第4話 親バレの次に怖いのは友人バレ。

 今日も飽きずにやって来た凪は、夕飯にビーフシチューを作っていた。

 バイトが休みで、帰りに本屋に寄ってから帰ってきたら、当たり前のように台所にいた時は驚いた。父親の部屋から鍵を持ち出したらしい。


「軽く犯罪だぞ、お前」

「通報しますか? 荒谷さんに牢屋にぶち込まれるのも、ありですね」


 にへら、と笑った彼女に、軽くゾッとしたが、それよりも呆れたという感情の方が強かった。


「学校は?」

「今日は創立記念日らしいです」

「そうかい」

「それよりも荒谷さん!」

「なに?」

「わかりました。ジャンルを指定すれば書きやすいのでは?」

「言ってることが滅茶苦茶だな。強要しないのではなかったのか?」

「試行錯誤ってやつです。荒谷さんの得意ジャンルって恋愛ものっぽいじゃないですか」

「はぁ。まぁ、否定はしない。今はどれも書けないけど」


 親御さんに一度確認した方が良い気がする。年頃の娘が、一人暮らしの男の部屋を出入りしているのだ。

 ちょくちょく漏れているが、彼女はもはや俺の信者の域に達しているように見える。

 そういう人は、わりと正常で理性的な判断をする能力が弱まっている。


「とは言えど、飯は美味いんだよなぁ」

「何を考えていたか知りませんが、ありがとうございます」


 ここまでされると、流石の俺も何かしら応えた方が良い気がする。

 ビーフシチューを待つ間、面倒なのでサイトの方で用意されているフォームに直接短編を書く。といっても、彼女が大好きだと言っている俺の今の代表作的存在、「我が家のメイド。」の番外編だ。

 これはスラスラ書ける。既に出来上がった作品だ。勝手にキャラが動いてくれる。俺はそれをなぞるだけ。これを更新してとりあえずは逃げよう。



 「あっ」


 更新して十分後、凪はそんな声を上げた。

 一時間もすれば三千字程度の短編がネットの海に流される。

 鍋の様子をチラチラと見ながら、台所で立ったまま無言でスマホの画面をスクロールしている。


「ごちそうさまでした」


 何故かそう言ってぺこりと頭を下げた。


「でも荒谷さん。これも欲しいですけど、もっと欲しいのは新作ですからね」

「あぁ、そう」

「……荒谷さんって、彼女とかいますか?」

「いいや、いないけど。いたら君を家に上げないだろうし」

「……そうですか。ふむ……」


 多分、碌な事を考えていないだろ


「私を彼女に……」

「却下。女子高生に手を出すとか、マジかよ。お前はもっと自分を大切にしろ」

「差し出す相手くらいちゃんと選びます」

「……選んだ結果がそれかよ」


 思わず冷めた目で見ると、凪は物凄く不服そうに頬を膨らませた。


「私、結構モテますよ」

「選り取り見取りだな」

「胸もそこそこありますよ」

「まぁ、服の上からでもわかるな」

「足もスラっとしてますよ」

「みたいだな」


 確かに、美少女である事を証明するポイントとしては充分だろう。俺にはもったいない。


「料理、自信あります!」

「確かに旨い」

「なんなら掃除洗濯もしますよ!」

「勘弁してくれ」


 何が悲しくてそこまでしてもらわなければいけないんだ。


「成績もそこそこ良いですよ」

「それは知らなかった」


 どうでも良いが。


「というか、なぜ俺はお前を売り込まれているんだ」

「えっ、そりゃ、甘々な話を書いてもらうために、甘々な体験をしてもらおうかと思って」


 はぁ、と思わず顔を手で覆った。


「あのなぁ、良いか、リアルで充実している奴が、創作するかって話だ」

「……あっ」


 何か心当たりがあるかのように、凪は声を上げたが、あふれ出る言葉を止めるに至らない。


「良いか、イライラや理不尽、不満は作家にとってはガソリンだ。ドーピング剤だ。昇華し、それを解消することによって、ある種の快感が得られる。それを読者と共有する。それもまた物語創りだ」

「……だ……」

「なんだって?」


 ぼそりと呟かれた言葉は、俺の耳まで届かなかった。


「いえ、何でもありません。そうですか。荒谷さんは、そういうタイプでしたか」

「まっ、だからこそ、ため込んだ分全部吐き出せて、書けなくなったのかもな」


 ノートパソコンを片付け、ソファーに身を投げ出した。

 何もする気が起きなくなった。

 眠くも無いし、かと言って元気というわけでも無い。


「……どうぞ」

「何が?」

「お膝、貸します」

「何が悲しくて君の膝を借りるんだよ」

「良いから、私がしたいんです」


 我ながら、結構冷たく当たっている筈なのにな。

 無理矢理膝枕される形になった。寝心地自体は、特別言い訳でもない。むしろ、普段使っている枕の方が良い。


「どうですか? 何か思いつきませんか?」

「いや、何も」

「荒谷さんの好みの女の子、教えて欲しいです」

「ねぇよ。三次元に身を捧げるとか、ゾッとする」

「歪んでますねぇ」


 起き上がる。このまま頭を預け続けるのはなんか違う。


「まぁ、わからないでもないですけど」

「君はモテるんだろ」

「モテますけど、いませんよ。いたら、ここに私はいません」


 正論だな。

 グイっと頭が戻される。結構強い力だ。


「何するんだ」

「もう少ししたら完成するので、それまでこうしていてください」

「小説書かなくて良いのか?」

「今の荒谷さんは、書けないのでしょう」

「……最初から全力デレは、萌えない」

「……男のくせに、複雑ですね」


 変な怒り方をされたが、実際俺は、最初はそうでもないけど、少しずつ、デレていくのを見るのが好きだ。戸惑いながら距離を詰めていく、最高に可愛いと思う。

 というわけで、起き上がって部屋に引っ込む。凪は部屋まで入ってこない。ここ三日間、毎日来ていたが、一度も踏み込まないでいた。

 ちらりと机の上を見る。少し厚めの封筒がそこに置いてある。

 料理の材料費くらいは返そうと思ったが、受け取らなかった。


「マジでなんなんだ、あいつ」


 あいつに利益が無いぞ、これじゃあ。

 もしや、罪悪感を煽って書かせる気か。


「だとしたら、かなりの策士だけど、そうは見えないんだよなぁ」


 いい加減、親御さんに話した方が良い気がする。飽きると思って、またはお小遣いが尽きて厳しくなって来なくなるとか、そんな予想をしていたが、甘く見ていた。

 いくらマンション一つ所有して、喫茶店まで経営するような親を持つお嬢様でも、高校生レベルのお小遣いならと、思ったけど。


「うーん。ん?」


 スマホがメッセージを受信していた。チャットアプリの通知だ。十分前のと、現在の。市川からか。


『今からお前んち行って良い?』


 これが十分前。


『着いたわ』


 これが今来たメッセージ。


「えっ?」


 呼び鈴が鳴る。マンションのエントランスからだ。


「俺は一言も承諾した覚えは無いのだが」


 凪に静かにするようにジェスチャーで示し、相手をすることにした。無視するよりは禍根を残さないだろうし、俺は大学でポロリとバイトが無い事を言ってしまっているから、市川は俺が家にいると思っている。


「急に来た相手に応対する準備など、俺には無いし、ほいほい上げるほど寛容でもない」

「いーじゃん、どうせ暇だろ。学生寮狭いし、遊ぶならお前の家の方が快適だ。もてなしはいらんよ」

「帰りな」

「つめてー」


 こいつの軽いノリはわりと厄介だ。何言っても流される。


「開ける気は無いぞ」

「あっ、もしかして、お取込み中でした?」

「ねぇよ。ハッ倒すぞ」

「そうしたけりゃ開けるしかありませんなぁ」

「切るか」


 と、そこでふと思いつく。

 ここで友人が来たと言えば、凪を帰せる。

 今は音を立てまいと床に伏せて静かにしている凪だが、エントランスからここまでくる間に……。

 いや、ここは二階だ。

 俺は鍵を開けることなく市川を無言で追い返した。

 あいつは元陸上部だと聞いた。階段をダッシュで登って来られたら、凪を帰してるところで鉢合わせだ。

 友人と保身で保身を取るという単純な天秤ではない。これは。

 愉快な誤解を招くくらいなら、今度学食で昼飯を奢った方がマシなのだ。


「良かったのですか?」

「あぁ。お前を見られると色々面倒だ……」


 コンコンとベランダの方で音がする。

 嫌な予感がする。


「おうおうおう、なるほど、そういうことか」

「お前……いや、俺が甘く見ていた、ということか」


 当たり前のようにベランダをよじ登って来たらしい。三年の付き合いだが、まさか猿のような身体能力をしているとは思っていなかった。


「まさか家に女を招いていたとは」

「……説明するから中、入りな」

「では遠慮なく」

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