第3話 食べ物に罪は無い。

 気まずい沈黙を破る材料を探して、テーブルに目を向ける。そして、皿に盛られたケチャップライスと半熟に焼けたオムレツに目を向けた。


「これ、食って良いんだよな?」

「はい、食べてください」


 凪がオムライスの卵にナイフを入れると、トロッと卵が開いてケチャップライスを覆った。それと同時に、ふわっと卵料理特有の匂いがして、思わず喉が鳴る。お腹が受け入れ態勢を整えたのがわかる。

 追い返したいと思いながらも、食欲は正直なものだった。


「器用なものだ」

「お母さんから習いました。お店でも、たまに私が作るので」


 あの店でご飯を頼んだことは無い。メニューを見ると、貧乏学生がほいほい頼めるようなものでは無かったのだ。

『いい加減、親の仕送りに手をつけろよ」

 市川の顔がちらりと頭に浮かんで、そんな事を言ってくる。頭を振って追い出す。

 改めて、鮮やかな黄色に目を向ける。ゴクリと唾を飲んだ。


「オムライスに罪は無いから。いただくよ」

「はい、是非」


 嫌な言い方をしたと思うが、気にした様子も無く、どうぞどうぞと手で勧めて来る。

 置いてあったスプーンで食べる。


「……うまっ」


 思わず正直な感想が漏れて、凪を見る。

 浮かんでいた笑みが強まり、気まずくなってオムライスに目を戻す。


「良かったです」

「書くとは言わんぞ」

「……わかってます。今は、そうですよね。無理矢理書かせることは、簡単ですけど」

「怖い事言うなよ……」


 ケチャップが血に見えたぞ。

 熱狂的なファンが作者を監禁して、納得のいかない最終巻の原稿を無理矢理書き直させた、とかそんな映画見て、軽くトラウマになった事を思い出した。


「もし、荒谷さんが結局書けないままなら、その時は、その時ですから……でも、頑張らせてください」

「何を頑張るんだよ……」


 わけがわからない。

 凪は、書かせたいけど、俺自身から書いて欲しい。結局書けないままなら、諦める。そう言っている。ように聞こえる。


「合理的じゃねぇな」

「人間、理屈だけでは動けない生き物ですから。敢えて言うなら、あの小説を書いたあなただから、という事です。ある意味、恩返しも兼ねていますから」

「そうかい」


 もう一口。うめぇなぁ。これが食べられただけでも、あれを書いた甲斐があったってものだ。


「あれを書いたのが、こんな奴で良かったのか。正直残念とか、えーっとか思ったろ」

「前から知ってたので。大体、気づいたのは百話が更新されたあたりでしょうか」

「そうか」

「はい」

「あの時は、頭おかしかったな。毎日更新って」

「読んでいる人からすれば、嬉しい限りですよ」


 更新を待つのって、わりとストレスですから。と口に手を当てて、上品に笑う。 

 子どもっぽいような、でも、そうでもなく、かと言って、大人っぽさが欠片も無い。

 凪という女の子を形容する言葉に悩んだ。


「ごちそうさま」

「お粗末様です。今日はもう寝てくださいね」

「は?」

「健全な創作は健全な生活習慣からですから」

「何言ってんだ……」


 むしろ、明日までの更新が間に合いそうになくて夜更かしたことあったし。一週間予定が詰まった時は、先に一週間分程度、書き溜めるために徹夜したこともある。


「良いから、ほら、片付けはするので、歯を磨いて!」

「おかんか」

「……マネージャー、ですかね?」

「わけわからんこと言ってないで、子どもはさっさと家に帰る」

「年、そんなに変わりませんよね」

「俺二十歳、今年で二十一。お前は?」

「十六です」

「ふん、五年の差はデカいぞ」

「むぅ~」


 悔しそうな顔をされてもな……。

 流石に摘まみ出した。


「明日も来ますからね!」


 扉が閉まる直前、そう背中に投げかけられた気がした。食器洗いは俺が独り暮らしを始めて史上、最も多かった。

 調理道具は揃えても使っていなかった。三年も前に払った金が今になって役に立つ。妙な感慨が湧いてくる。

 



 

 「マジで来やがった……」


 呼び鈴が鳴った時点で誰かはわかっていた。スーパーの袋を両手にぶら下げて夕方、凪は家に来た。


「さぁ、椅子に座って。プロットとか書くタイプですか? ノートにですか? それとも直接パソコン?」


 てきぱきと机を拭いて、新品の大学ノートを目の前に置かれる。


「……金出すから帰れ。というか、今からバイトなのだが」

「やめれば良いじゃないですか」

「簡単に言うな」

「養いましょうか? 荒谷さんの事」

「何言ってんだお前」


 女子高生にそう言われるとか。俺も落ちたものだ。いや、そこまで上にいた気はしないから、落ちるも何も無いか。

 大真面目な顔で、冗談のようなことを冗談に聞こえない声色で言うから、軽くビビったぞ。


「ていうか、一人暮らしの男の家にほいほい女の子一人で来るな。何かあったらどうするのですか?」

「……私は、荒谷さんなら別に構いません」

「そういうこと簡単に言うな、馬鹿が」

「……っ」


 力なくうなだれる彼女の姿は、彼女に対して、どこかはきはきした印象を持っていた俺に罪悪感を与えるのには十分だった。


「……なんでそこまでするんだ?」

「私を救ったのは、あなたです」


 涙を浮かべながら、それでもまっすぐな目は、確かに俺を見ていた。


「覚えがない」

「あなたの作品に、私は救われました」


 絞り出すような声で、凪はそう言った。


「……ベタな話ですね。あはは。忘れてください」


 気まずそうに笑う。居たたまれなくなって、真っ白なページを開いたノートを見た。これが、今の俺だ。苦笑いしか出てこない。


「さっ、ご飯食べましょう。どうせお母さんたちは店の方でお客さんと何か食べるでしょうから。荒谷さんも、バイト前に何か食べたいですよね?」

「まぁ、確かに、腹に何か入れといた方が良いのは、確かだが」

「ですよね、ですよね。ちょっと待っててくださいね」


 ……新しい物語、ねぇ。

 自分の中に沈む。物語を考える時、そういう風にする。そして、帰ってくる時、手の中に、物語の片鱗を掴んでいるのだ。

 だけど、想像の泉は枯れていた。

 絞ろうと何しようと、滴一滴も、物語は出てこない。一文字も浮かんでこない。

 書き出しすら、浮かばない。


「駄目だ。やっぱり」


 一瞬だけ起きたやる気はすぐに消えた。

 あの時、何も浮かばないことに気づいた時感じたのは、絶望じゃなくて、失望だったと気づいた。

 書けると、無限の可能性が自分にあると心の底から信じていた自分への失望。

 最高の作品だと馬鹿正直に信じていながらも、結局書籍化の可能性すら感じられなかった事への失望。

 これが現実だと。嵐の大海原に蟻一匹、真正面から挑んでいるようなものだ。そう言われた気がした。


「ホットサンドです。片手で食べられます……進んでないですね」

 

 目の前に皿が置かれたことに気づいて顔を上げた。

 真っ白なノートを見つめる凪の目は、平静を装いつつも、少し残念がっているように見えた。


「バイト終わるの何時ですか? 時間によっては作り置きになりますけど」

「十時閉店」

「十時半くらい、ですかね?」

「かもな」


 ホットサンドは美味しい。

 ピリッと辛みの効いたソース。耳が切り落とされ、しっかりと焼かれ、食べやすいパン。厚みのあるハム、少しだけ胡椒が効いている。


「……ホットサンドに罪はない。美味しい」

「それは嬉しいです」

「そういえば、養うって、お前そんなに金持ってるの?」

「あぁ、このマンション、お父さんが所有してるので」

「は、はぁ……」

  

 お嬢様だった。なるほど、うーん。

 一瞬話に乗ろうかと思った自分を頭の中で殴り飛ばした。


「ごちそうさま。バイト行くから帰れよ」

「あっ、はい。では、また。バイト終わる頃に。ハンバーグ作りに来ますから」


 柔らかい微笑を称えて、俺と一緒に部屋を出る。このシーンだけ切り取れば、きっとありとあらゆる誤解を招く事だろう。 

 勘弁してほしい。 

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