第8話 友人の彼女は。

 夕方、大学から帰ると凪が掃除をして待っていた。

 それを横目に、プリンターの準備をする。


「おらよ」

「あっ、今日はちゃんと出しましたね。偉いです」

「そうかい」


 掃除の手を止めると、その場で読み始める。そしてしばらく。


「そうですねぇ。主人公が随分受け身、というか、事態に流されているだけというのは、如何なものでしょう? 主人公って自分から動くから主人公じゃないですか」

「はぁ」

「最初は流されるままでも、最後には自分の意思で動く。そうでなければ、主人公失格です」

 

 恐らく、凪の好みに合うと思って出したのだが。

 意外と手厳しい。


「それで、長編の方は、何か思いついたのですか?」

「いや、さっぱりだ」

「そうですか。日記は?」

「書いてるよ」


 凪には、こうして適当に、できた短編を放り投げておけば、とりあえずは満足してくれる。

 恐らく気づいていない。凪の出した条件の穴。

 俺の大学卒業という絶対的な時間制限がある事。

 二年、適当に短編を投げて、凪の飯にありついておけば、俺は卒業と共に、凪との契約からおさらばできるのだ。

 その考えに至ったのが昨日の事。そして、今日、俺はパソコンのファイルを漁り、昔書いた短編を少し手直しして出した。

 プリンターが稼働した時、凪は少しだけ嬉しそうだった。

 思わず唇を噛む。何が作家擬きとしてのプライドだ。昨日はそれで見せなかったのに、今日はこれか。


「どうかされましたか?」

「いや。何でもない。カレーいただくよ」

「どうぞ、お食べください」


 とても機嫌良さそうに、凪は笑った。

 凪の作ったカレーは、辛いけど美味しいという、俺の好みがしっかりと反映された味だった。


「隠し味はコーヒーと、チョコかな」

「正解です」


 上機嫌な凪を、どうしても直視できなかった。




 次の日も、同じように誤魔化した。

 その間に、新しい短編を用意しておく。書き溜めは大事だ。作品を出せない期間をそれで誤魔化せる。プロになってからも大切らしい。

 それは書き続けるスタミナがある事の証明書であり、例えば何か賞を取ったとして、賞は取れたけど、やっぱり今はこれが出版できない。他の作品ある? という話になった時に、編集者に出せる作品がいくつかあると、今後も仕事が来やすい。何て話を聞いた。

 いや、俺にもう作家の道なんて無いけどさ。

 まぁ、住む場所を守るためだ。

 いくつか、物語のようなものを用意できた。


「ふっ。ははっ」


 なんでか、笑えてしまった。

 三千字の羅列。

 高速駄文製造機に俺はなった。


「凪。ほら、今日の分だ」

「わーい。いただきます」

「……そんなに良いものかね?」

「荒谷さんの作品ですから」

「……いつも酷評するじゃん」

「実際、荒谷さん、一年のブランクがある分、腕が落ちているのは確かですからねぇ。現に、たった三千字でも、苦しくありませんか?」


 ぐっ、と歯を食いしばる。

 実際、それはそうだった。書けるけど、それを納得できるように仕上げられたかと言われたら、ノーだ。去年までは毎日できていたことが、今はできていなかった。


「凪は、何か書いたこと、あるのか?」

「秘密です」


 即答だった。


「まぁ、少しだけ明かすなら、私を今の私にしたのは、荒谷さんの作品である。という事だけです。さて、今日の夕飯は、グラタンですよ」


 柔らかく微笑んで、エプロンを揺らして台所に消えていく背中を見送る。

 机に置かれた原稿を見て、少しだけ吐きそうになる。


「そんなに思い詰めなくても。毎日書いてれば、感覚もすぐに取り戻せますよ」


 戻って来た凪の優しい言葉。温かい言葉はすぐに染みわたる。


「……くっ。違う!」

「な、何がですか?」

「……あっ、すまない。急に大声出して」

「い、いえ。ほら、大丈夫です。食べましょ食べましょ」


 原稿は片づけられ、食卓が完成した。

 食べるような気分ではない。

 チーズの食欲をそそる香り。ホカホカだと一目でわかる。


「冷める前に、食べてしまいましょう」

「……あぁ」


 いつものように、食べ物に罪はない。そう言い聞かせた。




 「おい」

「はい?」

「お前、またドタキャンしたって?」

「す、すいません。ごめんなさい。悪い事、ですね」

「そうだな」


 バイト先のスーパーのバックヤード。物凄く申し訳なさそうな顔で、影山さんは顔を伏せる。

 そうなるなら、最初からスケジュール管理くらいしておけと……。

 質が悪い。無断欠勤三回でクビだが、こいつはまだ無断欠勤はしていない。

 物凄い勢いで頭を下げられるが、わけがわからない。なんでこんな真面目そうな子が。


「はぁ」

「荒谷先輩、厳しいのか、優しいのか、わからない、です」

「あ?」


 そりゃ、小言刺してるんだから厳しい方だろ。


「だって、すぐに、どうでも良い、みたいな感じになったので」

「実際な、言ったって直らんやろ」

「……ごめんなさい」

「普段は遅刻しないくせに、シフト代わった時サボるのは、わからんけど」

「そ、それは……」

「それは?」

「悪い事、ですから」

「は?」


 まともに答える気は無いらしい。

 まぁ良いや。無理に問い質して、今後の関係に影を落とすのも厄介だ。


「次からは気をつけてくれ」

「はい」


 二年も……そろそろ三年か。三年も働けば、周りのほとんどが後輩になる。

 任命されなくても、勝手にバイトリーダーのようなポジションになる。

 今日はたまたま早く終わって、俺は店を出た。

 店を出てすぐ、制服姿の後ろ姿が目に入った。……凪も同じの着てたな。


「影山さん」

「はい」

「何してんの?」

「あっ、えっと、少し遅れるって……彼氏が」

「へぇ」


 もしやこいつ、デートに行くために俺とシフト代わったのか。


「おーい」


 そして、聞き覚えのある声が道路の向こう側から聞こえる。


「あっ。来た。諒さん」

「……諒?」


 華麗にガードレールを飛び越えて現れたのは、市川だった。


「……何してんの?」

「お、荒谷じゃん。そういえば同じバイト先だっけ」

「はい。荒谷先輩には、いつも、お世話になっております」 


 影山さんはニコニコと市川の腕に絡みつく。たどたどしい雰囲気はありながらも、意外と積極的だな。


「おい市川。お前の彼女にこれ以上バイトサボるなって言い聞かせといて」

「ん? サボってるの?」

「あっ、荒谷先輩……」

「……お前、まさか。言って無かったの?」

「……ごめんなさい。悪い事、ですね」

「まぁ、責めるな荒谷。こいつめっちゃ良い子だから」


 良い子、ねぇ。

 バイト始めたばかりの頃は、確かにとても真面目な子だって印象だった。

 高校生の割に髪も染めてないし、化粧っ気もそこまで無い。スカートは長いし、物腰は丁寧だ。


「市川、人生の先輩として、ちゃんと指導してくれよ」

「おうよ」


 軽い調子でそう言われる。正直、当てにならない。

 市川と付き合ったら、彼女は確実にどこか壊れる。現に、壊れ始めてる。

 今までは知らない誰か、だったけど今回は。バイト先で顔合わせる度に壊れてくのを見るのは、嫌だなぁ。


「……じゃあな」


 そう言って別れる。今はどうにもできない。これからもどうにかできる気はしない。

 さて、多分帰ったら凪がいるんだな。

 そういえば、凪の両親と一回話し合いたい、そう思いながら全然行動に移せてないな。両親に話せば、契約も何も、親の特権として踏み潰して言ってくれるかもしれない。そうなったら結構都合が良い。


「……はぁ」


 そんな事を考える自分が、とても虚しい。




 「荒谷さん? いつも暗いですけど、今日は一段と暗いですね」

「あぁ」

「あれ? 作品は?」

「できてないよ」

「そうですか……」


 彼女が死ぬ時は着たいとか言っていた、白いワンピース。にエプロンを付けて、台所で忙しく働いている。


「料理ができるまでにできそうですか?」

「無理だね」


 少々、考えるべきことが多くて、それどころじゃない。

 作品の事を考えようとすると、市川の彼女であるところの影山さんとか、凪の両親の事とか、色々浮かんできて、物語を考えるために沈むことを、邪魔する。


「いや、これは言い訳だな」


 だって、俺は昨日までのように、昔書いた原稿を適当に手直しして出せば良いんだ。なのに、それすらしていない。


「凪、今日は何をすれば良い?」

「じゃあ、そうですね。私を褒めてください」

「わかった。凪、いつも美味しいよ。料理」

「もっとです。語彙力振り絞って、どんどん」

「美人だよね。結構。スタイルも良いし」


 とりあえず、見た目からで良いや。


「はい」

「髪もサラサラだし。触りたい」

「さ、触ります?」

「いや、良い。冗談だ。綺麗なのは事実だが」


 後は……。


「そうだな。凪の俺に対する説得は、わりと効いてる」

「あっ、それは嬉しいです」

「見た目褒められるより嬉しいってマジかよ」

「そっちは褒められ慣れてるので」


 そういうものか。

 見た目が良いって羨ましいな。黙ってても褒められるのか。


「もっと、褒め殺しにしてください」

「……何が狙いだ」

「えっ、褒めるって大変だと思いませんか? 貶すより」


 ……それはあるかもしれない。


「むしろ、良い所があっても、それをわざわざ言いませんよね」

「あぁ」

「だからです。これもある意味、言葉を考える訓練になると思いませんか!」


 ……小説書くことに繋がるかは、わからないけど。


「凪」

「はい」

「君の真っ直ぐさは、魅力的だと思うよ」


 ……恥ずかしいな。なんか。

 顔が熱くなっていく。


「あ、ありがとう、ございます」


 求めた本人まで照れたら、駄目だと思うのだが……。


「も、もう良いです、荒谷さん、明日は期待しています。あっ、今の様子、ちゃんと書いて見せてくださいね」

「恥ずかしがってるのに?」

「れ、練習ですから」


 凪が帰って、一人、机の前で腕を組んで座る。

 目を閉じる。

 凪は、俺を信じている。本気で。俺が書いてくれると。

 手を握りしめて、歯を食いしばった。

 あの期待と信頼に満ちた目を、俺は裏切りながら一年を過ごせるのか。

 書けよ……神薙。

 その声は、自分の頭の中で響いた。連載していた時、書けない、無理だと思った事があった。その時、いつも響いていた、俺に休むことを許さない声。諦めることを諦めさせる声。


『書いてください。神薙先生!』


 そして、今、また別の声が聞こえる。

 あいつは、全力だ。自分の目的のために、全力だ。

 全力な人は、とても眩しい。眩しくて、憧れる。


「チッ」


 思わず舌打ちする。

 俺はノートパソコンを開いた。

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