第116話

 〈軽魔〉を用いて壁を蹴り、ドルガとの戦いで作った大穴を用いて上の階層へと一気に上がっていく。

 二階層分上がったところで、俺は床の上から天井を睨む。


「さて、ここからどうしたものか……」


 降りてきたときはドルガの〈アースフィッシュ〉を用いて地面を透過していた。

 俺は多種多様な魔術を使い熟せる程器用なわけではない。


 急いで上がろうと思えば天井を突き崩すしかないのだが、ここはレーダンテ騎士学院が学生の訓練に用いている学院迷宮である。

 無暗やたらに壊すような真似をしていいわけがない。

 最悪の場合、大規模な崩落を招くことだってあり得る。

 ドルガとの戦いでは仕方なかったが、流石に今は……。


「……少しだけならいいか」


 ルルリア達の命が懸かっているのだ。

 俺は〈ウェポンシース〉で〈怒りの剣グラム〉を取り出す。

 〈軽魔〉を用いて地面と垂直に跳び上がり、天井向けて〈怒りの剣グラム〉の刃を突き上げた。


 刃が一気に迷宮の壁を掘り進んでいく。

 外に出たところで剣の刃を下ろし、その場で一回転して着地した。


「ア、アイン……! 戻ってきましたの!」


 真っ先に目が合ったのはヘレーナだった。

 ヘレーナの腕の中には、血塗れのルルリアの姿があった。


「ルルリア……!」


「アイン……さん?」


 俺が声を掛けると、ルルリアは薄っすらと目を開けた。


「ルルリアァ! よかったですわ! 意識が戻ったのですわね!」


 ヘレーナが涙を零しながら、ルルリアの身体へと勢いよく抱き着いた。


「い、痛い痛い、痛いです! ヘレーナさん! そこ……あの化け物女の触手に打たれたところで……!」


「わわっ! ごめんなさいですわ、ルルリア!」


 二人の様子を見て、俺は安堵の息を吐いた。

 周囲を見回す。

 ギランはラヴィと、彼と共に襲われていたらしい学生達の介抱を行っているようだった。

 地面に寝かせて、包帯などの応急処置を行っている。


「よく戻ってきた。アインなら無事だって思ってたぜ。こっちの三人も命に別状はなさそうだ。早いとこ、外戻った方がいいのは間違いねぇけどな」


 ギランが俺を振り返り、そう声を掛けてくる。


「皆無事そうで安心したが……あの〈不死なるボルクス〉と名乗っていた、合成獣キメラの女はいずこへ……」


「〈不死なるボルクス〉ならこっちだよ、アイン」


 声に振り返る。

 水色髪のショートヘアの少女が立っていた。

 彼女は黄金の片眼鏡モノクルを左目に掛けており、手には虹色の輝きを帯びる多面体があった。

 その姿には覚えがあった。


「いや、久し振りに会えてよかったよ、アイン。ボクは一人で静かに考え事をするのが好きな性質ではあるのだけれど、それでもやはり半身にも等しいキミと半年以上離れているのは寂しいものがあったよ」


 彼女はそう口にして、両腕を大きく広げる。


「ふむ、少しだけ表情が柔らかくなったように思うね。あの御方の御心はボクなんかには計り知れないけれど、キミに変化があったのならば、それはきっといいことなのだろう。いや、実に興味深いよ」


「ドライ……何故ここにいる?」


 そう、彼女はドライ……〈幻龍騎士〉の名も無き三号ドライである。


 膨大な知識と習得魔術の量から、〈世界図書館アカシックレコード〉の異名を持つ。

 魔術で対応できる範囲が広く、冷静で頭が切れるため、ネティア枢機卿からの信頼も厚い。

 〈幻龍騎士〉の中では攻撃方面の能力に欠けるが、最も優秀な人物であるといえる。


 フィーアが駆けつけてきてくれることは期待していたが、まさかドライが出てくるとは思っていなかった。

 人質も取られていたこの場では、数の殲滅と制圧を得意とするフィーアよりも、応用が利き少人数の戦いや密偵に長けたドライの方が向いているのは間違いないが。


「学刀祭に紛れて入り込みやすかったのも、人目に付かない迷宮深くで仕掛けてきたのも、ボク達にとってもありがたかった……ということだよ。あの御方も〈逆さ黄金律〉とは決着を付けたがっていたからね。あの子を追加で送ったのは〈逆さ黄金律〉対策だったのだろうけれど、連中がここで仕掛けてくるのならば、動きが読みやすい上にこちらとしてもやりやすい」


「なるほど……それについてはわかった。それで……〈不死なるボルクス〉はどこだ?」


 周囲を見回すが、それらしい相手は見つからない。

 ドライは先程『こっちだよ』と口にしていたが……。


「これだよ、アイン」


 ドライが手にした虹色の立方体を俺へと伸ばす。


「……これはなんだ?」


「〈不死なるボルクス〉だよ。そう、聞いておくれよ。彼女、せっかく頑丈だから、試しに捕まえておくことにしてみたんだよ」


 ……どうやらドライの魔術で〈不死なるボルクス〉をクリスタルに捕らえ、圧縮して押し潰したようであった。


「そ、そうか……よかったな」


「そしたらなんと驚くべきことに、こんな小さな形に押し留められてもなお、彼女はまだ生きているんだ。ああ、ボクには彼女の心音が、このクリスタル越しに伝わってきているよ。素晴らしい生命力……素晴らしい魔術式構造だ。それに彼女の姿には一種の機能美がある。いや、実に興味深いよ。あの御方も、きっとさぞお喜びになることだろう」


 ドライはうっとりしたように目を細め、クリスタルへと頬ずりした。


「お、おい……アイン、こいつ、本当に大丈夫なのかァ……?」


 俺の背後へ歩み寄っていたギランが、俺へと耳打ちした。


「大丈夫だ。ドライは手放しに信頼できる。大人で、怒ったところを見たことがない。人見知りもしないし、気分を損ねて不満を露にするようなことも俺の記憶の限りではないくらいだ」


 ドライはただ、知的欲求と自身の任務にストイックなだけだ。

 常識を弁えている。


「そりゃ大した聖人振りだがよ……大人だの、怒らないだの、人見知りしないだの不満を露にだの、それ、フィーアと比較して言ってねぇか?」


「べ、別にそういうわけではないのだが……!」


「珍しくアインが動揺していますわ……」


 ヘレーナが俺の顔を見て、呆れたようにそう口にした。


「ところでアイン、キミは敵と共に下階層へ降りていったと聞いたけれども、その彼の遺骸は残したままかな? だったら後でボクが回収しておこう。とても有益なものだし、あまり人目についても少々面倒なことになるものだからね」


「いや……それより先に、急がなければならないことがある。まだ、敵の仲間が迷宮内にいるはずだ」


 ルルリア達の安否を確認して、気が緩んでしまっていた。

 まだ事件は終わってはいないのだ。

 ドルガの言葉が真実であれば、〈不死なるボルクス〉が無力化済みだとしても、まだ学院迷宮に侵入した〈逆さ黄金律〉の禁魔術師がいるはずだ。


 〈三つ頭のバデルバース〉に〈魔蜘蛛のアトラク〉……。

 この二人も既に、迷宮内の学生相手に行動を起こしているはずだ。

 

「その点ならば問題はないよ」


「どういう意味だ?」


「フィーアがこちらに駆けつけてこなかったということは、別所で足止めをくらっていたということさ。それにボクも、一人で乗り込んで来たわけじゃないからね。ここは彼女達に任せておこうじゃないか」


「……もう一人だァ?」


 ギランが不安げにそう口にした。


 俺は口許を手で覆った。

 まさか……ツヴァイまで来ているのか?


「さすがにあいつは、連れてくるべきではなかったんじゃ……」


 フィーア以上に人里が向かない奴だ。


「〈逆さ黄金律〉と人目を気にせずぶつかれる舞台はそう多くないからね。それに連中……年々行動が不穏になっていたようだ。放っておけば近い内に何かしでかしてくれるのは間違いない。多少強引な手に出ても、確実に潰しておかないとね。あの子なら、一対一で仕損じることもないよ」

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