第36話 血の香り ACT2

その昔人々がこの世界に存在しなかった世界。


この世界はただ無限に広がる草原だけが支配していた。

雨が降り、陽の光が草原の草たちに降り注ぐ。


ある日その草原に行って何気に赤い水滴を落とした。


ほんの気まぐれで落とされたその赤い水滴はやがて進化を遂げ、人と言う生き物を生み出した。

この世に神という存在があるのなら、その赤い水滴を落としたのはその神という存在なのかもしれない。


だが実際にはそんな神なんて、存在は実在し得なかった。


彼が落とした赤い水滴は、自ら出た血の一滴だった。


彼は願った。この自ら落とした己の血の一滴が、我の心の寂しさと冷たさを癒してくれるようにと……。

やがて人は独自の力と知恵を得て、文明という世界を生み出したのだ。


しかし、人々は彼に対しては冷酷だった。


彼は人の血を吸う事で、己の意志の欲望を抑え込む必要があった。そのために、人々は彼に生贄いけにえというかたちで人を差し出し、彼のその脅威から逃れようとしたのだ。


彼自身はそんな気は毛頭ない。ただほんの少しの血を分けてもらえれればいいだけの事だったのに。


そんな中、文明を築き上げた人々は、己の意志を自重する権力を得ようとし始めた。それは彼にとって最も悲しい結末を生む結果となってしまった。


人は人を傷つけ、多くの人の血が川の流れの様に流れ去っていった。


彼はその光景をただ見守ることしか出来ない。

彼がこの世界にこれ以上介入すれば、生まれた文明は消滅の道へと誘われるからだ。


しかし、人々はこの残客な行為を止めようとはしなかった。


ある日の事だ。

幼き幼女に矢を向ける兵士。それを目にした彼はとっさにその幼女を抱きかかえた。


兵士はその様子を目にしながら彼の元に矢を放したのだ。


矢は彼の背中に突き刺さった。


彼の背中からは大量の血が噴き出した。それでも彼は抱きかかえた幼女が助かればそれでよかった。


しかし……。矢は彼の体を貫通して、幼女の心臓に突き刺さっていた。

彼の腕の中でぐったりと力を失い冷たくなっていく幼女の姿を、彼は胸の中で感じていた。


「何故だ! 何故こんな惨いことをしなければいけないのだ。この子の命はたった一つしかないんだ。僕とは違うんだ。僕は寂しかっただけだ、この温かい血に触れるために君たちを生み出したんじゃない。僕の心を温めてほしかっただけなんだ。この世界にたった一人飛ばされたこの僕を……」


命の火が消え去った幼女を抱きかかえ彼は立ち上がり、自ら体に突き刺さった矢を抜き去った。


悲しみの涙と共に大量の血が彼の体から噴き出す。

大地に流れ出した血はやがて彼の悲しみの涙と共に、空へと昇る。

空は次第に曇り始め、彼の涙の様な雨粒が落ち始めた。


ただ、その雨の色は真っ赤な血の色をしていた。


人々は空から降り注ぐ赤い血の雨に触れ、死に絶えた。……。

赤い雨。そして一つの文明が終わった瞬間でもあった。


それから幾百の年数がたった後。彼はまた草原の大地に自ら一滴の血を落とした。


「我の心を慰める人々がこの世に生まれますように」と……。


しかし、その願いは叶わなかった。


そして彼はめばえた文明と人々をまた消し去ったのだ。

繰り返す新たな人類と文明の消去。

彼の心はすでに枯れていた。


己の世界に戻るすべなどない。この世界で我の心を癒し続けてくれるものを探し得たかっただけなのに。


最後の望みをかけ彼は、新たな文明と人類を築かせた。


そして彼は一人の少女と出会った。


彼女は体が弱く、あと幾何かの時間しかこの世に命を置くことが出来なかった。

しかし、彼は彼女に初めて恋をしたのだ。


彼はこの世界に来て初めて人の温かさにふれることができたのだ。


「ようやく……ようやく、我の心にこの温かき想いを吹き込んでくれる人と出会えた」


嬉しかった。そしてその想いを彼は大切にしたかった。あの枯れ切った心はまた緑の草原の草の様に根強く蘇ったのだ。


だが彼女の時間は後わずかしか残されていない。


彼は彼女を失う事への恐怖さえ感じ始めていた。

己の力がもし耐えようとも彼女がこの世に存在してくれれば我は本望だ。


「われは影の存在なり、決して表に出る事のなき存在である」


彼の持てるものそれは己の血のみ。その血を彼女に飲ませた。


彼女は三日三晩苦しみもがき、そして息を引き取った。


それから数日後の事。

彼の座る椅子の横には……彼女の姿があった。


死んだはずの彼女が生き返ったことは人々に広く伝わった。

そして人々は彼女を恐れ呪い始める。


絶えぬいさかいの中またこの文明も、過去の文明と同じように多くの血が流れ始めた。


しかし彼はこの文明を消し去ろうとはしなかった。

なぜなら、いかに人々から呪われようとも、彼女の存在があったからだ。


しかし、人々の恐れと呪いは彼女を襲った。襲うならば我を襲えばいいものを。その存在をこの世にさらすことを決別した彼は、彼女との間に生まれた子をその存在を知らされぬよう人々の中に溶け込ませ、二人は唯一戻ることが出来るこの草原の世界へとやって来たのだ。



己のその姿はあの世界に残したまま。思念だけが宿るこの世界に……。

そして二人の心は一つになり、永遠の時をここで思念の形のまま生き続けている。



そう彼こそが、第一世代の真祖である「バンパイア」なのだ。



その美しい人は、僕の頬に手を添えて


「あなたは私たち……。いいえあの人の生まれ変わりなのです。この世界を生かすも消すもあなたが目覚めれば意のままに出来る。しかしそれはどんなにつらいことであるのかそして、新たに作りあげたものが己の想いに叶うものなのかは分からない。ただ一つ、今私がここで想う事は、あなた自身の想いを大切にしてほしいという事。その想いがあなたの世界の行く先を決めるはずだから」


我の名はバンパイア。

時に抗い。想いを果たすために多くの犠牲を成してきた愚か者。



悲しみに満ちたその目は僕に、世界を託すと言っているかのように感じた。


「我が真祖の末裔よ。第三世代の真祖と共にこの世の成り立ちを見守りなさい」



「……景、……景」

遠くで僕を呼ぶ声が聞こえていた。


ガクンと少し電車が揺れた。その拍子に僕は目覚めた。


「どうしたの、うたた寝? もうじき着くわよ」

「えっ、あ、……」


なんだかとてつもなく長い夢を見ていたようだった。


あの草原で出会った第一世代の真祖「バンパイア」は本当にこの僕に、この世界の行く先を決めさせようとしているのか?




僕にはそんな大それたことなんて出来やしない。



そう、今はまだ己に課せられる運命が、まだ見えていないのだから……。

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