第11話


 深夜。

 お店に来ると、休憩室には店長がいた。店長は私の顔を見るなり言った。

「ちょっと、イエナガさん、大丈夫ですか。すごくきつそうですけど」

「あ、はい、大丈夫です」

「ちょっと待って」

 店長はそう言うと、手にとったシフト表をじっと見つめた。

「なんとか、五時までがんばってもらえますか。五時から私が入りますので」

「え、いいんですか。すいません。申し訳ないです」

「本当は今からでも代わってあげたいんですけど、今日はお昼から入ってたので。それに明日もお昼からなので。さすがにちょっと寝させてください」

「あ、いや、もう、本当にすいません」

「もし無理そうなら夜中でもいいんで電話してください」

 そう言って店長は帰っていった。


 店長と入れ違いにカンダさんが休憩室に入ってきた。

 私の顔を見るなりカンダさんは言った。

「ちょっと、どうしたの、その顔。大丈夫?」

 休憩室の鏡に映った自分の顔を見て驚いた。

 目の下にどす黒い大きなくまができていた。

 これでは心配されるのも当然だ。

「あ、はい。大丈夫です。店長が五時に来てくれることになりましたんで」

「無理しないでね」

「あ、はい。すいません」


 午前三時。

 男女四人組が来た。すでに酔っ払っている。声が大きい。うるさい。頭に響く。

 その四人は、軽い食べものと、アルコールと、デザートを頼んだ。


 午前四時。

 その男女四人組に呼ばれた。テーブルに行くとタクシーを呼ぶように頼まれた。

 女性二人はテーブルに突っ伏していた。寝ているようだ。

 タクシー会社に電話した。つながらない。この時間だと出てくれないこともある。

 三社目でつながった。けれど、二時間かかると言われた。

 ひとまず男女四人組に二時間かかるらしい旨を伝えて、どうするか訊いた。

「なんで二時間もかかるんだよ」

 と、男の一人が言った。

 もう一人の男がスマホを手にとって、言った。

「わかった。それならこっちでどうにかするから」

 私は残っていたクリーンにとりかかった。


 二十分後、その四人組に呼ばれた。

「おい! タクシーはどうなってんだ!」

 と、男が言った。

「え、いや、呼んでないですけど」

「はあ? タクシーを呼んでくれって、頼んだだろ。なあ! 頼んだよな!」

「え、いや、たしかに頼まれましたけど、でも、二時間かかりますけど、どうされますかと訊いたら、お客様のほうでどうにかするということでしたけど」

「おい! 客に口答えするのか! なんだ、お前、ふざけてんのか。二時間もかかるわけないだろうが」

「え、あの、どうしましょう? また電話してみますか?」

「おい、お前、なめてんのか? 客をなめてんのか? こっちは客だろうが!」


「まあまあ、たしかにこっちでどうにかするとか言ったかもしれない」

 と、もう一人の男がスマホを手にとって、言った。

「そんなことは言ってない。こいつが嘘をついてるんだ。客をなめやがって」

 まあまあ、とスマホを手に持った男がもう一人の男をなだめながら、

「じゃあ、今からこっちで調べて、本当に二時間かかるかどうか確認してみよう。それでもし二時間かからなかったら、どうする? 土下座させようか?」

 そう言って、男はスマホを操作しはじめた。

「そうだ。土下座しろ。客に口答えしたんだ。謝れ! 今すぐ土下座しろ!」

 もう一人の男が言った。

「申し訳ございません」

 私はとりあえず頭を下げた。

「おい、なめてんのか? 土下座しろって言ってんだよ」

「二十分で来るって」

 と、スマホを操作していた男が言った。

「ほらみろ。二十分だろうが。二時間ってなんだ。お前は二時間と二十分の違いもわからないのか」

「え、あの、はい、申し訳ございません」

「まあまあ。たぶん二十分と二時間を聞き間違えたんだろう。いいから、とりあえず座って。ここに。正座で。土下座するんでしょ」

 私は聞き間違えたのだろうか。二時間と二十分を。いや、そんなはずはない。でも、そんなふうに言われると自信がなくなってくる。

 私は言われるまま男たちの足元に正座した。

 顔を上げられなかった。絨毯に小さなゴミが落ちていた。掃除機をかけたときに見落としていたようだ。あとで拾っておこう。


 土下座をしたからといって、死ぬわけではない。

 こんなことは、ぜんぜんたいしたことではないんだ。

 私は両手をついて、頭を下げた。

「大変申し訳ございませんでした」

 こんなこと、ぜんぜん、たいしたことではない。

 顔を上げた。男たちは、寝ていた女性二人を、起こそうとしていた。私のことは、見ていなかった。

 耳が熱くなる。手が震えてきた。

 何も考えるな。これは仕事だ。悔しくはない。これは仕事なんだ。お客様に謝ることも仕事の一つだ。これは私の仕事なんだ。感情的になるな。何も思う必要はない。何も考えるな。


 私はしばらく正座をしたまま、もう立っていいのかどうかを決めかねていた。

 男の一人と目が合った。

 男はハエでも払うかのように、私に向かって手を振った。もういいという合図なのだろう。

 立ち上がろうとした。めまいがした。

 こめかみがズキズキと脈打っていた。

 鼓動が激しい。息をするのが苦しい。

 大きく息を吸い込む。吐き気が込み上げてきた。


 ゆっくりと、ホールセンターに戻った。

 お店の外に、タクシーが来た。

 四人組が、お会計を済ませた。外に出ていく。

「本日は大変申し訳ございませんでした。ありがとうございます。またお越しくださいませ」

 いつものように、笑顔をつくって、お見送りをした。


 四人組と入れ違いに店長が来た。

「イエナガさん、大丈夫ですか? 遅くなってすみません。すぐに入りますので」

「あ、はい、大丈夫です。すいません、助かります」


 店長には悪いと思いながら、私は上がらせてもらった。

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