第5話 人は見た目によらず。ということを実感する。
「荒谷、犯罪だぞ、わりと真面目に」
「端から見れば、そうだよなぁ」
まぁ、そんな風に警告しながらも、凪の作ったビーフシチューに舌鼓を打つ市川のスプーンは、止まる気配がない。
さて、一応自己紹介させたが、どう説明したものか。恐らく凪は下手なことを言わないで、任せてくれるだろう。
俺の中では、熱心な信者という印象だが、台所の様子を見る限り、使い終わったあとの整理整頓振りからは几帳面な印象を受ける。
偏見の域にあるが、几帳面な人は賢い人が多い。
きっと普段の彼女は真面目で聡い少女だろう。
評価の材料、少ないな。当然か。彼女とはこの部屋と喫茶店でしか会わないんだ。
まぁ良い。つまりこの場面は俺に任せるべきと、凪なら考えてくれるはずだ。
スープ皿のそこが見えたところで改めて突撃訪問をかましてくれた友人に向き直る。
「まぁ、あれだよ。実はこの子、大家の娘なのよ」
「ほう」
嘘は言っていない。
「俺がこのマンションに住んでる理由は、俺の親がその大家とまぁ、友人でな、学生の頃からの。その縁でここに厚意で安く住ませてもらっているわけ」
「ふむ、じゃあ、その大家の娘がお前の部屋にいる理由は?」
「バイトみたいなもん。家庭教師だよ。んで、そのお礼に飯作ってもらっている。ってわけ」
我ながら筋が通った話だと思う。
現に目の前の市川も、なるほどと頷いている。
「しかし、今までよく僕に隠し通せたな」
「お前があんな急に来た事があったか? しかもベランダよじ登ってまで」
「確かに」
「むしろ、なんで急に来た」
「そう、それだよ。聞いてくれよ荒谷」
嫌な予感がした。
なんというか、これを聞いたら、後戻りが効かない面倒ごとに巻き込まれるような、そんな。
「彼女と喧嘩して、寮の部屋占拠された」
「……はぁ、頑張れ」
「しばらく置いてくれ」
「いや、警察に行けよ」
「荒谷さん、いきなり過激ですね」
渋い顔で凪に見られる。
「部屋の主を追い出して占拠するような奴に慈悲は無い……いや待て、お前、確か寮に女連れ込んだら追い出されるとか、そんな決まり無かったか?」
「あぁ、寮の中の女に手を出せば良い話だろ」
名案だろとでも言いたげだ。
「馬鹿だろ、お前」
「お前の場合はリアルで恋愛する時点で馬鹿だろ、とか言うから参考にならねぇな。しばらく部屋に置いてくれ、この通り」
手を合わせ拝まれる。
「解決しようとはしたのか?」
「寮の女に一致団結されて、話も聞いてもらえない状態で、どうすりゃいいでしょうか? 先生」
先生呼びに少しだけイラっと来るが、うん。これだから三次元は。
「荒谷さん、流石にここで放り出して行き倒れても寝ざめが悪くないですか?」
「まぁ、確かに」
「それよりも、今日の宿題、見てもらっても良いですか?」
「あぁ、そうする」
「どれどれ?」
凪は俺のキャラ設定にすぐに乗ってくれた。ありがたい。
明らかに市販の参考書を適当に開いただけだが、まあ、誤魔化せるだろ。
さて、どうやら市川の俺の部屋への宿泊は決定したらしい。
凪のノートを興味津々で覗き込む市川。
「あぁ、そこはね、ほら、平方完成って習った? そっか、凪ちゃん一年生か」
「やってる内容見ただけでわかるものですか?」
「まあ、大体。宿題って言ってたし。塾で先生やってたこともあったからなぁ、去年までだけど」
市川の意外なアルバイト経歴が明らかに。
「じゃあ、宿代ってことで、しばらくは僕が凪ちゃんの宿題見ますかね。やどだいだけに」
「寒いこと言うな」
「よろしくお願いします」
意外とすぐに打ち解けたな、この二人。
凪が帰ったあと、部屋は静かになった。
いくら一緒にいるのに慣れてるからといって、三人が急に二人になったら、静かになるものだ。
「お前、いい加減人間関係、整理しろよ」
「……僕は普通だ、正常だって、誰が教えてくれるんだよ、やめたら」
「は?」
「僕は壊れてる子が好きなんだよね。壊れてないのにしつこく言い寄ってきたら、壊す。壊れてる子を見たら、自分が正常だって、思えるんだ」
「何言ってんだ?」
「おやすみ」
「……おい」
市川の顔は見えなかった。どの面下げてあんなふざけたことを言ってたのだろう。
次の日、朝起きると、なんか食欲をそそるいい匂いがした。とうとう凪が平日の朝にまで来るようになったのか……これはモーニングコールされる日も近いな……勘弁してくれ。
「おっす、荒谷。飯作ったぞ」
「あ?」
「あっ、もしかして寝起きが悪いとか、そういうタイプ?」
「いや、そういうわけではないが、何してんだおめぇ」
普段、炊いた米と卵か納豆で済ませる俺の朝の食卓が、ツーランクくらいアップしていた。
そういえば最近、凪が持ち込んで余った食材は冷蔵庫に保管されている。これまで俺の家で常備されていたのは、卵と納豆と、じいちゃんの方から仕送りされる米くらいだ。
さて、なぜ今、市川は台所に立って忙しくしているのか。
「ほい、味噌汁」
「……お前、寮暮らしだろ」
「あぁ。だから今頃、寮にいる奴らは、僕を追い出したことを後悔しているだろうよっと」
だし巻き卵が食卓に追加される。
「鮭何て、あったか?」
「流石の僕も、お前んちに泊めてもらうのに手ぶらでは来ねぇよ」
「着替えすら持ってこなかった奴が何を……」
「そこはほら、叩きだされたからな。所持金で買えるのがこれだった。」
「ご愁傷様。全く、何でお前に未開封の下着をプレゼントしなきゃいけないんだよ……」
財布とスマホを持たせてくれる暇があっただけ、あっちにも慈悲はあったのだろうな。今の時代、この二つが無いだけでわりと詰むからな。
料理の見た目は普通だ。作ってもらったのだ。ありがたくいただこう。
「……うん」
「どうだ?」
「まぁ」
マズくはない。味付けは大雑把な感じがするが、決して外してはいない。が、うん。
「いや、凪ちゃんと比べるなよ」
「あぁ。なるほど」
どうやら、俺は母親よりも真っ先に、凪の料理と比べていたらしい。
「まぁ、あの子は基本的に洋食作るから、和食と比べてもな」
「あぁ、やっぱりか。そう思ったから比べられたくなくて和食にした。そうじゃなかったら鮭はムニエルにしていた所だ」
「無駄にお洒落な……」
「あのビーフシチュー。と、余ったのでこれにかけましょうとか、軽い調子でオムライス出されたからなぁ、ほいほいと慣れた感じで」
改めて市川を見る。モテる男って特技が多いのか? ベタな所で料理か。
ピアス穴を開けて髪は茶色に染めて、俺が起きる前にセットまで済ませたようだ。毎日ご苦労なことで。
「お前、ギターとか弾けるのか?」
「なんだよ、急に。昔バンド組んでたけど。ドラムだったけどな」
「ほう」
「まっ、もう鈍ってるだろうけど。そんじゃ、二限からだから行くわ」
「あぁ。さっさと解決してくれ。食器は洗っとく」
「サンキュー」
夕方、市川が帰ってくる前に、凪が当たり前のように鍵を開けて入って来た。
「今日はそうですねぇ、トマト使って何かしたいなぁ。ミートソースのパスタとかですかね?」
「……飽きもせずよく来るなぁ。小遣いとか大丈夫なん?」
「今まで使わなかったので。貰ってばかりで貯まっているんですよねぇ」
スーパーで買った食材を冷蔵庫に詰めていく姿は、中々所帯染みている。
「私が好きなことに使っているんです」
「助かってはいるが、俺は書いてない。つまりお前に一切の見返りがない。わかるか? わかったな。よし、金渡すから帰れ」
「荒谷さん、市川さんには出てけとか、さっさと帰れとか言わないのですね」
「どうした、急に」
凪は心底不満そうな様子で、そう言った。
「なんでですか?」
「あいつはそろそろ付き合いが長いからな」
「長さが全てですか!」
「時の長さを超越するほど、距離を詰めた覚えないよ、君と」
そう言うと、頬を膨らませながら詰め寄ってくる。
「何だよ。物理的に近づいて何になると?」
「荒谷さん、手を出そうともしない」
「だから、何が悲しくてリアルの女子高生に手を出すんだ」
「リアルだから駄目なのですか? 女子高生だからですか?」
「リアルの女は面倒だからな」
「拗らせオタクですね」
「悪かったな」
「結婚は人生の墓場とか思ってそう」
「もちろん」
初めて呆れたような目を向けられた。
「恋愛小説の作者が恋愛否定してどうするのですか?」
「二次元の恋愛と三次元の恋愛を同一視するな」
お互い早口になっているのが面白い。
冷蔵庫に麦茶が増えているのに気づいたので一杯だけもらう。
呼び鈴が鳴る。
「あぁ、帰って来たか。というか、帰れなかったというのが正しいのか」
エントランスにいるのが市川であることを確認して鍵を開ける。
すぐに部屋の前まで来た。
「ベランダから入らないんだな」
「いやー。見られるとマズいっしょ」
「昨日のお前にそれを思って欲しかったよ」
「あれはほら、切羽詰まってたから」
けらけらと愉快そうに笑う。
「そうは見えなかったがな」
全く……。
まさか昨日今日で友人の知らない一面を見ることになるとは。
三年の付き合いでも見えない物ってあるんだな。
いや、そうだな。三年の付き合いでも見えないものがあるのは、当たり前だよな。知っていた事だよな。
「馬鹿馬鹿しい」
「何がですか?」
「いや、何でもない」
「馬鹿馬鹿しいと言われて気にするなと言われても困りますよ」
「気にするな。お前は市川に宿題でも見てもらえ」
しかしながら、いつまでも家に置いておくわけにはいかないよな。
どうにかならねぇかなぁ。
「んー。やっぱり、さっさと解決して来い。お前は」
「えー」
「せめて荷物だけでも回収してこい……いつまで俺の服で暮らす気だ?」
「荒谷さんが譲歩を覚えた……?」
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