書けなくなった作家擬きが出会ったのは甘党少女でした。

神無桂花

甘党少女と動かす時間。

第1話 書けなくなった作家擬きってなんだろうね。

 誤字脱字直して、見やすいように改行を付けて、改めて読み返して、そして、一つ頷く。 

 これは俺が、ネットで初めて公開した連載小説の最終回、それを今、更新する。この小説が、どこかの出版社の目に止まるか、はたまた、ネットの海で漂流して終わるか。


 いや、これは最高の作品だ。現に今、ブックマークしてくれている人は二千人を超える。最終回を公開すれば、それはさらに増えるだろう。ランキングにも載るはずだ。


 思わずほくそ笑む。


 小説家として生きる事を志し、ようやく書き上げた小説。


 ヒロインは最高に可愛い。感想での評価も上々だ。ストーリーも面白いと言われ、更新したことをSNSで宣言すればすぐに反応がもらえる。

 さて、どんな反応がもらえるかな。一年続いた連載の最終回だ。

 期待を込めて、更新ボタンを押した。




 それから一年が経った。 

 続編や、短編をいくつか投稿した。


 俺の住むマンションの一室には、今日一日の講義全てサボった友人が来ていた。コントローラーを握り、画面の向こうでは、茶髪に染め、ピアスまで空いている軽薄そうな彼には似合わない、堅実な装備で固めた兵士が、強大な虫を銃弾の雨でハチの巣にしている。


「荒谷、インターンどこ行くんだ?」

「全部エントリーシートで落ちたよ」


 苦笑いが浮かんでいるのがわかる。我ながら無惨である。先が思いやられるとはこの事だ。


 このままでは夏休みに就職活動らしい活動ができなくなる。

 話しながら、癖というか、習慣で、投稿していた小説サイトのマイページをスマホで開く。かつてはこれを開けば感想が書かれましたとか、そんなメッセージが来ていたものだ。

 今では、もう無反応。一応、完結させたあの小説は、今でも読んでいる人がいるみたいで、アクセスはされている。

 さっきも言ったが、続編と短編は書いた。あまり見てもらえなかったが。


「ゲーム会社だったか?」

「あぁ、報酬が出るインターンだったよ。全部。というか、報酬ありを選んだら大体ゲーム会社だった」

「大人しく選考無しの行っとけよ」

「そうしたいところだけどさ、夏休みの生活費がかかっているからさ」

「いい加減親の仕送り使え、お前は」

「やだね」

「強情な奴め」


 ベーっと舌が出される。


「そういうお前はどうなんだ、市川。お前めっちゃ申し込んでたじゃん」

「あぁ、交通費が出る奴結構申し込んで、3つ通ったから儲け出るだろうな」

「……はぁ。羨ましい話だよ。ったく。バイト行くわ」

「あぁ、いってらっしゃい」

「いや、帰れよお前」

「へいへい。いや、だってさ、お前の家、広くて居心地良いんだもんよ」

「まぁ、それは認める」

「親御さんにたまには感謝して、仕送り使って。な? そうすればバイト何て行かずに済んで、部屋でゲームできるわけだ。わかるか?」

「知るか」


 着替えてリュック背負って二人で部屋を出る。

 マンションの廊下に出た瞬間、涼しい風が出迎えた。

 エントランスを出て、自転車に跨る。


「じゃあな」

「おう、また明日」


 手を振って歩き去る友人を見送って、地面を蹴ってペダルを踏み込んだ。



 バイト先のスーパーは自転車で十分程度の場所。そこで品出しや閉店作業を主にやっている。週に四日、三時間半の仕事。時給千二百円、一年働いたら上がったのである。

 陽が傾き始め、茜色に染まる。そんな空を眺めながら走ればあっという間についてしまう。

 ママチャリを止めて、従業員用の入り口から入ってさっさと着替えて仕事に入る。


「はぁ」


 ため息をついた。何してんだ、俺。 

 台車を押して売り場を歩き回り、商品を並べて、空になった段ボールを解体して。


「荒谷くん、レジ入れる」

「問題ないです」


 名前も知らない客に頭下げて。

 愛想笑い振り撒いて。

 何してんだ、俺。



 日曜日、ノートパソコンを持って家を出た。

 マンションの目の前の喫茶店に入る。


「コーヒーですね。いつもありがとうございます。少し暑いですので、アイスコーヒーですかね」


 結構利用しているから、もう頼むメニューが言い当てられてしまった。

 利用し過ぎて、おかわり一杯まで無料になっていたし。この店の店主は人が良すぎる。

 もはや顔馴染みになったウェイトレスさんは、ニコッと笑って目の前にケーキの乗った皿を置いた。

 一時期、コーヒー一杯でひたすら粘る俺にどこか冷ややかな目線を向け、レジに行くと、それこそ無表情無感情で応対していたのに、こうしていまや態度を軟化してくれているのは、常連故だろうか。


「……チョコクリームケーキ?」

「はい。試作品なので、是非食べてみてください。後で感想お願いしますね」


 ニコッと笑い、ペコッと頭を下げ、さっさと奥に引っ込んでいく。コーヒーで二時間くらい粘る人間にここまで良くしてくれるとは。


 チョコの苦みとクリームの甘み。うーん。まぁ、美味しいっちゃ美味しいかな。甘ったるくは無いから。うん。有りだな。後で伝えようっと。


 文章作成ソフトを開いた。

 何か書けないだろうか。

 もう、完結させて一年が経った。


 一年も経って、やった事なんて、続編と短編だけ。

 新しいのを書かなきゃ、新連載しなきゃ、そう言い続け、逃げられないように宣言もして、結局、何も書けていない。


 書けなくても待ってくれるような作家何て、精々一握り、出せば百万部くらいは余裕で売れるような大物くらいだろう。

 一年でも、待たせ過ぎたんだ。待ってくれている人なんていないだろ、そう思ったけど、それでも、書くことを頑張ろう、そう思ってここに来た。


 キーボードに手を置き、思考の海に沈む。後は、手が動くのを待つだけ。

 動かない。何も浮かばない。画面は白いまま。

 どうしてだ。早く、何か。

 ここなら書ける。そう思ったのに、書けなかった。

 もしかしたら、書きたいことを書き尽くしたのでは、それならそれで良いのではないか? 


「はぁ」


 ここに来れば、何かを思いつくと思ったんだ。

 大学に入るその年の春休み、たまたま来たこの店で、思いついたんだ、あの小説は。展開が詰まる度にここに来て、たまに更新する続編や番外編を書くときも、ここに来て。


 だから、またここに探しに来たんだ。ここで思いつかなかったら、もう無理だろ。

 目を閉じる。涙が出ると思ったから。

 けれど、なにも出なかった。ストンと何かが抜け落ちて、空っぽになった。感情が死に果てたかのように、表情筋が固まった。


 何もかもがどうでもよくなった。

 作家を目指す以外の人生が浮かばなくて、その可能性が死んだ今、これからどう生きれば良いか考えようとしたけど、頭が考えるのを拒否した。

 まず、何かしなきゃ。

 何かしなきゃ、急き立てられるように俺は読者や、作家仲間へ俺の意思を表明するべく、言葉を紡ぐ。


「今日をもって引退します。か、我ながら簡潔だな」


 でも、これで良い。

 書けなくなったのに、うだうだと居残り続ける方が、みっともない。引くときは潔く、後腐れせず。

 なるようになる。


 普通に就職して、下げたくない頭を下げ、靴がすり減るまで走り回り、精神を磨耗させ、休日は面白くもないバラエティを見ながらビールをすすり、深夜はアニメを見て、気がつけば寝落ちて朝起きて、満員電車を潰されそうになりながら鞄を抱えて。


 世間的な普通の生き方に、今から歯車に組み込まれる練習をすれば良い。

 今は想像ができないだけ。時が経てば、きっと、子どもの夢だったと、笑いながら話せる。

 そう思いながら、ノートパソコンを閉じて、氷が溶けて少し薄くなったアイスコーヒーを一気に飲み干そうと、すっかり汗をかいたグラスをつかんで、ストローから一気に吸い上げた。


「……はぁぁぁぁぁぁ!!」


 厨房の方から、凄い声が聞こえた。


「ちょっと待ってくださいよ、ねぇ、先生、引退? ふざけているのですか? 一年も待たせて、結局引退って、何ですか? お預けプレイの果てにやっぱり無しでって、Sですか、ドSですか!」


 さっきケーキを置いて行ってくれたウェイトレスさんが、詰め寄ってくる。これでもかと。鼻と鼻が触れそうなくらいに。うわ、めっちゃ良い匂い。あと、肌、綺麗。顔も整ってるな。


「あ、あの、何ですか、急に」


「『我が家のメイド。』は甘くて、でもその奥に苦味があって、でもそれがアクセントで、味わって味わって、もっと欲しくなって、読んでて、とっても幸せな気分になるんです。もっと甘さをください!」


 その子が言ったのは、俺が一年かけて書き上げた小説のタイトルだった。


「何よりヒロインがとってもかわいくて、いじらしくて、思い出しただけで涎が出そうになります」


 キラキラとした目が、真っ直ぐに向けられる。


「だから、あなたが次、何を書くか、ドキドキしながら、我慢し続けたのに……何なんですか! 引退ってぇぇぇぇ!」


 俺の他に、都合よくお客さんがいないのが助かった……。


「私、もう上がるので、ちょっと待っていていただけますか!」

 

 大きな瞳を細めて睨みつけ、しばらく。ため息を吐いた彼女は待機を命じた。

 言われた通り待っていると、この辺りでよく見る高校の制服を着た彼女が向かいに座った。


 紺のブレザーに長すぎず短すぎず調整されたスカート。バイト中には一本にまとめてあった色素の薄い髪も、今は腰の辺りまで流れていた。


「お待たせしました。それと、さっきは取り乱してすいませんでした。それと、話のお供に、いつものように二杯目、どうですか? というか、持ってきてしまったので、どうぞ」


 静かに綺麗に目の前に、二杯目のアイスコーヒーが置かれた。

 彼女の目の前にも同じく置かれる。


「あ、あぁ、ありがとう。一つ聞かせてくれる? 何で、俺の小説知ってるの? じゃなくて、なんであれを書いたのが俺だって知っているの?」


「……物語の中で何か大きなことが起きる時、決まってこの店に来ていたじゃないですか。いつもより更新遅いなって思ったら、パソコン持ってここに来て、コーヒー一杯で二時間も粘って。たまたま後ろから見えたのが、あなたが長々と文章書いている光景で」


「はい」


「最初はまさかとは思っていたのですけど、おかわりのコーヒーをサービスとか言って持って行って、こっそり画面を覗いて、確信しました。あとは、あなたが作業終わった直後に小説も更新されていたので、はい。そんなところです」

「……なるほど」

「あっ、でも、今更コーヒー代とか請求しませんから。私が勝手にやっていた事なので」

「それは助かる」


 目の前の女の子は、一息つくように、唇を湿らせるように、ストローを刺してるのにグラスから直接飲む。


「それで、引退とはどういうことですか?」

「言葉の通りだよ」


 悲し気に目が伏せられる。

 少しだけ申し訳なくなるが、こればかりは、どうしようもない。


「書けない作家に、価値はない。まして俺は、作家擬きだよ」

「書けるようになってください」

「簡単に言うな」


 思わず息を吐いた。作家擬きとして、こういう熱心なファンとも言える存在は嬉しくもあるが、今この時は煩わしい。

 ストローを外してグラスを一気にあおれば、少しだけ胃がタプタプになった気がする。


「帰るよ。会計は……」

「良いです。今日は私が持つので」

「良いよ。多分、現役の頃なら、君みたいなファン、嬉しいと思っていただろうから。……書けなくなった作家擬きって、何だろうね」


 コーヒー三杯分の代金だけ置いて帰った。流石に、年下に奢られたくなかった。

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