第61話 『偉いってなんだ(つばさ文学賞に応募中です)』 @Teturoさん
〇作品 『偉いってなんだ(つばさ文学賞に応募中です)』
https://kakuyomu.jp/works/16817139556228086576
〇作者 @Teturoさん
【作品の状態】
完結済。5万5千字程度。
【セルフレイティング】
なし。
【作品を見つけた経緯】
以前『チャキチャキな床屋さん』をここで紹介したこともあって、また何か別の作品を読んでみようと思い訪問したところ、こちらの作品が代表作のところに置かれていたので、読んでみることにしました。
【ざっくりと内容説明】
小学2年生のケンタ君が、近所に住むおじいさんと出会って、色んな人と関り、普段何気なく周辺にある物事について、深く考えていくお話です。
【感想】
主人公は小学2年生のケンタ君。
小生意気な感じと、口の悪さが気になりますが、根は優しい子です。
そんな彼の近所には、ボサボサの白髪頭に、白いチョビ髭を生やしているおじいさんが住んでいます。どうやら最近になって引っ越してきたようなのですが、両親はケンタ君に「その人に近づかないように」と言い聞かせるのです。近所の人たちは誰がどういう人たちか知っているだけに、得体の知れない人が住み着いたため警戒していたのです。
しかし、ケンタ君はあることをきっかけに、そのおじいさんと話をする機会を得ます。すると、おじいさんには色んな知識を持っていて、雑草のこと、言語のこと、農業のこと、民族のこと、化石のこと……、ケンタ君が疑問に思ったり「そうなのか?」と尋ねると、きちんと教えてくれるのです。
おじいさんがケンタ君に教えてくれた話の中で、私が特に面白いなと思ったのは、種の話です。
それが「雑種強勢」(作中では「強勢雑種」とありましたが、調べたところ「雑種強勢」の方が一般的のようだったので、ここではこちらの表記を使用しています)のことです。ここから「F1種」という種のことを想像しました。
私もこれに関してそれほど詳しいわけではないのですが、少し前まで農業で使われる種は、アメリカのある大きな企業に牛耳られていました。
その企業が売っていたのが「F1種」という種。
「F1種」というのは、「異なる特性をもつ近交系または純系の品種を交配した一代雑種(F1)の種子(『大辞泉』より)」のことです。一代雑種(もしくは「雑種第一代」)とは、遠縁の種子同士を交配させてできた最初の種子ということですね。
この「F1種」はとても優れています。何故なら、両親のいいところを受け継いでいるため、普段使っている種子よりも病気に強く、また成長も早い上に、大きくなりやすいという特徴があるからです。
農家は、出来上がった野菜や果物を買ってもらうことでお金になります。そのため、出来る限り成功率の高い種子を選ぼうとする心理が働きます。すると農家は、今まで土地に根差してきた「在来種」や「固定種」と言われるような種を使わなるのです。
しかし、「F1種」にも欠点があります。
それは、「F1種」同士で出来た種は、「F1種」以上にはならないということ。
メンデルの法則を思い出してみると分かると思いますが、「F1種」は両親から受け取った良いものが顕現しているだけで、遺伝子のなかには劣った部分(というわけではないのですが、「小さい」とか「形が悪くなる」といった農家や買い手側としては不都合な部分があるということです)があるためです。
そのため、掛け合わせると「F1種」よりも育てにくい種が出来てしまう。買い手はどうしても見目のいい野菜を買おうとしますから、いまいちな出来の野菜ができると分かっていて、作ろうとは思いませんよね。
当然農家は、収入を得るために「F1種」を買い続けなければならなくなります。
「F1種」という種によって、アメリカの種苗企業は世界の多くの農家からお金を得ていました。それも優れた種ですから、高く売れるのです。
しかし、これによって色んな問題ももたらされました。
『偉いってなんだ(つばさ文学賞に応募中です)』では、その問題の一つが取り上げられています。以下にその一文を引用いたします。
>貧しい国で農業援助を行うにしても、強勢雑種の種子を与えては、永続的な農業を期待できない。できた野菜も自分たちで全部食べてしまって、売ることができないから、お金を得ることもできない。
日本の農家は、後進国から比べればお金はある方なので、「F1種」を買うことができます。
しかし、今食べるのにやっとの貧しい国で「F1種」を買ってもお金がかかるばかりで、続けることができません。
そのため、その土地にある種を使って農業をしようというのです。その種は確かに「F1種」のように出来のいいものが作れるとは限りませんが、その土地で自分に降りかかるであろう災難に対応できる力を備えており、次の世代にも残すことができるのです。それが「固定種」。ですから、貧しい国では積極的に元ある土地の種で、作物を育てようとしているのです。
ちょっと種の話が長くなりましたね。すみません。話を戻しましょう。
おじいさんと関わっていると、ケンタ君は色んな国の人との出会いにも恵まれ、より広い視野での考え方を養うようになります。
そしておじいさんは常に穏やかで、ケンタ君の行動や考えを尊重しつつも、彼自身が持っている知識を押し付けるのではなく、諭すように語ってくれるのです。
私はこの作品を読んだとき、どの時代にも、このような大人が子どもたちの傍にいてくれたら、きっと学びが豊かになるのではないかと思いました。
子どもの教育とは難しいものです。
「立派に育つように」とか「ちゃんとした大人になるように」と親は子に願いますが、それって具体的にどういうことなのでしょうか。
社会に出てちゃんと仕事をすることでしょうか。いい企業に入ることでしょうか。それとも自分の夢をかなえることでしょうか。はたまた、誰にも迷惑をかけないで生きることなのでしょうか。
私は教育学者ではないので、偉そうなことは何も言えませんが、子どもの教育にとって重要なのは、彼らの好奇心や関心があるときに適切に答えてあげたり、共に考えようとする人が傍にいることではないかと思うのです。
それが、ケンタ君の傍にいてくれたおじいさんなのではないでしょうか。
知人から聞いた話ですが、今の教育現場はとてもギスギスしているといいます。
コロナ対応のこともありますし、生徒に対して教員の人数が足りていないのです。そのため、余裕を持って子どもたちを見ることができません。おじいさんとケンタ君の間のように、分からなかったらぱっと聞いて一緒に考えてくれる大人は中々いないのです。
子ども一人ひとりが考える環境を整えることも重要ですが、多くを知っている大人が傍にいて様々なことを学ぶことは、自分の考えを広げ深めることになるのではないでしょうか。それはきっと人生を豊かにすることにも繋がるように思います。
今日は『偉いってなんだ(つばさ文学賞に応募中です)』をご紹介しました。
それでは次回、またお会いしましょう。
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