第4話
目が覚めた。朝の九時。
今日は深夜のシフト。
頭が痛い。こめかみの奥がうずく。
眠たい。とにかく、眠たい。
頭痛薬を飲んだ。
夜、家を出るまでスマホでずっと動画を見ていた。何か、もっと生産的な趣味をもったほうがいいとは思う。でも、何かをやろうという気にはならない。
こんなことではいけない、と自分でも思う。
休憩室にはすでにモトヤマさんが来ていた。
「おはようございます」「おはようございます」
「昨日、コンビニで見たよ。ちょうど自転車で帰るところだったから、声をかけられなかったけど」
「え? そうなんですか。コンビニって、あそこの、あのコンビニですか?」
「そう。スニーカーですぐにわかった」
「うわあ、モトヤマさんもあのコンビニに行くんですね」
「うん、知り合いがそこで働いてて」
「あ、そうなんですね。自分はアパートがすぐ近くなんです。自転車だと五分もかからないんですよ」
「へえ、そうなんだ。それはいいね」
「モトヤマさんも、いつもスニーカーですよね」
「うん。スニーカー。靴は、動きやすいのが一番だよ」
「ですよね」
「今日も一日よろしくお願いします」「お願いします」
「今日もがんばろうね」
モトヤマさんが声をかけてくれた。
「あ、はい。お願いします」
シフトインして、夕方のシフトのカワノさんと入れ替わった。
午前一時。
ベルが鳴って、男二人組のテーブルに呼ばれて行くと、
「おい、これを食ってみろ」
と、男の一人が枝豆の皿を突き出してきた。半分くらい残っている。二人とも酔っているようだ。
「いかがされましたでしょうか」
「ここは冷凍だろ?」
このお店は冷凍の枝豆を使っているのか、という意味だろう。
「はい、冷凍です」
「いいから、一つ、食ってみろ」
男の一人が枝豆の皿を私の顔に突きつける。
どうしたらいいのかわからなかったけれど、男はどうやら怒っているようで、食べないわけにはいかなかった。
私は皿から枝豆を一つ手に取り、食べてみた。美味しい。枝豆だ。
「この店はこんなものを客に出すのか」
男が何に対して怒っているのか、私にはわからなかった。
「あの、何か、お気に召しませんでしたでしょうか」
「はあ? 今食っただろ? 凍ってただろうが」
なるほど。枝豆が凍っていたからどうにかしろと、そういうことか。
「申し訳ございません。すぐに新しいものをお持ちいたしますので」
「おい、お前、ふざけてんのか? 今食っただろ? 凍ってただろ? そんなものを客に出すのかってきいてんだよ」
「あ、はい、食べました。私が食べた感じでは、凍ってはいませんでしたけど」
「はあ? 凍ってるだろうが。なあ、凍ってただろ?」
と、枝豆の皿を持った男は連れの男に同意を求めた。
「この店員が食べたものはたまたま凍ってないやつだったのかも」
「じゃあ、もう一つ食ってみろ。これだ」
今度は男が一つ、選んだ。私はそれを食べた。凍ってはいない。
「どうだ、凍ってるだろ?」
「いえ、美味しいです」
「お前、ふざけてんのか?」
「はあ、申し訳ございません。すぐに代わりをお持ちしますので」
「は? ふざけんなよ。こっちは金を払ってんだ。この店は冷凍のものを凍ったまま出すのか? それでいいのか?」
どうしよう。新しいものをもってくるって言ってるのに、何が不満なんだろう。私にどうしろと言うのか。
「まあまあ。新しいのを持ってくるって言ってるんだし、いいんじゃね」
と、連れの男が言った。
「はい、すぐにお持ちいたしますので、少々お待ちくださいませ」
そう言って、私は切り上げた。深夜にアルコールを頼む客の中には、こういう男がたまにいる。私はなぜか男によく絡まれる。面倒くさい。
深夜二時。
またあの老人が来た。
その老人は何も言わずにドリンクバーでコーヒーをいれて、テーブルに着いた。
ほかにお客さんはいなかった。
私は伝票をテーブルに持っていく。
老人の、コーヒーカップを持つ手が震えていた。
「寒い」
と、老人は言った。
「ごゆっくりどうぞ」
私はテーブルに伝票を置いて、老人の席から離れた。
「寒いから、あったかいコーヒーが飲みたい」
と、老人の声が聞こえた。寒い寒いと言っている。
今日はちゃんとお金を払ってくれるだろうか。
私はやりかけのクリーンを再開した。
三十分くらいして老人は帰っていった。お金は払ってくれた。
深夜三時。
今度は別の老人が来た。そのおじいちゃんは白髪がふさふさしていた。
深夜のシフトに入るようになって驚いたことがいくつかある。その一つに、年寄りが多い、というのがある。
田舎だからなのか、ここのお店だけのことなのか、それとも年寄りは深夜に出まわるものなのか、それはわからない。
そのおじいちゃんはビールを注文した。もうすでに酔っているように見える。
ビールを持っていくと、優しそうな笑顔で「ありがとう」と言ってくれた。
「ごゆっくりどうぞ」
と、私も笑顔で答える。
そのおじいちゃんは仕事をしている私に向かって何か話しかけてきたが、私はてきとうに相づちを打ってほとんど聞き流していた。酔っ払いの相手を真面目にしていたら仕事が進まない。
しばらくすると、そのおじいちゃんは泣き出して、
「ねえ、マスター」
と、話しかけてきた。
「いえ、私はマスターではないです」
「違うの? ごめんね。じゃあ、店長」
「いえ、すいません、店長でもないです」
「そうなの? じゃあマスターは副店長なんだ。もうね、本当に、マスターがいてくれてよかった。こうやって話を聞いてくれてよかった。本当によかった。ここに来てよかった」
おじいちゃんは、よかった、よかった、と言いながら泣いている。
面倒くさい。
理不尽なことで文句を言ってくる客も面倒だけど、とくに理由もなく話しかけてくる酔っ払いも面倒だ。
そのおじいちゃんは、その後もしばらく私のことをマスター、マスターと呼んで話しかけてきていたが、そのうちに寝てしまった。
そして朝、私が帰るまで、ずっと寝ていた。
「おつかれさまです」
仕事が終わってモトヤマさんと休憩室に戻った。
「大丈夫? 大変だったみたいだけど」
「あ、はい、大丈夫です。なんか、今日は変な人が多かったです」
「そういうのがあるからホールは大変だよね」
「そうなんですよね。そういうのさえなければ、って思うんですけど」
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