第3話 女神様の受難

 ここは宿屋の一室。

 一夜明けても、飾り気のないベッドのうえにうつぶせになったまま、太一は身じろぎひとつしなかった。


「……ご主人様。そろそろ元気を出してください」


「いつまでへこんでんのよ。とりあえずなにかおいしいものでも食べたら元気が出るって」


 ベッドに倒れこんだまま滂沱のごとく涙を流す太一に、二人が慰めの言葉をかける。

 だがショックのあまり下がりきったテンションは全く戻らない。

 枕のシミは広がる一方だった。


「俺の夢が……。ケモミミっ娘ハーレムが……」


「いないものはしょうがないでしょ。いい加減諦めなさいよ!」


「そうですよご主人様。ハーレムごっこがしたいなら私たちが付き合ってあげますから」


 太一は枕に押し付けていた顔を少し上げ、ユキとノワールをチラッと見る。

 そして深くため息をついたあと、再び顔を戻す。


「お前たちは俺の子供も同然だ」


 家族であると宣言された二人の顔に隠しきれない喜びが浮かぶ。


「自分の娘に欲情する親などいない……」


 だが続く言葉には、ちょっとがっかりした表情を浮かべていた。

 もっとも枕に顔を埋める太一は、その様子に全く気がつかなかったのだが。


 だが、それでも懸命な二人の慰めの甲斐あって、少しはやる気も戻ってきたようだった。






「はぁ。いつまでもぐだぐだしてても仕方ないか。とりあえずいくつか教えてくれ」


 ようやくベッドから体を起こし、向かいのベッドに二人を座らせる。


「まずその耳と尻尾はどうなってるんだ。触ったら体温を感じるし、感情に合わせて動いてるように見えるんだが」


 太一の言葉に二人は耳をぱたぱたと動かしてみせる。


「これは女神様にいただいた専用装備ですね。ご主人様がいただいたスキルと同じようなもので、これを装備することで私達は犬や猫のときと同じ特性を発揮できます」


「目立つところだとお姉ちゃんは犬の嗅覚と持久力。アタシは猫の聴覚と敏捷性ね。ヒトへの転生は私たちの希望だけど、転生したら色々勝手が変わりすぎて大変でしょうって用意してくれたのよ」


「ちなみに――」


 言葉を区切ったユキは、イヌミミを取り外すとおもむろに太一の頭に載せた。


「お、おい」


 しかしそれはどうみてもただのイヌミミカチューシャのままだった。


「私やノワちゃんがつけないとただの飾りでしかないです。他人が私たちから勝手に取り外したりもできません」


「なるほど。本当に『専用装備』なんだな。まぁ簡単に他人に奪われたら女神様も立つ瀬がないか」


「しかしアンタはこれ似合わないわね」


 イヌミミ装着状態の太一をみながら、ノワールがのたまう。


「当たり前だ。ケモミミ男なんてどこに需要があるというんだ」


「需要とかそういう問題なの……?」


 再び頭に装着したユキが頭を撫でやすい位置にかがむと、太一は自然とその頭を撫でていた。


「ところでこれ、普通に動くけど、触覚とかあるのか?」


 耳を軽く摘んでふにふにしながら尋ねる太一。


「耳も尻尾もちゃんと触られてる感覚ありますね。ヒトとしての耳もあるので、なんだか不思議な感じですけど」


 そういいながら耳にかかる髪をかきあげるユキ。

 なにげなく人間のほうの耳に触ろうとして、ふと気づいて顔を赤くしながら太一は手を引っ込めた。

 ケモミミを触るのは平気なのに、普通の女性の耳を触るのは羞恥心が勝ったらしい。


「ま、まぁ二人がもらった特典はそれだったんだな。案外まともというか、もっとはっちゃけてもよかったんじゃないか?」


 そう太一が言うと、二人はジト目で見つめてきた。


「ご主人様に言われるとすっごく心外です!」


「アンタが欲望のままに分けわかんない望みをするから、私たちまで好き勝手したら生活がままならないでしょうが!」


 威嚇するかのように二人は太一に吠え立てた。


「う。それはすまんかった」


 さすがの太一も少しは罪悪感があるのか、素直に謝罪する。


「ふがいない主ですまん。まぁあれだ。二人が獣人じゃなかったのはちょっと残念だけど、これからもよろしく頼むよ」


「もちろんですご主人様。前にも言いましたけど、私たちのご恩返しはこれからなんですから」


「はぁ。しょうがないから私たちがアンタを守ってあげるわよ」


 頭を下げ、しおらしく頼み込む太一に、二人は仕方ないなぁといわんばかりに苦笑した。




「よし! 話が済んだところで出かけるぞ!」


 さきほどまでのしおらしさがあっさり鳴りを潜め、太一は上着を持って立ち上がる。


「え? いきなりなによ。何処に行くっていうのよ?」


 ノワールはもっともな質問をする。

 一方ユキは太一の上着を受け取り、いそいそと主人に着せていた。


「無論、女神のところだ。なにはともあれまず一言、文句を言ってやらねば気がすまん!」






 道行くひとに道を尋ね、数刻後、三人は教会の前に立っていた。

 どうやらこの世界ではあの女神が創造神にして唯一神らしい。

 一柱しかないゆえに神に名前はなく、当然宗教にも名前はない。

 ゆえに教会とはあの女神を祀るもののみ。

 実にわかりやすい。




「ご主人様。本当に行くんですか?」


「当然だ。俺の夢が叶わない世界ならはじめにそういっておけというんだ!」


「うぅん。太一と女神様のやりとり、実はアタシたちも見てたんだけど、なんか噛み合ってなかったと言うかずれてたというか……」

 ユキの制止もノワールの呟きも、太一の耳にはまったく届いていなかった。


 質素ではあるが、上質のレンガで造られ手入れの行き届いた教会。

 昼間は常に開け放たれているであろう重厚な扉を通り抜けると、左右には整然と並べられた木製の長椅子。

 ステンドグラスの柔らかな光が降り注ぐ室内には、温和な笑みを浮かべた年老いた神父様が立っていた。


「教会にようこそ。はじめてみるお顔ですが旅の方ですかな?」


「はい。ここに来れば女神様のお声を聞けるかな~と思いまして」


「え?」


 神父様の挨拶ににこやかに答えるユキの言葉に、神父様の顔に困惑の色が浮かぶ。

 それはそうだろう。

 電話じゃあるまいし、教会にきただけでほいほい神の声が聞こえるわけがない。

 ――そう、本来ならば。




 ユキが取り出したペンダントをみた神父様は、それでこちらの事情を察したらしい。


「なるほど、皆様は異世界からのお客人だったわけですか。それならば、もしお困りならば女神様のお導きがあるやも知れませんな」

 神父様に導かれるまま、三人は女神像の正面に立つ。

 慈愛の微笑を浮かべたそれは、ひとめで長年大事に祀られてきたものだとわかった。

 かなり年季が入っているはずなのに、隅まできれいに磨き上げられていて、汚れひとつ、傷ひとつ見当たらない。

 神父様に毎日丁寧に手入れされているさまが目に浮かぶようだった。


「さあ、この像の前に跪いて、共に女神様に祈りをささげましょう」


 手本を見せてくれる神父様に従い、三人は女神への祈りを捧げるのだった。






 女神様の朝は早い。というかそもそも眠らない。

 今日も女神はいつものごとく、朝食の準備をしていた。

 本来、神が食事を取る必要は全くない。

 完全なる存在なのだから当然だ。

 ちなみにもちろん女神様はトイレなど行かない。


 だが異世界人を招くようになってから、この世界の食事は大きく変化した。

 彼らの作る多彩な料理。

 そしてそれを食す人々の嬉しそうな笑顔。

 毎日を生きるのに精一杯だったこの世界をみてきた女神様にとって、その変化はとても興味深く映った。

 いつしか、女神様は見様見真似で料理を作り、下界を見守りながら食事を楽しむことを覚えた。




 今日の朝食は焼きたてパンとベーコンエッグとシーザーサラダ。そして濃い目に淹れたコーヒー。

 紅茶派の女神様も、朝はコーヒー一択だ。


 信心深い農家のおじさんが毎日供えてくれる、新鮮な卵と自家製のベーコン。

 同じくお供えされた焼きたての食パンを厚めにスライスして、ほどよくトースト。

 パンに乗せるベーコンエッグはもちろん半熟だ。

 最後にこれまたお供えの朝一採れたての野菜たちにクルトンをまぶし、粉チーズと酸味の利いたドレッシングをかけて出来上がりだ。


 まるで一人暮らしをはじめたばかりのOLのような朝食を並べ、満足げに女神は手を合わせる。


「さて、今日も我が信徒たちからの捧げ物をありがたくいただきましょう」


 ちなみに他に誰かいるわけではない。

 一人が長くなると自然と独り言が出るようになってしまうのは女神であろうと変わらないようだった。


「今日は昨日送り出したばかりの三人の様子でも見ながらの食事としましょうか」


 そう呟き、感覚を彼らの周囲に飛ばそうとしたとき――




『女神様女神様。聞こえますか。私は今、あなたの心に直接話しかけています』




 ――ぶふぉっ


 不意を突かれた女神様は、口に含んだコーヒーを盛大に噴き出した。


 ――ごほっごほっげふぉっ


 コーヒーが気管支に入り込んだのか、女神様は咳き込み続ける。

 そしてむせている間にも謎のメッセージは呼びかけ続けていた。


『女神様? おーい、女神様~』


 何度か続いていた呼びかけが、段々と遠慮のないものになっていく。

 この声には聞き覚えがある。

 というか今様子を見ようと思っていた相手だった。


『た、太一さんですね。何か緊急の用でもございましたか。ごほっ』


 なんとか持ち直した女神様はメッセージに答える。

 咄嗟のことで、女神の神託の決まりとか、女神の威厳とか、もろもろすべて吹き飛んでいた。


『今回は一言文句を言ってやろうと思って連絡を取りました』


『も、文句ですか?』


 女神様は絶句した。

 それも当然だ。転生させて望むスキルも与えて、喜び満面の笑顔で旅立っていったはずなのになぜ一日でそんなことになっているのか。

 女神さまはとりあえず事情を聞いてみることとした。






『あぁ。そもそもが勘違いから始まっていたのですね』


『そもそも獣人がいない世界なら最初に言っておいて欲しかった。というかいまから獣人のいる世界に転生しなおすことはできませんか?』


 女神様は太一に延々と愚痴を聞かされ、懇々と自分の望む世界を説かれていた。


『ごめんなさい、太一さん。私の世界はあなたの今いる世界だけなのです。なのでその希望を叶えることはできません』


『そうですか……』


 太一の異世界での望みが一流テイマー、あるいは狩人と勘違いしてしまったが、まさか獣人の女の子でハーレムをつくることだったとは。

 気落ちした太一の声に少し心が痛むが、女神様の自由になるのは、あくまで自分で作り出した世界のみだった。


『わかりました。いないものは仕方がありませんし、ケモミミっ娘ハーレムは諦めてこの世界で生きていきます』


『あなたの望みを叶えてあげられない私を赦して下さい。できる限り力になりますから、がんばってくださいね』


『私はあなたを赦しましょう。あまり気に病まれることがない様に』


『お気遣いありがとうございます、太一さん』


 太一の欲望まみれの嘆きを切々と聞かされ続けた女神様は、罪悪感のあまりにいつのまにか立場が逆転していることに気づけなかった。


『今後も困ったことがあれば、また祈りを捧げてくださいね。ああ、いつも教会を探すのは大変でしょうから、ペンダントに祈りを込めることで繋がるようにいたしましょう』


『それは助かります。では今日はこのあたりで失礼します、女神様。ぐちを聞いていただきありがとうございました』


 なにやら変なルビが振られた気がしたが、話すことでスッキリしたらしい太一が接続を解除する。


『はぁ。とても疲れました。私女神なのに』


 漸く開放された女神様がふとテーブルを見渡すと、すっかり冷め切ったコーヒーと、噴出されたソレが撒き散らされた朝食が残されるという悲しい光景が待っていた。

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