とある世界線の断片

黒不素傾

来店客

偽りの霊薬


 ドアの軋む音とドアチャイムが、店主に私の来店を告げた。


「いらっしゃい」


 ここは、ハーフエルフが切り盛りする薬草屋で、品揃えの良さが有名だった。

 店主は男性で、長い耳や整った顔の造形はエルフのそれながら、白髪混じりのせいもあるのかエルフにしては老けた印象を受ける。

 そんな店主の声は耳に届いていたが、それよりも店内の様相に心を奪われていた。

 間取りのほぼ全てを敷き詰める薬品棚は迷路のようで、その中に整然と並べられた大小さまざま瓶は、ここに地球上の全ての薬効植物を網羅していてると言われても信じてしまいそうな数だった。

 そして、すぐに我に帰る。薬草医の感性での感激もここにある薬草の品種やその効果も、もう不要な知識だ。欲しい物は決まっているので、探す手間を省いて店主のいるカウンターにへと向かった。


 「このリストにある品が欲しい。ここでなら手に入ると聞いて来た」


 店主は、メモ用紙を受け取り、鼻にかけていた老眼鏡を押し上げるとリストの内容を指で追った。

 そのリストの内容は、私の欲しい物を正確に反映していない。真意を悟られまいといくつか不要な物を載せてあるからだ。


 「身分証明書の提示をお願いします。あと使用用途と署名もですね」


 欲しい物のいくつかは、致死性の毒素を持つ植物なので当然それなりの手続きが必要なのは予想していた。

 王国魔術士会薬学研究課の印付きのネックレスと薬草医ギルドの紋章の入った指輪を掲示すれば、それだけ身分の証明は事足りた。使用用途も“薬効植物の研究”と書いてしまえばそれ以上の追及はされない。

 滞りなく、身分と署名の確認が済み、店主は品物を揃えるために棚を探して始めた。


 「そういえば、お客さん。魔術士会の薬学研究課はここの支部ですか?」


 こう言った無駄な会話は大嫌いなので、無視をしたいが………彼に少しでも変な疑問を持たれると厄介なのもまた事実。


 「……はい。王国魔術士会薬学課東部支部の所属です」


 店主が、奥から移動式の梯子を取り出し、薬棚の上部から一つの小瓶を取り出した。


「東部支部ですと、バレンタイン伯爵はお元気でしょうか? 少し前までは週3日は来てくれていたのですけが、最近は見かけおりませんので……」


 一瞬本気で迷わされた。支部には、伯爵、伯爵夫人の付く身分の者が三人いたが、どれもバレンタイン性では無い。メンバーは把握しているので知らないという事も有り得ない。


 「バレンタイン伯爵? 聞き覚えがありませんね」


 「えぇ!?……あ、あぁ! 彼は、錬金術研究課でした。すいません、勘違いです」


 面倒臭くてため息が溢れる。脳にまで老いが回っているのであれば話しかけないで欲しい。

 店主は、申し訳なさそうに肩を竦めつつ、棚の奥から2本目の瓶を取り出すと、次の棚へと移動した。


 「薬草科、薬草科。そうそう、お嬢さん。支部内ではロウヘッドのヘンリーには気をつけた方が良いですよ。優秀で、顔もよく、出身も名家ですが、いかんせん女性との噂が多くてですね。その手の早さときたら、ジルタ産の梟肝ふくろうきもの実の腐敗よりも早いとか!」


 ついには、聞くに耐えない話に嫌気がさして無視する事にした。

 一人で喋ってろと呪う。

 

 程なくして、3の瓶を持って店主はカウンターに戻ってきたので、その場で「必要な物を満たして無い」と咎めた。

 余程脳が劣化しているのだろうか、リストには6種の品が載っていたはずなのだ。


 「あぁ、すみません。このリストの……星見草ほしみそう鷲獅子グリフィンの目、悪魔の毛細根もうさいこんがただいま品切れでして………」


 私の欲した3種だけが狙い澄ました様に品切れ。見せかけの薬棚に油売りの役立たず。

 ………本当に、本当に何もかもがツイてない。


「分かりました。リストを返してください」


 リストを奪い取るつもりで手を伸ばしたが、スッと避けられてしまった。


「……なんのつもりですか? 返してください」


「“微睡まどろみの毒 ”は、精製が非常に困難ですよ」


「…………………ッ!?」


 思わず、声が詰まった。

 隠していたものが露見していたという事実はそれ程までに衝撃的だったからだ。


「ご存知かも知れませんが。この毒は製造に失敗していても、“目的”は達成されます。ですが、“微睡む”事はありません。重度の神経麻痺が数ヶ月続いた後、心臓に達するか、末端神経から溶けていく激痛のショックで死ぬかのどちらかです。

 それに、鮮度が落ちやすく、その場で服用しなければ確実性を急速に失いますので、毒殺には不向きですよ」


 「人に使うつもりはない」とこの段階でやっと声が発する事ができた。

 たが、驚きで頭の回転は著しく鈍っていたらしい。これでは“私が死ぬつもりだ”と宣言したようなものだ。

 本当なら理由はどうあれ、手続き済んでいて、物を売りたい者と物を買いたい者がいればそれだけで経済は回る……はずだ。馬鹿なお節介焼きなど消費活動の妨げ以外の何者でもない。


 「とにかく隠しているのなら、寄越せ」


「別に意地悪をしてるわけじゃありません。クズがどこで死のうが、誰を殺そうが関係ありませんので。クズはクズ同士で殺し合ってくれれば構いません。ただ、本当に、第一種薬効植物を載せた荷馬車が書類不足で止められていまして、届くのはになります」


「明日……待て、私が………クズだと?」


「あ、いえ、貴女に限った話ではありませ………」


「黙れ! キサマッ! ごときまでが! 私を用無し呼ばわりするのか!! お前なんかに! なにが分かる!!?」


「お客様。大声を出すのはやめてください。こちらも遥か昔からこの店、この場所に永遠に奴隷として囚われている存在にしか過ぎません。明日の昼頃には確実に入手しておきますので、今日のところはお引き取りください。利益の無い会話をしますと、私どもが罰を受けてしまいます」


「どうでもいい! 男なんか! 全員罰を受けろ! 地獄に落ちろ!!」


 正直、なんで自分が怒鳴っているのか分からなかった。感情は制御できず、耳には、未だに、“私が心底愛していた男”からの罵声が幻聴にも関わらず鮮明に響き。辛くて死にたくなる。

 痛覚神経なんぞ無いはずの心の臓がズタズタに引き裂かれたように痛むのが辛く、死にたい。


 「お、お客様。明日、またお越し下さい。今日のところは、これでお納め下さい」


 店主はそう言って、小さな酒瓶を渡すと私を半ば強引に店から連れ出し、すぐに店を閉めってしまった。

 閉店と書かれた看板を見て、遅れながらに状況を把握し……先程の狂乱ぶりに我ながら顔が青ざめる。

 いつの間にか持っていた酒瓶は、リンゴ酒で、やるせない気持ちに負け、道端にも関わらずそれで自棄酒をした。

 美味しい反面、なかなかアルコールが強く一口目で、胃に落ちたアルコールが頭に登って行き、脳を軟化させたのが分かった。


 「店で……暴れるなんて最低だ」


 あの店主は呪いで魂を囚われているのだろうか。考え方によっては私をなんかよりも不幸かもしれない。


「私は……不幸というよも馬鹿だ。少し顔の良い男のありきたりで歯の浮くような台詞にいちいちときめいて………だから、遊ばれた」


 分かりきった事を言葉に出すと、心が壊れているのか、一気に涙が溢れ始め、思考はさらに止めどなく暴走する。

 どうせ、死ぬなら……せめてあいつのアレは引き抜いてからにするべきか……

 支離滅裂な思考のままもう一口と乾いてもないのに喉を潤す。

 怒って、喚いて、泣いて一周回ってどうでも良くなってきた。男なんていくらでもいるのだ。

 なんならさっきの店主も、長身でスタイルが良く、年の割にそこそこいい感じだった。愛の力で呪いが解ける御伽噺のような展開だってあるかも知れない。


「あ」そう言葉が溢れたのは、ある事を思い出したからだ。「最近出来たお店なんだけど、品揃えの良さが売りの面白い所がある」私は、友人からそう聞いてあの店に訪れたのだ。

 つまり、彼の言う『遥か昔からこの場所に奴隷として囚われている存在』とは矛盾する。

 リンゴ酒の残りを飲み干して、空瓶を地面に叩きつける。


 「嘘つきの雑種ハーフエルフ野郎め! お前の店なんか二度と行くかっ!」

 

 悪態をつくも、同時に彼の考えも悟れてしまう。恐らくあの店主は、リスト帳に書かれた、素材の分量から私の作ろうとしている物が毒薬だと推測したのだろう。

 実際に、私は“微睡の毒”という猛毒を服用して夢現な最後を遂げようと画策していた。それほどまでに自分を追い詰めていた、私を救うため、自殺するのを止めるために、あのハーフエルフは私の感情の矛先を狂わせるように行動したのだろう。

 見方によっては、命の恩人とも取れる……が。

 どうしても、やり口が腹だたしくて堪らない。


 ぼんやりとした頭で小一時間考え続けた結果、報復として、まずは薬学研究課のトップまで登り詰め、国家権力を盾に使える身分を手に入れる。

 そして、彼の店で一番嫌な上客になって戻ってくると誓った。


 酔いの所為で足元はふらつくものの、奮い立った意思は揺るぎなく、一抹の淀みもなく誇りと活力を取り戻した。

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