第二章〝鵺〟

**1話(4)**


吾続 司はイェーナ・プフェンクーヘンと2人でキャンプに出掛けた。


彼女に良いところを見せようと張り切った彼は崖から転落し太腿に傷を負う。

機転を利かせたイェーナの救助要請により隣接する基地エリアから軍が駆けつけ、

重症だった吾続 司は事なきを得た。


――建前上の物語カバー・ストーリーとしてはそういう事になった。



実際のところ本当に傷は浅くはなかった。

具体的には夏休み後半を司少年は軍病院のベッド上で過ごすことになり、傷が回復した後もきっちりとリハビリをする事になったくらいである。


退院して自宅に戻っても、しばらくは動くのがつらかった。

入院中は出流とイェーナが見舞いに来てくれたのでむしろ快適だったくらいである。


とは言えそれも退院から数週間を数えると大分マシになっていた。





その年の9月はまだ、十分すぎるくらいに夏だった。




わずかに足を引きずりながら台所に向かう。


目的は冷凍庫に貯蓄された実弾バニラアイスである。

【アイスは1日1人1本!】と書かれた手書きの張り紙が目に眩しい。

だがこのルールのお陰で、予期せぬ弾切れもなく彼らは戦える。


司は冷凍庫のドアを開けて1箱16本入りのご家族向けバニラを手に取ろうとした。

父母姉自分の4人家族であるからこの1箱で4日戦える計算なのだ。


だが、そこには何もない。

空箱がしんしんと冷えているだけである。


ルールとは全員が守る事で意味を持つ。

脱法者が誰かはすぐに想像できた。

吾続アツヅ アオ、吾続家で最も自由フリーダムあね


ぎり、と歯噛みする。


ツカサは激怒した。

必ず、かの邪智暴虐じゃちぼうぎゃくあねを除かなければならぬと決意した。



「あら司くん、アイス?」


台所で料理の下拵したごしらえをしていたらしいミドリが軽く振り返って来る。

司は肩を落として空箱の中が見えるように振って見せた。


「あら。きっとまた蒼ちゃんね、ほんと仕方のない……。

 そうだ司くん、めんつゆが切れてるからアイスと一緒に買いに、」


言いかけて母の言葉が途切れる。

ムスコの怪我の事を思い出したのだろう。



「あー、いいよ。

 だいぶ調子いいし、リハビリがてら行って来る。

 急ぐやつ?」


「晩御飯お素麺そうめんのつもりだったから。

 それまでに買ってきてくれたらいつでもいいけど。

 めんつゆはともかくアイスは溶けちゃわない?」


あー、と司は眉を顰めた。

めんつゆはともかく、確かに今の機動力でアイスを無事届けるのは苦しい。



「アイスは父さんに買って来てもらおうか。

 俺、メールしとくよ」


姉の日課である風呂上りの1本には間に合わないだろうが自業自得であろう。



「そう? じゃあめんつゆは、」


「そっちは行って来る。

 正直動くのはおっくうだけど、理由をつけて動かないとなまりそうだし。

 医者センセイからもそろそろ甘やかし過ぎるなって言われたので」



行ってきます、と声をかけて靴を履いて玄関を潜る。


空は青く、風はなまぬるい。

なまぬるいというか熱い。

熱風であった。


藤宮の9月は猛烈に夏だ、もうちょっと秋でもいいのに。



―――吾続アツヅ ツカサ は夏が嫌いだ。




けれど、夏の初めに抱えていたような鬱屈うっくつした感情は随分薄れていた。

理由はだいたい自分でもわかっている。

彼女らの存在だろう。


男って単純だよなあ、と我がことながら思うが。

まあ彼女らと出会わなくても、男友達と馬鹿やって元気になっていた気もする。


人間は悲しみを含めて色々なものに順応すなれる生き物だから。




えっちらおっちら、本調子ではない足で最寄りスーパーまで歩く。



無希釈型ストレートのめんつゆを買い(希釈タイプは好みの濃度で揉める原因になるので吾続家では禁忌タブーとされている)ビニール袋を片手に下げて。


自腹で買ったアイスをかじりながら家路につく。


実はもう1本買ったが、家までもつかは不安が残る。

リハビリ用の時間制限タイマー代わり、無理そうなら途中で食べてしまおう。

……思ったより暑さが酷いので足が本調子でも溶けそうな気もしてきた。




家路の途中、妙なものをみつけた。

10歳くらいの女の子だった。

日本人ではないだろう、抜けるような肌は白く、顔立ちから見ても西洋人。

人種まではわからない。


赤味がかった髪は結い上げられ、白と黒の2色で構成された上品なデザインのワンピース姿も相まって陶器人形ビスクドールめいた印象を受ける。


文句なしに美少女と言っていいだろう。

快活なイェーナとはまた違う方向性ベクトルなので優劣はつけがたいが。

純粋な美形度で言うなら勝てない気がする。

そのくらい整った顔立ちの少女だった。


そんな少女が微動だにせず真剣な顔で地面のただ一点を凝視しているのに遭遇した。

歩道のど真ん中である。

まあ、平たく言うと邪魔だった。


とは言え何をしているのかも気になり、視線の先を追う。



――セミが転がっていた。


腹を上にして足を開いた蝉が地面に転がっている。

少女が真剣な面持ちで凝視しているのはその蝉だった。


西欧圏だと蝉って珍しいんだっけ?

少年ツカサは内心首を傾げたがいかんせんよくわからない。

まあ珍しいのだろう、と勝手に納得する。


と、次の瞬間事態は動いた。

少女は上品に片手でスカートを膝に合わせて畳み、丈の長いその端が地面に触れないようにしながら屈み込む。



そのまま右手の人差し指を伸ばして蝉の腹を触、



「あ、」



吾続 司はまずい、と内心叫んでいた。


彼は山の民である。

夏毎に祖父と山に登り駆けずり回った少年であった。


つまり蝉との遭遇例も人一倍。

彼らの生態もよく理解していた。


やつらは死を装う。

或いは別に装っているのではなく単に動くのを止める悪癖があるのかもしれないが。


なんにせよ死体と思って触ると突然鳴き出したりして驚かされる事がある。

死んでいるのかそう見えるだけなのか、見分け方は単純だ。


足が閉じていれば高確率で死んでおり、



つまりあの蝉は、


み¨み¨み¨み¨み¨み¨み¨み¨み¨み¨み¨み¨み¨み¨み¨!!!!



少女の指先が腹に触れた瞬間、蝉はそれが自身の存在証明アイデンティティだとばかりに大音響で鳴き始めた。


少女がべたんと尻もちをつく。

目は見開かれており口元はわなわなと言葉を吐けずに震えるばかり。


あろうことか蝉は少女の人差し指をがっしととらえてしがみついていた。



太腿が疼いたが早足で駆け寄り、アイスは咥え、少女の手首を左手で握る。

少女がびっくり顔でこちらを見てくるが視線で動かないで、と知らせたつもり。

閉じた蝉の足の内側に右手の小指を滑り込ませてやると素直に掴む先を変えたので、右手を振って宙に投げてやる、飛んでった。


さて、これでよし。

そして毎回考えなしに動いてはあとで困るんだよな……、と自虐する。

思えばイズルとの出会いもそうだった。



「えっと、大丈夫?」


咥えていたアイスを右手に戻して口を開く。


目をぱちぱちと瞬かせている少女に、そう声をかけながら左手を差し出す。

言葉が通じるのか不安だったが、少女はにっこりと笑って司の手を掴む。

よかった通じた、と安心しながら手を引いて彼女を立たせると、少女はスカートの尻をはたいて司に向き直った。



ありがとうございます   Vielen Dank.   おにいさんalter Mann.


あっダメだこれ通じてないやつかも。


少女はにっこりと笑っている。

言葉が通じないと思ったのでとりあえず。

ビニール袋からもう1本のアイスを引っ張り出して渡した。


「どうぞ」


「?」


おっかなびっくりと言った様子で少女は開封しアイスを口にする。

大輪の笑顔が加速する、よし。


「オマエとりあえず困ったら餌付けしようとするのやめろ」

「うわぁ?!」


真後ろからぼそりとかけられた台詞に背筋が跳ねた。

振り返った瞬間に手が伸びて来てぐい、と右腕で握ったアイスが持っていかれる。


「んむ。……相変わらず甘いのが好きだな後輩、これ何味?」


手が離される、見知った顔ではあった。

アイスはおおよそ1/3を奪われた。


「練乳ストロベリーです。

 ってイェーナセンパイなんでこんなところにってかなんで今食った」


「溶け落ちそうだったから? もったいないだろ。

 あとその後の経過観察と言うか、怪我どうなんだよ」


ぶっきら棒な口調でイェーナが問いかけてくる。

あれ? もしかして心配してくれて来た感じ?


「笑ってんじゃねーぞこの野郎」


「わわってないへふ」


頬をつままれて発音が狂う。



お二人は恋人同士なのSind Sie zwei Liebhaber?」


横から少女が問い、イェーナは向き直った。

ちなみに司は何を言っているのかわからないのできょとんとしていた。



「……そんなんじゃねーよSo ist es nicht.おまえ名前はWie ist Ihr Name?」


オルトルートよOrtrud.お姉さんのお名前はWie hieß Ihre Schwester?」


イェーナだJena

 おまえ帰り道わかるのかWissen Sie, wie Sie nach Hause kommen

 親はどうしたWas geschah mit Ihren Eltern?」


「……私に親なんて居ないわIch habe keine Eltern.

 帰り道は大丈夫Auf dem Heimweg wird es mir gut gehen, ありがとうdanke.


 少女オルトルートが澄まし顔で言い、イェーナはわずかに眉を顰めた。

 だがそれも一瞬の事、彼女は手を伸ばして乱暴に少女の頭をなでて、言った。


「……そうかいDas ist gut so.

 気を付けて帰んなSeien Sie jetzt auf dem Heimweg vorsichtig.


うんJa.

 ありがとう、またねNochmals vielen Dank.!」


笑顔で手を振りながら去っていく少女に、イェーナは雑に手を振って見送る。

なんとはなしにそれを黙って見守っていた司だったが、



「先輩、やさしいんだな」


とポツリと呟き、イェーナがばね仕掛けのように振り返る。



「はぁ?! なんだ突然!?」


「いや今の会話聞いてたらそう思って」


「聞いてたらってお前オマエ言葉わからな」


ありがとうダンケくらいわかるよ。

 よくわかんないけど先輩がお礼言われてるのはわかった」


だから先輩優しいんだなって思って。

と司が言い切る前にイェーナの手がスーパーの袋をぶんどっていった。


「クッソ暑いあちーし帰るぞほら、とっとと歩け」



その背中は、肌の色のせいでわかり難いが耳まで真っ赤になっているように見えた。


「待ってください先輩俺怪我人なんで」


「うっせ!」





************************************





「――で一応、候補としては転換炉か核融合炉かなんだけど」


「それなんだけど定番過ぎねぇ?

 今さー横須賀に米国アメちゃん核融合空母CVNfが来てるんだよ。

 あれにしようぜ」


CVNFシーブイエヌエフって…?」


核融合炉型汎用航空母艦Carrier Vessel Nuclear-fusion

 なんだったかな、CVNf-EⅡ〝ender-gazeエンダーゲイズ〟だったかな?

 最新型がメンテナンス目的で寄港してるって話で」


「はあ。松木マッキくんって軍事オタクミリオタだったんだ。

 というかそれようは核融合炉の見学と同じじゃ」


「いや全然違うでしょ!」


「――だとして許可取れるの、それ?」


「それは、ほら頑張れば……」


「無理でしょ。

 吾続くん、この馬鹿に何か言ってあげて」


ツカサァ! この堅物カタブツに何か言ってやれ!」


「――え?」


窓の外を見ていた司は急に呼ばれて慌てて視線を転じた。

級友クラスメート松木マツキ 是知コレトモ黒岩クロイワ 三知子ミチコがこちらを見ていた。

 

「あ、ごめん。……なんだっけ?」


「もう。……10月末の社会科見学、行先の相談中だよ、今」


ああ。

司は目を細めた。

――9月いっぱいでツカサはこの学校からいなくなる。


軍属に伴い10月からは軍の士官学校に転属する事になっているのだ。

……その話は2人を含め、級友たちクラスメートにもしていたはずなのだが。


「えっと、俺は今月で、」

「だから?」

「え? いいじゃん」


「え?」


ほとんど間髪入れず2人が言い返す。

黙って聞いていた周囲の級友たちも苦笑していて、司は混乱する。


「え? いやだから」


「だから、別にいいでしょ」

「そうそう、今はまだ一緒なんだから意見出せよ」


ね。と、松木と黒岩が頷き合う。


「それにさー、確か社会科見学って休日つぶしだろ」

「無理にとは言わないけど、都合がつけば吾続くんも来ない?」


「……」


不覚にも胸が熱くなる。

ほんとうにこいつらときたら。


――思えば父や母もそうだった。

軍に行くと伝えた時、彼らは驚きはしても反対はしなかった。



「司くんは祖父おじいちゃん子だからね」


という呟きにはどういう意味が籠っていたのか司には今もわからない。



両親も級友たちも、司の選択を責めも否定もしなかった。

むろん今この時代、この国が戦争を忘れて長いのも理由ではあろうが。


「えと、そうだね。

 その中だと俺は転換炉に1票かな」


「んだよ司、黒岩の肩もつのか」


「言い方。松木くんさあ」



言い合いに発展しそうだったので慌てて言葉を続ける、


「常温核融合発電所って、確か中までは入れないでしょ」


「あー、まあな。遮蔽されてるとは言え放射能施設だしな」


「そうそう、だから中見るなら転換炉の方が良いかなって」


言い訳じみた司の言葉にだが松木は「なるほどなー」と納得したようだった。



――実際、それは嘘ではないが言い訳のようなものだった。


Eigisの存在が棘のように司の心をひっかいていた。

常温核融合発電所、そう〝発電所〟なのだ。


当然そこには浮動遊電子式の送電施設が隣接し。

その存在は嫌が応にもEigisiそれを思い出させるから。


直接かかわるものではないとはいえ、近寄りたくないというのが本音だった。



「んじゃ転換炉で」


「あっさりしてるね松木君、まあ変にごねられるよりいいけど」


「んで転換炉って何だっけ」


「……松木君? 授業で習ったと思うけど。

 転換炉っていうのは18世紀に発見された〝第5の鉄5th-steel〟を使った施設で…」


黒岩さん学級委員長が説明を始めて司は声を立てずに笑う。


ほんとうに、退屈しない。


「――だから、現代のあらゆる機器は転換炉を通した亜合金を主体としてるわけ。

 いわば現行科学技術の骨格とも言える重要な、」


「へー」


「……へーじゃなくて! こんなの常識でしょう?!」



彼らとの日々も残り少ないが、できれば平穏に、幸せに過ごしたいと思う。





************************************




穂邑ホムラ 伊月イツキはエリートだ。

士官学校を首席で卒業し、檀上で代表挨拶を読んだのは彼女の密かな自慢である。


順風満帆の人生は約束されているはずだった。

むろんこの国が実質的に戦争を知らないから、ではあるのだが。


だが蓋を開けてみればどうだろう。


数年に1度しか新人を迎え入れないという日軍でも最高機密にして最高峰の所属先。

――特務〝四四丸ヨンヨンマル〟機関。


都市伝説のようにただ。

名前だけが独り歩きする謎に包まれたそこから声がかかった時は有頂天だった。


だが蓋を開けてみればどうだろう。


8m四方ほどの窓もない薄暗い部屋で椅子に座り。

代わり映えもしない画面モニターを監視する日々。


こんな誰でもできそうな仕事をするために自分は士官学校を出たのだろうか?

言っては何だがその辺のバイトにだってできそうではないか。


それでも着任1年目は張り切っていた。

2年目は気を張って関連資料マニュアルを暗唱できるくらい読み込んだ。

だが3年目に心が折れたのは誰に責められるものだろう。


だが蓋を開けてみればどうだ。


実に3年。

都合千日以上もこの画面モニターは静かに青白く光り輝いているだけだ。


彼女はここが実質的な窓際部署で左遷先なのだと気づいた。

そう思うしかなかった。


自分の何がダメだったのかわからない。

そこから更に2年、あわせてもう5年目である。

彼女はずっと変わり映えのない薄暗い部屋でモニターを相手に1日を過ごしている。


頃合いだろう、と思った。

自分はそろそろ辞表を出し、恋人を探して家庭でも持つべきではないのか……?


「――ラ、穂邑ホムラ中尉!」


「ひゃい?!」


耳元で叫ばれてはじめて呼ばれていることに気づく。

叫んだのは3年先輩の8年選手、天津アノツ 美代ミヨ大尉。


「えっ、あっ、すいませ、」


「モニタ!」


「え?」


そこで、気づく。


この5年一度たりとも定期記録ログ以外の何も吐いたことのなかった画面が動いていた。

高音の耳障りな警告音アラートが鳴っている。


「え、うそ、嘘?!」


取り乱しながらも指先が動く、操作パネルを叩く。


「く、空間電位観測機クウデンカンソクカン

 ――〝はほがた〟が電位偏差を取得、観測誤差0.007%……、うそ、だって」


ウソクソもあるか! 報告急げ!!」


「は、はい!」



直通回線チョクセン開け!

 渥美中佐に連絡!

 総員第三種戦闘準備!!」


天津大尉が怒声を上げる、平和ボケした部下たちを叩き起こすために。


「――はい!」



ざわめきが室内を満たす。

誰もがここは巧妙に偽装された自分たちの墓場だと信じて疑っていなかった。

9月の、その夏のその日まで。


その彼らが一斉に動き出す。

幻想は終わりを告げ、眠れる〝四四丸〟機関はその日再動した。

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