第9話 書く気はあっても、書けるかどうかは別の話。

 「あぁぁぁぁぁぁ!」


 部屋の中で俺は叫ぶ。防音しっかりしてるマンションで助かった。

 頭の中でまだ聞こえる。書けと迫ってくる声が。


「くそぉぉぉお!」


 土曜日、なのに朝から起きて俺は挑む。

 枯れた泉から無理矢理絞り出した物語の欠片を並べる。けど、どれも、とても俺が書いたとは認めたくない話ばかり。

 締め切りに迫られたやっつけ仕事のようだ。それでも世に出してしまっても良いのは、ある程度名作を出した大作家くらいだ。まぁ、そんな大作家も余程の事無い限り出したくないだろうけど。

 麦茶のパック、そういえば二回が限界で、三回目は十分置いてもただのお湯だったな。 

 作家は、どれくらいで出がらしになっちまうのだろう。


「いや」


 凪の顔が、信頼に満ちた目が頭に浮かぶ。

 俺のその場しのぎの書き溜めた話を楽しそうに読んでいた凪を。

 それは、まだ残っているちっぽけな作家擬きとしての意地に、プライドに火をつけるには十分だった。


「嫌だな」


 一人のファンを裏切るなんて、俺には無理だった。



 「……荒谷さん?」

「おら、何でも命令しろ。ハグか? 頭撫でるか? 褒め倒すか? それとも一日執事として過ごすか?」

「……あの、荒谷さん。いつもと違いますね」

「自分の無様さがな……」


 凪がきょとんと首を傾げて、首を横に振る。


「そういうことではなく。その、なんと言いますか……ちゃんとこっちを見てくれていて」

「何を言っているんだ?」

「荒谷さん、前は目が合ったらすぐに逸らしていたので。結構、そっぽ向かれていた気がしますよ」

 ……そうだっただろうか。

 凪のことを眩しいと思っていたのは、確かだが。

「そんなことより、良いのか? 休日なのに」

「休日でも喫茶店は開いてますから。今頃お客さんの所ですよ、二人とも」


 結局、一日かけても、納得のいく話は浮かんでこなかった。

 陽が沈んで、夜の闇に飲まれて、部屋の明かりが点く。凪だ。


「一度、君の親御さんと話した方が良い気がするんだ?」

「何をですか?」

「この部屋出入りして飯食わせてもらってること」

「あぁ、知ってますよ。うちの親」


 あっけらかんとあっさりと。

 夕食を並べる手も止めず、当然のことのようにそんなことを言う。


「流石に気づかれますよ、娘が夜中に、休日には朝から出歩ているのですから」

「マジで?」


 えっ、それで許してくれているの、ご両親、懐広すぎない? それとも、放任、なのか。


「今まで良い子にしていたので。その分ということで」


 柔らかく、凪は微笑んだ。

 なんか、悩んでいたことがどうでも良くなっていく。


「君の笑顔、人を駄目にするよ」

「へ?」

「何でもない。それで、命令は?」

「あ、あぁ……じゃあ、はい、アーン」


 今日のメインディッシュのハンバーグ。それを一口サイズに切って、フォークに刺して差し出してくる。


「……アーン」


 顔が引きつりそうになるのを抑えながら、それを食べた。


「くっ、凪、アーン」

 

 一方的にドギマギさせられるのも悔しい、俺も凪に差し出してみる。


「……? アーン」


 小さく口を開け、躊躇いがちに食べる。


「うん、良い味です。ソースも焼き具合も完璧ですね」

「……どう思った?」

「もう一口良いですか?」


 目を輝かせて真っ直ぐにこちらを見つめて来る。


「マジで?」

「はい、あーん」


 さっきよりも積極的な待機の姿勢。これが燕の親の気持ちか。


「アーン」


 差し出すと、嬉しそうに食べる。


「あっ、あとでこの時の様子もちゃんと書いて見せてくださいね」

「……わかったよ。ったく、こんなオタクで地味な奴にされて嬉しいのかねー」

「嬉しいですよ。荒谷さんは憧れの恩人ですから。それに、荒谷さん、見た目悪くないと思いますよ」

「ねぇよ。市川見てるだろ」


 あいつ、性格と人間関係はあれだけど、彼女がどんどんできるだけあって見た目良いからな。


「市川さんは、見た目の良さとそれ相応の事をやっているから、女性をとっかえひっかえできるのです。荒谷さんはその相応の努力が足りないのですよ」

「素材の問題をどう解決するんだ」

「素材は良いと言っているのです!」


 頬を膨らませて、あからさまに怒ってますアピールをしてくるが。


「信者に片足突っ込んでる君に言われても、客観的な意見として参考にはできないな」


 全く。

 そもそも、見た目良くして女作ってどうこうとか、俺には向ていない。それをするにはまず、俺の口が悪すぎる。

 思えば、凪にもそこそこ酷い事を言っている気がする。凪の場合は、結構わざとな所もあるが。


「まあ、見た目だけで人を選ぶような人に、良い人が来る確率は、低いと思いますけど」


 苦笑い、自嘲気に。

 どこか物悲しそうに、凪は笑った。


「なんかあったのか?」

「ありましたけど、その頃の私は、私ではないので」


 振り向いた時の凪は、俺が店に通い始めた時の、無表情無感情。綺麗な顔立ち故に、人形染みた印象すら感じる。

 けれどすぐに、パッと顔を輝かせて、いつもの、すっかり慣れ親しんでしまった凪になる。 


「荒谷さん。明日も期待しています」

「あ、あぁ」


 それから少し、キーボードに指を走らせる。凪の好きそうな感じに仕上げる。


「ほら、注文の品だ」

「はい、毎度ありがとうございます」


 そうして、凪はニヤニヤしながらそれを読みふけっていた。

 そんなに良いものかね。




 「あっ……」

 先に声を上げたのは、影山さんだった。


「いや、逃げるのかよ」


 大学からの帰り道、自転車で走っていた俺の正に正面から歩いてきて、俺を見た途端、曲がり角を曲がろうとしたのである。


「あっ、い、いえ。うっ」

「んな気まずそうにされても」

「だ、だって、怒る……」

「んで、なんだ? 市川ならまだ大学にいるぞ。そのまま俺とすれ違えば行けるぞ。そこ曲がっても行き止まりだ」

「……まさにこの曲がり角曲がって、行き止まりになっている家が、私の家です」

「ふぅん」


 なんだ、逃げたわけじゃなくて、帰宅を試みただけか。


「そうか、引き留めて悪かったな。それじゃ」


 ペダルを踏みこむ。別にこの子に特段用事があるわけじゃない。


「あっ、あの……寄って、行きません?」

「彼氏持ちが男をほいほい家に誘うな」

「あ、あの。お詫び、したくて、その、サボって、迷惑かけた分」

「働きで返せ」


 しかし、端正な顔立ちの中に子どもっぽさを混ぜた顔を、今度は上目遣いにうるませて向けて来るのだ。

 シフトの代わりをねだる時より、厄介である。


「わかったよ。行けば良いんだろ、行けば」

「わかれば、良いのです」


 全く、接客はしっかりできるのに、なんでこう、仕事が終わるとたどたどしくなるのだか。




 影山さんの家は、何というか。生真面目な雰囲気を出していた。

 家には、住んでいる人の性格が出ると思っている。という今までの俺の仮説は、証明された。と言うにはサンプルが足りないか。


「どうぞ」

「お邪魔します」

「親はいません」

「そうかい」


 いても困るからいない方が助かる。

 家の中はそこまで明るくないし、小奇麗というわけでも無い。換気ちゃんとしているのか、と聞きたくなったが、そこは堪えた。


「手、出します?」

「何が悲しくてリアル女子高生に手を出さなきゃいけないんだ。彼氏持ち」

「冗談、です」

「冗談言うの下手くそかよ」


 リビングに入って目に入ったのは所狭しと並べられた賞状の数々。テレビの目の前のソファーに座らされる。

 トロフィーも窓際に並んでいる。埃被っているように見えるが。

 ちらりとキッチンの方を見れば、三人分の、恐らく朝食だろうか。その食器が並んでいた。時間が無かったのだろう。


「……ピアノにヴァイオリンに、そろばんに。剣道の段位認定書。また随分と色々やってたんだな」

「全部、やめました」


 きっぱりとそう言い切る。


「それより。飲み物出しますね。オレンジジュースと紅茶、どちらが、良いですか?」

「オレンジジュース」

「わかりました」


 こういう時は、どっちかちゃんと選んだ方が良いって、何かで読んだ。

 窓を開けたい。この家だけ、外と切り離されている感じがする。せめて冷房を……けれどそれを言うほど俺は図々しくなかった。

 こっそりと、持ち歩ているタオルで汗を拭く。

 空気と一緒に、この家の中の何もかもが、何かに閉じ込められている気がする。

 

「お待たせしました」

「うん。ありがとう。それで、俺を呼んだ目的は? お詫びとか何とか言ってたけど」

「荒谷先輩って、彼女いた事ありますか?」

「ねぇよ。見てわかるだろ」

「見てわからないと思います。そういうこと。人は見かけによらずと言いますし」


 こいつさらっと中々失礼な事言って無いか? 正論だけど。


「だけど良かった、です。私、初めては、同じく初めての人に、貰って欲しいと常々思って、いまして。はい。どうです、か?」

「はぁ」

「貰って、ください」

「何言ってんだてめぇ。さっきも言ったが、何が悲しくてリアルの女に手を出さなきゃいけないんだ?」


「逆に聞きたい、のですが。なぜOKと言っている女性に、手を、出さないのですか? 据え膳食わぬは男の恥、って言いますし、リアルの、何が駄目、なのでしょう」


 清楚さ漂わせる雰囲気で、おずおずと爆弾を連投してくる。怖い。


「お前あれか、清楚ビッチか」

「経験ないので、ビッチの定義には、当てはまりません」

「はぁ。何で彼氏でもない男に貰ってもらおうなんて発想に至るのかねぇ」

「悪い事、ですからとても。最強に」


 まじで市川の彼女、意味わからねぇ。

 何が悪いことだよ。そんな理由でかよ。


「帰るわ。くだらねぇ。自分の身体で詫びになるって思ってるのも気に食わねぇ」

「……確かに、貧相、ですけど」

「そういうことじゃない。貧相なのは一定層から凄まじいまでの需要があるだろうよ。やり方が気に入らないんだ。ったく。じゃあな。ジュースごちそうさん。拘りある癖にやり方に拘りが無いってのも、可笑しな話だな」

「……男の人にも色々あるのですね」

「なんだ、誘えばみんななびくと思ったか? そうだと思ってたなら、一人でブランコ遊びしてないで、市川のナンパなんか振り切って、お望みの、恋人いたことない男落としときゃ良かったんだよ」


 これ以上話す事も無い。家を出る。

 夏だな。まだ明るいよ。外。


 




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