重要な役目を持つ。
それだけに扱いも、情報もひた隠しにしていたんだけど……」
「やっぱり、あるのか」
「……私が、7人目、いや、8人目の
イェーナの推理はあたってるよ」
諸手を挙げて降参の仕草をしながらハギがひっくり返る。
よほど想定外の事態なのだろう、超然として余裕のある常の態度はそこにない。
イェーナが肩をすくめ、ツカサは安堵のため息をついた。
状況は相変わらず混乱しているが、差し当たってベルクリヒトは安全。
勝てるかどうかわからない、という不安は解決されていないが。
それは事態がこじれる前から何も変わっていない。
「とりあえず、解散しようか。
今すぐできる事もなさそうだし」
「そうだな」
「はい」
「ああ……」
************************************
ハギの
三人は基地の寮へと戻る事にした。
「あー、先に帰ってて、アタシはそのへん少し歩いてくるわ」
「……わかった。気をつけてね」
振り返りもせずイェーナはツカサに手を振って、夜の街に消えていく。
「大丈夫でしょうか、イェーナさん」
「まあ、ベルクリヒトとの付き合いも長いしね。
なんやかんやで心配してるのかも」
そう言いながらツカサは考えていた。
おそらくイェーナもわかっていて口にしなかった事を。
あのPabilsagが、あの名も知れぬ纏者が正規のメンバーだとしたら。
ツカサは、ハギの人選そのものは信頼できると思っていた。
だから彼女が時間遡行した理由は恐らく、私利私欲の類ではない。
その先を言葉にする事はできなかった。
だが、想像はつく。
――だから、彼女が彼女を害する
そう思えた。
************************************
イェーナ・プファンクーヘンは夜の街を歩いていた。
気まぐれや適当ではなく、明確な意思を持って。
仮定に仮定を重ねての推測だったが、半ば確信があった。
だからこそ、自分だけで確認する必要があると思っていた。
〝すばる〟が凍結されている今、イェーナの所在は軍すら完全に把握しきれない。
今この機会を逃せば、接触の機会はおそらくもうない。
――山を登る、山頂も、中腹のキャンプ地も目指さない。
もっと麓に近い位置、登山道を脇に逸れて踏み入っていく。
細い獣道に真新しい踏み跡がある事に気づいて確信を深める。
状況証拠は揃っていく、矛盾はない。
辿り着いたのは薄汚れた山小屋だった。
「居るんだろ。
アタシ一人だよ。
信じられないかも知れないけど、仲間だったんだろ?
信じて欲しいんだが」
月光に照らされ闇の中に佇む山小屋に、そう声をかける。
纏者なら聞こえるはずだ、ましてや周囲を警戒しているならばなおの事。
「——イェーナ。
あなたも私を忘れているんだと思ってたけど」
驚きはない、納得だけがある。
暗がりから姿を現したのは、名も知らぬ女。
Pabilsagの纏者。
「……覚えてはないよ。
ただまあ、そうだろうなって思った。
簡単な消去法だよ」
「そう。
……どうしてここが?」
「答えていいんだけどさ、先に聞かせてくれ。
名前と、あとこれはただの興味なんだけどさ。
——どっち年上だ?」
イェーナの問いに彼女はふ、と笑う。
「ほんとに覚えてないんだ。
ツカサだよ、双子だからタッチの差だけど」
「へぇ。双子の割に似てないんだな」
イェーナの言葉に、笑う、酷く懐かし気に。
「それ、2度目よ。
前も言ったけど、異姓の双子は基本的に二卵性だから。
一卵性に比べたら全然似てないんだよ。
普通の兄弟姉妹と同じ」
「アタシは1度目だよ。
前のアタシはどうなった? 死んだか」
気安げに投げられた問いに、返ったのは沈黙。
イェーナは苦笑する、無言が雄弁に語る事もある。
「前と、その前じゃあいつとイズルがくっついたって聞いたよ。
アタシとイズルと、あいつが出会ったのはあの夜、この山でだ」
月を見上げる。
吐いた息が白い。
「そこが同じなら、今回と大差ない。
とすると前回と今回、何が違うかって話になるよな。
あいつとイズルがアタシより先に会ってたか、
さもなきゃ接点が今回より多かったか、たぶんどっちかだろ?」
「だとして、それが?」
「あいつの部屋の写真立て、家族写真に不自然な空白があった。
まるで誰かがそこに居たみたいに。
そこまで揃えば後は簡単だった。
あいつは本来は纏者ですらなかったらしいし、
だったら家族に纏者が居たって考えるのが自然かなってさ」
ふふ、と彼女が笑う。
「——
それが私の名前だよ、イェーナ・プファンクーヘン」
おそらくは2度目の、初めての自己紹介。
そうだろうと、思っていたから。
驚きはない、納得だけがある。
――全てが終わったあの夏には、
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