**1話**
司は統が、祖父が大好きだった。
遠い過去の戦争を知るその老人は、老いてなお生命力に満ちていた。
夏毎に少年を誘い、自らの所有する山に登った。
食用になる草木を教え、野の獣を狩り、調理法を教えた。
星空を共に眺め、星座と星の名を教えてくれた。
――その祖父はもういない。
ごろりと寝返りを打つ、寝袋からはみ出てしまうが気にはならなかった。
来る度に祖父と、伸びかけの草を払った思い出が蘇る。
思えば夏以外にも祖父は1人、この山に登って草を刈っていたのだろう。
除草剤の1つも撒いていたかもしれない。
さもなくばこんなにもこの場所は綺麗ではないはずで。
そんな事にすら1度だって気づきはしなかった。
頬に触れる短い青草の匂いが癇に障る。
夜が明けたら草を払おうと思った。
祖父の居ないこの山は、もう司以外の誰も手入れをしないだろうから。
空を眺める。
祖父はもう居ないのに、この星空は変わらず奇麗だ。
「……うん?」
どこか、遠く。
尾を引く甲高い音が響いている。
打ち上げ花火か?と思ったのは一瞬だ。
夏祭りにはまだ早いし、毎年花火が打ち上げられる河川敷はこの山からは遠い。
「
見上げた空に光が見えた。
思考は一瞬で打ち切られる、その
こちらに落ちてくる。
思った時には身体が動いていた。
軍人だったという祖父の教えは
危険からは遠ざかれ。
立ち上がり、原っぱを駆け抜けて木立に走る。
木陰に駆け込めば最低限の遮蔽は取れるだろうと反射的に考えていた。
――光が、見上げた視界を横切る。
落下位置はここではない、頭上を越えて地面へ、司のボロい愛車の上に落ちた。
――凄まじい振動、一瞬の間をおいて轟音が耳を叩く。
「な、……うっそ」
だろ?とは呟き切れなかった。
60度ほどの角度で落ちてきた流れ星は。
愛車を完全に、完膚なきまでに粉砕していた。
人類が石油燃料と半ば決別してはや70年あまり。
電気自動車は爆発炎上の危険はほぼないが。
ピンポイントに落ちて来て粉砕してくれるとは何事か。
それはいくらなんでもあんまりだろう。
泣きっ面に蜂の
だが、司の体を震わせたのは落星の衝撃でも不運への怒りでもなく。
「なんだよおい」
ほぼ全壊した愛車の上に横たわるそれ。
衝撃で倒れた
(なん、は? 人? 人間?)
目視身長2mほどの、ひとのかたちをしていた。
いや、果たして人なのか、いや人間なわけもない。
高空から飛来落下し自動車を完膚なきまでに損壊させてなお、
人型を維持できる頑強な人間がいてたまるものか。
流星の輝きが失せて夜は暗闇を取り戻しており。
暗闇に再びなれはじめた眼球はそれの姿をあらわにしつつあった。
でかい。
最初に出た感想はそれだった。
身の丈で約2m超、だが縦にだけでなく横にも大きい。
ずんぐり、がっしりと言った表現が相応しいだろうそれ。
目を凝らす。
一目散に逃げるべきだと本能と祖父の教えが全力で警告していたが、
少年特有の好奇心はその影に吸い寄せられて離れない。
それを司の語彙で表現するなら、一言でいえば〝鎧〟だった。
全体として肉厚だが関節部と思わしき部位は一回り細い。
およそ生物的な
さらに目を凝らせば、細かい意匠のようなものも見て取れた。
いつか祖父に連れられて訪れた博物館で見た、武者鎧にも似て。
だがそれよりももっと飾り気がなく、流線と鋭角に描きなおされた
それが、もしも鎧だとしたら。
想像力がその先に行きつく前に現実は回答を示す。
ばき、と。
鋼の爆ぜる音がした。
ぎ、ぎ、と軋みながら人型が身をよじる。
ゆで卵の殻が落ちるように剥離する金属片。
胸甲が、そう、甲冑の胸が、花開くように押し上げられた。
細い腕が伸ばされるのが見えた。
月光に照らし出されたそれは細く、白い。
――女の腕だった。
呆然とする司の目の前で、それは爆ぜ割れた鋼の
ずるりと、立ち上がった。
両腕と首から上だけが月光を照り返して白く輝く。
風になびくのは黒髪。
体型を浮かび上がらせる黒いボディスーツに身を包んだ少女。
誰?とか何?とか疑問はあてどなく湧き上がっていたが、
司は迷う事無く木陰を出てその少女に歩み寄り始めていた。
何者かはわからないが、その少女の口元に血が見えたからだ。
事情も状況も何もかもわからないが、怪我をしている。
「おい動くなよ! 怪我してるんだろ?!」
少女の首が
視線が泳いで
そこではじめて少年の姿に気づいたのか、少女の眼が真ん丸に見開かれる。
それでもう司の中に芽生えていた危機感は消えて失せた。
こちらを見て驚くなら人間だろう、それで年端もいかない少女で、けがをしている。
となれば事情も理屈も後回しだ。
「ええと、言葉判るか? 怪我してるんだろ、下手に動くなよ」
見た限りでは日本人、少なくともアジア圏の人種に見えた。
言葉は通じると思いたい、司は日本語以外はろくにわからない。
「……、誰?」
ぐい、と左手で口元を拭ってから少女がそう問う。
それはどちらかと言えばこちらが聞きたい。
「俺は吾続司、君は?」
「――イズル。アツヅツカサは、何」
思ったよりすんなりと、普通に
慌ててその場を離れるような気配もない、なら近寄っても爆発したりはすまい。
と雑に判断しながら、そのまま足を止めずに歩み寄った。
「何、じゃなくてせめて誰?にしてくれよ……」
甲冑だか鎧だかよくわからないそれに手をかけてよじ登る。
直に触れられる距離まで近づいたせいか少女が眉を顰めた。
さすがに警戒心が湧いたのだろう。
視線を動かす、見た限り目立った外傷はない。
「怪我は? 血、吐いてたろ」
「? くちのなか、少し切っただけ、大丈夫」
「それは大丈夫って言わないの、他には?」
少年の重ねての問いに、ふるふると小動物めいた動きで少女が首を振る。
横に、だ。
つまり特段、他に怪我はないという事か。
思わず、深々と息を吐いた。
「心配、してくれるの?」
「悪いかよ」
思わず出た悪態に、またふるふると少女が首を振る。
「うれしい」
「……そりゃようござんした」
そこまでやりとりしてから、言葉に詰まった。
いかんせん状況がおかしすぎて、何を言えばいいやら思いつかない。
「あ、」
「あ?」
「アツヅツカサ、逃げて」
「は?」
その時やっと、司もそれに気づいた。
少女の視線は
音が、さっきと聞いたばかりの音が聞こえた。
首をねじって視線を動かす。
見えたのは2つめの流星。
先と同じ、轟音、衝撃、振動。
落下地点はほど近い木立の中だ。
唖然としている間に次の出来事が起こった。
ばき、と生木を折る音がして。
細枝を手折る気安さで立木をへし折りながらそれが姿をあらわす。
目算で高さ2m超、漆黒の人型には見覚えがあった。
つい先ほど似たようなものを見たばかり。
それは当然のように少女を包んでいた
デザインの細部は異なるが受ける印象は同じ。
和風めいた印象を与える少女のそれと異なりそれは西洋風の意匠ではあったが。
最大の違いは
時折薄っすらと緑の
「な、」
『おー、居た居た、さすがに死んではないよな、そりゃ』
金属音めいたノイズ交じりの声で、それはそう言った。
『さすがにあれで終わりじゃ味気な、』
音もなく、言葉を中途で打ち切った人型が頭部を滑らせる。
自分を見ている、とすぐに分かった。
緑色の蛍光をまとった瞳らしい部位がこちらを向いている。
『――あれ、民間人? なんでこんなとこに。
ああ、仕方ないな。仕方ない、運がない、殺さなきゃ』
「は、殺」
「させない」
――低く力強い断言が真後ろで聞こえた。
同時、背中に柔らかい何が密着してくる。
「〝
赤い燐光が舞った。
足下が溶けるように崩れ、否、文字通り溶け崩れる。
溶け崩れたのはあの鎧か、そう思った次の瞬間に視界が暗転する。
暗闇に閉ざされたのは一瞬、視界が昼間のように開ける。
次の瞬間、見覚えのある木立の中の原っぱに少年は立っていた。
『は? え?』
思わず口を突いた呟きは先ほど耳にした金属質のノイズを伴っている。
『ハァ? ナニソレ、ナニソレー!
1つの〝
ハ、おもしろいじゃん。
つまんないと思ってたけど面白いよオマエ!』
叫び、緑をまとった人影が大地を蹴る。
状況は司の理解を置いてきぼりにして進行。
一瞬で人影が視界を埋める、――衝撃。
『ちょ、なんだよこれ?!』
気づけば視界が切り替わっている。
(なんだ、吹き飛ばされ、た?)
「ごめんなさい、あなたの方が
――
耳元で声がした。
それが
右手を持ち上げて視界に入れる、見覚えのある漆黒の腕が見えた。
わからないが、わかった。
今自分は少女を背負ってあの鎧の中にいるのだ。
何1つわからない、わからないが、わかる。
湧き上がるのは意味の分からない全能感。
ああ、わからないが、わかる。
自分は、戦える、その
『ハァン? 見掛け倒しじゃないわけか。
結構本気で殴ったんだけど元気そうじゃン。
……でェ?
緑光をまとった漆黒の人影、――〝Tausend〟が一歩踏み出す。
『失敗作の癖にさァ?』
その言葉に、背中に張り付いた少女の身体が強張るのを感じ、そのせいで身体は無意識に動いていた。
やったことは単純明快、駆け寄って殴る。
それだけだ。
だがその結果は
〝Tausend〟の巨体が水平に吹き飛び数本の若木を圧し折って木立の中に消える。
自分もまた漆黒の巨体に身を包んでいるはずなのに、異常なまでに身体が軽い。
しかしながら驚きはない、そのくらいはできるだろう。
なぜだかできて当然だというまるで脈絡のない納得がある。
爆音めいた踏み込みの音と同時、木立を突き破って〝Tausend〟が飛び出してくる。
見え見えだよ、と口内だけで呟いて身体をよじる。
突き上げの掌底が〝Tausend〟の頭部を打ち抜いて再び巨体が宙を舞う。
振り抜かれたはずの拳は〝
『おまえの〝Tausend〟相手に、なんだって?』
嘲笑の
怖さがない、負ける気がしない、危機感を感じない。
『……
無様に転がった〝Tausend〟が跳ね起きて叫ぶ。
その言葉の意味はわからなかったが、怒りと屈辱に満ちた罵倒なのは理解できた。
今度は〝Tausend〟は無策に突っ込んでは来なかった。
がぎ、と。
右手を横に伸ばす、何もない虚空の何かを掴むように五指が曲が――
『
……それと会話には日本語を使えと言われているはずですが』
唐突に響いたのは第三の声。
何かを掴み取ろうと伸ばされていた〝Tausend〟の、イェーナの手が止まる。
『……ベルクリヒト。今、
『ええ、しました。
イェーナ、わかっているはずです。
たとえあなたでも、私には、〝
一瞬の間があった。
だが結局、それは
伸ばされていた手がだらりと下がる。
『――
だけどあっちにも言ってくンない?
武装解除した途端ブン殴られたらたまらないんだけど』
『了承。
〝
武装解除を要求、15秒の猶予を与えます。
イェーナもあなたたちも武装解除を、』
『待ってくれ、あの、』
『なにか?』
『脱ぎ方がわからない……』
『……』
ばき、と鋼の爆ぜる音がした。
砂のように崩れて水のように地面に広がったのは〝Tausend〟だったもの。
残るのは
褐色の肌とくすんだ金髪の西洋人。
「帰るわ」
呆れたように漏れた呟きは、金属質のノイズを含まない、イェーナの肉声。
後に残されたのは〝Birthday-clothes〟。
『いや、あの、どうやって脱ぐの、これ』
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