**2話(4)**
〝豚の巣〟などと失礼にもほどのある呼び名で陰に日向に揶揄されるあの部屋から。
出てきたところを見たものなどそこには一人もいなかった。
だがその日、四四丸機関の〝観測室〟に彼は表れ、静かに問いを発した。
それが何よりも今が異常な、あるいは特別な状況下なのだと嫌が応にも示している。
「状況」
「は、はい。
五七分前に
次いで三分二〇秒後に〝まるかり〟と〝みそこし〟が。
以後続けて〝おおぶさ〟、〝かんざし〟、〝すずなり〟、〝わらづと〟。
以上七基、全てが電位偏差を取得しました。
観測誤差は0.000――」
「いや、誤差はいい。
それこそ誤差だ、以後読み上げは省略。
〝すばる〟の起動要求は上に通した?」
「は、
はい、いいえ。
――その、〝すばる〟は、」
渥美中佐の言葉に観測室は静かに、だが明確にざわめいていた。
それまで平静を保って対応していた天津大尉ですら動揺の色を見せている。
〝すばる〟
それはなるほど四四丸のマニュアルに大文字で記載されている名ではある。
だがそれは都市伝説扱いを通り越し、もはや誇大妄想扱いになっていた。
浮動遊電子を情報単位とする――、すなわち。
世界そのものを計算媒体とする超超超級演算機械。
普通に考えて笑い話の類であろう。
そんなものが日軍に実在し、また四四丸がそんなものを動かせるなど――、
「――ま、信じられないのも無理はないけどね。
職務だ、実行したまえ天津大尉。
〝すばる〟の使用許可を上に請求、他のみんなは起動マニュアルに従って準備を」
「は!」
腐っても観測室付、四四丸は選りすぐりのエリート士官で構成された集団であった。
動揺は瞬く間に消え彼らは各々の職務を実行しに戻る。
「――〝
男は古いそれを
それは徒然草の第二百十段。
男が口にしたそれには無論のこと続きがあり、その先にはこう続く。
************************************
「ツカサ、通信機を。それから脱いでください、はやく」
「
「え、いやあ…?」
幅3m、奥行き5mほどのコンテナの中で。
少女2名に
その五分後には
ろくな説明もなく法定速度以上で疾走した軍用ジープは藤宮日軍基地に乗り入れた後そのまま発着場に侵入し、一角に鎮座していたコンテナに司を放り込んだ。
亜続 司は困惑している。
脱げ、というのは当然、コンテナ前で手渡された
コンテナ内の左右の椅子にはそれぞれ
そしてコンテナは司が叩き込まれた直後から不規則に揺れたり跳ねたりしている。
ここで、全部脱いでフィットスーツを着るのは、それでいて
もたついて視線を揺らす、目があった
慌てて骨振通信機を取り出し、耳の後から喉にかけて貼り付け、
——ぴー、と高音の警告音が響く。
「馬鹿」
「上下逆ですツカサ」
「あ、うん」
はがして貼りなおした。
『CVNf-EⅡ〝
『〝すばる〟再計算終了、推定出現時刻まで43分』
『EⅡの
『再申請。政府回りからも圧力かけて』
早口で喋る士官の声が耳朶に響く。
見知った声、渥美 中佐の声も混じっていた。
とりあえず軽く喉に触れて
「えっと」
『無声通信を』
イズルがそっと促して来て慌てて喉を鳴らす。
『——ごめん、これでいい?』
『はい』
視界の隅でイェーナが肩をすくめ、出流が満足げに頷くのが見えた。
軍への転属が決まって最初にやらされたことは無声通信の訓練だった。
司はいまだになれないが、必要性は嫌と言うほど説明された。
人は声を発する際に息を吐く。
裏返せば息を吸いながらや止めたまま喋る事ができない。
あるいは胸を強打して呼吸もままならない時。
あるいは戦闘中、呼吸を乱す余裕がまるでない時。
もちろん音を立てる事が致命的な状況を招く時も。
喉の筋肉の動きを読み取って〝声〟を通信に乗せ、
耳骨を通じて頭骨内に直接〝声〟を伝える無声通信は必須の技能だと教えられた。
最悪、肺が破壊されて呼吸が止まってすら喉と脳が無事なら意思を伝達できる。
もちろんそんな事態はあってはならないのだが。
『えっと、どうなってるの?』
乱雑な情報の飛び交う全通回線の情報量を司は捌き切れない。
『実戦だよ実戦。遅くとも2時間以内に〝本番〟だってよ』
『現在我々は静岡県下田方面に向けて移動を開始しています』
『下田…?』
『代ろう。まずツカサくん、フィットスーツの信号入って来ないんだけど。
……まあ、女の子2人と密室な状態で着替えるのもアレだろうけどとっとと着て?
これは訓練じゃないんで』
割り込んできた渥美の声に慌てて背筋を伸ばす。
視界の中で椅子に座っている出流が向きを変えてそっぽを向き、椅子の上に寝っ転がっていたイェーナが壁に顔を向けて転がりなおすのが見えた。
覚悟を決めて上着のボタンを飛ばしながら引っぺがしシャツを脱ぎ捨ててベルトを外し下着ごとズボンをずり下した。
先に靴下を脱ぐべきだったとミスに気付いたが今更である。
全裸に靴下の状態から壁に背を預けながら靴下を引き抜く。
フィットスーツに、揺れに足を取られながらなんとか足を突っ込み、
『ツカサくんちゃんと着れてないよ信号でわかる。
『そこまで言わなくていいですから!』
無声通信に叫びながら腰位置を調整して何とか落ち着いた。
溜息を1つ、腰の軽装甲をとっととつけたいところだがズレるからやめろと最初に着せられた時に念押しされている。
このフィットスーツは最薄部位で0.8mmと非常に薄く、行動を阻害しない割に着用者の体温を保ったり、血流を調整したり、外部からの衝撃を緩和したりと多機能で高性能だが問題があった。
いかんせん薄過ぎてボディラインが
女性のみで構成されていた旧・
スーツの上着に両腕を通して五指を開いたり閉じたり、肩を回したり首を捻ったりとスーツのズレやたるみを確認して一息ついた。
股間を覆うカバーと前垂れ状の追加パーツを(股間カバーだけだと見た目が情けなさ過ぎたので装備部に泣きを入れて追加して貰ったパーツである)装着する。
『と、着れたようだね。
——
『——はい。国内17基で最大規模のもの、でしたよね』
『お、勉強してるね。そう、それ』
勉強している、というか先日。
社会科見学先の候補として挙がった際、帰宅後に気になって調べただけではある。
確か神奈川県相模原市、国定公園も近い地域だったはずで、
『丹沢山に向かっているんですか?』
『いや、もっと南だよ。
理想的には芦ノ湖の南、箱根峠あたりに落としたいんだけど——』
『落とす?』
『ああ。思ったより早かったから説明まだだったね。
——僕らの敵は空から落ちて来るのさ。
誘導するために〝
やつらは電気に魅かれるんだ。
だから大電力の起点である核融合炉の近辺に落ちて来る。
丹沢融合炉と、
『——出現位置を誘導できる?』
『そゆこと』
************************************
「
「っと、はいはい忙しいね」
渥美聖は喉を撫でて骨振通信を切り、通信受話器を取り上げる。
『——
『日本語で構わんよ渥美くん。
こんな時に何の用かな。
こちらが忙しいのはキミもわかっていると思っていたんだが?』
エリオット大佐の言葉に、肩で受話器を押さえてチョコレートバーを剥きながら、渥美は眉を顰める。
『こんな時だからです、大佐。
予定より融合炉の出力が高い、このままでは、』
『想定より早く〝N〟が出現する?
そうだな、だがいかんせん我々も初の実戦だ。
少々のミスは大目に見て貰いたい。
何、
「〝
再計算、出現推定時刻-38分! 300秒以内に出ます!!」
悲鳴のような報告が上がる、渥美は今度こそ眉を顰め、
『大佐、』
『おっと聞こえたよ、話している暇はなさそうだ』
通信が切れる。
モニターに視線を走らせた。
〝
明らかに意図せずに届く水準ではない。
「レーダーに感!
〝
今度こそオペレーターの報告は悲鳴だった。
握りしめたチョコレートバーを齧りながら渥美聖は楽しげに呟いた。
「……ああ、なるほど?
自分たちだけでやる気なんだ、あの大佐」
************************************
米軍所属Eigis、〝
——
彼女は
物心ついたときには既に周囲の大人たちは全てが白衣が軍服で。
繰り返される実験と教育だけが彼女の人生だった。
後悔は無い。
普通の人生に興味が無いわけではないが。
〝N〟と呼称される人類の敵、祖国の敵。
それと戦える人間はわずかに6人しか居ないと知っている。
自分と、そして自分の半身である
祖国においてただ2人だけの
心から、そう心からそう思っている。
だから誇り高く、義務を果たすのだ。
非常灯だけが照らす部屋の中。
銀髪の
向かい合う先には同じ容姿の
肩口で切り揃えた髪も、飾り気のない美しい顔立ちも。
背も、体重だって同じ、遺伝子も同じ。
彼女たちの差は文字通りそれだけで。
それが
だが致し方ないと思っている。
染める事には最後まで反対だったが。
誰にもその区別がつかないのだから、仕方ない。
「さ、行こうかロビン」
「ええ、行こうかケビン」
笑い合う、鏡あわせのように、同じ顔が。
手を取り合って通路を歩く。
手を振って別れて発射管の前に立つ。
恐怖はない、怖いものなどない、
発射シークエンスを報告する電子音声を聞きながら目を閉じる。
極小斥力場展開、発射の衝撃に備える、恐怖はない。
カウント3,2、1、——0.
少なくない
漆黒の夜間迷彩に塗り潰された
続いて高圧ガスによる方向の微修正、再点火。
限界まで輝度を抑えられた化学燃料の翼は鋼の棺を高空へと押し上げる。
瞬く間に高度4,000mに達した棺は重力に引かれて真っ逆さまに落ちていく。
胸骨から背骨までを貫く体内の〝
美しい、夜景が見えた。
天には星々、地には建物の無数のきらめき。
天は遠ざかり地は目の前に。
高度計が400mを切って彼女は口を開かずに魔法の言葉を紡ぐ。
きっと並行して落ちつつある
だから恐怖はない。
胸には誇りだけがある。
――
人型へ、Eigisへ、彼女/相棒の
天から降り来るのは一騎当千の黒衣の騎士2つ。
右の側頭部に湾曲した角を持つ
――
左の側頭部に湾曲した角を持つ
――
階級は共に中尉、
瓜二つでありながら鏡映しの2人は声を揃えて宣言した。
『――状況を開始します』
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