第13話


 熱は下がってきたようだ。

 戻したせいか、少しすっきりした。


 スマホが鳴った。モトヤマさんからメールが来た。

「大丈夫? 何か食べた? 今、例のコンビニにいる。何か買っていこうか?」

 お腹がすいていた。サンドイッチを食べたい。タマゴサンドを食べたいです、とメールを送った。

 すぐに返事が来た。

 コンビニからアパートまでの道順と、私の部屋の番号を、メールで伝えた。


 え? モトヤマさんが、私の部屋に来る?

 冷静になって、後悔した。

 布団に吐いたせいで部屋が臭いし、シャワーも浴びていないし、着替えてもいないし、顔も洗っていないし、まだひどい顔をしているはずだ。

 部屋の鏡を見ると、頭はボサボサで、どす黒かった目の下のくまが、黒っぽい紫色になっていた。

 どうしよう。

 嫌われたら、どうしよう。

 急いで着替えた。顔を洗って、髪をなおした。

 スプレーの芳香剤を撒いていたら、玄関のチャイムが鳴った。


 モトヤマさんが部屋に入ってくる。

 別に正夢なんて信じてないけど、ササキくんと一緒じゃなかったことに正直ほっとした。

「思ったより元気そうでよかった。今にも死にそうな顔をしてた、って聞いたから。みんな心配してたよ」

「あ、いえ、はい、すいません。だいぶよくなりました」

「はい。サンドイッチ。タマゴサンドとレタスとミックス」

「ええ、そんなに食べられないですよ」

「明日に食べたらいいよ。はい、これ。カフェ・オーレとスポーツドリンク。サンドイッチにはコーヒーかなって思ったんだけど、体調が悪いのにコーヒーはどうかなと思って、スポーツドリンクも買っといた」

「ありがとうございます。このスポーツドリンク、これとおんなじの、朝買ったんですけど、まだ冷蔵庫にあったりします」

「はは、そうなんだ。まあ、いいじゃない。飲みものは日もちがするしね」


 体調を崩してよかった、と思ってしまった。

 部屋に来る、ということは、嫌われてはいないということだ。

 むしろ、好意をもってくれているから、わざわざこうして来てくれたのではないか。


 そういえば、まだモトヤマさんに猫の写真を見せてなかった。モトヤマさんなら絶対に喜んでくれる。

「そうだ、これ、モトヤマさ——」

「いやあ、実はね、イエナ——」

 同時に話し始めて、お互い中途半端に言葉を止めた。

「あ、すいません。モトヤマさん、なんですか?」

「え、ああ、うん。ちょっと。言っておきたいことがあってね」

 モトヤマさんは、照れくさそうに、微笑んだ。

「実はね、結婚することになったんだ」

 え?

 結婚? 誰が? え?

「つき合ってまだ一年くらいなんだけど」

 え? え?

「一応報告しておこうかなって。お店のみんなにはメールとかじゃなくて、直接報告したいから。それで、何? さっき何か言いかけてたけど」

「結婚?」

「うん、そう」

 モトヤマさんは、微笑んで、言葉を続けた。

「イエナガくんにも、早くいい人が見つかるといいね」


 世界が反転した。見ていたものが、上下逆さまになった。


 頭が真っ白になった。視界が暗くなる。真っ暗だ。

 モトヤマさんは何か言っていたが、私には聞こえなかった。

 しゃっくりを繰り返しているような、ヒッヒッヒ、という声が聞こえてきた。


 私はなんて馬鹿なんだ。何を期待していたんだ。私なんかを好きになるはずがないのに。モトヤマさんが、私なんかを。私なんかを、誰も。誰も、私なんかを。


 窓を開けた。ぬるい風が吹いていた。

 ベランダの手すりに片足をのせた。

 モトヤマさんが、何か言っているのが見える。

 私の後ろにいるモトヤマさんが、上下逆さまに、見える。

 部屋の鏡に私の顔が映っていた。首が後ろに折れ曲がっていた。上下逆さまに。私の顔は、笑っているのか、泣いているのか、自分でもわからなかった。

 モトヤマさんが何か言っている。

 私には、モトヤマさんの声が、聞こえなかった。


 ごめんなさい、モトヤマさん。


 足に力を入れた。

 私は、飛んだ。


 ごめんなさい。


 好きでした。


 さようなら、モトヤマ・アユミさん。

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君が笑えば首も曲がる つくのひの @tukunohino

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