第35話 血の香り ACT1

赤く輝く一滴の血の雫。


その雫を口に含んだときに感じる、鉄の様な味は覚えがあるだろう。

だが僕にはこの鉄の様な感じの味が、人によって違う事を知っている。いやなものではない。むしろ嗜好的に言えば、常にその味を求めていると言っても過言じゃないのは事実だ。


最近の僕の行動は今までとは何かが変わりつつある。そのことに気が付いたのはごく最近の事だ。


吸血鬼本来の魂である彼奴がこの僕に戻る前から、僕には吸血鬼としての本能が宿っていた。人の血を吸う事になんの懸念もなかった。牙も備われている。


しかし、それを好み血を求める欲求は、さほど強いものではなかったはずだ。どちらかと言えば興味という気持ちが強かったと言えばそれが妥当だ。


しかし、今は違う。

僕は血を求め始めている。


吸血鬼の本能として、血を吸う事が自分の生命を維持するために必要な行動であると感じて来ているのだ。


血を求める欲求は日増しに強くなっている。吸わなければ何かがス―っと体から奪われていくような感じになる。


食欲の様なものではない。栄養が足りていない状態になるという事ではないからだ。むしろ性欲に近いものかもしれない。しかしながらその性欲というものより欲求度と充実感は、図りしえないほど強く僕を襲うのだ。


そしてその欲求は日が暮れ、暗闇の時間になれば僕自身では抑えきれない状態になるまで高揚する。


僕自身の意志とは裏腹に、夜の街へとその身を誘い始めるのだ。

そしてまるで獣が獲物を捕獲すがごとく、感覚を鋭くさせ欲する血を得る。


それは一人や二人ではない、多い日は数十人もの人の血を僕は吸っていた。

無論女性の血である事は言うまでもない。


僕は決して、男性の血は吸わない。

以前、男の子の血を吸って具合が悪くなったからではない。体が、僕の中にいるもう一つの魂が呼びかけるからだ。


「若い女性の鮮血が欲しい」と……。


きっとそれは彼奴がこの僕に呼びかけているのだろう。


ある日、家で僕は彩音さんの後姿見つめ、その首筋に意識が集中していることに気が付いた。

今までそんなことはなかったことだ。しかし、もうその欲求を自分自身でコントロールすることさえも出来なくなりつつあった。


おもむろに彩音さんの肩をつかみ、首筋に牙をさし込もうとした瞬間。僕は意識を失わされた。

彩音さんの一撃を食らったのだ。


半妖である彩音さん。まして自分の母親でもある人の血までも吸おうとするこの異常な行動には正直気が付いた時にはかなりへこんでしまった。


だが、この僕のこの行動は彩音さん、そして父さんも予期していた行動であったらしい。


この僕自身が血を欲しているのではなく、僕の中に潜む彼奴が異常なまでに血を欲しているのだという事を……。


園の中で休眠状態であった彼奴。僕の中に戻り完全に目覚めた訳ではないにしろ、彼奴は、活動を活発化しようとしている。いわば目覚めるために必要な自らの力を今蓄えようとしているのだと。


「ごめんねぇ景ちゃん。でもさぁ私の血はあなたは吸っちゃいけない。私の血は飛鳥頼斗。パパの吸血鬼としての能力が混在している。あなたほどではないにせよその力は強力なもの。きっと何らかの影響は受けるはず」


「ううん、本当にごめんなさい彩音さん。僕自分自身ではもうどうにも出来ない状態にまでなってしまっているんだ。朝気が付けば、明らかに僕はどこの誰かの知らない人の血を吸ったという痕が毎朝あるんだ。僕にはその記憶は全くないんだよ。それに彩音さんの血を吸おうとした時も、僕は分からなかった。どうして彩音さんの血を吸おうとしたことも。このままの状態が続けば僕は飛んでもないことをしてしまいそうで怖いんだ」


「……、そっかぁ」そう言って彩音さんは僕を抱きしめた。


「もう時期始まるのかもしれないわね」抱きしめながら、僕にそっと呟くように彩音さんは言った。


「始まるって……」

「ねぇ景ちゃん。今日私のラボに来てくれる?」


「また検査なの?」


「うん、そうなんだけど……。とにかく来て、今日は私学校休むことになっているから」


「分かった。行くよ」

「それとね、園ちゃんも一緒に来てほしいの」


「園も? 園も検査が必要なの?」


「……まぁね」にっこり微笑みながらもその顔には何か影を感じさせた。


彩音さんは今、僕と同じ高校で3年生の生徒として登校している。これは知っていると思うけど、半妖である彩音さんが年を止め18歳という年齢から進まない様にしている。実際の年齢は触れないでおいた方がいい。


「学校が面白そうだから」そう言っていたが、本当は僕の事が心配なんだろう。


そして何を隠そう彩音さんは医師免許も持っているれっきとした医者でもあり、関連する研究室で僕には良く分からない事だけど、何かの研究を行っているプロジェクトリーダでもある。


その研究が僕ら吸血鬼の一族に関連していることは、何となく感じている。


その日僕と園は学校を半日で上がり、彩音さんがいるラボへと向かった。

「ねぇ、景。彩音さんのラボってどんなところなの? 私初めて行くんだけど」


「う、うん……。なんか病院みたいなところなんだ」


「病院?」


「そこで僕は定期的に検査を受けたいたんだけど、今回はまだその検査日にはなっていないんだ……」


俯いた僕の顔を覗き込むように、園はそっと見つめてくれていた。


彼女の甘くやらかい香りが僕に漂う。その香りが揺れる電車の中で僕を包み込む。

心地いいリズミカルな電車の音と揺れ。園の優しい香に包まれ途轍もなく深い睡魔に襲われそうになる。



多分この睡魔に支配されたのは、ほんの一瞬の事だと思う。



また僕あの草原に誘われていた。

これでここに来たのは3回目になるんだろうか……いや違う。

僕は毎日ここに来ていたような気がする。


僕の意識がない時僕はここにいた。

誰もいないただ茫漠と広がるこの草原に。


時折吹くそよ風が草原の草の葉を鳴らし、サラサラとした音だけが僕の耳に入る。

遥か遠くにかすむ地平線、空と草原がぼやけて見える彼方。


陽炎の様にゆらゆらと揺れるその先にある動くものを目にした。その動くものは真っすぐに僕の方にやってくる。


ゆっくりと……次第に草を踏む音が耳に入ってくる。


それは人だった。


もしかしてまた彼奴が僕に何かを語り掛けるためにやって来たのか?

しかし、その姿は彼奴とは違う。


スッと目鼻の整った優しい顔つきの紳士。多分男性であろう。しかしながらその容姿は女性としても見いだせる事が出来るほど美しかった。


「飛鳥……景。ううん『フルベアート・ルクセント・ル・バンパイア』あなたにお会いするのは初めてですね」


その人の声はまるで何かの曲を聞いているような、柔らかくそして温かい声だった。


「あなたは……」


「私は、あなたの先駆けとなる存在。そう人々は私の事を『バンパイア』と呼んでいたようです」


バンパイア。



幼いころ、僕は父さんからおとぎ話のような話を訊かされたことがある。

それははるか昔某国であった昔話だ。


だがこの話を知る者はこの世界には、ほんの限られた者しか知らない話だという。そう、これはおとぎ話として語り継がれた真実の話だったのだ。




この世界が始まった時の話である。

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