21杯目


 聞き間違いでは、ない。



『庭の中にすっこんどけよ』



 確かに、そう言われた。「え、あの……」 ストックは、アゼリアのことを知っているのだろうか。でなければ、そんな言葉は出てこない。なのに彼は素知らぬ顔で、「そいじゃあな! お嬢ちゃん」と片手を上げた。「お嬢ちゃんはないだろう、お嬢ちゃんは」とディモルにこづかれながらも、整った顔つきの二人の青年は消えていった。





 やっぱり、気の所為だったのかもしれない。「なわけないでしょ。私にだってしっかり聞こえたわよ」 鞄の蓋を押しのけてルピナスは眉間に皺を寄せている。現実逃避もできない。だよね、とアゼリアは呟いて、庭園までの道を歩いた。



「お願いだから、もうあの人とは関わらないで欲しい。よくないことが起こると思うの」



 呟くようなルピナスの言葉に、ごめんね、とアゼリアは小さく答えた。それは、彼女に心配をかけて、という意味だったのだけれど、ルピナスからしてみれば、別の言葉に捉えてしまったのかもしれない。アゼリアの鞄の中で、小さくうずくまって、自慢の羽根でさえも萎ませて、ただ何かを考えていた。




 ***




 厳しい寒さは、少しばかり和らいできて、辺り一面、真っ白な雪景色は少しずつ色を持ち、雪解けが待ち遠しかった。それでも、ピクニックをするには程遠いし、緑だって生え揃っていない。ぺちりとアゼリアは大きな樹木の肌を叩いた。「かゆいって?」 どこがなの、と問いかけるのはいつものことだ。わかったよ、と返事をして、動きの鈍い土人形の肩を借りて、ハサミを取り出す。



 ぱちり、と落ちた枝は地面の上に転がり落ちた。

 同時に、土人形が崩れ落ちた。「うっわあ!」「大丈夫!?」 ひゅるひゅるとルピナスがアゼリアの周囲を回っている。うまい具合に人形が柔らかい土になってくれたから、怪我なんてどこにもない。大丈夫、と寝転がりながら返事をしたとき、反対の景色の中で、強い瞳でこちらを見ている少女に気がついた。



 南の、加護のある道でもなんでもないのに。

 転がるようにアゼリアは起き上がって、片足を地面につけたままフードをひっぱった。バーベナ・セプタンスと呼ばれた少女は綺麗なピンクブロンドの髪をかきあげて、ただ一人きりでこちらに立っていた。はっきりと、睨まれていた。



 明らかに、アゼリアを目的として彼女はその場にいた。それはひどくおかしなことだった。固まったまま、困惑した視線はすっかり地面に向かってしまった。瞳をつむって、ただ、時間ばかりが過ぎていくことを感じた。さわさわと、風の音が聞こえる。どれくらいの時間が経ったのか、そっと瞳を開けて、恐る恐る前を見るとすっかり彼女の姿は消えていた。一体、なんだったと言うのか。



「あ……えっと」



 アゼリアは、先程感じた疑問が、ゆっくりと自分の中で形作られていくのを感じた。ルピナスは、そんなアゼリアをじっと見つめていた。「寒そう、だったね。ドレスだったし」 もうちょっと厚着した方がいいのにね、とルピナスに顔を向けると、彼女は力が抜けた顔つきで崩れ落ちた。「そこなの? 気にするところ、そこなの?」 だって、バーベナと呼ばれたあの少女が、アゼリアを気にする理由なんて、まったくもってわからない。



 バーべナ達が主催する茶会を汚してしまったことはあるし、思い出すと情けないことばかりだが、それでわざわざ彼女からこちらに来るのもおかしなことだ。



 なんだったんだろうね、とポリポリと頭をかいて、もう一度アゼリアは土人形を作り上げた。枝を一本、ぱちりと切り落としたとき、ふと見えたバーベナの肩口には、ルピナスとよく似た六枚羽根の精霊がニヤついたようにこちらを見ていたことを思い出した。ぱちん。



 枝先が、ゆっくりと彼女の手から溢れて落ちた。反射的に、片手を伸ばして拾おうとしたが、そのまま枝は滑り落ちて、消えてしまった。




 ***




 バーベナ・セプタンスは公爵家令嬢である。


 重苦しいドレスを身にまとい、王宮をしずしずと歩いた。彼女の肩には、一人の精霊がついている。彼の名前はソップ。青髪の、幼い少年のような風貌だ。風の精霊であり、セプタンス家に生まれた、新しい精霊の子だ。

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