第23話 兄弟を分かつ引鉄

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 時を遡ること25年。


 若き樹教国王ゴードン・ユリシードは、相手がどんな身分でも分け隔てなく接する誠実な男だった。それ故に、ある晩ひとりの女性と禁断の恋に落ちる。


 女性の名はユリシア。煌めく金の長髪をなびかせるユリシアは、冴えた知性と透き通るような美しさを兼ね備えた、貧民街に咲く気高き花であった。ゴードンはその凛とした姿に惹かれ、契りを交わす。


 しかし貧民との婚姻は前代未聞。容易には認められなかった。王侯貴族との駆け引きの末、ゴードンは公爵令嬢のカタリナを正室とすることを条件に、ユリシアを側室として迎えることとなった。


 カタリナは一等樹士にも劣らぬ剣の使い手であり、心身ともに強き女性だった。カタリナはゴードンが真に愛しているのはユリシアであることを理解し、また自らが政争の道具としてあてがわれたことを理解していた。しかしカタリナは決して卑屈になることなく、ゴードンとユリシアの愛を尊重した。


 ゴードンはユリシアとカタリナを共に愛し契りを重ね、やがて2人は子を宿す。ユリシアの子はユリエスタス、カタリナの子はガヴリルと名付けられ、共に王城で育てられた。


 ガヴリルよりもわずか1日早く生まれたユリエスタスは、三度の食事より読書が好きな子供だった。剣の稽古を嫌がり座学を好んだため、視力は落ち、肌は白く、体つきも細かった。


 一方弟のガヴリルは、母親譲りの剣の腕を開花させ、体は大きくワンパクに育った。元気が有り余るばかり、しょっちゅう王城の外へ抜け出してはいたずら遊びをしていた。


 文に秀でた兄と、武に秀でた弟。対照的ながら仲良く育つ2人に、父ゴードンはいつも言い聞かせた。お前達は2人でひとつ、共に力を合わせ国を導くのだ、と。


 事が起きたのは、2人が10歳を迎えた年だった。


 ある日カタリナの心臓が、まるで突然時が止まったかのように動きを止めてしまった。持病もなく、心身ともに強きカタリナの心停止による急死は、王城にある噂を広めていく。


 誰かが毒を盛ったのだ、と。


 真っ先に疑われたのは、側室であるユリシアだった。身分の差に負けたユリシアは、カタリナを妬み、毒を盛った――かねてからユリシアとの婚姻に反対していた王侯貴族には、都合の良い噂だった。


 やがて噂はガヴリルの耳に入り、ガヴリルは王城を飛び出した。母を失った悲しみとユリシアへの疑いが混濁し、ガヴリルの心は淀みきっていた。


 灰野に佇むガヴリルのもとへ、ひとりの魔女が忍び寄る。灰野に似合わぬ純白のロングドレスとガラスのハイヒールを纏うその魔女は、ガヴリルの耳に≪毒≫を注ぐ。ガヴリルを邪道に堕とし、国を破滅に導く呪言を。


「アナタとユリエスタスの生まれた日が、としたら……? アナタの母は譲ったのよ、ユリシアに。ユリシアは怖かった……いつかカタリナが真実をばらすのでは、とね」


 真偽はともかく、その劇薬はガヴリルを狂わせた。身分、政争、愛……母を殺した全てを憎み、意地でも王冠が欲しくなった。気付けばガヴリルは、魔女の差し出す≪粉≫を拒むことなく手にしていた。


 一方、噂を聞いた国王ゴードンはユリシアに樹砲ミストルテインを持たせ、ユリエスタスと共に辺境に避難させた。噂を信じた王侯貴族はユリシアを完全に敵視しており、王城にいてはその身が危ぶまれたからだった。


 ところが、ユリシアとユリエスタスの避難した屋敷が、灰色の人型魔獣の群れに襲われる。逃げ切れぬことを悟ったユリシアは、ユリエスタスを地の灰に埋め、決して顔を出さぬよう告げた。


 頭上に響く召使い達の阿鼻叫喚、

 灰に染み込む大量の血……


 恐怖に震えるユリエスタスは、灰の中で確かに聞いた――ガヴリルの狂気に満ちた、泣き声とも笑い声ともつかぬ叫びを――……


……


 ユリエスタスは血の染み込んだ灰の中、何日も息を潜め続けた。犠牲の上に生き永らえたこの身を、魔獣に喰われるわけにはいかない。ユリエスタスは冷静に待ち続けた。


 すると不思議なことに、視力の低下していた右目が、灰の外を見透せるようになった。誰もいないことを確認したユリエスタスは灰の中から身を出し、死から数日経った母ユリシアを見た。


 母の手には樹砲ミストルテインが握られていながら、撃った形跡はなかった。ユリシアは、ガヴリルの心を思い、抵抗せず殺されることを選んだのだった。


 ユリエスタスは母の手から樹砲ミストルテインを取り、深緑の聖女の庇護を求めに行った。その時すでに王城では、ユリシアとユリエスタスは魔獣に殺され、樹砲ミストルテインも奪われたものとして処理されていた。


 ユリエスタスは聖女の助言により名と身分を伏せ、ブランチのユウリイとして≪粉≫を追う道を駆けることとなった――


……


……


……



「灰人に殺させたと思っていたが、まさか生き延びていようとは……しかし愚かなことよ。せっかく生き永らえたその矮小な命……叶わぬ復讐など夢見ず、ずっと身を潜めていれば良かったものを」


 石壁に囲まれた灰の積もる大部屋で、ガヴリルは琥珀の長剣をゆらゆらとユウリイに向け、挑発する。


「叶わぬ復讐……ね。復讐などするつもりはなかったさ、昔は。お前が死ぬべき人間なら、あの時母様が殺していたはずだと」


 ユウリイは目を伏せ、呟く。


「母様は、お前の凶行の裏にある真実を見抜いていたんだ。だからお前を許し、自らの命を差し出した。僕は母様が許したお前を、ずっと見定めていた……が、やはり駄目だね。過ちを犯しすぎた。――今ここで、貴様を討つ」


 ユウリイの言葉を、ガヴリルは嘲笑う。


「真実? 真実だと? フハハッ、そんなものはどうでもいいのだ……私はあの時、に気付いた。親の身分も、生まれた順番もどうでも良い。真に王冠が欲しければ、力をもって障害を排除すれば良いのだとッ! 我が母が排除されたようになァッ!」


 ――ガキィィンッ!


 ガヴリルが言い捨てながら琥珀の長剣を凪ぐと、その斬撃は空を斬り、届かぬはずの岩壁に深い傷を刻む。


「私を討つ? 貴様には無理だユリエスタスッ! 世界樹の樹脂から成るこの剣――樹砲のついたる家宝≪樹剣じゅけんユグドラシル≫は、有形無形の万物を斬る。たとえ岩でも雷でもな。森羅万象を呼ぶ樹砲と、森羅万象を斬る樹剣……どちらが優位か、猿でも分かる道理よ」


 ガヴリルは再び剣先をユウリイに向け、目を見開いて勝ち誇った笑みを浮かべ挑発した。ユウリイはこれに対し小さく口角を上げ、目を細め見下すように言い放つ。


「猿の道理を覆すのが、人の知恵というものさ」


「――ッ!! ほざけッ、お喋りはここまでだッ!!」


 ガヴリルは怒りをあらわにし、樹剣を上段に振りかぶりながら踏み込む。その素早い足さばきは、一瞬にして2人の間合いを詰める――!


「≪Glaive≫!!」


 瞬間、ユウリイは引鉄を引き、自らの足元に七つの光弾を放つ。ユウリイの目の前に六柱の石筍が壁状に生え、その身を隠すように立ちはだかった。


「この期に及んで身を守るとは愚かッ! そんなものは盾にもならんぞッ!」


 ガヴリルは樹剣を振り下ろし、六柱の石筍を瞬時に切り刻む。がらがらと崩れる石筍が灰を巻き上げ濛々もうもうとする中、ガヴリルはさらに踏み込み、斬った石筍の後ろに現れた細長いシルエットを即座に切り刻む。


「死ねいッ! ――!?」


 が、灰煙の中ガヴリルが斬ったものはユウリイではなく、一柱の石筍だった。がらがらと崩れ落ち、さらに地の灰が巻き上がる中、ガヴリルは周囲を見回す。


「どこだッ!」

「もう遅いんだよッ! 全部、何もかも……ッ!!――≪Glaive≫!」


 ユウリイは、ガヴリルの斬った石筍の上空から怒りのままに叫び、ガヴリルの足元めがけ光弾を放つ――


 ――ゴガァァンッ!!


 着弾点から一柱の円錐状の石槍が天に伸び、ガヴリルの胴体を串刺しにした――……


……


 ユウリイが始めに生やした六柱の石筍は、盾ではなくガヴリルを欺く罠だった。ユウリイは六柱の石筍の裏で、足下から一柱の石筍を生やし、その勢いを利用して高く飛び上がっていた。


 ガヴリルが壁状の石筍を斬り灰煙を起こすこと、灰煙に浮かぶ一柱の石筍の影をユウリイのシルエットと間違えること……全てがユウリイの計算通りだった。


……


 着地したユウリイは、石槍に串刺しにされながらひくひくと動くガヴリルを一瞥いちべつすると、白いロングコートを翻して歩き去りながら呟いた。


「それがお前の"墓標Grave"さ……さようなら、弟よ」

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