第7話 何でもない災難な一日。
その日、丁度帰り道にある公園にて、俺が見たのは市川が女とイチャイチャしてる光景だった。
懲りてねぇ。マジかよあいつ。
あいつは同性の友達が少ない。というか、俺しかいない。そしてなぜか、いつも困難な恋愛に挑む。
一年の頃、彼氏持ちの女に手を出しまくり、同性の友達を失った。
二年の頃、複数の女に同時に手を出し、そしてなぜか、女同士で刀傷沙汰になり、ついでに市川も、刺されかけた。
そして今年も相変わらずのようだ。
寮長さんや寮の女性陣も、どれくらいの期間かはわからないけど、もう少し長く付き合っていたら、寮の中でバトルロワイヤルになっていたと思う。
彼は恐らく、メンヘラ製造機だ。
「お前、次はどんな女に手を出した」
「おっ、お前が僕の彼女に興味を持つなんて珍しい。というか、今まで無かったな」
「この間みたくなるのが嫌なだけだ」
「いやー、あれは失敗だった」
食堂で昼飯を食べる。俺は凪が持たせてくれた弁当を片手に、パソコンで今日の分の短編を書いている。凪がどんな要求をかましてくるかわからないから、警戒する意味でも、毎日きっちり三千字分提出しなければならない。
しかし、おしゃれなサンドイッチ弁当。片手で食えるあたり、作業する俺に気を使ってくれているのがわかる。家を握られ、人権を握られ、胃袋を握られつつある。
この状況を打破するには、彼女を満足させる小説を書き上げなければならない。
「くっ」
「どうした? 渋い顔して」
「あぁ、何でもない」
書けるかと言われれば、今俺は書いている。が、どうにもしっくりこないし、納得がいかない。
ただの文字の羅列。何も込められていない、何も伝えられない。一年前の俺が読めば、寝ぼけてた? とか真顔で聞いてくるだろう。
耐えられずパソコンを閉じた。後で考えればまともなものが書けるかもしれない。読み返せばマシな展開が思い浮かぶかもしれない。
「それで、どんな女なんだ?」
「あぁ、高校生だよ。こないだ公園で一人でシーソーで遊んでたから声かけた」
「おいお前、女子高生とかマジかよ……このご時世、遊具のある公園って残ってるんだ……」
危険だとかで公園がもはや、ただのベンチ付きの更地になっている事なんて、珍しくない。
「案外あるぞ」
「へぇ。んで、その子ども心をまだ忘れてない女の子をナンパしたと」
「わりと簡単だった」
「そうかい」
改めて思う。人の恋路を、自分でも自覚できるほどに冷めた目で見ている俺が、よくもまぁ、一年も恋愛小説を続けられたものだ。
「今度は刺されるなよ」
「まだ刺されたこととは無いから。刺されそうになったことはあるが」
一度、彼のメッセージアプリを見せてもらった事がある。講義中、九十分放置しただけで、三桁にも上る通知が来ていたのを見た。
まぁ、彼が刺されようが吊し上げられようが、俺には被害は無いから、せめて葬式くらいには出ようとは思うけど。
自分から危険に突っ込んでいくのだ。心配するのも馬鹿馬鹿しい。
いったん家に帰り、凪が作り置きしていてくれたサンドイッチを食べて、再びバイトの時間までパソコンと向き合う。
「あー。あー」
そして十分後。部屋のベッドでスマホを弄る。
駄目だ、ゴミのような話しか書けない。いや、ゴミか。
そうしてしばらく、気がついたら寝落ちていたらしい。バイトの時間になっていた。ため息を吐きながら着替えた。
「荒谷先輩、明日シフト、代われ、ませんか?」
バックヤードで補充用の飲料を出していると、レジの影山さんが、今から出勤なのか休憩室の方から歩いてきた。
「……影山さん最近多くない、そういうこと……理由は? 埋め合わせはどちらで?」
咎めるような雰囲気が出てしまったのだろう、気まずそうに視線を泳がせながら、言葉を絞り出す。
「え、えっと……進路の、説明会で。明後日、代わりに、出るので」
「へぇ。先週も説明会があったのに、今週もってまた随分と熱心な学校だな。それと、先週埋め合わせするって言った日、直前で休んだって聞いたが?」
「えっ、えっと……」
「どうなんだ?」
「……お願い、します」
子どもと大人が同居した、根の真面目さを感じさせる顔立ちを、歪ませ、深く頭が下げられた。
こんな風にされると、断る方が悪い事をしている気分になるから、理不尽だ。
「わかったよ」
「ありがとう、ございます。ごめんなさい。その、悪い事、ですか?」
「さぁな」
「……そう、ですか?」
少し落胆したように見えるのは、なぜだ。まぁ良いや。
はぁ、女って怖い。これでもし断って泣かせたら、俺のアルバイト生活が肩身狭いものになるしな。
「三次元の女ってやっぱ怖いわ」
「何かあったのですか? それと、二次元でも怖い子、いると思いますけど」
「まぁな」
バイトから帰ると、当たり前のように凪はいて、「お疲れ様です」と迎えてくれた。正直、もう寝てるとか思っていた。一応、短編を出すとか、そんな約束はしていたけど。
……短編、か。
「それよりも荒谷さん。出来たのですか? 短編。少し遅いですが、夕飯の時間ですよ」
「……あぁ」
「……まさか、初日からですか?」
「あるにはあるのだが、正直ゴミだから見せたくない」
俺の渋い顔から、察したらしい。
規定文字数には達している。が、正直、誰かに見せるのは勘弁願いたい。
「ゴミでも、先生が書いた作品ですから」
「先生言うな」
朗らかな、手のかかる子どもでも見るかのような微笑を見せて来る。
それを見ていると、荒んだ気分が、少し和らいでいく。
「……そういえばお前、ワンピース系以外着ないの? それ以外だと制服かカフェでの服しか知らないんだけど」
「こういう服が好きなんですよねぇ」
胸に手を当て、服を強調するようなポーズをとる。赤いスカートが、その動きに合わせて揺れる。
上は白で、とてもめでたい感じだ。
「荒谷さんは、理想の死に方ってありますか?」
「たまに考えるけど、まだこれといったやつは無いな」
「私は、高いビルの屋上から、白いワンピースを着て、ぴょんっと逝きたいですね」
少しだけうっとりとした様子でそう話すけど、うん。ぴょんっ、なんて可愛らしい言葉が相応しい光景にはならないだろう。
「さて、話が少し逸れましたが、見せないなら荒谷さんに何か命令をしなければなりませんねぇ」
にんまりと凪の唇が歪む。
……人としてのプライドか、作家擬きとしてのプライドか。
「……良いだろう、何でも命令しろ」
「はーい。それでは荒谷さん。私をむぎゅっと抱きしめてください」
「……あ?」
「ほら、早く」
凪が何を言っているのか、さっぱり理解できなかった。
近づいてくる凪を見下ろす。さらさらと髪が、大きな瞳が、清楚な雰囲気と少女の雰囲気が入り混じって、それとどこか爽やかな香りがして。
「いや待て。お前何言ってんの?」
「抱きしめてください。この体験が、荒谷さんの表現の幅をきっと広げれます」
腕を広げてこちらを待つ凪。
「これは命令ですよ? 神薙先生」
俺の作家としての名前を呼び、にんまりと笑う。
腕を広げると、凪はその中に入ってくる。やわらけぇ。爽やかな香りの奥に、なんだろう。ミルク、かな? そんな匂いがする。
やっぱこいつ、スタイル良いな。押し付けられる質量と柔らかさは、そう思わせるのに十分なものだった。しかし、その存在感の主張と相反する彼女の小さな身体は、力を込めれば折れてしまいそうで、思わず丁重に扱ってしまう。
凪の腕の力が少しだけ強まる。離れたくない、とでも言っているかのように。恋人同士でも無いのに、全く。
仕方ないな。そう思いながら、少しだけきつく抱きしめた。
不意に、凪は顔をあげて俺の目を真っ直ぐに見た。
「ついでに、頭を撫でてもらっても良いですか?」
「……確かに、命令は一つという制限、設けてなかったが、つけた方が良いと思う」
「そうですね、では次回からで」
「……チッ」
命令通り、ほぼゼロの距離のまま。頭に手を乗せる。サラサラで、引っかかるところなんてなくて、それだけでしっかり手入れされていることがわかった。
優しく撫でると、くすぐったそうに目を細め、口元が緩む。彼女の事をどうこう思っているわけでも無いのに、思わず目を逸らした。
「嫌いですか? 私の事」
「人を嫌いになると、精神がすり減るから、嫌いにはならないようにしている」
「意識してできるものですか? そんなこと。あと、そういう答えは求めてないです」
「正直、助かっているところもある。書かせようとしてくるのは、正直キツイ」
鬱陶しく思うけど、彼女の作る料理は、美味しのだ。
「……後で、今の事、文字に起こしてください。だから、ちゃんと堪能してくださいね」
「……どんな羞恥プレイだよ。ていうか、そっちが狙いか!」
「描写力の訓練です。私はどちらにせよ、神薙先生の作品が読めて、美味しい立場です」
どうしてこうなった。
パソコンの前で、言われた通り、抱きしめた時と頭撫でた時に感じたことを文字に起こしていく。後ろから覗き込まれて、顔が熱くなっていくのを感じていた。
まぁ良いや。書けなかった俺が悪い。凪の好きそうな表現にしておいてやろう。甘々にしてやる。どうせそういうのが欲しいのだろ! おら、思っても無い事書いてやるぜ。
「おら、ご要望のものだよ」
「はい。読んでます。堪能しています。でもまだ、もっと欲しいです。明日もお願いします。短編か、私と少しお楽しみして書くか」
「……どちらにしても、俺は書かなきゃいけないのね」
「当たり前じゃないですか。そのために私はここにいるのですから。あっ、日記は書きましたか?」
「寝る前に書くよ」
凪はにっこり笑って台所に引っ込んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます