17杯目
「恐れ入りますが、わたくしにあなたの時間を頂戴することはできませんか?」
掛けられたその言葉に、ディモルはただ真っ青な瞳を瞬かせた。
バーベナ・セプタンスは、それこそ見かけは大輪の花のような少女であった。ひと目をひく派手な容貌の彼女だ。恐らく、夜会では何度か、あとは昼間の時間にも顔を合わせて、簡単な挨拶をした程度の関係で、公爵家の彼女は伯爵家のディモルよりも位は上だ。
そんな彼女が、なぜ王宮を一人きりで歩いているのか、と考えたところ、彼女の肩口には手のひらサイズの精霊がちょこんと乗って、こちらを面白げに見ていることに気がついた。
(なるほど、精霊喚問か)
一般的に、位が高いほどその家系は精霊つきであることが多い。精霊は様々な恩恵を生む反面、争いごとも起きやすい。影響をもたせやすい、侯爵家以上の貴族は、定期的に王宮へ精霊を伴い、現状を報告する義務がある。
立派な六枚羽があるくせに、バーベナの肩にひっかかるように乗りながらゆらゆら左右に体を揺らしている手のひらサイズの青髪の精霊は、ディモルの視線に気づくとにこやかに小さな片手を振った。男の子だ。気難しい精霊も多いが、そこは個々の性格なのだろう。バーベナはぺちりと彼の頭を片手ではたいた。
精霊は体の大きさでその力を表す。手のひらサイズであるのならばそれこそ生まれたばかりなのだろう。精霊となる前、人の目にも視認できない存在は、妖精と呼ばれる。ディモルがルピナスの姿を捉えることができないのは、彼女が妖精であるからだ。ルピナスにとっては苛立たしいことだろうが、ディモルが知るよしもない。
「何度もお手紙を送らせていただきましたが、つれないお返事ですので。今日、こちらでお会いしたのもご縁かと思います。ぜひともお茶の一つでも」
お茶、という言葉をきくと、ぴくりと反応してしまう自分がいる。そもそも、彼女はディモルよりも高位の貴族だ。以前の誘いの内容にはそれこそ判で押したような内容で返してしまった。なぜなら幾度も送られてきた手紙は彼女ばかりではなく、机の上がそればかりで埋まってしまうほどの量があったからだ。本来なら、これは断るべき話ではない。ディモルはそっと視線を落として思案した。そして返答した。
「大変申し訳ありませんが、職務中ですので。お気持ちだけ受け取らせていただきます」
失礼いたします、と律儀に頭を下げて、颯爽と消えていく。
彼は現在、王太子のもとに向かう最中だ。公爵家の令嬢と、王太子と相手ならば、秤が傾くのは、圧倒的に後者である。
そんなディモルの後ろ姿を、バーベナは呆然として見送った。瞳を見開いて、わなわなと震えている。彼女の肩では、少年である精霊が、腹を抱えて笑っていた。「だまりなさい……!」 ぴしゃりと叫んだ言葉は、一人きりの回廊ではよく響く。握りしめた拳は、誰に見られるわけでもなかったが、彼女の頭の中では、様々な思惑が渦巻いていた。
***
ルピナスは、とにかく腹を立てていた。
彼女はいつも怒っている。なぜなら、アゼリアが怒らないから。彼女の代わりに怒って、叫んでやろうと思っている。ルピナスは精霊ではなく妖精だから、彼女以外の誰にも聞こえないし、見えないけど、彼女ができることは、怒ることだけだった。
それでも、以前はこんなに眉を釣り上げることもなかったし、ときおり彼女を理不尽に扱う街の子どもたちや、彼女が手入れした庭を楽しみながら茶会をする少女たちに、聞こえもしない声を上げるくらいだったはずなのに、今では定期的に苛立って、四枚の羽根を震わせて怒っていた。
(……なんで、あんたがまた来るのよ)
聞こえるわけではないのに、そんなことは言わないで、とアゼリアが困ったように笑うから必死で口をつぐんでいるけれど、金髪のあの男が彼女のもとを尋ねて来る度に、信じられないと、とにかく頭の中が真っ赤になる。目の前がちかちかして、あのときのことを思い出す。あの男は、彼女を悲しませた。ルピナスは、あの日を忘れたことなんて、一日たりとてありはしない。
ねえアゼリア。
必要以上に関わることはないって、そう言っていたじゃない。
夜になると、ディモルはそっと扉を叩いてやってくる。あんなに泣き出しそうになっていたのに、アゼリアは彼の姿を見ると、やっぱりどこかホッとしたように口元を緩めて、ゆっくりとお茶を作る。とっても温かくて、ふわふわと優しい湯気が漂っている。
幸せな匂いがした。なのに、辛くて、きゅうっと胸が痛くなる。こっそりもらった妖精用の小さなコップを両手で抱えて、ルピナスは、ぽたりと一粒、涙をこぼした。
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