英雄譚

竜殺しの功名

タイラー=ウィルベルを知らぬ者はいないと断言出来るほどに、彼は有名な英雄だった。

 数千年にもわたり人類を脅かして来た邪悪な竜を討伐し、その後は、現代の礎を築く賢人として名を馳せ、今日でも、竜殺し、世界の平定者として謳わる人物であった。


 

 竜の王ロイヤルワイバーンとウィルベル家の長きに渡る因縁が、今日決着を迎えようとしていた。

 この世で、唯一、ロイヤルワイバーンを滅ぼせる武器である“聖杭せいくい”を扱う事を許された家系“ウィルベル家”。その最後の一人。タイラー=ウィルベルが自らを囮として、竜の王を要塞化された台地へと誘い出したのだ。


 ウィルベル家の血が途絶える。それはロイヤルワイバーンを殺せる者が消滅し、人類は永久に竜族に支配される事を意味し、ロイヤルワイバーンの死は、弛まぬ努力の末に進化した人間の兵器と戦術により均衡が崩れ、不利になりつつある竜族にとっては致命的な崩壊へと繋り、人類の征服は永久に頓挫する事を意味した。

 

ワイバーンは、その数千年を勝ち抜いた誇りと同族の繁栄という使命の元、単騎で敵陣へと向かい。

 相対するのは、タイラー=ウィルベル率いる、ドラゴンスレイヤーパーティーの面々。大賢者アイリン=シャロン。巨兵ベヒモス。弓の申し子ドルト=ハナサ。そして、ウィルベル家私兵狩猟部隊“ 破竜団はりゅうだん”が加わり、彼らが決戦のために構築した要塞は、対竜戦の叡智を詰め込んだ。究極の対竜兵器へと昇華されていた。


竜が現れた時、それは最初、太陽の片隅に浮かぶ小さな黒点だった。

 それが徐々に羽ばたく竜のシルエットを形成し始めると、瞬く間に太陽を背に彼らを見下ろしていた。

 竜と要塞の睨み合いはすぐに次の段階へと移行した。

 城壁が囲む中心に一人の人影が踊り出ると、竜に向けて矢を番る。

 竜は、天空からそれを見つけ、ニタリと笑い。大きく息を吸い込んだ。これがこの竜の最強の武器である。火炎放射を行う予備動作となり、緩んだ頬から火の粉が溢れ始める。

 それを見据えたように、どこからともなく汽笛の様な音が響き渡った。


「バリスタ隊! 重鎖じゅうさハープーン発射! バリスタ隊! 重鎖ハープーン発射!」


タイラーの合図が汽笛を通して全団員に伝えられ、空飛ぶ竜に向かって、放たれた無数の鎖付き鋼鉄製ハープーンが次々に襲いかかり、竜と地上を結びつけた。

 夥し数の巨大な銛を受け、みじろぎこそすれど、なおも力強く羽ばたく竜。

「巻き取り開始! 引きずり落とせ!!」

ハープーンの鎖の終端は、要塞地下に設けられた、蒸気動力式巻き取り装置に繋がれ、鋼鉄製の歯車が竜を落とす為一斉に回転させられた。

 されど竜は、この強大な機械の力に拮抗し、銛を抜かせる、あるいは装置の破壊の為により力強く翼を羽ばたせる。


「よく粘るなワイバーン。カタパルト隊! 蛍弾を浴びせてやれ!」


 この命令に備えていた、団員は、即座に竜に“蛍弾”という特殊な鉄球を放った。

 この蛍弾とは、薄い鉄球の内部に、錬金術と魔術で作られた特殊な結晶体を充填しており、爆発すると辺りの空気に反応し、竜の火炎放射に匹敵する高温の放つ爆燃結晶ファイアフライ・リムを撒き散らす兵器で、燃ながら舞い散る結晶が蛍の様である事からそう名付けられた対竜兵器だった。

 竜に命中するなどした鉄球は、結晶を散布し、竜全体を黄緑色の炎が包んだ。

 竜の体を守る鱗はこの高温にも耐え抜いてしまうが、鱗が無く比較的薄い部分である、翼の被膜には十分なダメージを与える事に成功した。

 ここで予想外にも、竜は翼が焼け落ちる前に体を捻りながら翻り、銛の鎖同士を絡め、引きちぎる事をやってのけたが、翼の焼損に伴いついに地上へと降り立った。

 

砂埃を巻き起こしながら舞い降りた竜は、その砂塵では隠し通せない程に明々とした炎を口に宿し、ついに、城壁への攻撃として火炎を吐いた。

 この爆轟すら伴う熱線は、魔術を施した上で土を塗った耐高熱仕様の城壁すらも数秒で溶解させ、貫通した穴から、内部の通路に沿って業火が駆けずり回り、退避していた多数の破竜団を一瞬にして、灰塵すら残さず“焼滅”させてしまう。

 だが、竜もこの攻撃を無闇に乱打は出来ない。体内に持つ炉の温度が上がるまでには数分から状態によっては数十分は掛かる事が確認されていた。

 城壁の窓から、一人の人影が飛び出し、着地する前に竜に向けて矢を放つ。その矢は、竜の目を捉えて撃ち抜き、その奥にある脳にまで達し、身体機能を停止させた。

 この矢を放ったのは弓の申し子と呼ばれるエルフの射手。ドルト=ハナサだった。彼の弓矢は、最新鋭の技術で製造された“機構弓きこうきゅう”と呼ばるプレートアーマーすら易々と撃ち抜く威力を発揮する強力な武器であり、それに加え、ドルト自身が弓の扱いに長けている事でその攻撃力を最大限に引き出していた。

 しかし、竜の王はこの程度で、絶滅する事はない。

 脳に達した矢を、自らの体温で溶かし、脳という生命体の最重要部位へのダメージすらも簡単に回復させる生命力を持っているのだ。

 ドルトは、継矢をする要領で同じ様に脳を狙い致命傷を与え続けることに専念する。

 その隙に、他のドラゴンスレイヤーパーティーのメンバーが、さらにダメージを蓄積させるべく行動した。

 ベヒモスは、その怪力と巨大を活かして振るう大斧で、竜の火炎に次ぐ武器である爪と尾の切断を敢行し、魔法使いであるアイリンは心臓へ杭を届かせるべく、竜の胸部の鱗を無力化に向け強力な魔法攻撃を仕掛けた。

 タイラーは、龍の火炎放射攻撃を封じるべく、聖杭を打ち込むために開発された特殊ガントレット、ペイルランチャーに炸裂杭を装填し、竜の喉の杭を打ち込んだ。この炸裂杭が竜の内炉から口腔にいたる炎道という器官に大きな穿孔をもたらす成果を挙げた。

 この一連の攻勢はおおよそがタイラーの緻密な計画の通りに進んでいたが、その破綻は一瞬の間隙に潜んでいた。

 ドルトが、4本目の矢を放った時、ロイヤルワイバーンは目蓋を閉じ、その皮膚の厚みが矢が脳に達する事を阻害し、回復する猶予を作り出した。


 「クソッ! させるか!!」


エルフの射手は、即座に城壁を蹴り上がると至近距離から急所へのダメージを狙うべく、鎌首を上げる竜の目線にまで飛び上がり、極限の集中力で的を射るべく矢を引き絞る。

 この刹那の間に、一糸を報いたのは竜の王だった。

 強靭かつしなやかな尾が、体側を抜け、空中を舞うエルフの射手の胴を薙ぎ、放たれた矢はタイミングを逃し、竜の目を逃してしまう。

 そして、その射手は、二つの肉塊として地上に墜落した。


 「ドルトォォ!!!」


雄叫びにも似たベヒモスの叫び。

怒り任せて、竜の爪を2本切り落としてみせる。

 タイラーとアイリンの目は、逆さに落ちるドルトの上半身に釘付けになった。

 竜のみが、エルフの事など気にも留めず、忌々しいとばかりにアイリンとベヒモスを一緒くたに叩き潰そうと人が蚊を叩く様に掌で挟み込んだ。

 二人はその攻撃に即座に反応し、魔法の防壁と渾身のタックルで最初の勢いこそ、相殺する事に成功したが、なおも込められる竜の腕力の前に、徐々に劣勢へと追い込まれつつあった。

 唯一自由に動けるタイラーは、二人の脱出の隙を作るべく、敢えて竜の視界の外に出ることで注意を逸らす行動にでた。

 竜を名を呼びながら、側面に回りつつスリングショットで小型蛍弾を撃ち込む。

 末端は音速にすら到達する尾の猛追が、狙いを定まらさせないが、目的通り注意を逸らす事には成功した。

 魔女の防壁は圧壊寸前。だが、この竜に打ち勝つにはタイラーの聖杭と、彼女の魔法による援護が必要不可欠だとベヒモスは認識していた。


「アイリン。許せ」


 ベヒモスが渾身の力で竜の手を押し返しながら、アイリンを防壁ごと蹴り飛ばす。

 魔法使いは吹き飛ばされ、タイラーが注意を逸らしていた事が隙を生ませた事で成功したこの反攻勢は竜を怯ませるに至ったが……これは竜の反撃を僅かに遅れさせ、狙いの正確性を僅かに削ぐ程度の効果しかなかった。渾身の怪力を発揮した直後の巨兵の腹部を爪が捉えてしまった。

 空中に投げ出されながらも、天性の方向感覚で受け身を取り、呼吸を整えるアイリン。

 そんな、彼女が見たものは………命の恩人の瀕死の姿。

 竜の爪が裂いた傷は深く、出血共に臓器の一部が体外へと押し出されるのを既のところで押さえ、片手で尚も戦闘の構えをとるベヒモスだった。

 致命傷を負った彼に、とどめとばかりに薙ぎ払うように爪を立てるワイバーン。

 意趣返しのつもりか、ベヒモス自身に二本の指を切断された右手での攻撃。

 血が喉を逆流する苦しみ、腹わたがうねる激痛すらも耐え、竜の攻撃に合わせて繰り出された拳打が、さらにもう一本の爪をへし折ってみせ、瀕死の男に予想外の反撃を受け、その痛みが竜の王に取らせた行動も……再度の攻撃だった。

 竜は左手で、ベヒモスを叩き潰しにかかる。

 巨兵の頭上から、さらに巨大な竜の掌が襲うが、この一撃をもベヒモスは、片手で受け止める構えを取った。爆発のような衝撃波が走り、ベヒモスよりも先に大地が窪んだが………アイリンの目には、徐々にベヒモスの姿が焼きついた。

 2mを超えた巨大で屈強な兵士が、ただの粘性の液体へと化した、目の前の光景が理解できないまま、竜に目線を戻すと、その頬に炎が程走り……竜が倒れ込んだ。


 「アイリン。大丈夫か!?」


 タイラーが魔女の元に駆け寄り、今一度、態勢を立て直す。

 先程の炎は、竜自身の物でなく、タイラーが穿った傷口に、彼が蛍弾を撃ち込んだ事による内部での発火による物だった。


「タイラー様。皆んな……殺された」


 彼女の嘆きで、ドルトに続きベヒモスまでもが殺された事を知っても、顔色一つ変えないタイラー。


「アイリン! 気をしっかり持て! まだ俺とお前がいるだろう!」


 アイリンの目は虚で、闘争心も生存本能すらも感じさせない。

 ゴツンと音がする勢いで、タイラーはアイリンの額に自らの額を押し付けた。

 この痛みと衝撃で、アイリンの瞳はタイラーの顔に注目せざるを得なくなった。


「アイリン。もう俺とお前だけだ。良いか? “竜の王ロイヤルワイバーン”を討伐したの物だぞ!」


 アイリンからの返答は無いが、まるで夕食は大好物が出ると知った幼子のように、ニヘラッと笑う。


「あなたはそうやって、軍神のように振る舞ってくれるので、私たちは信徒になれます」


 その時、ダウンしていた竜の王は覚醒し、火炎放射を繰り出す。

 これをアイリンが防壁を展開し、受け流す。

 炎道に達する傷口から、爆炎が漏れ、幾分か勢いは削がれているのかもしれないが、そでも尚、驚異的な火力の炎が二人を包み、地面すらも赤熱する程に浴びせ続けられた。


タイラーの計画は既に破綻し、強力無比の竜の王に対し、限られた戦力で挑まなければならない。

 しかし、竜の王ロイヤルワイバーンとて、未だ未経験な程に負傷し、回復力を含めた全ての能力を大きく損耗しており、未だ勝算を確定するには至ってはいない。

 戦況は、誰の手にも無く、勝利は完全な中立を保っていた。


 竜の王が吐き出す業火には、最大の敵を打倒する強い憎悪と強力過ぎる敵を忌避を祈るような想いが混じり、体の限界をも超えた温度に達していた。

 

 竜殺しの一族の末裔とそれに付き従う賢者、そして、竜の王、三者三様に“世界が反転する“ような感覚に襲われ、状況の認識能力すらも失う。



「何が……起きた?」


何故、俺は倒れているのか? 体を襲う激痛の正体は? そして、そもそも……生きているのか?

意味の分からない自問を繰り返しながら、砂塵と水蒸気に満ちた世界の中で、軋む体を気骨だけで奮い立たせると、タイラーは仲間を探す。


「アイリーーン! 返答を! しろ!!」


眩んで濁った視界に、人影が現れる。


「タイラー様……ご無事で………何をしたのですか?」


「恐らく……奴の炎がボイラーを爆発させたんだ。あんだけ馬鹿でかいボイラーに加え、岩盤を削った地下室にあったからな、爆風が真上に抜けたんだろう」


アイリンは歩けていた。しかし、呼吸は荒く、片目と片足には、鉄片が突き刺さっている。


 「お前……俺だけを守ったのか。俺は身体が丈夫な事が売りだぞ? お前は治したほうが……良いぞ」


 「わ、私は魔法使いですから、回復魔法を使いました。痛々しい姿ですが、今は下手に抜いて傷を大きくするよりもこの方が適切な処置なんです。もう余力は少ないので、ワイバーンの死を確認するまではこれで凌ぎます」


 そう言って、手の差し出すアイリン。

 その足首に何かが絡まる。


「アイリン!」


 悲鳴と共に足を引かれて、アイリンが砂塵の中に消えた。

 すぐに後を追うと、すぐ目の前にこちらと同じくボロボロになった竜の王の姿があった。

 体中に鉄片が無数に突き刺さり、胸から腹にかけて大きく抉られ、内臓すら確認できる。立つ事すらままならなくなっていた。

 瓦礫の山の中をアイリンが、竜の口へと引きづらていた。彼女の足に絡み付いていたのは竜の舌。

 咄嗟に駆け出すが、瓦礫に足を取られ転ぶと、ついに彼女は竜の口へと運ばれた。


 「ロイヤルワイバーン!! 彼女を放せ!!」


 それは、無力で無意味な叫び。だが、頼みを聞く筋合いなどないはずの竜の動きが止まる。

 即座に近くの石を掴み、スリングショットで竜の内臓へと撃ち込む。それと同じタイミングでアイリンは噛みつかれた状態にも関わらず、魔法を唱え、空中に描き出された魔法陣が竜の頭上から真下に光線を放った。

 この連続攻撃に、竜は辺りの砂塵と吹き飛ばじてしまう程の衝撃波を生み出す絶叫を上げ、さらにのたうち回り、咥えたアイリンは放り投げられる。

 がむしゃらに辺りの石を噛みつき始める様子から推測する限り……もう竜は目も見えていないようだ。

 喘ぐような呼吸音とただ痛みにもがき苦しむ姿には竜の王たる誇りは無い。

 初めて狩りに出た時に、矢の当たりどころが悪く苦しんでいた兎を思い起こすようは光景。

 彼の竜の王。その欠損した腕の間から、剥き出しても尚も脈打つ心臓が確認できたが、この時のために心血を注いで開発したペイルランチャーは破損し、聖杭は、先祖たちがそうしてきたように直接手で打ち付けてるしかない。竜は、弱り果て、俺の近づく事にすら気がつかず、その体の肉をかき分けると血の臭いが脳を犯す。骨を避け、ついに人間大の心臓に聖杭を突き立てる。先祖代々が数千年もの間、渇望したのがこの行為。それは恐ろしく簡単に成功した。

 タイラーには、一族の夢を目の前にしても、高揚も何も無く、ただ義務を果たす為に渾身の力で、杭の頭が埋まる程の勢いで打ち込んだ。

 杭を押し返さんばかりに血が吹き出し、脈拍は異様に大きく、早くなる。だが、それも無意味な生体反応だ。

 竜の心臓部から、腕を引き抜き、そのまま踵を返す。

 横たわっていた竜が目を見開き、憎悪の籠もった眼差しで、テイラーに牙を剥いた。

 ワニのように尖った口に鋭く太い牙が歪に並んだ恐ろしい造形を目の前にしても彼は表情一つ変えずに、冷ややかな眼差しを向けた。

 竜の王は、最後の力を振り絞る、頭を擡げると、今まで何度も、幾人もの怨敵を葬ってきた時のように炎を吐き出す構えをとった。

 対する、竜殺しの一族の末裔は無策にも竜の眼前で立ち止まる。

 大きく開かれた口から、放たれた物は火炎では無く、大量の血液と人骨。耐え兼ねた口を閉じても、口の端、喉の傷から衰える事なく血が流れつづけ、ついに竜は、最後の竜殺しの眼前へと倒れ込み、その眼からは憎悪が生気と共に消え去った。


 「お前の所為で、俺は全部失った。あんたも……俺たちの所為でたくさんのものを失ったな。こんな事に何の意味があったんだ?」


 当然、既に事切れた竜は答えず、竜族の末路として急速な腐敗の進行により、肉体は朽ちていき、骨以外の全てが液状化し地へと広がる。

 テイラーは、満身創痍の体を引き摺るようにして、血の海を渡り、瓦礫の山を掻き分け進み、竜の腐敗液の中に倒れる、瀕死の彼女の元に向かった。


「アイリン! 倒したぞ! ロイヤルワイバーンを倒したんだ!!」


 胸が焼けるように痛むのすら、気にせず彼女の元へと駆け寄り、体を抱き起こしながらそっと手を握った。

 片足は喰いちぎられ、どれだけ顔を近つけても、彼女の残った片目は俺を捉えない。


「タイラー? ねぇ、手を握ってよ。とっても寒いの」


 気味が悪いくらいに舌足らずな口調。明らかに異常なのだが、彼女に応えるためにさらに強く手を握る。怪我による胸の痛みとは別に、胸の内側からも酷い圧迫感が込み上げた。


「ねぇ、お願い。タイラー。手を握って? 暗くてみえないよ。顔を見せてよ」


 居た堪れなくなったタイラーは、強引に彼女の唇に自ら唇を重ねた。

 彼女はそれに食むようにして答えると、途端に体が重くなる。

 彼女の最後を悟り、同じように自らの終わりが迫っている事を茫然と悟る。

 


ぼんやりとする意識の中、誰かの声がうるさい。


「私よりもタイラーの方が重傷。優先して。

いえ、五感は全て切り離してあります。こう見えても生命活動に必要な機能は全て回復しています。伊達に賢者は名乗りませんので、彼の治療を優先してください。

 ここで当主を失えば破竜団の名折れですよ」


「「了解致しました」」と複数人の声が重なると、腕に僅かな痛みが走り、そのまま意識が途絶えた。



「タイラー。聞こえる? 戦いは終わったわ。目を覚まして?」


「あぁ、だが、犠牲を払い過ぎた。団員もドルトもベヒモスも逝ったのに、俺にどの面下げて生きろと言うんだ?」


「タイラー。やめてよ。人の死や命のあり様なんて簡単に割り切れる問題じゃないわ」


「生き残った。これも耐えがたい罪過だ」


「私も生き残った。だから、20年前の約束通り二人で暮らすの。支えを失い過ぎたからお互い支え合ってね」


「俺たちだけが運良く生き残っただけだぞ。俺たちだけが幸せになろうなんてよく言えるな」


「そうよ。私たちは運が良かった。彼らの想いはもう誰も汲めない。でもね、彼らの所為にして、未来を投げ出すなんて一番ダメな事だと思わない? 生き残った、生き残らされたというのなら、その事実だけは何があっても否定してはいけないわ」


 タイラーは、アイリンの膝枕の上で目を覚ました。


「アイリン………無事……なのか?」


「勿論、魔女ですから。でも、心配掛けてごめんなさい。確かに危ない状態ではありましたので……」


「………」


「………なぁ?」


「はい」


「竜に荒らされた土地を再建しよう。竜の爪痕を消す事も破竜団の仕事だと思うんだ。それで、その後は……全てを君の望む通りにするよ」


「はい、喜んで! ですが、最後の惚気は、歴史家に修正してもらいましょうね」 


タイラー=ウィルベル。彼は英雄だった。

 しかし、彼は生来の英雄ではなく、常に“英雄らしく”振る舞い、それに生涯を捧げた。

 それが、竜殺しの一族に生まれ、竜の王を倒すに至った者の最後の務めだったからだ。

 タイラー=ウィルベル。竜の王を打倒した者。世界に平和をもたらした英雄。

 そう語り継がれる限り、自らの全てを賭して勝利へと紡いだ真の英雄たちの威光が恒久にこの世に留まり続ける事の証だと確信していた故に続けた彼なりの敬礼が、世界の平定として世に広がる事となった。

 

 






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