23杯目

「み、みつけた……!!」



 まさかこんなところにあるとは思わなかった。ディモルは額から流れた汗をぬぐった。冷や汗ばかりが流れていたらしい。日記はベッドの下に滑り込んでしまっていたのだ。一体なぜそんなところに行ってしまったのかはわからないが、これで一安心というものだ。



 日記の中には、万一誰かに見られても問題がないように、9時以降の記憶が消えてしまうことは書かれてはいないが、ディモルにとってはまだ名前も知らない少女、アゼリアとの茶会のことが、詳細にかかれている。これではまるで、一人の少女と逢引を繰り返しているようだし、事実彼女を慕っている内容まではしっかりと書かれてしまっている。改めて読み返して、ディモルは無言でため息をついた。



 昨夜もまた、彼女との茶会を行ったらしいのだが、フードに隠されて、ろくに顔も見えない少女の仕草と声が、どれだけ可愛らしいか、熱烈と綴られている。



「も、もうちょっと、僕は抑えた内容を書くべきだな」



 しっかりと保管しているつもりだが、誰かに見られる可能性も万一にはあるべきで。次からは、そうしよう。そうせねば。できるだろうか。小さくなった。



 どんどん自信は小さくなるばかりだが、彼女に贈る手土産を考えることは楽しかった。さて、次は何を贈ろうか。





 ***





「ねえ、アゼリア。やっぱり、たまにはお出かけしてもいいと思うの! いっつもお仕事ばかりじゃ大変じゃない?」

「どうしたのルピナス。街ならこの間行ったばかりでしょ」

「それとこれとは違うから!」



 珍しい彼女からの提案である。ルピナスは、いつも嬉しそうに庭園を散策して、ときおり雪にまみれて、きゃらきゃらと腹を抱えるように笑う妖精だ。このところ、暗い顔や、怒った顔ばかりする少女だが、本当は明るくて、アゼリアにたくさんの感情をくれる女の子だ。


 彼女がそういった顔をする原因はわかっていた。関わらないでと言われて、わかったと口先ばかりで返事をしているアゼリア自身が、ルピナスの表情を暗くさせてしまっている。



 考えると重たい気分になるばかりで、申し訳なくも感じていた。

 そのルピナスが、小さな拳を握って、明るい声でアゼリアの周囲をくるくると踊るように回っている。何事かと思った。



「ねえ、たまには! たまには、いいんじゃない?」

「そう言われても……」

「私、お菓子を食べたい! おいしいお菓子! たーくさん、甘いお菓子をたべたいっ!!」



 ルピナスは拳を握って空気を食べる仕草をした。お菓子なら、ディモル様が持ってきてくださるじゃない、とアゼリアは言おうとして、このところルピナスはすっかりふて寝を繰り返していたことを思い出した。アゼリアばかり美味しくいただくのも申し訳なくて、いつもルピナス用にこっそりと残しておくのだけれど、それでも彼女はぷいと顔をそむけるばかりだ。



 彼女がディモルのことをよく思ってはいないことは、十分に理解している。お菓子好きのルピナスだ。我慢をするのも、さぞ辛かろうとアゼリアは覚悟を決めた。そのとき、ルピナスも一人で幾度も頷いてぶるぶると羽根を震わせていた。



 アゼリアだって、もちろんある程度の給金は貰っているから、お金に困っているわけではない。ただ、使いみちがよくわかっていないだけだ。庭園から出て、緑の少ない街を歩くときは、いつも緊張してしまう。赤いレンガをひとつ、ひとつ数えるように、こつこつ、ゆっくりと音をたてて歩きながら、坂道を上っていく。



 目的の看板を見つけて、やっと胸をなでおろした。さて、店の中に入ろうとしたとき、ルピナスがアゼリアの鞄の中から飛び出した。「あ、アゼリア、隠れて!」 何事かと思った。小さな体で引っ張られたところで何の痛みもないが、あまりの剣幕に、アゼリアはルピナスが指示する通りに店の裏手に回り込んだ。「き、きた……!!」 ルピナスは難しい顔をしながら表通りを睨んでいる。



「……なんのこと?」

「アゼリア、見て、ほら!」



 ルピナスと二人、ひょこりと顔を出した。すぐにわかった。いつもとは違い、昼間だからだろうか。まるで、きらきらと輝いているみたいだ。ディモルだった。彼もアゼリアと同じ店を目的にしていたらしい。偶然に驚きはしたが、そうおかしなことではない。なんてったって、ディモルは毎度手土産を持参してくれるのだから。今日の目的は、この店だったということだ。



 危なかった、とアゼリアは額の汗をぬぐった。ルピナスの言葉がなければ鉢合わせしてしまっていたに違いない。ほっと息をついたとき、ぱかぱかと音をたてて馬車が近づいてくる。立派な装飾だ。きっと貴族が乗っているのだろう。ゆっくりと、馬は止まった。ディモルが店の扉に手をかけたときと、馬車の中から少女が声をかけたのは同時だった。



「ディモル様」



 艶やかな声だ。ディモルは振り向き、御者の手を借りながらもゆったりと地面に足をつけた少女の名を呼んだ。「……バーベナ様、でいらっしゃいましたか」 ピンクブロンドの少女は、ついこの間、アゼリアを睨みつけていた彼女だ。それ以外にも、幾度か庭園で顔を合わせたことがある。ディモルと、バーベナ、二人を見比べた。互いに貴族であるのなら、面識があってもおかしくはないだろう。



「この間、お断りをいただきましたが、今度こそはと思いまして」



 お茶の一つでも、ご一緒にいかがですか? と首元にこさえた、たっぷりのレースにも負けないくらいにきらびやかに少女は笑った。ディモルの表情は、アゼリアからは見ることができない。ただ、バーベナにとって、満足のいくものではなかったのだろう。少女はぴくりと口元を震わせた。ディモルの返答も、予想通りのものだった。



「申し訳ありませんが、そちらに関しては、またの機会を作らせていただければ。今は少し、用事がありますので」



 これではただの盗み聞きだ。思わず顔をそむけると、意外なことにも、ルピナスは熱心に彼らの会話に耳を傾けている様子だった。「……ルピナス?」 どうしたの、と囁くように問いかけようとしたとき、バーベナは吹き出したように笑った。



 それは、ひどく違和感のある笑いだった。口元に手を当てて、けらけらと笑っていた。



「用事ですって? もしかすると、それはお菓子を買うことかしら。気にせずとも構いませんのに。いつも、申し訳がないともお伝えしているじゃありませんか」

「……いつもって?」



 ディモルは困惑の声を出した。それはアゼリアも同じだ。見たところ、親しい様子ではないだろうに、バーベナは、そうではないと告げている。これ以上は、耳を閉ざした方がいいかもしれない。ルピナスに声をかけて、彼らが去るまでひっそりと小さくなっておこう、と思ったときだ。ルピナスは、しいっと人差し指を口元につけた。そのとき聞こえた言葉は、いっそ、聞き間違いかと思った。



「夜にお会いしているではありませんか。そのときの庭の景色を、お伝えしてみせましょうか」



 アゼリアは瞳を見開いてバーベナの姿を見つめた。

 彼女はアゼリアとは似ても似つかない姿だ。顔も、声も、まったくもって違う。しかし背丈はよく似ていた。そしてその髪の色合いも。バーベナはピンクブロンドの美しい髪を巻いている。今でこそ、まっ黒髪のアゼリアだが、夜になると彼女の髪は桃色に花咲く。細かな色合いの差はあるが、文字でしかアゼリアを知らないディモルには、それがわからない。




 そしてディモルは、アゼリアの名前さえも知らない。


 ――――そっくり、バーベナがアゼリアの立場を盗み取ってしまったのだ。

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