第24話 燃えよ鼓動

……


「ユウリイ、大丈夫だよね……?」


 ニドと私は、ユウリイを残し大部屋の奥の洞窟を駆けていく。道の両壁には再び鉄檻の独房が並び、血痕と爪痕だらけの内壁が、かつてそこにいた住人の苦痛に暴れた様を示していた。しかし今は誰一人の気配も無く、後ろからガヴリルとユウリイの声だけが響いている。


「……!」


 ユウリイを心配する私をよそに、ニドが何かに気付く。すると駆けるニドの体から、ビキビキと黒鋼の鱗が生え、全身を覆っていく……!


「……近い……気配は、ひとつか……!」


 細長い通路の先に、先程の大部屋に似た開けた空間が見える。徐々に近付くに連れ、身も心も刺すような冷気が強まっていく。ニドはその先を睨み付け、今にも爆発しかねんばかりの怒りにギリギリと歯を食いしばっていた。


 間違いない。あの部屋に待ち受けるのは――


「ルクレイシア……!」


 私の呟きに、ニドの歯噛みが一層強くなる。気のせいか、いつもよりニドの鱗が厚く、さらに体格が膨張しているように見えた。まるで、より魔獣に近付いていくような……。


「いいか! あの部屋に入る瞬間、炎を寄越せッ! ヤツは俺がぶッ殺すッ! 手ぇ出すンじゃねえぞ、わかったなッ!」

「う、うんッ!」


 ニドは地を割らんばかりの重い踏み込みで洞窟を駆けながら、背負った大剣の柄に右手をかける。私も駆けながら目をぎゅっと瞑り、意識を闇に潜り込ませる――


……


 闇の中、轟々と燃え盛る炎塊の前に、赤髪の少女をかたどった炎がこちらを向いて立っていた。燃える赤髪の毛先が、チリチリと火花を散らし揺れている。


『また灼くの。どうせ絶望するだけなのに』


 炎の少女は、伏し目がちに悲観しきった小さな声で呟いたが、その声は不思議と闇に響いた。


「誰、何言ってんの!? 私はニドを灼くんじゃなくて、助けるの!」


 私は少女の言葉を振り払うように右腕を凪ぎ、叫んだ。それに対し少女は、変わらず悲観的な声で呟く。


『助ける……? 無駄なことを。あの子の行く先に待つのもまた、絶望だけ』


 私と同じ年頃に見える少女がニドを"あの子"呼ばわりすることに違和感を覚えながらも、私はカチンときて叫び返す。


「あんたに何がわかるッ! 炎よ、力を貸して!」

『――よかろう』


 炎が嗤うように揺れ火勢を増すと、赤髪の少女は炎に飲み込まれ、消えた。

 炎は、闇を赤に染め尽くす。さながら、世界を喰らう巨龍のように。


……


「ぼさっとしてんな、寄越せッ!」


 目を開ければ大部屋の直前、ニドはすでに大剣を振りかぶり、灰壁に囲まれた部屋の中心に立ちはだかるルクレイシアに今にも飛び込まんとしていた。


 私の三つ編みはほどけ、灰髪は根本から燃えるように赤く染まっていく。全身から炎が溢れ、心が燃えたぎっている……!


「炎よ、ニドを守ってッ!!!」


 私の右手から炎が飛び、ニドの全身を瞬時に灼いていく。ニドの黒鱗は焼けただれるも、内側から次々と新たな鱗が生えその身を守っていた。が、それでも抑えきれぬ苦痛にニドは呻く。


「ぐぉおぉおお……ッ!」


 怒りとも苦痛とも取れる呻き声を上げながら、ニドはルクレイシアのもとへ飛び込み、炎を纏い真っ赤に燃えた大剣を振り下ろす!


 ――キィィンッ――


 ルクレイシアの頭上に大剣が迫る刹那、甲高い金属音が響く――悠然と立っていたルクレイシアが、ニドの時を一瞬止めた。しかしニドを包む私の炎が、見えない何かを轟と灼き、ニドはすぐに動き出す。


「あら……さすがは≪流転の炎≫、ね」


 一瞬の隙に、ルクレイシアは体を半身横にずらし、ニドの縦斬りを躱す。ニドの振り下ろした剣風圧で地に積もる灰が爆発したかのように激しく舞い上がった。


「おら、行けッ!」

「ニド、負けないでねッ!」


 視界を覆うほど灰煙が巻き上がる中、私はニドのシルエットに呼び掛けると、部屋の奥に続く通路へと駆け出した――


……


 ――キィンッ――


 ――キィンッ――


 ――キィンッ――


 石壁に囲まれ灰の積もる大部屋に、甲高い金属音が幾度と無く響く。ニドが燃える大剣を振るう度、ルクレイシアは一瞬の間を凍らせ、余裕の笑みを浮かべながら躱していた。ニドの大剣は大きな風切り音を上げながら空を斬り、その風圧で灰煙を巻き上げている。


わ、ニド……私を殺すんじゃなかったかしら?」


 軽やかに躱すルクレイシアは、不満気な表情でニドに声をかけた。


「うるせえッ!」


 ニドは大剣を横に凪ぎ――


「今すぐッ!」


 縦に振り下ろし――


「ぶッた斬ってやるッ!」


 ――袈裟に斬り上げる。が、その度に刹那の間を凍らされ、ルクレイシアは風圧に長い灰髪をなびかせながら危なげなく躱していく。


 斬擊、凍結、回避、

 斬擊、凍結、回避……


 炎に身を焼かれながら怒りのままに振るうニドの剣は、幾度繰り返してもルクレイシアにかすりもしない。


「その程度なの? ……飽きてきたわ」


 ルクレイシアは退屈そうに呟くと、大きく一歩跳び下がりながら右手をニドの心臓に向け、虚空を握りつぶした。するとニドの体内につんざくような金属音が響く。


「――ッ!?」


 突如胸を襲う苦しさにニドは動きを止め、大剣を手放し膝をついた。燃える大剣はがらんと大きな音を立て、地に落ちる。ニドは手が痺れ、足が痺れ、末端から脳髄まで感覚が薄れていく……!


「外側だけ灼いたぐらいじゃあダメなのよ、ニド。私が時を凍らせた――のね」


 ルクレイシアの力により、ニドの心臓は完全に停止していた。血流が滞り、全身の酸素の供給が不足したニドは、何とか息を吸い込まんとする。


「吸ってもムダよ、血が巡らないんだから」


 ルクレイシアはまるで心臓を握り潰すかのようにギリギリと右拳を握りしめながら、冷めた目で言い放った。


「……ッかはッ……!」


 ニドは酸素欠乏のあまり、締め付けられるような苦しみの中、意識が持っていかれそうになるのを懸命に堪えていた。四肢は動かせない程重くなり、目が霞み、音も消え行く中、ニドは幻覚を見た。この灰園ガーデンに染み込んだ、遠き日の幻影を――


……


……



 灰園で15歳を迎えたニドは、同い年のヨナと隣同士の独房に入れられていた。ニドが灰人となる前夜、ニドとヨナは2人の独房を分かつ石壁に背を合わせるようにもたれ掛かりながら、ある約束を交わす。


「ねえ、ニド……もし私が魔獣になったら、ひと思いに殺してね」

「……ああ。だが先に魔獣になるのは俺だ。それに、俺の剣はお前に当たらねえ」


 ニドの言葉は、事実だった。


 当時、ニドは首から下を全て黒鱗に覆われており、背中を金鱗に覆われたヨナよりも灰人化が進んでいた。また、ヨナはニド以上に俊敏で、もし本気で戦ったならば、ニドの大剣は決して当たることは無かっただろう。


「だから……お前が俺を殺せ。大丈夫だ、お前は強い」


 それは一種の甘えだった。自分はヨナを殺したくない。だからヨナに殺してほしい――。事実を盾に、ニドはヨナに甘えていた。


「……わかった。でも……全然大丈夫じゃ、ないからね」

「……」


 ニドは、未熟だった。


 いくら≪粉≫で強靭な体を得ようとも、灰園という地獄に削られたその精神は、吹き付ける嵐のなか辛うじて立つ細木の様であった。殺してほしいというヨナの願いを受け止め切れず、むしろ自らを殺すよう頼んだ。これが、灰人になる前に交わした最後の会話だった。


 翌日、灰人となったニドは、大剣でヨナの胸を貫く。ヨナを殺す覚悟の無かったニドは狼狽した。なぜ、なぜ躱してくれなかったのかと。


 ぐちゃぐちゃにこじれた感情は、全てルクレイシアへの怒りに変換した。そうしなければ精神が潰れてしまいそうな程に、ニドの心中は哀しみが渦巻いていた。


……


……


 自分は死んでもいい。


 むしろ、死にたかった。


 だが自分はヨナを殺し、生き延びた。


 にもかかわらず、ルクレイシアに一太刀も浴びせられず死ぬことなど、許せるはずがない……!


 ニドは残る力を振り絞り、可能な限り息を吸い込む――否、――!


 ニドの体内に入ったアーシャの炎は、気管を灼き、肺を灼き、心臓を灼き、ルクレイシアの凍結を解かす! ニドの心臓は再び鼓動をあげ、全身に強く強く血を送り込んでいく。が、同時に業火に灼かれる苦しみがニドを襲う……!


「ぐォおおオォぉおオ……!」


 体内外を灼かれるニドは、獣の断末魔のごとき呻き声をあげながら、大剣を杖代わりにして立ち上がる。ルクレイシアは握りしめた右手をゆるめ、驚き呆れたように言う。


「まさか身中を灼くなんて……自殺行為ね」


 ニドは焼けただれた右足を一歩踏み出して腰を落とし、燃える大剣をずしっと中段に構えた。剣先をルクレイシアの心臓に向け、灼ける苦痛を塗り潰す程の怒りの形相で睨み付ける。さながら、灼熱の業火から這い出ずる黒き鬼の如く。


「自殺……上等だ……だがまだ死なねえッ!

 死ぬのはッ!

 てめえにッ!!

 この鉄塊をぶちかましてからだッ!!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る