31杯目


 一体、アゼリアに何ができるのか。


 眉間に深く皺を刻みながら、アゼリアは硬く拳を握った。日々の庭の手入れを行いながら、ルピナスは無言のまま彼女に付き従った。どうしたんだと、庭の木々や、花達がアゼリアに話しかける。幼い頃からそうだった。



 アゼリアには、不思議な力があった。力とは言っても、庭園の中のように自在に植物たちを動かせるわけではない。ただ、小さな声が聞こえるのだ。もっと水が欲しい、だとか、ここがちょっとかゆいから、引っ掻いてくれないかな、だとか。



 アゼリアは街ではなく、遠い森の中で育った。彼らの言うとおりに世話をすると、ぐんぐん大きく、ぴかぴかに育ったから、両親は驚いていた。ときおり、アゼリアのような子供が生まれる血筋だったから、さして疑問に思われることもなかった。平和に暮らしていた。



 今更、過去のことを思い出しても仕方がない。ただアゼリアは唇を噛み締めた。儀式は、今日の夜に行われる。少しずつ力が溢れてくることがわかる。関係のない彼女でさえも、匂いを嗅ぎ取れるほどだった。



「ルピナス、私……」



 ただただ、時間が過ぎていく。それを待つばかりだ。何もしなくていいと言われた。その通りなんだろう。庭の中ならまだしも、外に飛び出していくだなんて、無謀にもほどがある。けれど、気持ちばかりが焦って、嫌な想像ばかりが膨らむ。きっと、ディモルは、王太子とともに妖精の地へ向かうのだろう。そこに誰が待ち受けているのか。どんな罠が仕掛けられているのだろうか。



 考えてもわからない。たくさんの木々が、アゼリアに声をかけた。返事すらもできなくて、座り込んで、膝を抱えた。赤々とした夕日がとろけて落ちて、食べられてしまった。暗く沈んだ空は、静かで、ひどく冷えた。「あのね」 幾度もいいかけて、最後まで言葉を出すことができない。けれど。



 わかっていた。小さな手のひらが、彼女の指をなでた。わけも分からず、アゼリアは駆けた。出るなと言われた庭から飛び出して、夜の街を足音ばかり大きくさせて首元ではマフラーをはためかせた。



 だれしも、隠しごとを持っている。



 ディモルは、夜の記憶をなくしてしまうこと。

 バーベナは、自身の本当の性格を。

 ストックは、それこそ秘密だらけだ。

 ルピナスだって、アゼリアに言えぬことはいくらでもある。

 そして、アゼリアは。





 アゼリアは、ディモルに命を救われた。

 それこそ、あの庭で出会ったときよりも、ずっと昔のこと。




 少女と妖精が、ただ夜の街を駆け抜けた。大きく足を踏み出して、息を切らせながらまっすぐに。桃色のおさげが揺れて、小さくなって消えてく。




 ***




 自室にてページをめくっている最中のことだ。こつりと窓に何かが当たった。一度は顔を上げたものの、気のせいかとまた手元に視線を向けた。けれども、こつこつと何度も当たるものだから、「一体なんなの!?」 苛立って思いっきりカーテンを開けたところ、悲鳴を上げた。



「あ、アゼリア!? ちょっと、どこにいるのよ!」

「バーベナ、ごめんなさい、ここを開けて……」



 へっぴり腰でアゼリアは木の幹に抱きついて、二階のバーベナの窓をノックしていた。「なにしてるのよ、なにしてるのよ……!」 出した悲鳴から誰かが来てはたまらないと必死に口をつぐんで、小声で叫んだ。「ソップ!」「あいさ!」 ぱちん、と精霊が指をうつと、開いた窓からアゼリアを風で押し上げて柔らかく床の上に移動させる。その場にいた全員が、はあ、と息をついた。



「じゃなくて!」



 キビキビと動くのはいつだってバーベナだ。「一体どうやって? 違うわ。なんでこんなことをしたの? 何を考えているの!?」 とても怒っている。



 庭の外から出たアゼリアはただの無力な少女であるが、少しばかりの願い事なら、彼らは応えてくれることがある。どこに足を乗せれば登りやすいのか。人がいない場所はどこなのか。慎重に足を運んだ。バーベナの屋敷には、一度来たことがあったから、記憶を頼りに彼女の部屋を探した。



「あ、あの、私……」



 人と目を合わせることができないから、肝心なところでおどおどしてしまう。アゼリアの悪い癖だ。それでも、ルピナスが必死でアゼリアの背中を両手でぺしぺし叩いていた。はっとして、バーベナと目を合わせぬように、けれども強い口調で声を出した。



「お願い、助けて欲しいの」



 一体なんのことだとソップとバーベナは目を合わせたが、アゼリアはストックから語られたことを彼女らに話した。事情通な二人である。さして意外なことでもないらしく、「まあ、あいつらならしでかしそうなことよね」と頬に手を当てるばかりだ。王家の転覆を狙うオットーブレ家とセプタンス家は因縁の仲である。



「それで、助けるって、どういうこと?」

「ディモル様のところに行きたいの。ソップは人探しが得意なのだと聞いたわ。だから、だからあなた達なら、わかるかと思って……」



 考えてみるとなんと愚かなことだろう。何の計画性もなく、転がり込むようにこんなところに押しかけて、迷惑な話だ。次第に顔が赤くなった。ソップとバーベナは、二人で顔を見合わせた。どうしたものか、と考えている。アゼリアが不思議な力を持つことも伝えはしたが、それは庭園の中だけの話だ。



「行って、どうするの?」



 単純な疑問だ。バーベナは寝間着のまま椅子に座り込んで、片足を組んだ。少女一人きりが行ったところで、なんの意味があるというのだろう。危険を承知しているのならなおさらだ。アゼリアは吐き捨てるように告げた。



「この体を盾にすることぐらいならできるわ」



 なんておざなりな言葉なのだろう。と、思えば、彼女は本気で言っている。そんなことさせやしないわ、と叫ぶルピナスの声はバーベナには聞こえはしないが、ひどく彼女は驚いた。そうしたあとで笑った。



「別に何かの審査をしたわけじゃないわよ。ただ不思議だっただけだから。いいわよ、たまには深夜のお散歩と行こうじゃない。私だって、オットーブレのやつらにこれ以上でかい顔をさせるわけにはいかないもの。ソップ!」



 バーベナが指を鳴らして合図をすると、あいさ! と少年は両手を開いた。



「おいらはきれい好きだからね。汚いやつらを蹴落とす嫌がらせは大好きだぞ! まあ、たまにはただの悪さもするけどね。さてさて、おおい、風の子たち!」



 ソップが人差し指をぴんと立てると、部屋の中だと言うのに彼を中心にして、ひゅんひゅんと旋風が集まってくる。ルピナスが、ひゃあと声をあげて、瞳を回していた。彼女には見えるのだろう。


 アゼリアにもわかる。瞳に映らなくても、きゃあきゃあと楽しげに笑う風の妖精たちの姿がその場にあった。「みんな、散らばれ! 街中の噂話を集めてきな!」 ソップはくるくると人差し指を回した。それっ、と声をかけて腕を延ばすと、開け放たった窓のカーテンが大きく揺れた。



 腰を抜かしたアゼリアを見下ろし、ソップはにまりと笑っていた。



「煙突でもなんでも、隙間があれば風はどこにでも入っていけるからな。今のプランタヴィエはぎすぎすして、隙だらけだ。すぐに噂の端っこを見つけてやるぞ。お嬢様方、期待しとけ!」




 ***




「ほ、本当にこっちでいいの?」

「大丈夫、バーベナ。人はいないって木々が教えてくれてるから」

「おっけー、おっけー。風の子達も騒いでる。間違いない」

「念の為、私が先に行ってくるわ。私の姿は誰にも見えないからね!」



 ひゅん、とルピナスが四枚羽を動かして消えていく。蛍のような光を胸元に灯して、大丈夫と両手を振った。兵士の見張りをかいくぐって、飛び込んだ。「うわ、なんだ!?」 崩れ落ちるように入り口で倒れたアゼリア達に驚いて、馬たちがだしだし足を動かして暴れている。「お前、アゼリア!?」 ストックが黒い馬の手綱をひっぱり、さすがに目を丸めてあんぐりと口を開けている。



「……と、あんた、誰だ?」

「バーベナ・セプタンス! 公爵家をご存知ないのね、お馬鹿さん!」



 あんたなどと口にされることは滅多にないから、うっかり性根を吐き出してしまったが、こほん、とバーベナは咳をついて静かに立ち上がりスカートから汚れをはたき落とした。お、おばかさん? とストックは口元を引きつらせているが、そんなことよりと首を振った。



「アゼリア、お前、庭の中にいておけと言っといただろ。なんでまたこんなところに」



 ここは騎士団の厩舎だ。すでにディモルたちは街を離れてしまっていた。ソップの力が及ぶ範囲にも限界がある。ならばと探したのがこの場所だ。ストックとディモルは、似合わない友人だと有名らしい。



「ストック様! いえ、その……ストックさん!」



 様付けなど堅苦しい、と断られたことを思い出したのだが、どう見てもそちらの方が年上だ。まさか呼び捨てにするわけにもいかない、とアゼリアは瞬時に苦しみ、敬称を変えた。「お、おう」 改まった彼女の声に、彼も見合った。思わず瞳を見られてはたまらないから、慌ててフードをかぶったのは許して欲しい。



「私も、ディモル様、いえ、王太子殿下のところまで、行きます。いえ、行かせてください!」

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