**8話**
わざわざ連絡を取って面会の許可を得て。
電話で済ませることもできただろうに、吾続 司は彼に会いに来た。
その言葉を、伝えるために。
渥美 聖は笑う。
面白い事になった、と。
予定はいよいよ狂いはじめているが、面白いのは良い事だ。
「――なるほど。
……いいよ。その予定を組もう。
……1つ聞いても?」
要件を述べ、渥美がそれを承諾すると、
その背中に問いを、投げかける。
「なんですか」
「それは誰のため?」
「――自分の、為です」
くく、と意地の悪い笑みが漏れる。
少年の目に迷いがなかったと言えば
確かに迷いはそこにあり、だがそれでも少年は言葉の上では断言した。
「いや、ほんとカッコイイよね司くん。
おじさん惚れちゃう」
「やめてください。
……失礼します」
************************************
全ての準備が整うのに10日かかった。
渥美聖は数カ月ぶりに窓のない部屋を出て、基地の屋上に天体望遠鏡を設置する。
鼻歌交じりに作業を終えて、最近ではろくに見ない手巻きの懐中時計を確認した。
「そろそろかな。
さて、
……楽しみだなあ」
************************************
――吾続 司は、あの夜と同じ場所に立っていた。
折れた木立も、抉れた地面もそのままに。
祖父に与えられた自分の山の中腹、誰もいないキャンプ地に。
あの日と違うのはまず服装。
私服ではなく、要所だけが
もう1つは、
「ツカサ、時間です」
背後からかけられた声の主が誰か、悩む必要はなかった。
この十日間、彼女にも自分のわがままに付き合って貰ったから。
「うん。よろしく、イズル」
「はい、いいえ。
これが自分の職務ですので」
ざり、と地面を踏む音がして。
こちらも誰かは悩む必要はなかった。
だから振り返らずに、告げた。
「はじめましょう、先輩」
「いいぜ、つきやってやるよ、後輩」
無論、そこに立っているのはイェーナ・プファンクーフェン。
服装はあの夜と同じ漆黒のボディスーツ。
20mほどの距離を置いて、一人と二人は対峙する。
各々が立つ位置を囲むように、あの日にはなかったものがもう1つ。
無数の
イェーナが手をかざす。
無数の
「〝
尊い何かに祈るかのように。
「〝
黒金が解け、鎧が纏う。
一人と二人は対峙する。
あの夜のように、あの夜とは違って。
これはあの夜の
赤と緑、燐光が舞い、
「――
「
「
一合目はいずれも右拳。
振りぬかれた拳同士が中間点で激突した。
二合目はともに左の上段蹴り。
右拳が激突した衝撃を利用して跳ね上げた最速の左。
鏡写しだったのはそこまでか、あるいはその後もそうだったのか。
なんにせよ誰もそこから先を意識してはいなかった。
加速された拳が、蹴りが、体当たりが意識を置いてきぼりにして応酬する。
戦いが一合増す毎に、攻撃が応酬される毎に世界が暗くなっていく。
街の明かりは次々と消えていく、Eigisはあらゆるすべてから略奪する。
月光が差す木立のなかで、
『
『黙ってろ』
耳朶に響く骨震通信、
『あちらも二人です、
『――他ならぬ
2組の
だがイェーナは確かに、相棒が指摘したようにあちらにわずかにだが圧されている。
吾続の一族は慣例的に武術を学ぶと言うが、たかは知れている。
吾続 司のそれだけが、町道場では無く吾続 統 少将の直伝だったとて大差はない。
彼は手を汚したことなどないのだから。
蓋を開けてみれば理屈は単純だ。
イェーナは一人、ツカサたちは二人。
なにも感情的な話でも運命的な話でもなく。
それはただの物理の話。
ツカサたち二人の体重を合計すれば、イェーナのそれに倍する。
それを覆う黒金の鎧を鑑みれば、両者の総重量の差は語るまでもない。
出力も密度も変わらないなら、質量が大きい方に軍配が上がる。
これは単なる運動エネルギーの物理法則にのっとった結果に過ぎない。
『聞かせろよ。
なんでおまえはここに居る』
ざり、と地面を踏みしめて
『それは俺が、』
――ここに立つって、決めたから。
『似合わないんだよおまえに
腕を伸ばす。
五指を曲げる。
虚空を掴む。
あの夜と同じように。
――これはあの夜の
『イェーナ、それは』
咎める言葉は困惑に満ちる。
なぜ、そこまでする必要があるのか。
あの夜のように
『後生だ
『……2分、それ以上は許可できません。
――御武運を』
だから、
笑い、そして祈る。
相棒に感謝の言葉を。
『――
「――ツカサ、」
耳元で
不要、
あれがイェーナの切り札だと。
――〝
初撃を
あるいはイェーナがただ一直線に仕掛けたからか。
一撃目は見えなかった。
なら二撃目は見えたかと言えば見えず。
むしろ三撃目から先はもはやそうする余地すらない。
名の通りにまるで雷。
緑の燐光の尾だけを残して影が疾る。
木立に反射して再び、その先で反射して再度跳躍。
衝突の慣性によって木々をへし折る事もない異常な挙動。
あらゆる全てに反射しながら速度だけを増していく、
木立と言う密室の中に成立する即興の殺戮空間。
一際濃い緑光に包まれた五指が触れた場所は抉り取られていた。
無論、司にそれがTausendの〝爪〟だと視認できるはずもなく。
ただ肩に、脚に刻まれた五条の傷痕からそう判断できただけに過ぎない。
「斥力磁場最大、防ぎきれません。
ツカサ回避を――」
返事をする暇はなく、回避など無論のこと全力でやっていた。
磁場と装甲のおかげで直撃を免れているだけだとわかっている。
半歩足りないだけで最低でも四肢が落とされる。
それが首なら一撃死、そして相手はそれを躊躇してすらいない。
――殺す気だ。
何度目かの交錯、燐光の尾すら視界から消える。
不味いと思った時には太腿に激痛、もげてこそ無いが明らかな深手。
意思と関係なく膝が落ちる、脚が止まる。
――緑雷の爪牙が閃く。
回転する漆黒の菱形の名は〝
膝を突いた
そのすべてを貫いてなお五指にまとった爪は輝きを失っていない。
単純に、八枚の〝竜剣〟に腕より太い肩と胴部が引っかかって止まったに過ぎず。
『……ベルクリヒト』
『2分、約束通りです』
その宣言は
鋼の爆ぜ割れる音がして、Tausendが地面に還る。
「――ち、
「確かに全力で相手してくださいとは言いましたけどね。
……怖いわ、この先輩」
Birthday-clothesもまた地面に還り、へたりこんだ司がボヤく。
「あー。
「
「悪かったって」
「次は負けません」
自己主張するかのように
「ばーか。
次も勝たせねぇよ」
「――勝ちますよ、絶対」
イェーナはそれにはなにも言わなかった。
「
「たぶんそうなんでしょうね。
なんとなくわかります、けど」
決めたので、と笑う
「――イズル、手当てしてやれよ。
そいつ失血で普通に死ぬぞ」
************************************
思ったより太腿の傷が本格的にヤバかった。
衛生兵に付き添われ吾続 司が運ばれていくのを、気まずそうにイェーナが見送る。
イズルは自前の軍用鞄に使ったばかりの
「自分は、イェーナ少尉は少し考え無し過ぎると思います」
「……まあ、ちょっとな、うん」
『今更です』
「ベルクリヒトてめぇ覚えてろ」
『仲睦まじく
司くん入院することになったから。
誰かご実家に行って着替えとか貰って来てくれないかな?』
彼女たちの会話に、そう一報してきたのは渥美聖特務中佐だった。
「……」
出流 龍起 特務 少尉はいつも通りの無表情。
だが、言葉を発しないままただ一点に視線を向ける。
『……』
ベルクリヒト・ローエングリン少尉は珍しく無言。
必要な事柄には即座に提案を行う後方支援らしくない沈黙。
「……」
そしてイェーナ・プファンクーフェンは、
「……
数秒の沈黙の後そう言った。
『妥当かと思われます』
「はい。責任は最後までとって頂きたいものです」
「……おまえら。いつの間にそんな仲良くなったんだよ」
呆れたようにイェーナがぼやく、
「はい、いいえ。
それを言うならば自分は。
イェーナ少尉がいつの間にツカサと親密になっていたのかが気になります」
イズルが突っ込み、
『自分はその点について類推可能な情報を有しています。
ですが申し訳ありませんイズル少尉、機密情報扱いですので御理解を』
ベルクリヒトが爆弾を投下した。
「まてまてまてまて類推可能な情報ってなんだまて」
『現在、吾続 司の監視・護衛が自分の主任務です。
そのため、結果的にではありますが。
同僚の
「まって」
『はい。何をでしょうか?』
「いや、あの、は? いや、え?」
『日常会話には日本語を用いてください、イェーナ少尉』
声にならない叫びをあげながら。
近くの若木に抱き着く奇行に走るイェーナ・プファンクーフェンを眺めて。
出流 龍起 特務少尉はいつもの無表情で嘆息する。
――
だがまあ、良いだろう。
肩を並べて戦う
************************************
「あ、イェーナちゃんおっす」
「ども」
吾続家を訪ねたイェーナを出迎えたのは司の姉、
上下ジャージの色気もそっけもない姿で玄関を開けた蒼に、どうぞどうぞと促され。
「適当に上がって上がって。
司の着替えだっけ?
適当にあいつの部屋から持ってっちゃって。
おかん今出てるからさ」
「はぁ。……良いんですか、勝手に」
「え、だって
「はぁ。じゃあ、おじゃまします」
「どぞどぞ」
既に外堀は埋められているというか整地済みなのだが、イェーナにその自覚はない。
さて。
勝手知ったる何とやら、イェーナは
まずはなにか鞄のようなものを。
ぐるりと見渡すがこれ、というものが見当たらず。
仕方なく通学用らしいスポーツバッグを手に取る。
……中身が入っている。
適当に机の上にぶちまけてバッグを空にした。
次に着替えを探す。
着替え。
そこまで思い至って気づく。
ここでいう「着替え」とはいわゆる下着のことなのではないだろうか。
――そうか、下着か。
思わず口に出して発し、自分でその台詞にびくついて周囲を見渡す。
人影はない。
当然だがイェーナ以外の人影はない。
冷静になるべく深呼吸。
ここは司の部屋であるから今深呼吸で吸った匂いは司の――
ばん。と両頬を手で叩いて理性を再起動した。
落ち着け、
気を取り直して。
部屋を見渡す、発見したタンス代わりと思しきアクリルケースを開く。
行儀よく畳まれた柄物のTシャツが並んでいる。
とりあえず3日、いや7日分にしておくか、と適当に引き抜く。
バッグに詰める。
ついでに壁にかかっていたズボンを1本手に取り丸めて同じくバッグに叩き込んだ。
勤めて何も考えないように意識しながらその時点で考えてしまっているのだがシャツの下の段、次のアクリルケースを開ける。
「アイツ、トランクス派か」
そうか。と一瞬沈黙してしまったが、ずっと見ているわけにもいかない。
適当にいいだろ、と手を伸ばしかけて指先が触れるか触れないかの位置で止まる。
いやいや洗濯済みですしそんな緊張する事じゃないでしょ布ぞ?これただの布ぞ?
布である。
まあ、ただの布ではあるのだが。
そこからさらに数十秒かけてどうにかこうにかバッグに詰めた。
下着を。
深々と溜息をつく。
何やら思った以上に疲れてしまっていた。
スポーツバッグを床の上に置いて、部屋を改めて見回す。
最低限必要なものは詰め終えたと思うが、何かほかにないか。
――ふと、視線に引っかかった。
こぎれいに整理された、――先ほどバッグの中身をぶちまけたせいで散らかっているが、机の上に置かれたそれを持ち上げた。
「写真、家族で撮ったのか。
5~6年前かな?」
写真立ての写真に映っているのは奥右に
中央に
蒼が高校生らしいセーラー服姿なのが妙に新鮮だ。
推定時期から見てまだ例の祖父は健在のはずだが、
「ああ、これ
おそらくそうだろう、そんな気がした。
満面の笑みでこちらに視線を向けている司を見るに、きっとそうだと思う。
苦笑しながらバッグに詰めようとして、手が止まる。
最初に目にして気になった時と同じ、うっすらとした違和感。
「……? なんだ? 何が気になる」
自問するが、答えはない。
もう1度写真に視線を向ける。
――
イェーナの知る吾続家の全員が映っている。
過不足はない。
「……なんで右が空いてるんだ?」
ふと、無意識に呟いたその一言で。
自分が感じていた違和感が言語化された。
中央に蒼、その左に司。
司の逆側は不自然に空いている。
たまたま、と言えばそうなのかもしれないが。
まるでそこに誰かがいるのが当然、あるいは居たかのような並びに見えた。
『ベルクリヒト』
骨震通信を相棒につなぐ。
こういったことはあちらが数段得意な分野だ。
『はい。何かありましたか?』
『吾続家の家族構成を教えてくれ』
『――吾続 司の家族構成は、
父、政二。母、碧。
父親が入り婿ですね。
間に子供が二人、姉、蒼と弟である司。
祖父母は既に他界済みです。
親戚縁者まで広げますか?』
流れるように解説する
『それだけか?』
『それだけです。
祖父母以外には鬼籍に入っている家族などもいません。
それがなにか』
『……いや、いい。考え過ぎだと思う』
念のために一応、今見た写真をデータ化してベルクリヒトに流した。
写真立てをバッグに詰めてジッパーを締める。
『――なるほど。
この空いている場所に自分が入りたいと』
『言ってねぇよ!』
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