もう一つの出会い

*ある精霊の話の最後より、少し過去のお話となります。*


 




「ねえお兄様。お兄様は最近、素敵な方ができたのではなくって?」



 そう言ってにこりと微笑む少女――リージャ・ジューニョ。彼女はディモルとは歳の離れた妹である。しかし幼い外見にもかかわらず、隙の一つなくドレスを着こなし、長い髪を三つ編みにして後頭部でくるりと可愛らしくまとめ上げている。


 ディモルは長く“夜の呪い”に苦しんでいた。それは夜9時以降の記憶が消えてしまう……という、先祖代々、男のみに伝わる精霊の呪いだ。今のディモルはしんと頬を撫でるような夜の空気の美しさも、青く輝くような星の瞬きさえもすでに何度も胸の内に刻みつけている。


 ジューニョ家の呪いが解けた、というのはそれこそ一大事で、リージャを含めた家族には解けた事実は伝えてはいたものの、なぜなのか……といった込み入った話についてはまだまだ時期を見計らっている最中だ。具体的には、アゼリアに関しての内容を父母はともかくリージャには伏せている状況である。


 だというのに、勘の良すぎるこの少女は、ふふりと微笑みながらディモルに近づく。「ねえ、お兄様……? どうか本当のことをおっしゃってくださいな」 くすり、くすり。


「ああ、そうだ。お前の言う通りだよ」

「まあまあ、そんなに照れずとも結構で……もしかしてですが、今はっきりと肯定なさいました?」

「素敵な方、というよりはそうだな……愛しい少女と言い換えた方が正しいかもしれない」「正しいかもしれない。じゃありませんわよ。正直すぎてこちらとしては驚きの感情しかないのですが……!?」





 ――なんて、会話をディモルが妹としたのは今朝方のことである。

「相変わらず真面目くさった顔をしてるねぇ」ととぼけたような、尻上がりの声を出すのはストックだ。「任務中なのだから、当たり前だ」お前も口を慎め、と諫めつつ瞳を細めると、「いやお前の方が今の場に合っていないと思うがね」と反論される。その通りだった。


「ごめん……僕が、無理にお願いしたから……」

「殿下、何をおっしゃいますか……!」

「ディモル、口調、口調」


 殿下に視線を合わせていたディモルはハッと現状に気づき、周囲を見回した。幼い少年の前にひざまずいている美青年を見て、街を歩く人々がちらりちらりと訝しげな目を向け去っていく。


「あっ、うっ、くっ……」

「真面目は融通がきかねぇのが難点だな」


 現在の彼らは、お忍びで街を歩いていた。ストックはもちろん、ディモルはフェン――プランタヴィエ国の王太子殿下は、今はどこにでもいる少年のような出で立ちで、申し訳無さそうに眉をしょんぼりさせている。フェンのポケットからは、彼とよく似た精霊がちょこんと顔を出し、こっちも今すぐ泣きそうだ。


「まさか殿下が謝罪なさる必要など、どこにもありは……!」

「ディモル。フェンって呼べって言ってるだろ。隠れてるのにそのまま呼ぶバカがどこにいるよ? フェンってだけならよくある名前だろ」

「う、く、くぅ……!」

「駄目だなこいつ。今回に限っては一番不適任だったんじゃねぇの?」


 ストックは呆れたようにディモルを見下ろしたが、もう何も否定ができずに、はぐっと唇を噛みしめるしかない。


 ――発端は、フェンの友人となった精霊、ツワブキからの提案だった。新しく国を守る精霊となった彼は、精霊としての役割として、『街の結界がきちんと作用しているかの確認を行いたい』と願い出た。まだまだ未熟な彼である。以前の土の精霊――オモトのように、城にいながらにして街全体を把握するほどの力を保有してはいない。


 もちろん、街全体を守る結界を常時作動させるなど、永きを生きた精霊だからこその力であり、ツワブキのように生まれたばかりでは力を使うこともままならないのは仕方のないことだ。さらにフェンとともにでなければまだ不安定なツワブキは、常に二人セットで動くしかない。


 だが大仰な移動はよくないだろう、と首を振って否定したのは、フェンである。なんせ、土の精霊の死は一部の者達にしか知らされていない。街の結界の確認、かつ必要があれば張り直す状況を見せるなど、市民を不安に晒すようなものだ、と。


 一理有る――と、彼の判断は跳ね除けられることこそなかったが、まさか少年二人だけで行かせるわけもなく、護衛としてディモルと、そしてストックに白羽の矢が立ったわけである。王太子専属の部隊であるディモルならばともかく、なぜ自身がとストックはぶつくさ文句を言っていたが、仕方がない。王太子直属の騎士も他にも複数存在するが、彼らは力量以外に見栄えも重視される。一人ならばまだしも二人、三人となるときらびやかすぎて目が痛い。


「でも、色々と見て回ったけど、大きく問題のある場所はなくてよかったですね、ストック兄様!」

「ストックだ」

「ストックにいさ」

「ストック。敬語も辞めろ」

「……ストック」


 すげない態度にフェンはしょんぼりしつつ、口元をぷるぷるしていた。そっけない……と、思いつつも、そっぽを向いているストックの片眉はぴくぴくと引きつっている。これは時間の問題だろうな、とディモルは感じた。


「何にせよ、問題がないのならよかった。フェン、ツワブキ。たくさん歩きましたね。よく頑張りました」

「……うん!」


 辛い想いを背負っている少年だから、明るい年相応の姿を見るとディモルも思わず口元が柔らかく微笑んでしまう。えへへ、とツワブキもフェンのポケットから顔を出して嬉しげだ。さて、このまま城に戻るべきだろう……と、ディモルが提案しようとすると、フェンはじっとどこかを見つめていた。


「…紅茶屋か? 気になるのか」

「えっ、あの」


 ストックもちらりと目の端で確認してフェンに問いかける。ディモルも何度も訪れたからよく知っている店だ。もとはストックに教えてもらった場所でもある。

 フェンはわたわたと両手を動かしたが、すぐにへりょりと指先をしょげさせて、「あの、えっと……うん。あんまり、こうして自分で見て回ることってないから……」


「あー……」とストックはぽりぽりと赤髪をひっかいたが、「ちょっとくらいならいいか?」と問いかけたのはディモルに対してだ。行かせてやりたいのだろう。「え、ああ。そうだな。スムーズに進んで時間に余裕もあるし、いいじゃないだろうか」と、伝えたところでフェンは、ぱあっと微笑んだ。わかりやすい少年だ。




 しばらくしてからカララン、とベルの音を鳴らして店の外に出ると、いっぱいの土産をストックとディモルが抱えていた。フェンはスキップをしつつ喜んでいる。ストックもまんざらでもない様子だが、「二人ともありがとう」と礼を言われてそっぽを向いているのを見て、ディモルは苦笑してしまう。


 そのときだ。ローブの裾をはためかせながら店に向かって丘を上っているのはアゼリアである。あ、とディモルの口から小さな声が飛び出たが、今は職務中だ。極めて冷静な顔つきですっくと立って、やってくるアゼリアに目を向ける。そのディモルの様子を、ストックもフェンも、ついでにツワブキもじっと見つめている。


「ディモル様……? それに、一緒にいらっしゃるのは……」

「アゼリア、それ以上は」


 そっと自身の口元に人差し指を載せるディモルをきょとりと見上げて、いくらかの理解ができたらしい。「失礼しました」と、ぺこりとアゼリアは頭を下げた。「何よ、気取っちゃって」つんとした声はアゼリアとともにいるルピナスが呟いた声であるが、特にディモルは気にしていない。


 必要以上に立ち止まるのもよくないだろうという判断からだろう、アゼリアは再度頭を下げて店の中に入っていった。持っていた荷物を片手に持ち直しつつ扉をあけ、アゼリアを見送る。ディモルは平静なつもりだ。しかし、「ありがとうございます」とディモルに礼を言って消えたアゼリアの背中を見送ったのちに、片足の靴先が、とんとんと動き出して音を鳴らしている。ストック達の視線が、そそっとディモルの下に……つまり落ち着きのない足に移動している。


「はっ。殿下、申し訳ございません」

「ううん。別にいいけど。アゼリアも茶葉の買い出しかなぁ……」


 いや、おそらくその反対だ。

 アゼリアは花から茶葉を作り、街に売りにきている。実は中々の人気の品ということで、初めは知らずに彼女が作った茶葉を彼女に贈ってしまったという失態を思い出し、ディモルは若干の気恥ずかしさを思い出した。


 アゼリアの用事はすぐに済んでしまったらしく、扉をあけて軽くディモル達に会釈をすると、そのまま帰り道の坂を下っていった。ぐっとディモルは身体を固くしたまま、その背中をまた見送る。


「……ねぇディモル。そんなに気になるなら、送ったらいいんじゃない?」

「そんっ、そんなまさか、殿下、そんなまさか!」

「いや殿下殿下うるせえよ。……別に、護衛も俺一人ってわけでもねぇし。行けばいいんじゃねぇの」

「う、うっく」


 フェンのすぐそばにはストック、ディモルの二人のみだが、もちろん周囲には気配と姿を消して点在している。


「すみ、すみません、すぐに戻りますので!」


 アゼリアは庭の中なら、誰にも負けない――が、ここはただの街の中だ。心配にもなる。申し訳ございません、と謝罪を繰り返し、ディモルは持っていた荷物をストックに渡すと、あっという間に駆け抜けていった。



 ***



「あ。追いついたみたいだね、よかった」

「まあ、そうだな。……いや、ですね」


 ストックはどっしりと荷物を両手で抱えながら淡々と返事をする。フェンとストックは、少し曖昧な関係だ。奇妙な空気を感じ取り、ツワブキはそっとフェンのポケットの中に隠れてしまった。


「ねえ、ストック兄……えっと、ストック。僕も、その荷物、持ってはいけないかな?」

「……はぁ?」

「だって、ストックばかりたくさん持っているし、ストックは僕を守ってくれるんでしょう。そんなに持っていたら、動くこともできないよ」


 と、言いつつも、実は自分が持ってみたい、という目の輝きを隠すことができていない。ストックはこの目に弱い。仕方ねぇ、とばかりに一番軽い箱を渡し、それでも満足していない様子だったために、さらに増やしてみる。バランスを取りながらも、「わあ」とフェンは楽しそうな声を出している。


 傍目には仲のよい兄弟のような姿だが、次にやってきたのは、「お嬢様ー!」と必死に叫ぶ使用人の声だ。


「ニゲラ。そんなに大声を出してはだめよ。目立たないために馬車から下りたというのに意味がないわ」

「ですがリージャお嬢様。せめて、せめて日傘の中にお入りください!」

「あなたの歩幅が小さいの。もっと頑張ってくださいな」

「お嬢様が速すぎるんですう!」


 お上品なのに、なぜだかしゃかしゃか動きが速い、白い肌の金髪の少女がフェン達の前を通り過ぎた。


「まったく、お兄様ときたら。好きな方がいらっしゃるということはぺろりとお話されるのに、それ以外のことはとってもお口が堅いんですもの」

「それで、よくこちらのお店に来られるというのは本当なんですか……?」

「さぁ? 本当かどうかわからない。だから確認するしかないでしょう」

「ないでしょうってお嬢様ぁ……」


 目立たないように、と言いつつも二人は賑やかに店の中に消えていく。と、思えばすぐさま店を出てきた。「意外なことにここの店主も口が堅いのね。いいわね、私も贔屓にしようかしら?」「待ってくださいったらお嬢様!」 侍女らしき女性が常に少女に懇願している口調である。


「うん、そうね。せっかくここまで来たんですもの。何も買わずというのは損な時間な気がするわ。やっぱり買いに戻りましょう」


 店を出て、すたすた進んだところで少女はぽこんっと手のひらを叩いた。そしてくるりと回った。フェンは次に彼女がどんな動きをするのかが気になって、両手いっぱいに荷物を持っていることをすっかり忘れてしまっていた。


「あ、あわ、あわわわわ!」


 バランスを崩すのは一瞬である。ばらばらとこぼれた荷物が少女が通ろうとする道を埋め尽くした。「あ、ああ……」 フェンは呆然として落とした荷物を見つめる。しかし、そんなことをしている場合ではない、と即座に反応したのはストックだ。


 なんせ、今のフェンとストックの姿は、少し裕福な町人程度で、目の前の少女はそれ以上、いや、ある程度の高位貴族に違いなかった。城勤めが長くなれば、相手の姿や仕草からなんとなく察することができる。

 わざとではないにしても、町人が貴族の行く手を阻んだのだ。相手によっては面倒事もでてくる。できれば今は避けておきたい、というわけでさっさと荷物をかき集めて、ついでにフェンの頭を掴んでぺこりと頭を下げさせた。遠くで待機していた別の護衛達の気配がざわりと揺れたが、今は許せとしか言いようがない。


 頭を無理やりに下げさせられたフェンといえば、「はわっ」と驚き両手をぱたりと動かしたが、「弟が申し訳ございません」と伝えたストックの言葉に、ぴたりと動きを止めた。「お、おとうと……」いやそこは反応してる場合じゃねぇから、とストックは言いたい。


 さて、貴族の少女はというと、小さな体躯で、白々とした瞳でフェンを見下ろしていた。


「謝らずとも結構。ですが、そうぼうっとしているといつか馬車にぶつかり吹き飛ばされて死にますわよ」


 死にますわよ。死にますわよ。死にますわよ……。

 なぜか頭をリフレインするほどにひょうひょうとして冷えた口調である。「お嬢様ぁ! 結局どうしたらいいんですかぁ!」と店の入り口で泣いている侍女のもとへ「ですから、そう大きな声を出してはいけません」と伝えながら消えていく。


 再度、店の中に入った彼らを見て、はーっとストックは長い息を吐き出した。


「随分しっかりしすぎた嬢ちゃんだな。まあ間違ったことは言っちゃいねぇが……。無駄に絡んでくるような面倒な貴族じゃなくてよかった……っておいフェン。おい」

「はあ……」


 フェンはぼんやりと、若干頬を赤らめつつ少女が消えていった店のドアを見つめていた。まさか、とストックは口元をひきつる。たしかに少女とフェンは、同じ年頃のように見えたが。


「かわ……」

「お、おう」


 思わず、といった様子でこぼれ出た声に困惑しつつも頷く。


「かわ……こわ、かっこよかったぁ」

「いやどれだよ」


 そんな言葉は存在しねぇよ、とストックは再度つっこんだ。





 こうして、出会いはどこまでも交差する。

 ――人生には、色々な出会いがまだまだ眠っているんだろう。



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