第3話 堕ちて、堕ちて、離さないで

「い、や、だ♡」

 艶のある声で笑う咲来さくらは、夕風になびく髪の毛も相まって、とても綺麗に見えた。いつもよりも大人びていて、なんだか怖いくらいだった。

 どうしたの、咲来?

 なんだか怖いよ、なんでいきなりキスなんてしたの、なんでそんな目でわたしを見るの? ねぇ、なにか言ってよ、どうしていきなりそんなに静かになるの?


 何秒経ったのだろう、何分経ったのだろう、時間の感覚なんてなくなってしまうほど胸を苦しめられた頃、咲来は「あたし、離れないよ?」と呟いた。

「あたしたちってね、すっごく気が合うと思うんだ」

「え?」

「だって、悠里ゆうりちゃん、あたしのこと嫌いでしょ?」

「えっ、いや、そんな、」

「隠さなくていいって。あの期末テストのときから、ずっと嫌ってるでしょ? 誘ったときの態度とか、遊んでる最中の顔とかですぐわかったよ」

 何もかもお見通しだっていう風に、咲来は自嘲気味に笑いながらわたしの顔を見つめてくる。その顔は、太陽みたいに見えるいつものそれとどこかが違っていて。

 にっ、と歪められた目は、夕日の色に赤く染まって、どこか蠱惑的で、どこか不気味に見えた。


「あたしもだよ?」

 そんな目に吸い寄せられていたから、咲来の言葉の意味が少しわからなくて。「え?」と聞き返したわたしを、また咲来はせせら笑った。

「あ、た、し、も、悠里ちゃんのこと、嫌いなの。だーい嫌い♪」

「…………は?」

 そんな、嘘でしょ、だってあんなに優しい態度をとってて、見下してるとは思ってたけど、それはシンプルな、程度の見下しだと思ってて、ていうか遊びにも誘ってきて、あんな楽しそうにしてて、今日だってわたしの気持ちなんてまるで無視して楽しく遊んでたじゃない、そこまでしておいて嫌いってなに? 意味わかんないよ!


 怖い、目の前にいる子が、すごく怖い。

 思わず距離をとるわたしを見て、咲来は少しだけ寂しそうな顔をしてから、呟いた。


「初めて会ったときね、あたし、悠里ちゃんのこと羨ましかったんだ。あぁ、この子は、無理に自分を変えたりしないで、そのままでいられてる子なんだ、って」

「え? 何言ってるの、それ、わたしの台詞、」

「ううん……あのさ、悠里ちゃんがあたしにどんなイメージ持ってるのかだいたいわかるんだけど、そんな子いないよ? こう見えてもそれなりに努力してるんだよ、どんなもの観たら話合わせられるかなとか、今どういうのが人気なのかなとか、ずっとずっと気にしてるの。じゃなきゃ話し相手もできないし、そうなったら終わりだもん。どんなに他のことができたって、友達作れないと、苦しくて、押し潰されちゃうの」

 そう語る咲来の目が、暗くよどんで見えた。なに、なんでそんな目をしてるの? そう訊きたいのに、訊くことすら躊躇われてしまう。彼女のに触れていいのかわからなかった、触れてしまったら、何か決定的なものが壊れてしまいそうな気がして、怖くて、一歩踏み出したら真っ暗闇に堕ちてしまいそうで。


「だから、悠里ちゃんといるの、最初は楽しかったんだよ? あぁ、あたしでもこんな完璧そうな子に教えられることがあるんだって、自分だけでちゃんと完結できてる悠里ちゃんに、あたしなんかが影響を与えられてるんだ、って。

 でもね、だんだん見てるのが苦しくなってきたの。だって、悠里ちゃん気付いてなかったかも知れないけど、悠里ちゃんに友達ができないのって、勉強が出きるだけのつまらない子だからじゃないんだよ? 悠里ちゃんはね、悠里ちゃんひとりだけでちゃんと完成されてる子なんだよ。だから周りは近寄れないの、だから、悠里ちゃんは今までひとりだったんだよ」

「なに、言ってるの? 怖いよ、咲来……」

 怖かった、目の前にいる、わたしのことを嫌いだという女の子のことが、ただただ怖かった。わたしのことを“完成された”なんて形容する人なんて、今まで現れなかった。いや、そもそも完成なんてされてるわけない、わたしは不完全で、未熟で、そんなのわたしたちくらいの年齢になれば誰だってわかる――わたしだけじゃない、“完璧な誰か”なんているはずがないのに。

 なのに、咲来の目は、暗いまま純粋な輝きを放っていた。心底からわたしを“完璧”だと思い込んでいる、そんな目をしながら、咲来はいつの間にか腰を抜かしていたわたしを見下ろしている。


「あたし、わかっちゃったんだよね。あたしは、たぶん悠里ちゃんのところに行きたかったんじゃないって。だって、あたしみたいに周りばっかり見てるのが行けるわけないもん。そうするとね、苦しかったの。

 完璧なあなたを見せつけられることがつらかった。あなたの向けてくれる笑顔に蔑みが混ざってないかって思うようになって、そう思うあたしがどんどん汚く思えて……っ、だから、だから……っ、最初は羨ましかったのに、どんどん、嫌いになってた……っ」

 純粋に、怖かった。

 泣きじゃくりながら、それでもわたしのことをそこまで信奉してくる彼女が、恐ろしくてたまらなかった。

 何が彼女をこうしてしまったのだろう、わからない、わからないことが、怖かった。どうでもいいだなんて、切り捨てられるはずもなかった。

 戸惑うわたしを嘲るように、咲来はそれこそ、花が咲くような笑みを浮かべた。


「だからね、思ったんだ。悠里ちゃんがあたしなしで生きられないようになったらいいんじゃないかなって。ひとりでもいられたはずの悠里ちゃんがあたしに依存してくれたら、あたしといる時間を手離したくても手離せないくらい楽しくなってくれたら……それってすっごい気持ちいいな、って」

「え、なに、それ……」

「悠里ちゃんがしてなさそうなことはすぐわかったもん、誰かと休みの日に遊ぶなんてしてないでしょ、帰りに買い食いなんてのもしてなさそうだし、カラオケはちょっとどうかと思ったけどやっぱりあたしとしたのが初めてだったもんね?」


 全部。

 わたしたちが積み重ねてきた“友達”としての時間が、全部虚ろなものに変わっていく。全部、全部が、わたしのことが嫌いな咲来が、いわば“復讐”のために作った時間だったんだ……その事実を、否応なしに突きつけられた。

「初めての“友達との遊び”、気持ちよかったよね? 楽しかったよね? 夢中になってくれてたよね? それがわかるたびに、あたしも気持ちよかったの、最高に心が満たされて、あなたをあたしで塗り潰せてるようで、本当に……、あぁっ、」

 涙がまだ残る目でわたしを見つめ、頬を紅潮させながら微笑む咲来。どうしてだろう、最低だ、この子。この子はわざと、わたしの今までを壊していた――壊そうと思って壊していたことを、よりによって今になって告げてきた。


 それなのに。

 なのに、今のエゴの塊のような咲来は、今までの作り物めいた明るい人気者の咲来よりも、ずっと、ずっと綺麗に見えて。

 きっと、こんな咲来を知っているのはわたしだけだという実感が、どうしてか心地よくて。


「だから……、絶対に、逃がさない」

 吐息混じりに寄せられた唇から、どうしても逃げられなかった。

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緑の怪物に侵されて 遊月奈喩多 @vAN1-SHing

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