**6話(4)**

さて、藤宮日軍基地には纏者クローサー専用の寮がある。


寮の部屋数はわずかに2つ、共に2人部屋で定員は4名。

とは言えど、そもそも纏者クローサーの総数が多くはない。


日独所属は〝Ferro finoフェロ・フィーノ〟の纏者を加えて丁度4名。


Birthday-clothesバースディ・クロース/出流イズル 龍起タツキ 特務 少尉

Ferro finoフェロ・フィーノ/黒岩クロイワ 双葉フタバ 特務 少尉


Tausendタウゼント/JenaイェーナPfannkuchenプファンクーフェン 特務 少尉

Acht-Drachenアハト・ドラッヘ/BerglichtベルクリヒトLohengrinローエングリン 特務 中尉


一方、米軍所属の纏者はCVNf-EⅡ〝ender-gazeエンダーゲイズ〟で生活する。


その根幹である〝天緋核エスプリ〟の量産、複製が不可能である以上。

藤宮日軍基地に4名を超える纏者の部屋は必要ない。


……当初の予定通り、鳥船文書アーカイブの予言通りであったなら、だ。


実際には〝Birthday-clothes〟には専属纏者の他にがいる。

即ち、吾続アツヅ ツカサ 特務 准尉 その人である。




************************************



――皇紀AI2780年、9月7日、水曜日。〔16:47〕


吾続 司 特務 准尉は日課になっている自主訓練を終えてシャワーを浴び、自分に割り当てられた部屋に戻って来たところだった。


下半身は下着の上に迷彩柄のハーフパンツ、上半身は完全な裸。


肩からかけた質の悪いバスタオルで乱暴に短髪に覆われた頭を拭きながら、開けっ放しの扉をくぐる。

軍の、少なくとも纏者の専用寮には私的な空間プライベートスペースなどと言うものはろくにない。


いい加減、軍属となってから10ヶ月も経過すれば軍の流儀にもなれていた。


壁際の寝台ベッドにはイェーナ・プファンクーヘンがうつぶせに寝転がりクッションを下敷きにして漫画を読んでいて、同じ寝台の足元にはヘッドホンをつけた出流 龍起が真紅のギターを抱えて腰かけている。


一瞬だけそちらに視線をやると戦友Aイェーナは同じようにこちらに視線を向けていたし、戦友Bイズルも一瞬だけ視線を投げていた。


ちなみに戦友Cベルクリヒトはこの寮にはいない。

対鵺、制電権の奪取と絶縁立体を構築し得る唯一の纏者クローサーはその重要性から人前に姿を現す事がなかった。

今この時に至るまで、ツカサは一度も戦友Cの顔を見たことがない。

当然ながら生活を同じくすることもない。


そして、戦友Dフタバも今日はこの藤宮基地にはいない。

待機期間ホリディ中にバイクで勝手に遠出した上に食べ歩きをしたらしく。

軽度の食中毒で入院中。


健康管理は〝纏者〟の初歩的な義務である。

まして怪しげな生牡蠣ナマガキに手を出すなど論外であった。


――最後のEigis、Ferro finoフェロ・フィーノ纏者クローサー

黒岩クロイワ 双葉フタバ 特務 少尉は部隊において随一の問題児である。


ツカサ視点で問題児フタバを形容するならば以下のようになる。


自分より背が高い。

というかかなり背が高い。

眼鏡をかけている。

黙っていれば美人。

1歳年上。

存在が残念。

剣術の達人。

最後の最後に現れた破格の纏者クローサー

天に万物を与えられた女。

性格以外に非の打ち所がない人。


ただし、性格の残念っぷりに関しては筆舌に尽くし難いものがある。


ベルクリヒト・ローエングリンに呆れられ。

イェーナ・プファンクーヘンがサジを投げた。

誰かが出流 龍起を激昂マジギレさせたところをツカサは1度しか見た事がなかった。


さて、藤宮日軍基地には纏者クローサー専用の寮がある。

定員は4名。


黒岩 双葉もんだいじは当然のように吾続 司ツカサとの同室を拒んだ。

年頃の女性としては一見、当然の反応である。


出流 龍起とイェーナ・プファンクーヘンは少なくとも表面的には抵抗したが、最終的に消極的にツカサと同室で過ごす事を承諾した。


その後に多少のだが、ツカサには詳細はわからない。

最終的に部屋割りは、双葉と出流、司とイェーナという形になった。



――問題が発生したのは3日目の早朝である。


具体的に何があったのはツカサは知らない。

出流は言おうとしなかったし、イェーナは頑として口をつぐんだ。

ベルクリヒトは発言を避け、何か言おうとした双葉は激昂した出流に殴り倒された。


模擬戦で出流が双葉に勝ったところをツカサは見た事がなかったのだが。

憤怒を通り過ぎて最早、殺意の水準レベルにまで至った出流 龍起は修羅であった。


全纏者のうち白兵戦において最下位に位置する出流 龍起が、恐るべき怒りの金切り声を発しながら天才児もんだいじ・黒岩 双葉を叩きのめしたのである。



その後、出流はイェーナに部屋割の交換を申し入れたがイェーナは抵抗した。

ここでもまた何かしらの問題ハナシアイがあったと思われるが、ツカサは内容を知らない。


協議の結果、彼女らは1週間交代で部屋を入れ替える事になった、らしい。


(なお同時に彼女らイズルとイェーナは、渥美アツミ キヨシ 特務 中佐に「また同じ問題が発生した場合には双葉を独房に入れる事」という約束を取り付けたらしいともっぱらの噂だったが真偽についてツカサは確認する気にもなれなかった。)



いずれにせよそんなわけで。

少年ツカサは出流とイェーナと言う2人の少女と週替わりで生活を共にしていた。

年頃の男女を同室にするというのは一般的に見て問題がある環境ではあるだろう。

だが軍と言う組織は一般的ではないし、軍人にも一般的でないことを求める。


約10ヶ月が過ぎた現在、ツカサは上半身裸を視られたり、見ても動揺しない程度にはなっていた。たとえそれが下半身でもまあ表面上平静を保てるだろう自信はある。

……内心でどう思うかはまた別の話ではあるが。


よって上半身裸でタオルを被って自室に戻って来たのも特に深い意味はなかった。

特段、特殊な行動ではない。

薄型戦闘服フィットスーツの着替えなど、もう彼女らの前では何度もやっている。

上半身裸など見られなれたし、相手も見慣れているだろう。


なのでイェーナが自分を凝視してくるのは想像の範囲外の反応だった。

居心地の悪さを感じ、思わず口を開く。


「……何?」


「ああ、いや。筋肉ニクついたなぁ、って」


「え、そうかな?」



感心したようなイェーナの言葉に、なんとなく自分の胸元と腕を見る。

が、特に実感はなかった。

元々アウトドア派のツカサは同年代でも割と筋肉量がある方だった。

軍属になって自主練を始めたと言ってもそこまでハードなものでもない、はずだ。


「いや、ついたってマジで。イズルも思うだろ?」


足を延ばしてはしたなく出流の脇腹を指先でつつきながらイェーナが言う。

音楽リズムに合わせて体を揺らしていたらしい出流は閉じていた瞳を開けてヘッドホンを首元に落とし、「そうですね」と同意する。


「え、そう? イズルもそう思うの?」


「はい。訓練中に背中に張り付くので自分には良く変化がわかります」


『言い方』


イズルが淡々と言った台詞に思わずツカサとイェーナが同時に突っ込んだ。


色々な意味で恥ずかしさを覚えたツカサが、話題を変えようと視線を空中に投げる。




「——そういえば、双葉は具合大丈夫かな?」


ひとまず、そう深い考えもなく口にしたのだが、


「2度と戻って来なくていいです」


「いや殺しても死なないだろあれ」


戦場で肩を並べる戦友たちチームメイトの言葉は凍土の如く冷たかった。


特に出流ってあんな冷たい目できるんだ…、とツカサは愕然とした。

さすがに顔には出さなかったが。


「まあ。最低でもあと4、5日は戻ってきてほしくないです」


「あー、そういや今あいつ発情期はつじょうきだっけ」


「は、え? なんて?」


聞き流すはずがツカサは思わず聞き返していた。

どう考えても今おかしな発言ワードが混じっていた気がする。





「あー、いや。だから発情期」


「ハツジョウキってあの発情期……?」




思わず訊ね返すと、イェーナは眉をしかめながら頷く。


「そ、生理に前後して5~7日くらい?

 あいつケダモノかよってくらいサカるんだよ」


「サカるて」


「これ以上、説明させんなマジで……」


「あはい」


イェーナが視線で制してくるが、それ以上に出流の瞳が地獄の底のような色を帯びているのに気付いてツカサは口を噤んだ。

おそらくこれは続けてはいけない話題だ。



「あいつ生理制御MCパッチも使わないしさあ、ほんとめんどくさい」


「なにそれ?」


「なにって、」


と返事をしかけてイェーナがしまった、という顔になる。

頬を指先で所在なさげに撫でながら視線を外し、声を低めながら続けた。


「……〝天緋核エスプリ〟の制御には精神の安定が必要だから。

 ホルモン分泌を制御して生理を止めてんだよ、アタシら。

 それに使うのがMCパッチ。

 双葉だけは完全拒否ってるけど、まあアイツだから許されてるって言うか」


「へぇ、あ、いや、なんかごめん」


「謝られる方が気まずいからやめろ」


「あ、うん」



なるほど、彼女たちは自分の知らないところでそんな苦労を。

ツカサは内心で独白する。


中学で性教育を受けたので女ではないツカサにもある程度の知識はある。



「——ツカサ、今、口に出して言えないような事を考えましたね」


「ああ、そういう顔してたな」


イズルとイェーナがジト目でこちらを見ている事に気づいて慌てて首を振る、



「か、考えてないよ?!」


「怪しい」


「なんでドモってんだよ」


「考えてません!!」


「まあ、からかうのはこれくらいにしてやるか」


「そうですね」


「君らさ……」



概ねこの寮内におけるツカサの立場は弱い。

なにせ男女比実に1:4(※ベルクリヒト含む)である。


と、そこまで考えて疑問が浮かぶ。



「……そういえば、なんで男、俺しかいないんだろう」


「あ? 纏者クローサー? ……そういやそうだな」


「はい、いいえ。

天緋核エスプリ〟との適合率の問題だと聞いたことがあります。

 そういえばツカサは厳密に言えば纏者ではありませんね、今も」


『あ、それやっぱり気になる?』


各々が呟く声の中、唐突に骨振通信の声が割り込む。

全員の表情に何とも言えない空気が漂う、声の主が誰かは問うまでもない。



『んじゃまあ今日の任務といこうか少年ツカサくん


『はあ。任務と言いますと』


『もちろん、ドライブだよ』




************************************




渥美アツミ キヨシ 特務 中佐が吾続アツヅ ツカサに下した指令は、〝両手に花でドライブ〟というものだった。


実体としては尾行と監視に警戒しつつ、私用車で出流とイェーナを連れて指定された場所デートスポットに向かえ、というものになる。


自動車運転免許を持っている司は、最近でも事ある毎に軍用車両を借り出して走り回っていたが、安全性の観点から(なにせ防弾処理やパンクレスタイヤの装備の有無が大きい)私用車の使用は基本的に推奨されていないことであった。


つまり極めてうさんくさい。

そもそも、尾行と監視に気をつけろとはどういうことか。



『——次の交差点を左折してください』


『周囲200m圏内に備考の影無し』


ベルクリヒトの周囲索敵の補助を受けつつ、3人は市内を移動する。

助手席が地図を持った出流、運転席の真後で後方警戒にあたるのがイェーナだ。


カーナビの類は付いていないし、そもそも使えない。

性質上、行き先を機械から読み取られる恐れがある。


ビルの地下駐車場、立体駐車場などを通り抜け。

遠回りと同じ道の往復を交えながら目的地に向かう。


辿り着いたのは市内からやや外れた位置にある高級マンション地帯。

地下駐車場に降りるとがらんとして人気ひとけはなく車もいない。


そもそもが建物自体がさびれた風であり。

ベランダに洗濯物の1つも見えはしなかったが。


昇降装置エレベーターの使用も避け、階段を使う。

周囲をそれと無く警戒しながら目的地である2、202号室を目指した。


階段を上る、無人の通路を足音を殺して歩く。

ドアが開き、細い手が手招きする。



『こっちです』


 

ベルクリヒトの、骨振通信の声が招く、速足で駆け込みながらツカサは息をのんだ。

つまり。


内側に3人が滑り込み、ドアが閉じられる。

鍵がかけられ、ストッパーとチェーンがなされる。


一息つき、自分たちを招き入れた少女に視線を転じる。

そう、少女だ。


しかも見覚えがあった。


「セミ子さん?」


「セミ子て。オルトルートだろ」


「はい。はじめまして。……どなたです?」


ツカサが、イェーナが、イズルが各々感想を口にする。



セミ子オルトルート、あの夏の終わりに擬死した蝉に驚いていた少女だった。

ちなみにツカサはドイツ語がわからないので名前を名乗ったのは知らなかったが。


「どうも。オルトルート・ヴァインライヒです。

 それとはじめましてではありませんよ、イズル」


「え」


「あークソッ、やっぱそうかよそうじゃないかって気はしてたんだよ」


「え?」


イェーナの唐突な問題発言にツカサが眉を寄せる。


「え、どういうこと?」


「ようはこいつがベルクリヒトだろ」


「はい。さすがに付き合いが長いだけの事はありますね」


イェーナがあきれたように口にし、ベルクリヒトオルトルートが淡々と首肯する。



「えぇ?! そうなの? ていうかなんでわかったの」


「オルトルートつったら〝ローエングリン〟に出て来る魔女の名前だろ。オペラの」


「知らないよそんなの」


「知っとけよ教養がねぇな」


「日本人にそれを求めるのは酷かと。

 というかイェーナの知識も大概偏っていると思いますが」


「そうか?」


「――とりあえず奥へ」



促されて奥へと足を進める。

会話に取り残された感覚なのか、イズルは終始不服そうだった。



部屋はどこにでもあるマンションの一室という空間。

昼間だというのに分厚いカーテンが閉め切られているのが印象的だった。



そして、直径2mほどのが部屋の中央に鎮座していた。


ごくりと息を飲みながら、ツカサは言葉を吐き出す。



……!」


「いやなんで興奮してんだよどう考えても注目するのそっちじゃなくね?」


「はい。欲しいです」


「欲しいよね……」


「だからそっちじゃねぇだろ……、埋まってる方に注目しろよおまえら」



あきれた口調で吐き捨てながらそれでもイェーナには油断がない。

実際のところツカサとイズルも言うほど弛緩しているわけではなかった。


3人の正面、部屋の中央には大きな球形のビーズクッションが置かれている。


問題なのはイェーナが言うようにそれに埋まっている人物。


同じく少女、見た目の年齢は10代前半に見えるオルトルートより上、イェーナ達よりは下と言うところ、つまり10代半ばくらい。

ピンクのスウェットというなんともコメントしがたい服装でクッションに埋まりすわり、あ゛~とでもしか形容できないうなり声をあげている。


3人は軽口をたたきながらも油断しておらず、だからこそ対応に苦慮していた。

話しかけるべきか、とりあえず制圧すべきか。


視線だけで意思疎通を図り意見を交換する。

この場、この状況に及んではベルクリヒトを無条件に信じていいかは迷われた。


骨振通信でなら相手に知られないと考えるのはさすがに甘えが過ぎるだろう。

少なくともこの目の前の謎の少女も骨振通信を傍受できる可能性は疑うべきだ。


3人が数秒、そうやって意見を交換していると。


お盆に人数分のマグカップを乗せたオルトルートが無表情に戻って来た。

姿がいつの間にか消えていたと思えば飲み物を用意していたらしい。


3人の視線の先、クッションに埋まった少女を無表情に一瞥したオルトルートは。


「いつまで唸っているんですか」


「おうっ゛」


無造作に蹴りを入れた。

割と本気っぽかったその一撃で少女が横転し床に落ちる。

鈍い音がした。

――というか顔から落ちた。


「自己紹介くらいさっさと済ませてください。話が進みません」


「蹴る事ないでしょ! オルトはちょっと乱暴過ぎると思う!!」


がば、とでも効果音が付きそうな勢いで起き上がった少女が、鼻を押さえながら文句を言う。

オルトルートの無言の冷たい視線にさらされてすごすごと謎の少女はクッションに座り直し、半眼で、ドヤ顔で、3人を見回しながら薄い胸を張って、言った。




「どうもどうも。

 私の名は稲背脛命イナセハギノミコト、すなわちカミです。

 敬え!」


「……」


「……」


「……おいベルクリヒト」


「残念ですが割と事実です。潔く諦めてください」



『えぇ……』




************************************




隣室から直径2mの人をダメにするクッションが4つ運び込まれ、部屋の中央に円を描いて5個並べられたところで改めて会話は始まった。当然全員が座った。



「ええっと……、あっこれダメになる。欲しい。じゃなくって、

 ……イナセハギノミコト、さま、ってあれですよね、国造り神話の」


「ハギで良いよ、長いし、呼び難いでしょ、ハギちゃんでも可」


「めちゃくちゃフランクじゃん神」


「まっね、そらうやまえ」


「あ~~~……もふ……もふ……」


「駄神の呼び名はどうでもいいです。真面目に話を進めてください」


「ダ神言うな?!」


イズルはダメになっていた。

あとベルクリヒトオルトルートは完全に神を見下しているようだった。



「ええっと、本当に神様なんですか?」



言外にとてもそうは見えないんですけど、という雰囲気を滲ませて(隠しきれなかったようだ)ツカサが問う。


Yesいぇす

 まあこの国の成り立ちにかかわってるって意味では、

 厳密に、というかもっと妥当な表現をするならちょっと違うんだけど」


「というと?」


「アイアム未来人」


「――ベルクリヒト?」


「そこでこいつ正気か?という顔をされても困ります。

 認め難いのはわかりますが、困ったことに一から十まで事実なので」


「まじかよ……」


「はい。まじです」


「もふ……」


「……まあ、Eigisって物凄く異質だよなってはずっと思ってたし。

 妥当と言えば妥当というか、納得できると言えばできるんだけど」



もうちょっとこう、色々あるでしょ。

という顔になりながらツカサはベルクリヒトオルトルートを見た。

彼女はわざとらしく肩をすくめてそれに応え、首を横に振った。



「ハギは西暦3412年から時間遡航で過去に渡り、この国の成り立ちに干渉してきた未来人です。非常に認め難いと思いますが事実なので諦めてください」


「西暦?」


「はい。もともとの時間軸タイムラインでは皇紀は使われていません」


「いやまあ待てよ。Eigisとか纏者クローサーとか、あたしらがここに呼び出されている事から想像するに〝鵺〟対策なんだろうなってのはわかるけどさ」



イェーナが目を細めながら首をかしげる。


「いわゆるあれ、タイムパラドックスとかはどうなってんだよ?

 いやまず未来人だってのが信じ難いんだけど正直」


 言いながらもイェーナも未来人だとかいう馬鹿話を、それでも疑う気はなかった。


 すでに鵺伍号まで、5体の鵺と遭遇し彼女たちはそれを倒している。

 鳥船文書アーカイブの情報は正確で、正確過ぎるほどだ。

 いっそ薄気味悪いほどに未来を言い当てているそれは、なるほど未来人がもたらしたと言う方が納得がいくし、逆にそうでなければ整合性が取れない。



「ないよ。俗に言うところの〝タイムパラドックス〟は起こりえない。

 やれやれいやだねこの時代の人類は無知――おっふ゛


「イェーナ、蹴らないでください。一応それ重要人物なので」


「さっきおまえも蹴ってたろ」


「それとか言うなし?!」



クッションに座り直してハギ、未来人イナセハギノミコトが溜息を吐く。

神秘性というかありがたみというか、ない。

重要人物にはとても見えない。



「えっとね時間というのは、凄く雑に言うと川なんだよ」


「川?」


「そう、上流かこから下流みらいに向けて時間みずが流れ続ける。

 宇宙の始まりという源流から、宇宙の終わりという海に続く川、それが時間」



ハギの言葉にイェーナはうん、と1つ頷く。


「ああ、イメージはしやすいな、それ。

 けどタイムパラドックスが起こらないって説明にはなってなくないか?」


「う~ん、だからさ。

 水の全量も、川の流れの上に浮いてるものも。

 


 その辺の担当者はとか言ってたけど。

 ……正直、私もニュアンスでしか理解してないんだよね」


「いや、理解しとけよそこは……?」


「あのねぇ、イェーナちゃん。

 時間移動って本質的には物理運動と同じなの。

 重いものを長距離運ぶにはたくさんエネルギーが必要でしょ。

 効率よく長距離移動するなら軽い方がいいというか、重いと無理なの。

 情報と熱量エネルギーと質量って等価だから。


 ハギという存在自体を限界までする為に、そもそもの時点で最低限の知識しか持たされてないんだってば」


テーブル上からアイスココアの入ったマグカップを取り上げ、傾ける。

そうやって一息ついてからハギは口を開き直した。


「まあそんなわけで対鵺用の知識とか。

 大まかな時代変化とかに関する知識しか私はそもそも持って無いんだよ。

 もうちょっと細かく言うと、非接触給電、物質転換炉、あああと常温核融合か。

 その辺の技術と、歴史に関する情報かな」


「? 待ってください、〝Eigisイージス〟は?」


 ツカサの問いに、ハギは薄く笑ってマグカップを振り回す。


「や、無理無理!

 あれはこの時代に知識持ち込んで作れる水準レベルの品じゃないから。

 Eigisの本体、その精髄エスプリだけは私の胎内に埋め込んで持ち込んだの。


 ――だから調整は効かないし、適合するのはXX染色体おんなのこだけなんだよ。

 うん、そう、今日来て貰って、私が正体を明かしたのはまさにそこなんだけどね」


薄く、角度によって虹色の光をその眼球が帯びて輝くのを、ツカサはハギが改めて自分を見つめるまで知らなかった。

人のものでない瞳の色、未来人、その少女が初めて説得力を持ってツカサを見る。


「――吾続アツヅ ツカサ

 君は纏者クローサーではない、そもそも君はなれないんだ。

 にもかかわらず君は出流イズル 龍起タツキと複座でとはいえBirthday-clothesバースディ・クロースを起動した。

 ……何故だと思う?」


「何故、って」


そんなこと、ツカサにわかるはずがない。

イズルにも、イェーナにも、おそらくはベルクリヒトにもわかるはずがなかった。

唯一、それをこの場で理解できるであろう存在ハギは、真剣な面持ちでツカサを見る。



「――きみがイズルを選ばなかったから、だろうね」


「はい?」


よくわからない話題転換にツカサは思わず声をあげ、イェーナは眉をひそめた。

もう1人の当事者であるイズルはダメになっていて。

ベルクリヒトは相変わらずの無表情、何を考えているのかわからない。



「次が鵺陸号No.6、その次は鵺漆号No.7

 残すところ最後の第八夜まであと2体。

 問題なのは鵺漆号No.7纏者が、って事」



場に、沈黙が満ちる。

イェーナ・プファンクーフェンが真剣な表情で口を開く、震える声で。


「待て、ちょっと待てハギ。

 おまえこれ、?」


 1巡目の世界では人類は辛くも勝利したけどドン詰まりに陥った。

 だから私が生み出されたわけだけど。

 私は過去に飛んで2巡目の世界にEigisを持ち込んだけど、派手にやり過ぎて勝ったはいいけど人類同士がEigisで戦争をはじめちゃったんだよね。

 だから3巡目こんかいは歴史を裏から操ることにしたわけ、まだ質問ある?」


「……あるっちゃあるけどもういい。

 それで? 2巡目に居て3巡目に居ない纏者クローサーって何者だよ。

 タイムパラドックスは起こらないんじゃなかったのかよ」


イェーナが苦虫を噛み潰したような表情で先を促す。


彼女にはゲームのように繰り返リトライされる歴史に思うところがあったのだろうが、その憤りを言語化する語彙がなかった。

必要性も否定はできない、否定する言葉はそれこそ思いつかなかった。


「うん。

 その纏者クローサーというのは吾続アツヅ エニシ


 つまり吾続アツヅ ツカサ


「――え?」


「はい?」


「……まじかよ」


ツカサが絶句し、ダメになっていたイズルが振り返り、イェーナが片手で顔を覆う。



「そこで因果律の完全収束性の話に戻って来るんだけど。

 ツカサ、きみがBirthday-clothesバースディ・クロースを起動している時点で、おそらく縁が生まれない事は確定している、と思う。


 あのこが生まれないことで彼女あのこが有する未来カノウセイが失われたから。

 逆説的にBirthday-clothesを動かし得る、という可能性、纏者クローサーとしての性質が親である君にされたのだと私は判断した。


 そもそも前回で言うと出流龍起もBirthday-clothesとの適合率は低かったし。

 あくまでということなんだろうね」


「そ、」


「まあ、それはいい。

 問題は縁が有していた第三段階phase3虚数刃iブレード虚雷剣トツカ〟。

 あれをきみが、きみたちが、いまだに起動できてないってこと。

 鵺漆号No.7は強い、あの切り札無しで勝てるかとても不安なんだよね」



場に沈黙が満ちる。

未来人イナセハギノミコトは冗談のような態度を消して重々しく口を開いた。


「――今回は



 























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