二十三

 桝屋の一室では、男が一人、待っていた。

 年の頃は、政次よりも上、五郎よりも下と言ったところ。

 身ぎれいにはしているが、どこといって特徴のない、中肉中背。

長助ちょうすけと申す者でございます。安斎先生からは、よくうかがっております。本日は、香魚屋政次半兵衛さんと、五郎衛門さんの、お供をさせていただきます」

 丁寧な挨拶に、政次は、

「こちらは、宿屋のかたで……?」と言いながら、五郎を見る。

 五郎は左右に手をふり、違うという仕草。

 いずれ、安斎先生の《手の者》なのだろうが、

(あのせんせい、いったいどういう人の脈を持っているんだ)と、政次は思う。

 長助は、長持ちから反物や端布はぎれを、次々と取り出した。

「こちらはいずれも、れきとした桐生きりゅうの産のものでございます。急なことで、数も揃いませんでしたが、そこは、なんとかしておくんなさい」

 目にも鮮やかな錦や、趣味の良い色柄の生地に、政次は圧倒された。

「これだけの品物を、どうやって……」

「まあ、そこは、安斎先生のお顔で、あちこち、から……。しょうじき、中には、足のつかない損料屋のものも、ございます」

 政次を見上げる長助の目は、やはりただものの、それでは、ない。


 五郎と長助は、小声で何か、段取りを打ち合わせる。

 何について、何をどう打ち合わせているのか、もう政次には、わからない。

(ええい。こうなったら、出たとこ勝負だ。せんせいがおっしゃる通り、おれの眼に、何でもかでも、焼き付けてこようじゃないか)

 政次は、腹を決めた。

「こほん」と、ひとつ咳払いをしてから、「さて、五郎さん……いや、その、五郎兵衛、そして長助。そろそろ出かける刻限ではないかね」と、精一杯、棒手振から、ばけてみた調子で。

 五郎は、見せたこともない、にんまり笑顔で、何度もうなずいた。


 宿の紋が入った提灯を下げた五郎を先頭に、政次。その後に、荷を担いだ長助が続く。

 政次がそっくり返っているのは、演技でもなく、慣れない――というより、初めて履いた足袋と、真新しい雪駄の具合が、どうにも馴染まないせいだ。腹を締め付ける幅広の帯さえ、どうにも息苦しい。

(若旦那ってのも、らくじゃあねえや)

 両国の橋を渡りきり、左に折れれば、そこはもう萬屋のはず。

 安斎先生は、言っていた――。

「相手に会ったらな、こう、扇子を取って左の太腿に立て、中くらいの会釈をしていればよい。おまえは動きが、ちゃっちゃとしているから、そこだけに気をつけて、なにごとも、ゆったりと、田舎のようにしていればよい」

 とはいえ、江戸深川のほかを知らぬ政次には、その《田舎》というのが、わからない。

 五郎が、提灯を、つと掲げた。

 幅は、五間もあろうか。紺色に《萬》と染め抜いた長いのれんが、左右に二枚ずつ、張り出されている。

 目を剥くような大店ではないが、きりりとした、立派な店だ。

 政次は、下腹に、力を込めた。

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