第26話 風の泣く舞台で

 断崖に掘り造られた灰園ガーデンを抜けた先に広がっていたのは、底無しの大火口≪死神の釜タナトス・ホール≫だった。


 火口に突き出た半円状の平坦な岩盤には、何の設備も柵も無い。岩盤の先にはどこまでも深く暗い大穴が広がり、さらにその周囲を遥か高みまで断崖が囲んでいる。頭上には、その断崖で円形に切り取られた空が、舞台に陽を落としていた。


 風が、泣いている――……


 大穴から吹き上げる冷たい風は、周囲の断崖に反響し、悲鳴とも嘆きとも取れる音色を響かせる。まるで数多あまたの亡者が、奈落の底から生者を呼んでいるような……そんな気が、した。


「ダニー……聞こえてる?」


 灰園の出口から、およそ10m先に立つダニーに向かって、私は願うように声をかける。左腰につけた、薬瓶を入れたウエストポーチをぎゅっと左手で握りながら。


 ダニーは、両手に二刀をだらりと提げ、舞台の中心で佇んでいた。ダニーの顔は、まるでフルフェイスの兜を着けているかのように白銀の鋼毛に覆われており、その表情を伺い知ることは出来ない。


「ねえ――」


 近付こうと私が一歩右足を出した瞬間――


 ――チャキ……


 ダニーが二刀を構えた。その2つの剣先を、私に向けて。それ以上近付けば、斬る――そんな殺意を込めて。


「……!」


 私は動揺し、足を止める。いつも私を守ろうとしてくれたダニーが、私に剣を向けるなんて……本当に心まで灰人になってしまっているんだね、ダニー……。


 やるしか、ない。


 ひとつ長い息を吐き、目を瞑る。覚悟を決めて、意識を闇の中へ潜り込ませていく――


……


 闇の中、いつもは私の前にある炎塊が、今は私を取り囲むように燃え盛っている。まるで、今にも私を炎の渦に飲み込まんとしているかのように。


『我をもって何を灰とす』


 包むように迫る炎の壁が、重く唸った。チリチリと火花を散らし、私の体を火照らせる。


「……ダニーをむしばむ魔を」


 炎のプレッシャーを押し返すように、語気を強めた。私が灼きたいのはダニーじゃない。ダニーを灰人にしてしまっているだ。


 すると炎の壁の中に、ある少女をかたどった炎が浮かぶ。私によく似たその少女は、赤髪を炎になびかせながら、呟いた。


『あの子、強いわ。あなたじゃとても敵わない』

「……そんなの、わかってる」


 赤髪の少女の通告に、私はうつむいてそう言った。


 幼い頃は私より小さかったのに、いつの間にか私の背を抜いたダニー。いつしか、力じゃとても敵わなくなっていた。まして今は灰人と化し、ニドに匹敵する程に強靭な力を手にしている。


「でも……絶対助けるって、決めたから」


 顔を上げ、右手をぎゅっと握り締めて答える私に、赤髪の少女はやっぱりという顔をした。


『……そう。諦めが悪いのね。その心、強く持ちなさい。≪流転の炎≫は、あなたの望むままに灼いてくれる』


 赤髪の少女は、どこか自分に言い聞かせるような口振りでそう言った。


「≪流転の炎≫……? この炎のこと、何か知ってるの? あなた、何者?」


 当然の疑問が次々と口をついて出た。赤髪の少女を象った炎が、パチパチと火花を散らす。


『……私はただの残火、名などとうに失ったわ。炎の意味は、じきにわかる。ここは主の座す庭だから』

「どういうこと?」

『もう行きなさい。あの子が待ってるわよ……精々、もがくのね』


 赤髪の少女は一方的にしゃべると、ゆらりと揺れ、炎の中に溶けるように消えた。


 一体何だったのか、よくわからない。けど、今すべきなのはダニーを助けることだ。集中しなきゃ……!


 炎の壁は火勢を増して私を飲み込み、闇を朱に染め尽くす。さながら、世界を喰らう巨龍の様に。


……


 目を開けると、私の灰髪は赤く染まり、天を衝くように逆立っていた。足元から噴き上がる炎は、全身を包むように燃え盛っている。私は二振りの短刀を腰から抜き、構えながらダニーに向かって叫ぶ。


「……言われなくても、もがいてやる。私はアナスタシア・ストラグル――英雄から名を授かった≪もがく者≫! ダニー、あんたがどれだけ剣を向けてきたって、絶対絶対助けるんだからッ!!」


 私が啖呵を切るやいなや、ダニーは前傾になり白銀の両翼を広げた。陽の光が翼に反射し、煌めいた瞬間――


 ――ゴゥッ!!


 ダニーが地を蹴ると、まるで大きな白銀の燕のように地面スレスレを飛び、迫る! 全幅3mはあろうかという両翼は岩盤に細長い影を落としながら、風を切り灰砂を巻き上げ、一瞬にして距離を詰める――!


「――速いッ!」


 私は即座に右に跳び、飛翔して迫るダニーをかわす。しかし、水平に長く伸びる左翼をかわしきれない!


 ――バヅッ!!


「ぐッ!」


 翼の先羽が私の胴をかすめた。鞭で打たれたような激しい痛みに思わず呻き、左脇腹を押さえていると、着地したダニーがすぐさま左回りに旋回し、私をめがけ水平に二刀を凪ぐ。


「≪ツムジ≫」

「!! ならこっちも――≪旋≫ッ!」


 ダニーは旋回の遠心力を剣先に乗せ、銀の二重弧を描く。私は右回りに旋回しながら、炎を纏わせた二振りの短刀で、ダニーの剣を受け流すように赤の二重弧を描いた。


 ――ギャリィイインッ!!


 共に英雄に教わった二刀の技が、銀と赤の円となってぶつかり合う。


「あうっ!」


 ――ズザアァッ


 同じ技であっても、筋力の差は歴然。私の短刀は弾かれ、身を崩して岩盤に倒れ込んだ。そこにダニーは容赦なく追い討ちをかける。二刀を逆手に持って剣先を地に向けると、大きく背を反りながら二刀を高く振り上げた。


「≪キバ≫」


 ダニーは反動をつけて勢いよく背を丸め、二刀を地に突き立てるように振り下ろす。陽の光が反射して煌めく銀の二刀は、ぎらつく獣の牙のように、倒れた私を突き刺さんと迫る。


「くッ!」


 立ち上がっていては間に合わない! 私は岩盤に倒れたまま、咄嗟に横に転がる――


 ――ゴガァァンッ!


 つい一瞬前まで私が倒れていた岩盤に、上顎の牙のごとき二刀が突き刺さった。あまりの衝撃で岩盤は円形に陥没し、放射状に地割れが走る。こんなのが私に刺さっていたら、一溜ひとたまりもない。


 ダニーが岩盤に深く刺さった二刀を抜く隙に、私は地に突いた左手を軸にザッと回りながら立ち上がり、背後を取る!


「今だッ! 炎刀の型――≪灼断する火龍の紅翼ルブルム・アラ・コルターレ≫!!」


 その場で時計回りに旋回し、遠心力を剣先に乗せる。短刀に纏う炎は火龍の翼の様に薄く延び、鋭い灼熱の刃となって赤き二重弧を描く! ダニーは地に刺さる二刀を手離して振り返ると、かわせないと判断したのか、即座に腕で防御姿勢をとった。


 水平に凪ぐ灼熱の刃がダニーの腕に迫った時、私は目を留めてしまった――ダニーの両手の革製の指ぬきグローブに。それは、ママが成人の儀の時にダニーにプレゼントした想い出の品だった。鋼毛に覆われたダニーの白面に、在りし日の面影が浮かぶ。


「あ……」


 頭をよぎる一瞬の回顧が、私の炎を鈍らせた。刀身に纏う炎の刃はその形を失い、振り切ったただの短刀はダニーに届くことなく空を凪ぐ。瞬間、ダニーは防御姿勢を解いて私の胴に前蹴りを放つ。


 ――ズドォッ!!


「――――ッ!!」


 私は内蔵が破裂しそうな程の衝撃を腹に受け、声にならぬ呻き声を上げながら、思いっきり後ろに吹き飛ばされた。


 ――ズザアアアッ!


 墜落の衝撃で、岩盤に激しく身を擦る。服は破れ、あちこちが擦りむけて血が滲んだ。


「ごふっ、がはっ……」


 腹部の激しい痛みに耐え、吐血しながらも何とか立ち上がる。


 失敗した!

 覚悟を決めたはずなのに、手を鈍らせてしまうなんて……!


 ダニーの蹴りで、私は岩盤の端まで吹き飛ばされていた。すぐ後ろには底無しの大穴が口を開けている。


 一方、10mほど離れた先のダニーは、岩盤に刺さった二振りの曲刀を悠々と抜くと、再び両手にだらりと二刀を提げてこちらを見ている。どうやら、10m以内に近付くまでは攻撃してこないようだ。


「かはっ、ふう……はあ……」


 ダニーがすぐ追い討ちしてこないのは幸いだった。私は腕で口の血を拭い、何とか呼吸を整える。


 ……次は手を鈍らせない。絶対取り戻すんだ。私の大事な兄弟、ダニーの魂を――……!

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