◇閑話◇ レオナルドとミケランジェロの雑学

*前回作品紹介のおまけと思って下さい。

*長くなりすぎたので、◇閑話◇にしました。すみません!


【彩霞の(読者のためにはならない)雑学】

『【KAC2023⑤】ルネサンス筋肉小話~レオナルドVSミケランジェロ~』を読んで、レオナルドとミケランジェロのことを知っていただけたら、二人の対決もより楽しめるのではないかと思い、勝手にお節介をやいてみました。(私が単純に書きたかっただけというのもあるのですが<笑>)

 改めて調べた部分もあるのですが、専門ではないですしうろ覚えなところもあるので、お読みになる場合は「へー、そーなんだー」程度に読んで下さい(笑)



(雑学1)

 レオナルドとミケランジェロは同時期に生きたこともあって、実際に二人が「フィレンツェ共和国が勝利を収めた戦いの壁画」を描いた歴史があります。


 15世紀末ごろのフィレンツェでは、サヴィナローラという熱狂的な修道士が人々の人気を集めていたのですが、それと同時に「芸術は悪だ」とか「享楽は信仰の敵だ」と言って贅沢を責めたこともあり、不安も掻き立てていました。

 このような社会情勢などの影響もあって、ミケランジェロは一度フィレンツェから出て行きましたし、レオナルドも別の理由でイタリアのミラノから去っていました。


 その後、サヴォナローラの神権政治が始まったのですが、後にローマ教皇のアレクサンデル6世が彼を破門。市民の中で混乱がおきたあと、サヴォナローラは火あぶりの刑に処され、新たに街の長官となったのがピエロ=ソデリーニでした。


 書籍によっては、このピエロが「ダヴィデ」の制作を依頼したように書かれているものもある一方で、「毛織物職人組合のアルテ・デッラ・ラーナから依頼されて制作された」と記しているものもありました。


 まあ、その真偽は置いておくとして(笑)、「フィレンツェ共和国が勝利を収めた戦いの壁画」をピエロが頼んだのは本当のようです。サヴォナローラによって奪われていた芸術を取り戻すかのように、ピエロはレオナルドとミケランジェロをフィレンツェに呼び戻し、二人に政庁舎の五百人広間を飾る壁画の依頼をします。


 レオナルドには「アンギアーリの戦い」、ミケランジェロには「カッシーナの戦い(カスチーナの戦い)」(鐘古さんの作品では「カッシナの戦い」と表記)を頼んだのですが、結果的にこれらの作品が完成されることはありませんでした。

 鐘古さんの作品を読めば分かりますが、レオナルドが描けなかったのは新しい技法を用いたところ絵の具が流れ出してしまい、壁画の一部が台無しになってしまったから。


 一方のミケランジェロはいくつか下書きを描いたようですが、当時のローマ教皇ユリウス2世に呼び出され旅立ってしまったため完成できなかったと言われています。

 他にも、制作の拠点をそれぞれがフィレンツェではない別の場所に移したからという話も聞きますが、この辺りの真偽がどうなっているのかはちょっと分かりませんでした。



(雑学2)

 皆さんご存知かもしれませんが、レオナルド・ダ・ヴィンチとは「ヴィンチ村のレオナルド」という意味です。


 昔、美術の先生に「君たちね、『レオナルド・ダ・ヴィンチ』のこと『ダ・ヴィンチ』って言ってるけど、それ『ヴィンチ村の』って言う意味だからね?」と指摘されたことがあります。それ以来私は彼のことを「レオナルド」と言うようになりましたが、「ダ・ヴィンチ」といえば「レオナルド・ダ・ヴィンチ」だと分かるくらい、浸透しているのも事実だなぁと思います。



(雑学3)(私の勝手な印象も盛り込まれているので、真に受けないで下さい 汗)

 ミケランジェロは真面目で、芸術一筋の人だと言われています。でも、「真面目」というのは私の印象としてはちょっと違います。


 彼は絵画も彫刻もしていますが、二つを比べたら断然彫刻の方が好きだったと思っていて、何かの資料だったか誰に聞いたか忘れてしまったのですが、絵画の依頼を引き受けても、それは自分の気が向いたときだけにやって、彫刻をやりたくなったらそっちを優先的に行っていたらしいのです。それくらい、彫刻が好きだったんだろうなと思います。(とはいえ、絵画も超絶上手いですが。天井画などは制作する過程などを知ると、より凄さが分かります)


 ミケランジェロの彫刻を見てみると、その力強さと美しさに圧倒されますが(私は『ピエタ』という作品が好きですね。今回紹介した作品にも登場します)、どうしてそういうものが彫れるのかと聞くと、「石のなかにすでに作品があって、俺はそこから彫り出しているだけなんだ」みたいなことを言っていたらしいです。天才の言うことは一味違いますね。


 しかし、若い頃の作品と晩年の作品を見比べてみると、後者は力が衰えた感じが私にはしました。彼が「石のなかにある作品」を彫り出していたのだとしたら、晩年はそれが見えなくなったか、彫り出す力が衰えてしまったのだろうなと思います。


『【KAC2023⑤】ルネサンス筋肉小話~レオナルドVSミケランジェロ~』では、制作意欲がほとばしる時期のミケランジェロが登場しているなと思います。(雑学3)のことを踏まえてこの作品を読むと、最後にミケランジェロが取った行動は、「石のなかにこの姿があったのだ!」と言いそうな場面だなと思います。



(雑学4)

 ご存知の方は多いかもしれませんが、レオナルドは芸術以外にも、爆弾や要塞などの兵器設計をしていたり、ヘリコプターの考案もしたりしていました。また解剖学や都市計画などにも携わっていたことがあったようで、とにかく色んな事に興味を持っていた人なんだろうなと思います。

 しかし、多才であるが故に忙しかったこともあり、自分を憐れんでいたこともあったようです。


 晩年はフランス王であるフランソワ1世の元で生活していたようですが、「どういう生活を送っていたのか」と言う点については書籍によって見解が違います。


「王のお陰で隠遁生活が送れた」と解釈される一方で、「弱冠20歳だったフランソワ1世が、毎日のようにレオナルドのところに行って話し込んでおり、仕事ができなかった」という解釈もあるようです。


 いずれにせよ、この天才に興味がある人にとっては面白い話だろうなと思います。


(雑学5)

『ピエタ』についても書いておきます。


 ピエタというのは、「憐憫」や「敬虔」の意味を持つラテン語から発生したイタリア語。「キリストと、彼の死を嘆く聖母マリアの姿」の祈念像として、中世以降一般的に広がったのち、ゴシック以降にこれを指す言葉として「ピエタ」が使用されるようになったそうです。


「ピエタ」を題材に作られた作品は沢山あるので、検索してみると出て来るはずです。その中でも、ミケランジェロの作品は美しいなと私は感じます。これを23歳が制作したというのですから、恐ろしい才の持ち主ですよね。



(雑学6)

『【KAC2023⑤】ルネサンス筋肉小話~レオナルドVSミケランジェロ~』の作中にも「サライ」という人物が登場します。本名はジャン・ジャコモ・カプロッティ(通称サライ)。その彼とレオナルドの関係は、この作品を読むと「弟子以上の関係」ということが何となく分かると思いますが、どうやら二人は同性愛的関係だったと言われています。


 また「『モナ・リザ』のモデルはサライではないか」という説を、イタリア文化遺産委員会が発表していているくらいなので、真偽は別としても相当親しかったことが伺えます。(『モナ・リザ』のモデルは、フィレンツェの商人ジョコンドの妻とも言われています。確かこちらのほうが通説です)


 天才の作品であり、レオナルドという人物に人々を惹きつける魅力があるからこそ、後世の人々は彼が「当時何を考えていたのか」という頭脳的な部分はもちろん、「どういう人を好いていたのか」という人間的な部分のことも知りたい思ってしまうのでしょうね。


(雑学7)

 レオナルドとミケランジェロは仲が悪かったようです。(どちらかというと、ミケランジェロが一方的に嫌ってたらしい)




 ためにならない雑学は以上です(笑)


 他にも書きたいことがありましたが、すでに無駄に長くなっているのでこの辺にしておきます(笑) 読んで下さった皆さん、お付き合い下さりありがとうございます。

 是非、紹介した作品も読んでみてくださいませ~。

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