二十八
いちばん事情に通じているのは、鮫だった。
苦しそうな息の間から、途切れ途切れに聞き出した。
「萬屋の奥の座敷で、ご新造さんが殺されたのは、聞いての通りだ。
いや、おれは、その現場は、見てはいねえ。
先代の四郎兵衛の旦那に、隠居場に呼ばれ、こう聞いた。
『番頭になりたての由兵衛が、どうやら下手人のようだが、行方を隠している。追い立てて引っ捕らえたいところだが、騒ぎにはしたくない』
もっともなことだ。
人形町の大店で、しかも先代は、町名主だ。
おれも常々、世話になっている旦那だ。なんでもしましょうと、請け合った。
由兵衛が、吉原で会ったとかどうとか、さっき、その政次の野郎が……いや、政次が言っていたが、由兵衛はそんな身分でもない。
いや、
なにがどうしてご新造さんに手をかけることになったか、それはおれにはわからねえし、わかりたくもねえ。
ところが、由兵衛の部屋から、みょうな
何が書かれていたかは、知らないよ。
ただ、それには、めんめんと、長い、いとまごいの文句が書かれていて、それが上から、塗りつぶされているという。
『それは、誰に宛てた文なんで』と、おれは当然、四郎兵衛の旦那に聞いた。
答えては、もらえなかったな……。
ああ、痛み止めの薬はまだかよっ」
そこまで聞き取ると、五郎は長助に目配せした。
長助は、勝手を知った様子で、鮫の身体に、さらに縄をかけ回し、奥の物置に引っ立てて行った。
五郎は平佐の、折れた鎖骨を軽く指で弾き、うなずいてみせた。
平佐も、低い声で、話し始める。
「鮫の旦那からその話を聞いたとき、おれにはぴんと来るものがあったよ。
番頭の由兵衛が文をことづけた相手だ。
ここまで言やあ、もうわかったろう。棒手振の政次の長屋に住む、あの後家よ。
月に二度、萬屋のご新造に、三味線の稽古をつけに、通ってきていた。
いや、もっとも、ぺんぺんと弾いているのは、あの後家……おし津と言ったか、あの女だけで……ご新造はってえと、船宿で、役者買いだ。
まあ、ていのいい、留守番だな。
いや、おれももちろん、萬屋の座敷でのぺんぺんを、見たり聞いたりしたわけじゃねえ。
しかし、おし津と入れ違いに、ご新造は供を連れて出かけていく。それあ、おれのようなものは、つけてみるさ。
なに、噂にならない方がおかしいような、おおっぴらな遊びぶりだ。
おれは、いまの主の七兵衛さんに声をかけた。
『いくらでもは出せないが、これでなんとか口をつぐんでおくれ』とかなんとか、少なくねえ金銀を、いくらかもらったもんさ。
ご新造が戻る時分には、入れ違いのように、あの後家……おし津が出ていく。
名残惜しそうに店先で見送る番頭の由兵衛を見ながら、
『ははあん』と、俺なりに腑に落ちるものがあった。
だから、鮫の旦那が由兵衛の文の先を知りたいと言うんで、おれはおし津の
なあ、そこの先生よ……先生さんよ。おれはもう、刃物を振り回したりしないと、神仏に誓うからさ、なんとか早く、痛み止めの薬をくれねえかな」
五郎が長助に合図をし、平佐は、鮫とは違った方向に引っ立てられて行った。
安斎先生は、いまだ、ごろごろと薬研に輪車を当てていたが、なんだかにんまりしている。
「どうだ、政次。楽しいか」
「えっ」
「おまえ、判じ物やからくりが好きだろう。こういう、《生きたからくり》は、こたえられないだろう」
「いいや、せんせい。お言葉ですが、おいら、なんだか……」
「ふふっ。そうか……」と、先生は輪車の手を止めた。「おまえの、そういうところが、《まとも》と言うんだ」
「まとも……」
「そうだ。……疑ったり、憎んだり、傷つけたり、殺したり。それらはすべて、まともなことではないが、それが、いつになっても、世の常だ。だからといって、そうした、まともでないことに心を沸き立たせて、うかうかするのは、下品なことさ」
「おれは、ただ……」
「おまえが欲しいのは、《
安斎先生は、薬研の薬を、大きな乳鉢に移している。
(やられた連中は、さぞ、あの薬が欲しいだろうな)と、政次は思う。
長助が戻ってきて、五郎のそばに座る。
五郎は、
「先生、では、これから、もぐらに話をさせます」
「うん。なんとなあく、聞いていることにするよ」
もぐらの話は、こうだった――。
「初めて聞いた話もあるけど、おれが知っている話は、鮫の旦那や平佐の兄貴が言った通りだ。
あの夜、佐賀町の長屋に家捜しに行くからって言われ、おれは、
女の部屋を家捜しするというが、旦那や兄貴は、手を汚したくというのか、灯りを点けているだけで、動いたのは、おいらさ。
鏡の台や、火鉢や、三味線の袋なんかを、漁った。
捜し物はなんですかと、聞いたよ。
でも兄貴たちは、しかとは答えない。
たしかに、いらっとしたが、口答えはできないし。
すると、戸口で、そいつが……いや、政次がさ、
『おし津さあん』なんて呼ばわりやがったんで、おれはちょうど土間で、
『この野郎』ってんで、引きずり込んだ。
探していたのが、文だなんて、さっき初めて聞いたんだ。
それならそうと、言ってくれればいいのにな」
尖った口先で、ぺらぺらしゃべっているもぐらに、政次は我慢がならない。
「おまえ、おれの横っ面を張ったよな」
「うん……あれは……悪かった。でも、旦那や兄貴の手前、おれだって、いいところを見せなくちゃな」
「なにをぅ!」と政次は、板の間に立ち上がった。
「い、い、いや、待ちなよ。おれにも、ねたがあるんだ」
「おまえみたいな
「まあ、もぐらのねたってのを、聞いてみましょう」
もぐらは、ぐっと唾を飲み込み、
「あのよう、萬屋の旦那の七兵衛さんと、由兵衛ってのは、あれは兄弟だぜ。いや、女郎屋での兄弟なんてえわけじゃねえ。どちらも、相模の生まれの、実の兄弟だ。
面を見りゃあ、わかるだろうけど。あれは、はっきりと、血を分けた兄弟さ。
今の旦那の七兵衛が、何度目かの藪入りが明けて、次には番頭かってときに、先代の四郎兵衛の旦那が、呼び寄せたんだ。
いや、おれは、殺しのことについては何にも知らねえ。
下手人も、知らねえよ。
でも、あの二人が、兄弟だってことは、これは、俺が、品川の
と、もぐらはますますの早口になって、まくし立てる。
五郎がつと立って、手刀で首筋を、ばすんと打った。
軽い手つきだったが、もぐらは黙り、だるまの重しが取れたように、ことんと横になる。
「勝手なこと、申し訳ありません。こいつの甲高い声を聴いていると、頭が、へんになりそうで……」
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