第2話 ヒロイン何ていない。
午前中で全ての講義が終わった。ほぼ寝て過ごしたから、内容なんて欠片も頭に残っていない。
身を投げ出すようにベッドに横になる。
ふと、昨日会った女の子の事が頭に浮かんだ。名前くらい聞いておけばよかった。いや、良いや。今更しがみつく事なんて無い。
現に、俺の引退宣言は、誰に反応される事無く、流れて行った。
思わず、苦笑する。
こうも更新しなくなるだけで、随分とあっさりと認識から消えるんだな。
「悲しいような、消えやすいような」
スマホを閉じて目を閉じると、眠気がすぐに僕を、まどろみの中に連れて行った。バイトまでには起きたい。
「あっ、こんにちは」
昨日聞いたばかりの声に振り返ると、案の定、あの時の子がいた。
「お前、学校は?」
「終わりました」
「家ここら辺なの?」
「はい、そこですけど」
俺の背後にあるマンションを指さした。
「はぁ」
「なんでそこでため息を吐くのですか! 先生」
「先生って何だ、先生って」
「だって、私の大好きな作品を書いた作者様じゃないですか。先生と呼んで何が悪いんですか!」
「俺は荒谷だ。荒谷諭。あらやさとし、覚えろ!」
「荒谷先生?」
「先生言うな。俺はもうやめた。書かない」
スッと眉がひそめられる。悲し気な表情に少しだけ居たたまれなくなった。
そんな俺に気づいたのか、少しだけ人懐っこい笑みを浮かべる。
「じゃあ、私も自己紹介を。神代凪です。凪と呼んでください。りぴーとあふたーみー。なぎ」
「なぎ」
「はい、よくできました」
凪の目は観察するように俺を見ていた。
「それで……か……」
「間違ってもあっちの名前で呼ぶなよ」
「……わかりました。荒谷さん」
「素直だな」
「じゃないと、会話すらしてくれなさそうなので」
よくわかっていらっしゃる。
「どうですか? 荒谷さん。奢るので話だけでも聞いてくれませんか?」
「今更何を話すってんだ。あと君に奢られたくない」
親指で喫茶店を指す。
「まぁまぁ。どっちでも良いので、行きましょ」
じれったくなったのか、背中を押されながら喫茶店に入る事になった。
バイトに出る時間までに、コンビニでカップ麺とか買いたかったけど、まぁ良いや。
「荒谷さん。何で引退したのですか?」
「昨日も言ったと思うぞ、書けなくなった作家に、存在意義は無いって」
「極端ですね」
「書けなくても許される作家なんて、ごく一部だ」
出されたのはホットココア。この季節にか……。奢ってもらっているので、文句は言わないけど。いや、話しを聞く対価だから、良いのか?
「ありがとう。お母さん」
「……お母さん?」
「はい、この店、家族で経営しているので」
「あ、そう」
まぁ、確かに、最近の高校ってわりとアルバイトに厳しいか。家族の手伝いなら、先生も咎められまい。
美人なお母さんだ。凪と似て色素の薄い、茶色がかった髪をしている。軽く観察してみるも、年齢が予想できない。
「なので、サービスです。そのココアは。うちの自慢の一品です」
「……どうも。いただきます」
一口飲んでみる。
「あっ、うまっ」
心が少しだけ楽になる、そんな甘さだ。しつこくなく、ほんのり苦味があるが、それもまたアクセントだ。そして、熱すぎず、すぐに飲める温度という、細かい気遣いが嬉しい。
「荒谷さんが書いた作品は、そのココアです」
「まぁ、君が昨日言った俺の作品の感想とは、合致するな」
「あと、ヒロインが無茶苦茶可愛い」
「そりゃどうも」
自信を持っていた部分を褒められるのは、少しこそばゆい。
「まあでも、ネット小説作家何て、腐るほどいるし、商業の方に目を向ければ、良い作品はそれこそいくらでもある。俺にこだわるな」
「自分好みの作品を探すのは無茶苦茶大変ですけどね」
正論だな。
澄んだ瞳を真っ直ぐ向けられて、少しだけ居心地が悪い。
「私は、荒谷さんの小説が、読みたいです」
「何故こだわる……って、まぁ、確かに。自分好みの小説を書いてくれる人を探すのは面倒だし、だったら作家買いした方が良いというのは、合理的ではある」
そういう読者も結構いるだろう。
「でも、引退したという作家に書けと言い続けるよりは、別の作家を漁る方が合理的ではありやせんか?」
「……嫌です、荒谷さんが書くのをやめるのは、嫌です」
俯いて、嫌々と首を振る凪に、子供っぽいな、と思いながら、少し言い過ぎたかなと後悔する。
「……泣かせるつもりじゃなかったんだ。すまん」
「泣いてません」
ため息を吐いた。
「書けないのに、書こうともがくのは苦しいし、正直、そんな自分が情けなくて見てらんなくてさ。だから、やめたいんだ」
「良いじゃないですか。もがいて」
「もがく主人公を時には立ち上がらせ、時には背中を叩き、時には抱きしめてくれるヒロインがいるならな。そうじゃなかったら、無様だろ」
ムッとした顔をされるが、気にしない。
「残念ながら、俺には雨に濡れて風邪をひいても、看病してくれる天使様も、無茶苦茶な話を書いても半泣きで完食して感想を言ってくれる文学少女も、ボロボロになって絶望して醜態晒しても、全幅の信頼と親愛を捧げて立ち上がらせてくれる鬼メイドもいないんだ」
「かなり特定が楽な例えですね」
「どれも名作だ。君が大好きな俺なんかの小説とは違う」
わざと嫌な言い方にする。
これで彼女は俺を嫌いになってくれる。
「じゃあな。美味しかったよ。ココア」
値段がわからないので千円札を叩きつけて行く。
女子高生と関わる機会なんて、高校を卒業した時点で無いと思っていたから、なかなか貴重な体験だったと思う。
金輪際関わる事が無いだろう。そう思っていたのだが。
そんなことは無く。
バイトを終えて帰って来ると、部屋の前に蹲って座る彼女の姿を見つけた、部屋を間違えたのでは、とか思った。
「何してんだ」
「待っていました」
制服から黒いワンピースに変わった姿は、制服とはまた違う少女の側面を見せていた。
「親と喧嘩でもしたか? 何で俺の部屋を知っている」
「喧嘩はしてません。部屋は調べました」
「こえーよ」
部屋の前で立ち話するのも、近所迷惑だと思い、とりあえず家に入れる。
「親御さんは?」
「まだ店にいます。夜はお酒も出すので」
「へぇ」
「夕飯、これからですか?」
「まぁ」
「じゃあ、作ります」
迷いのない足取りで台所に入っていく。
「いや、帰れよ」
「晩御飯作っておくので、パソコンとでも原稿用紙とでも向き合っていてください」
「無茶言うな」
「どこが無茶だって言うんですか」
躊躇いも無く冷蔵庫を覗き込み、すぐに閉めた。
「では、すぐに戻りますね。楽しみにしています!」
そのまま台所を出て行って、玄関の扉が開いて閉まる音がした。
……まぁ良いや。シャワー浴びよ。汗かいたし。
バイト終わりのシャワーは良いものだ。疲れが身体を伝うお湯と共に落ちていく感じがする。ついでに、どこか臭っていた汗臭さも落ちていく。
「ふぁ」
ん? 何かすげーおいしそうな匂いがする。
「あっ、上がりましたか。って、何で上着てないんですか!?」
「ん? 何してんの?」
「冷蔵庫に碌な食材無かったので家から持って来たのです!」
「まぁ、食材何てバイト終わりにお腹が空いたら買うくらいだからな。調味料はあっただろ」
「はい。意外なことに」
「失礼な。そんじゃ、食ったら帰れよ。流石に」
「あなたが食べるものなのですが?」
「は?」
「私は、あなたが書けるようにします。そのために、まずは食事です。健全な創作活動には健康な体から。さぁ、料理なら自信があります。お食べください。部屋は、片付いていますね。物が少ない気がしますが。さぁ、あとは何をすれば良いですか? 資料集めますか? コーヒーでも淹れますか? 何でも言いつけてください」
「馬鹿言うな。やめとけ。時間の無駄だ。不要な徒労だ。俺はもう書けない。書きたいことはすべて書き切ったからな」
スマホの画面を見せられる。
そこには、小説投稿サイトにある、俺のマイページが表示されていた。
「なら、何で消えていないんですか! アカウント。もし、今朝起きて消えていたら、諦めようと思っていました。でも、私は、諦めません。荒谷さんに、まだ書きたいことが少しでも残っているなら、それを書いてもらいたい、そう思いました!」
一年、諦めきれず、ようやく踏ん切りがついたけど、消すタイミングが見つからず。
そして、この厄介な女の子に突きつけられ、さっさと摘まみ出せば良いのに、呆けてしまって、追い返すタイミングまで見失ってしまい。
結局情けなく、頭を掻くことで誤魔化す事しかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます