22杯目


 バーベナ・セプタンスは、重たいドレスを身にまとい、ゆっくりと歩を進めた。アメジストのような甘い紫のドレスの周囲には、いくつものパールが散りばめられており、幾重にも重なるレースと相まって、まるで大輪の花を咲かせているかのようにも見えた。



 ピンクブロンドの髪はしっかりと結い上げられており、耳ざとい彼女だから、流行りのヘアアレンジはお手の物だ。美しい少女である。まだ年若い彼女であったが、艶やかさがある。常に、彼女は人々の中心となり生きてきた。これからも、そうであるべきだ。




 なのに、なのにだ。



『大変申し訳ありませんが、職務中ですので。お気持ちだけ受け取らせていただきます』



 すげなく、断られた。

 バーベナが握りしめた拳は、ただただ震えていた。



 彼女の茶会の誘いをすっぱりと断った男は、すでにその姿も見えない。厳かな王宮の回廊の中で、吹き抜け窓から静かに外の明かりが差し込み、暖かな風が注ぎ込んでいたが、彼女の胸中は、ひどく対称的だった。



 ディモル・ジューニョはただの伯爵家でありながらも、噂の絶えない男だ。金髪の、おとぎ話にでも出てきそうな整った容貌で、ある事件の功労者であることから、王太子のお気に入りだ。


 社交界の色男と言われながらも、落ち着いた立ち振舞いからはそうとも見えず、物腰も穏やかな青年だった。だからもしかすると、自身にも手が届くのかもしれないと、彼の外見も相まって多くの令嬢たちが憧れのように想いを寄せ、一縷の可能性を胸の内に秘めている。そんな男だ。



 バーベナ自身も、幾度も彼に手紙を出した。返事はそっけないものだった。なのに、茶会に出た少女たちには優しく声をかけたという。それが噂話特有の、大げさに伝えたものであることはわかってはいたが、苛立たしく、バーベナは奥歯を噛み締めた。バーベナは、彼を手に入れる必要がある。何か方法がないものか。重たく瞳を閉じて思案する少女を、彼女の肩の上に乗りながら、大きな飴玉を舐めていた精霊は、ふうん、と見つめていた。



 それから数日後の夜のことだ。自室のベッドに眠る彼女の枕元に、どさりと重たい何かが落ちた。



 少女は薄く瞳を開けて、気の所為かと天蓋を見上げた。暗さにも、少しずつ瞳が慣れてくる。まぶたをこすって、起き上がった。分厚い本が、彼女の枕元に転がっていた。



 眉をひそめて表紙を確認してみたが、題名は書かれていない。バーベナが保有している蔵書ではなく、もちろん、眠る前に枕元に置いた記憶もない。不思議に思いページを開けた。文頭には、こうなってしまったのは、仕方のないことだと、男性特有の固い筆跡で書かれている。暗くてよく見えなかったから、ランプのオイルに火を灯し、ゆっくりと読みすすめる。



「これは……」



 そこには、驚くべき内容が書かれていた。




 ***




「嘘だろ」



 ディモルは、ただただ顔を青くさせた。



 ない。どこにもない。毎日、必ず日記を書いて、鍵をかけて、しっかりとチェストの中にしまい込む。それが、彼の中の決まりごとであるはずなのに。何度引き出しをあけたところで、空っぽの空間があるだけだ。



 昨夜の記憶はわからない。なんて言ったってディモルは全てを忘れてしまうから、日記がなければ、彼は何もわからないのだ。もしかすると、どこか別の場所に保管してしまったのかもしれないが、手がかりなどどこにもない。



 部屋中をひっくり返して探した。それからどこにもないことを悟ったとき、彼は顔に手を当てて、ひどく重たいため息を落とした。

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