16杯目

 自分だけに持って来てくれていた。なんでそう勘違いをしていたのか。ひどく恥ずかしくて、その日の茶会が一体どんなものだったのか、アゼリアはよく覚えていない。


 ただ紙袋につけられた、可愛らしいリボンだけが手元に残っていて、幾度もそれを見つめた。



 新しいローブは、やっぱりおかしくて似合わないと、クローゼットの中に隠してしまった。もともと、街に出るために買ったものだ。別にディモルの前で着るために買ったわけではない。奥に奥に、と隠してしまって、すっかりマフラーをなくしてしまったことにも気づいたけれども、仕方のないことだと諦めた。



 パタリと扉を閉じたとき、ひどくすっきりしたような気持ちになった。

 しっかりと、しっかりと。アゼリアは、扉を閉じてしまったのだ。





 ***




「それでお兄様。言い訳は聞き飽きたのですけれど、ちゃあんとご準備してくださったの?」



 言葉を訳すと、噂の恋人とやらはどうでもいいけれど、私への貢物は持っているわね? というわけである。ディモルよりも一回り年若い妹だった。ディモルによく似た金髪を編み込みをして、くるりと後ろにまわしている。ふわふわのスカートの裾を持ってふんぞり返って、愛嬌がある、と言えば言葉はいいが、生意気と言ってしまえばそのとおりだ。



 どうぞ、と諦めて渡した小さな紙袋は、以前にアゼリアに渡したものだ。ラッピングはきちんと可愛らしく、お兄様の個性を出していただかなければ、というダメ出しを貰った記憶は新しい。



「お前が喜ぶものではないかもしれないよ」



 あくまでも、これは“ついで”だ。日記に書かれた少女のことを幾度も考えて選んだものだ。リボンの色も、ひっそりと変えてある。茶屋の店主の話をきいて、どうしたものかと頭を悩ませた。彼女に渡した紙袋には、きらきらと光る星屑を散りばめたようなリボンを締めた。どうしても、渡したいと思ってしまった。アゼリアにとっては、そんなこと、どうだっていいかもしれない。ただ、ディモルが彼女に渡したいと考えただけだ。



「ありがとうございます」と、しっかりと礼を言いながらも年に似合わない姿で、金髪の少女は笑った。「いいええ、どんなものでも結構ですとも」 私はただ、お兄様のお話がききたいのです、とませた口調で話しつつも、するりとリボンを引き抜いた。



「噂ばかりに事欠かないお兄様ご自身のお話です。そのどれが、本当のお話なのか、私にはまったくもって見当もつきませんけれど、あくせくと贈り物をしている様は、初めて見たものですから」



 少しばかり、幸せのお裾わけをしていただきたかったのです、とこまっくしゃれに笑う妹に、ディモルは何を言えばいいのか分からなかった。




 幼い妹を前に、社交界での噂をまさか告げるわけにもいかず、必死に隠していたというのに、耳ざとい少女を相手にして、なんの意味もないことだと知ったのは、しばらく前のことだった。ディモルが様々なご令嬢達との関係を持っている、なんて噂はただの噂だと知っていて、それどころか恋人の一人もいないことまで丸裸だ。



 彼女はジューニョ家を引き継ぐには申し分がないほどの聡明で、大人びた少女であるのに、アゼリアへあくせくと贈る品を吟味している様を知られたときには、それはもう瞳を輝かせた。ディモルとよく似た真っ青な瞳を、宝石のようなきらきらさせて年相応に話をねだるものだから、どうしたものかと必死に言い訳を繰り返した。渡した紅茶で、少しばかり落ち着いてくれればいいのだが。



 ***



「本当に、俺は実の妹の手のひらの上で転がされているようだよ」

「家族にも色々あるだろうよ。しかしディモル、毎度ここを悩み相談所にするのは勘弁してくれないか」



 いや俺自身としては構わないんだがな、と肩にフォークを担いだストックが、目の前に立っていた。「ちょっと場所がな。獣だらけというか」 周囲では、ぶるぶると馬が鼻を鳴らしている。もちろん場所は厩舎である。すっかりストックは馬の世話役となってしまって、手際さえもよくなっている。馬たちの食事の準備と部屋の掃除は万全に終了した。



 藁の中にピッチフォークを突き刺して、よっこらせとストックはディモルの隣に座り込んだ。つり目がちの瞳であるが、別に怒っているわけではない。もともと、こういう顔なのだ。


 ディモル達の背後では暴れ馬と名高い黒馬が狂ったように草をはんでいるが、このところ、ストックと情を通わせるようになったらしい。それほどまでに馴染んでしまってどうするんだ、と言いたい気持ちはさておき、腹に据えかねた気持ちを吐き出したくなるときは、ディモルは友人のもとに向かう。



 ストックはどれだけ仲良くなろうとも、どこか一歩ひいている男だった。そして、その距離感がディモルにとってみれば、ひどくありがたいことだった。夜の記憶をまったく持たないという隠しごとを持つディモルだ。何もかもと腹を割って話すことなどできやしない。



「それで、俺の提案も少しくらいは役に立ったか?」

「ああ、もちろん!」



 菓子ではなく、茶を贈ってはどうだと教えてくれたのはストックだった。彼のおかげで、あの茶会にも、様々なレパートリーを持っていくことができるようになった。「礼を言うよ、ありがとう」と頭を下げると、ストックはつりあげた瞳をそのままに、ぱちぱちと瞬いた。それからはは、と笑った。周囲では馬たちまでもがブルブル笑っているのだが、それはさておき。



「相手の女性は、一体どこの誰なんだ?」



 どこか一歩ひいている、と言えども興味があるのは仕方がない。なんて言ったって、ディモルはこれほどまでに整った容貌だというのに、噂はともかく、女性とは関わるまいと逃げ回っていた男なのだ。恋人ができたと噂がたったときには、必死で否定したのだが、渡す相手がいることは間違いのないことだ。


 どんな人で、どんな顔なのだと。続けて聞かれて困った。「会ったことがないんだ」 だから思わず、答えてしまった。そのあとすぐに気づいた。そんなわけない。こんな答えはおかしいに決まっている。



「……その、なんというか」 どうしたものか、とディモルは座り込みながら口元を押さえた。「文通をしている、相手、というか」 間違ってはいない。書いているものは、自分の日記なのだが。



「……文通?」



 ストックは、幾度も瞬いた。それから、口元を押さえて真っ赤になっているディモルを見た。



「贈り物は、直接会って渡していないんだよ。でも、手紙があるから」



 もちろんそれは日記だけど。声を出すほどに、小さくなっていく。「会ったことはない。でも、僕は彼女が……」 ここまで言って、言葉以上に語ってしまったことに気づいた。だから諦めて、最後まで告げた。「好きなんだ」



 聞かれてもいないのに、勝手に口から漏れてしまったのは、とうとう自分でも耐えかねたからだろう。おかしなことだろう、と呟いた言葉は、まるで自分に言い聞かせるようだった。会ったこともない。だというのに、日記で文字ばかりを追って、毎日彼女に恋をしている。こんな呪いを抱えて、結婚など、恋などしないと誓っていたはずなのに。



「お前がおかしいと思うんならそうだろう。でもそうじゃないなら、違うんだろう」



 俺の死んじまった両親も、互いに一目惚れみたいなもんだったらしいしな、とどうでもよさげな、突き放したような言葉だったが、その言葉が、逆にひどく落ち着いた。まるで本当に大したことがなくて、おかしな事情なんて忘れてしまって幸せな、甘酸っぱい恋を噛み締めているような気分になる。でもそんなことは幻想で、ディモルは彼女の名前も知らないのだが。



「まあ、合点はいったけどな。お前がいきなり菓子屋を教えてくれと言ったときは驚いた。文通ね。なるほどな」



 むしろ納得されてしまった。いじいじとしている方がお似合いということだろうか。きらびやかな外見のくせに、体育座りが似合う男である。後ろ向きになりやすいのはディモルの悪い癖だ。



「そんなことより」とストックはディモルを指差した。「そろそろ、お前も忙しくなるんじゃないか? 今度は一ヶ月の泊まり込み、なんてものじゃなくなるかもしれないぞ」 ぞっとする言葉だ。



「……僕は夜の仕事は好きじゃないんだ。そうならないように、必死に抵抗する。なんとか頑張ろう」

「がんばってなんとかなるものかどうかは知らないけどな。俺の耳にさえ入ってきたんだ。そろそろ、市井にも回るだろうよ」

「さあ、どうだかな」




 ***




 言葉をもごつかせてごまかしたものの、ストックの言葉通り、一部の者たちの間では、城の内部はしっちゃかめっちゃかになっていた。穏便にことを運ぶためと口の堅いものたちで抑え込んでいたものの、囁く声は次第に大きくなってくる。なんていったって、すでに彼はいないのだから。気づくものも増えてきた。



 ディモルは輝くような王宮の回廊を、足早に進んでいた。腰には細い剣を帯刀している。王宮で警備のものを除き、剣を保有できるものは、数少ない。第一部隊である彼の特権の一つでもある。


 回廊の左右には、いくつもの吹き抜けの窓がついている。そこはアゼリアのような影ではなく、王宮の管理人たちが手掛けた素晴らしい緑の庭がちらほらと覗いていたが、なぜだかディモルにとっては空虚に感じた。



 正面から、しずしずと一人の少女が歩いてくる。ピンクブロンドの彼女の髪に気がついたとき、日記に書かれた少女の姿を思い出した。影と名乗る恋しい少女は、桃色の髪を二つにくくっていた。もしかすると、と飛び跳ねた心臓は、情けないものだった。あの庭師の少女が、こんなところにいるわけがない。わかっているのに、いつも気になって仕方がない。



 まるで大きな花がいくつも重なっているかのような重たい生地のドレスを着て、彼女はゆっくりと進んでいた。軽く会釈を行い、互いに通り過ぎるのみだ。そう考えていたところで、ピタリと少女の足は止まった。



「ディモル・ジューニョ様でいらっしゃいますわね?」



 優雅に、彼女はドレスの裾を広げた。バーベナ・セプタンス。ディモルは彼女の名を思い出した。幾度も彼に手紙を送ってきていた主だ。「少しばかり、お話しをと思いまして」 恐れ入りますが、わたくしにあなたの時間を頂戴することはできませんか? と少女は年には似合わぬ妖艶な微笑を浮かべたのだった。

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