第118話 side:カンデラ
(何考えてるんだ、あの女……! あの化け物を挑発するなんて正気か?)
カンデラは地面に這い蹲ったまま、バデルバースと対峙するフィーアを見上げていた。
バデルバースが化け物であることは間違いない。
マナや魔術の精度を高めるために錬金術で身体に手を加えるなど、戦争の際にも表では許容されていなかった外法である。
バデルバースは明らかにその禁忌へと手を出している。
レーダンテ騎士学院の学生には、既に王国騎士の水準に達しているものも珍しくない。
そこへ暗殺者として送られてきたということは実力が低いわけがないのだ。
低く見積もっても、最低でも龍章持ちの騎士以上の実力者であることは疑いようもなかった。
「我々が非効率だと? くだらん妄言を」
「我々は繋がれた三つの脳によって、複数属性の行使を可能とし、魔術の発動速度を引き上げている」
「人の身を捨てられない半端者とは違うってことを教えてあげるわ」
バデルバースの三つの頭は口々にそう叫んだ後、五本の指を立てた腕を前へと突き出した。
「我々は大魔導士クロウリーの
バデルバースの三つの頭が笑う。
「別に貴方と長々話すつもりはないのですが……一つだけ」
フィーアは遠慮がちにそう口にした後、口端を大きく吊り上げて嘲笑を浮かべた。
「頭増やして繋げば、魔術属性を増やすくらい馬鹿でもできると思うのですが。やる意味がないから、どこもわざわざそんな研究しないだけだと私は思いますよ。そんな不細工な姿にならなくても、三人で連携の練習でもして、肩車でもしておけばよかったのではありませんか?」
「無意味かどうかは、貴様の身体に教えてやろう!」
バデルバースが吠える。
彼の背後に、無数の魔法陣が展開されていく。
「我々の魔術展開速度に手も足も出まい! 塵芥となるがいい!」
バデルバースが大量の炎球をフィーア目掛けて放つ。
カンデラは必死に床へと身体をぴったり避けて巻き込まれないように屈んでいたが、周囲や壁に、横に逸れた炎球が落ちて爆ぜる。
気が気ではなかった。
(一秒ごとに三発は撃ってる……! わかってはいたけど、ただ頭が多いわけじゃない! マナの量、展開速度、頭の数で割ったとしてもあまりに規格外過ぎる! こんな化け物が裏の世界にいたのか!)
カンデラは恐怖のあまり目に涙を湛え、唇を噛んでいた。
生き延びるには、どうにか今の間に隙を見つけて今度こそ〈軽魔〉逃げるしかない。
しかし、バデルバースの圧倒的な力と異様なオーラの前に、身体が竦んで動くことさえできなくなってしまっていた。
「やっぱりこの程度ですか」
フィーアが剣を抜いて構える。
その刹那、迷宮の広大な通路全体を埋め尽くさんがばかりの膨大な数の炎球が放たれた。
炎球の一部がカンデラの背のすぐ上を掠め、バデルバースへと飛んでいった。
フィーアの放った膨大な炎球は、バデルバースの放ったそれらを呑み込み、打ち消し、彼目掛けて飛んでいく。
「は、はぁ……?」
カンデラは目前の光景に、もはや理解が追い付かなかった。
一秒に何発撃ったか、なんて次元ではない。
「馬鹿な……有り得ん!」
「な、なんだこれは! 幻の類か!」
「すぐに防護魔術を……!」
大量の炎球がバデルバースの身体を滅多打ちにする。
彼の周囲の床や壁が爆炎によって崩れ、迷宮内に土煙が舞い上がった。
「やっぱり意味なかったですね、その不格好な飾り」
フィーアがくすくすと笑いながら、バデルバースへとゆっくりと歩み寄る。
自身の横をフィーアが歩いて通り過ぎていったとき、カンデラは気が気ではなかった。
(に、人間じゃない……!)
バデルバースなんかよりも、この女の方が遥かに怖すぎる。
元々、カンデラはフィーアの編入には違和感を抱いていた。
下級貴族が突然〈Bクラス〉に編入だと聞いて裏があるに違いないと調べていたが、驚くほどに何も出て来ず不気味だったのだ。
何かしらの意図があって、大きな力で隠されているとしか考えられなかった。
しかし、ここまで異常な存在だとは思っていなかった。
そのとき、バデルバースが倒れているであろう土煙の方から、真っ赤な光が広がってきた。
土煙が薄まり、向こう側にバデルバースが立っている。
彼を中心に、深紅の大きな魔法陣が展開されていた。
「おや……魔術の腕前はそこまででしたが、頑丈さはそれなりなようですね」
フィーアの言葉に、バデルバースの三つの顔は恐ろしい怒りの形相を浮かべた。
「もういい……力試しは止めだ! 死ぬがいい!
バデルバースの魔法陣より赤黒い炎が溢れ出し、それは洪水の如くフィーア達の方へと向かっていく。
(
カンデラは咄嗟に身体を起こしたが、とても避けられるような規模の攻撃ではなかった。
もはやここまでかと絶望した、その次の瞬間のことであった。
「
フィーアが巨大な魔法陣を展開し、大量の水をバデルバースの方へと流した。
バデルバースの放った赤黒い炎が、一瞬で水に圧されて消滅していく。
「馬鹿な……
バデルバースが水に呑み込まれる。
「〈ポセイドンフロード〉は炎属性のマナを掻き消します。魔術師同士で隙の大きい
続けてフィーアが魔法陣を展開する。
巨大な雷の柱がバデルバースを中心に現れ、迷宮の天井を貫いた。
「お、おお、おおおおお……!」
バデルバースが悲鳴を上げる。
続けてフィーアの放った黒炎がバデルバースの身体を穿つ。
闇属性のマナの塊であった。
「私はそんな不格好な身体ではなくても七属性全て使えますよ」
フィーアが冷たい笑みを浮かべて、勝ち誇ったように言い放つ。
「あ……ああ、あ……有り得ない……こんなことは……あっては、ならぬ……」
「ならば、我々の研究には……全てには、意味は……なかったのか……?」
「化け物、め……」
三つの頭は口々にそう言い、力尽きたのか動かなくなった。
「化け物呼ばわりは慣れていますが、その姿に言われるのはさすがに心外です」
フィーアは剣を鞘へと戻した後、ゆっくりとカンデラの方を振り返った。
「起きていらしたのですね」
「ひいぃっ!」
カンデラは後退りして、迷宮の壁に背を打ちつけた。
「な、何も見てない……僕は、何も見ていない!」
カンデラは激しく首を横に振った。
助けられた直後であることは間違いないが、それを差し引いても目前の少女は異様過ぎた。
バデルバースの言葉に激情を露にしていたところを見るに、機嫌を損ねれば自身も命がないと考えるのが妥当であった。
あまり安定した精神の持ち主であるとは思えなかった。
「……状況が状況ですので仕方ありませんね。私も彼女の安全確保に急ぐ必要がありますし、物分かりがよく、口が堅そうな御方でよかったです。余計なことは口になさらないでくださいね」
「わ、わかっている! 勿論だとも!」
カンデラがそう答えると、フィーアは迷宮の奥へと消えていった。
カンデラはどっと疲労感が押し寄せてきて、迷宮の壁へと背を預けた。
助けられたはずなのに、まるで助けられた気がしなかった。
「何が起きてるんだ、レーダンテ騎士学院に……」
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