**3話**
藤宮第三高等学校の通称は、何の捻りもなく
隣接する藤宮第三中等学校の通称は、同じく捻りもなく
藤宮市営の公立校であり、エスカレーター式に進学するのが市民の習いであった。
同じ市内でも連軍基地にほど近いこの地域の人気は低く、仮に転勤や引っ越しで市内に移る場合でも藤宮第一か第二に転入する事がほとんどで、つまり転校生などという存在は藤高においては都市伝説級の
しかもそれが夏休みの中間登校日にわざわざ転校して来るとなればなおさらに。
そしてその噂が朝から校内を席巻しているその時、
不自然な
思い当たる節が1つだけあり、そしてその1つしかないと言う確信が既にある。
つまり、漫画や
――突発型謎の転校生イベントと言うやつであった。
曰く、転校生が来るらしい。
曰く、美少女らしい。
そう言った断片的な情報が流言飛語となって教室を飛び交う度に、司少年は自分の表情が名状し難い相を形成するのを必死に止め、あるいは隠さねばならなかった。
万人が認める美少女か?と問われれば司にはなんとも言い難いところではあるが。
ともあれ可愛らしい女の子である。
さてそんな可愛らしい女の子が。
自分と面識のある女の子が電撃的転校をキメて現れる!
なるほどこれは非常に美味しいシチュエーションではないだろうか。
(漫画やラノベを
と、喜んでいる部分があるのは確かであった。
あったが、同時に素直には喜ぶ事もできない。
当然それはあの渥美という男の言葉が思い出されるからだ。
――摘出後の5年生存率はね。だいたい4%くらいだよ、司くん
5年生存率、というのは『術後5年を過ぎて生きていられる確率』の事だ。
それは帰宅後に改めてネットで調べて確認した。
5年生存率4%
薄ら寒い数字である。
考えたくない数字でもあった。
無論、
だがそこで「軍に入ります」と考え無しに言えるほど
彼女の生命の天秤、その逆側に乗せられるのは自分の命なのだ。
戦争を経験した祖父の存在と、連軍基地を擁する藤宮という土地は、戦争を「世界のどこかで発生している自分には全く関係ない事柄」だと思えるほど、司少年を鈍感には育ててくれなかった。
まして軍事機密云々なる話も耳にしているのだ。
朝から転校生の噂を耳にして以来、ずっと頭の中をグルグルと巡っているのはおおよそそういった内容であったし、結局そのせいで登校日における教師のあれやこれやといった連絡事項は全く頭に入って来なかったのもやむを得ないだろう。
そのあれやこれやが終り、
「アヅ、何死んでんの」
気安い調子でそう声をかけてきたのが誰か、顔をあげるまでもなく司にはわかる。
「あー…、
「転校生が気になってん?」
「……なんでわかんの」
「や。転校生の話題が出る度に
顔を上げると案の定、中学時代からの悪友、
「まじで」
「まじまじ」
「てか
「
ていうか転校生に
さらりと言われて、顔だけ上げた体勢から上半身を完全に起こして松木に向き直る。
「なんで」
「しらね。
なんか屋上から
転校生だし、珍しいんじゃね?」
それは、もしや。
自分が会いに来るのを待っているのではないか。
いや、それは自意識過剰というやつだろうか。
考え過ぎか。
「行くならはよ行け、いつまで居るかわかんねーし。
もう何人か粉かけて塩対応されてるらしいからアヅも塩られ爆死オチ希望」
「うっせ、見てろよ」
悪友の煽りを背に、立ち上がって教室を出た。
少なくとも爆死オチはないのだ、なにせ既に面識がある。
この勝負、勝ちは見えている。
思い悩むべき事柄は多数存在するがひとまず全て棚上げした。
とりあえず。
あの子と話そう、話したい、有象無象の
よし。
屋上に直で突撃する勇気が持てずに1Fの自販機によって紙パックのイチゴオレとカフェオレを買ってしまったくらいは許されるだろう、きっと。
************************************
階段を登り切ると、日頃より生徒が多い屋上に出た。
そも午後の授業のない登校日なのだから屋上に用事のある生徒など居ないはずで。
つまるところほぼ全員が件の転校生目当てであろう事は想像に難くない。
屋上を見渡す。
彼女の姿は見えない。
帰ったのか?
いやそれなら物見遊山の生徒たちが残っているのはおかしい。
つまりどういうことだろう。
疑問には、屋上の生徒たちの視線が雄弁に解答してくれた。
屋上を見渡す司の視線を受けて、屋上の生徒たちの視線が一斉に動いた。
貯水タンクの支脚下、屋上階段家屋の影。
なるほど。
階段を登り切った今の位置では死角になっていただけというわけだ。
覚悟を決め、颯爽と吾続司はそちらに足を踏み出し、
************************************
「……何。なんでイキナリしゃがみ込んでんの」
頭上から困惑気味の声が降って来る。
「いえ、ちょっと。自分の想像力の至らなさに衝撃を受けて」
「何言ってるのかわからないんだけど……。
とりあえず立てば? めちゃくちゃ目立ってるし」
「……そうします」
どっこいしょ、とおっさん風味のかけ声をかけて立ち上がる。
全身が謎の倦怠感に侵されていた。
立ち上がると相手の顔がよく見えた。
思わずしゃがみこんだその前にも当然見たわけだが。
改めて見てもやはり知っている、だが想像とは違う顔だった。
褐色の肌に短く切り揃えられた癖のある金髪。
東洋人離れした顔立ちはなるほど美少女と評されるのも納得できる。
猫めいた大きめ、切れ長の瞳が猫科の肉食獣の印象を与えて来る少女だった。
「ええっと、イェーナさん、でしたっけ……」
「おう。
てか偽名なんてなんでもいいけど
イェーナのボヤきは独語のわからない司にはピンと来なかったが。
とりあえず立ち上がって彼女の横に立つ。
あの夜の印象のせいでもっと年上で、大柄かとも思っていたが。
改めて観察すると実際にはそう年上でもないらしいと気付く。
ブレザー型の制服のタイは1つ上、2年生を示す黄色だった。
実際こうして対峙してみると実年齢もそんなものだろうと思える。
屋上のフェンスに寄りかかって傾いているせいで判断がつきにくいが、背もさほど高い風でもない。
とりあえず何とはなしに右手に持ったイチゴオレ、左手に持ったカフェオレに視線をさ迷わせ、途中でどうでもよくなって右手の方をイェーナに差し出した。
「よかったら」
「おあ? ああ、貰う貰う。ありがとな」
予想外に
視線を上げるとイェーナは既にストローを咥えるところまで行っていた。
動きが速い。
「で?」
「ふぁい?」
「ストロー離して喋れよ。
なんか用でもあったんじゃねーの?
ご丁寧に飲み物まで用意して」
目を細めながら
表情は笑っているが目の奥に灯っているのは明確な警戒の光。
「あー、いや。転校生が来たって聞いたので、その」
「……あ? もしかしてイズルが来たとか思ったのかおまえ」
「まあ、はい、実は」
「来ねーよ。ていうか転校しねーよ」
「はい……」
「あいつ元からここの生徒だし」
「は?」
「あ、違うか。
厳密に言うとチュウガク、か?
隣の敷地だな確か」
呆れたように呟いて、それで警戒するだけ無駄だと思ったのか瞳から鋭さが消える。
咥えるだけ咥えて吸っていなかったイチゴオレを吸い上げ、
「アッマ! なにこれクソアッマ、そっちと変えろ」
反応する前にイェーナは動いている。
カフェオレをもぎ取られてイチゴオレのストローを口に突っ込まれた。
「うっへ、こっちも甘……。
まあいいや、こんくらいならイケる」
えっ何されたのこれ間接キスというやつでは?いやまってほしいここで赤くなったり慌てたりするのはダサいのでは?相手が気にしていないのだから余裕をもって行動すべきなのでは?
「……んで? じゃあもうアタシには用ないんじゃないの」
冷静になった。
「えぁ。いや、元から用ってほど用があったわけでもなくて。
というかあの、もう一人の方も転校して来るんですか」
「? ……ああ、ベルクリヒト?
ないない、あいつがガッコとか来るわけない。
そもそもあいつ運用形態からアタシと違うし。
信じられるか?
アタシあいつの顔見た事ないどころか会った事すらないんだぜ、おかしいだろ」
「それは、普通なんですか……?」
「さー? まあ
しまった、という顔になって喋りかけたなにがしかを打ち切ってイェーナが黙る。
おそらく機密に関わることを口走ったか、口走りそうになったのだろう、たぶん。
「……ていうか、おまえ何なんだ?」
「え?」
唐突なイェーナの質問に言葉に詰まる。
転校して来るくらいだし、個人情報はすっかり知られていると思っていたのだが。
いまさら何を聞かれているのか想像もつかない。
他の生徒に聞かれないようにだろう、
「――アタシがオマエを殺そうとしたの、忘れてんのか?」
耳元でささやかれた言葉に、体温が一気に数度くらい下がったような感覚に襲われるが、それもほんの一瞬の事だった。
離れていく彼女の横顔は年相応の少女のそれにしか見えず、もうあの夜のような、皮の裏の一枚裏側を炎で
「……覚えてますよ。
でもあれ立場でしょ、別に殺したかったわけじゃなくて、
「殺したかったけど?」
「……」
「ベルクリヒトのやつが止めに入ってなかったら、
「――まあ、だとしても。
俺もアレにのったんで、わかるんで。
なんていうか、アレ、そうなりますよね?」
司の言葉に、イェーナ・プファンクーフェンは目を細めた。
一瞬だけ、何とも形容しがたい表情を作り、そして歯を見せて笑う。
「……馬鹿じゃねーのオマエ?」
「って言うか負ける気しませんし」
「んにゃろ、今すぐブッ殺、
『Zamiel an Kaspar.Das nächste Opfer ist eingetroffen.
Wiederholen Sie.Das nächste Opfer ist eingetroffen.』
言い切る前に、母国の言葉が割り込んでくる。骨震回線経由で耳朶を叩いた
先のような驚きと友愛のそれではなく、口元に浮かぶのは肉食の狩猟者の
『Kaspar, Jawohl.
Ich hasse diesen Code so sehr.』
同じ骨震回線で短く応酬し、イェーナ・プファンクーフェンは吾続司の手を握る。
「ちょっと付き合って」
「は?」
「2人きりになれるところ教えてよ」
「はぁ?!」
遠巻きに、見てない風を装って2人の挙動を見守っていた生徒たちがざわめく。
――おお転校生が手を。
――さすが海外は大胆。
――あいつ誰だよ?
――確か1年の吾続でしょ。
――爆発しろ。
群衆が発するざわめきを背に受けながら少女は振り返りもしない。
学生ゴッコはひとまず終わり。ここから先は軍人としての時間だ。
「えっ、ちょ待っ」
「足止めんなオトモダチ巻き込みたくないだろ」
「は」
少年の手を掴んだまま少女は足を止めず頭に叩き込んでいる周辺地図を精査する。
階段を一目散に駆け下り運動場を駆け抜ける。
高校の敷地はさっさと出てしまった方がいいだろう、最寄りの出口は裏門か。
なら学校裏手の森林公園にでもと、ひとまず交戦地点として第一候補を脳裏に描く。
「巻き込むって」
「危機感ないのかオマエなんで
「――、」
「囲まれてる、飛ぶぞ」
裏門を出た時点で、
あまり目立ちたくはないが一般学生を巻き込むわけにもいかない。
少女は無造作に少年の腰と背に手を当ててがっしと抱え込む。
俗に言うお姫様抱っこの体勢。そして、
「は、ちょ飛」
――ガードレールを蹴って高々と跳躍した。
視界が回転する。
空中で一捻り入れながら校舎裏手の木立を飛び越え、森林公園に着地。
混乱しているのか吾続司が首筋に縋り付いて来ていて少しくすぐったかった。
もっとも、状況はそれどころではない。
周囲にはどこにでもいそうなスーツ姿のサラリーマンや、買い物帰りの専業主婦らしい人影が多数。もっとも、それが偽装なのは既に分かり切っていたし、相手側も隠す気はなさそうだった。
空から降ってきた高校生の男女に驚く人間が1人もいない。
一般人ではない兵士の姿も見えるし、既に各々が
既にこの公園は逃走経路として予想済みで、派兵も完了していたと言う事だろう。
「ハハ、オモシロ。
この程度の数と武装でなんとかなると本気で思ってンの?」
その笑みは猫科の肉食獣を思わせた。
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