第112話

 灰色肌の男……ドルガが、俺へと腕を伸ばして掴み掛かってくる。


「ネティアの玩具……どの程度のものか試させてもらうぞ!」


 ドルガの土人形のような生気のない顔が、俺を睨んで不気味な笑みを浮かべた。


「〈幻界徒行〉」


 ドルガの姿が影のようにブレる。


 〈軽魔〉を用いた独特な歩術のようだ。

 重心を偏らせた走法で相手の錯覚を誘いつつ、〈軽魔〉で速度を引き上げて相手の不意を突くことを目的としている類のものだ。

 この手の歩術は珍しくはなく、狙いと原理は単純だが、練度が凄まじく高い。


 俺は地面を蹴って背後へ逃れ、ドルガの腕を寸前で透かす。

 同時に奴の頭部目掛けて剣を振るった。

 だが、刃は呆気なくドルガに掴まれ、そのまま容易くへし折られた。


 とんでもない反応速度だった。

 そしてドルガは不気味な体表をしているとは思っていたが、どうやら見ての通りの硬質のようだ。


「……買ったばかりだったのだがな」


 〈知識欲のウィザ〉騒動の際に剣を破損して買い替え、今のものにも愛着が湧いてきたところだったのだが。


 ドルガの肩へと回し蹴りをお見舞いしたが、あっさりと腕でガードされた。

 びくともしない。

 力もそうだが、俺の動きを先読みして潰している。

 尋常ではない体術だ。


 ドルガが至近距離から貫き手を放ってくる。

 掻い潜るように躱し、地面を蹴ってその場から逃れた。

 ドルガの貫き手が壁へと突き刺さり、一面に大きな亀裂が走っていた。


「……軽い蹴りだな。本当に貴様がウィザを殺したのか? ネティアが関与していると見てわざわざ顔を出しに来たが……この程度の男であれば、わざわざ出向く価値はなかったか」


 ドルガが嘲るように口にする。


 〈魂割術〉による不死性頼みだったウィザとは違う。

 ドルガは素早く、加えて尋常ではない怪力を有している。

 単純な身体能力であれば、恐らく俺よりもドルガの方が遥かに上だ。


 そして恐らく、ドルガの強みはそれだけではないだろう。

 〈逆さ黄金律〉は、ネティア枢機卿も長年邪魔に思いながらもこれまで取り逃がしてきた相手だ。

 特にその総帥ともなれば、容易く倒せる相手だとは思えなかった。


 この手の真っ当でない魔人の相手は、他の〈幻龍騎士〉の方が元々向いている。

 特異な魔術を操れるドライか、怪力と体術に特化したツヴァイの方が適任だ。


中級魔術ランク3〈ウェポンシース〉」


 俺は魔法陣を展開する。

 手許に光が走り、それは一本の剣へと変化した。


 〈ウェポンシース〉は、異空間に保管している武器を手許へと召喚することのできる魔術だ。

 俺は折れた剣を投げ捨て、現れた剣を手にして、軽く振るった。


 ネティア枢機卿から賜った四つの魔剣の内の一振り、〈怒りの剣グラム〉だ。

 軽々しく人里で抜いていいものではないのだが、ウィザ騒動から立て続けにこれを使わさせられることになるとは思わなかった。


「ほう、知っているぞ。ネティアの宝剣……絶大な破壊力を誇る、〈怒りの剣グラム〉……。奴がそれを貴様如きに預けるとはな。だが、貴様のような小僧が持つには過ぎた代物だ。クク、あの魔女も酷なことをする。忠告しておいてやろう、それは貴様が思っているより遥かに強大な……呪われた魔剣だと。使い捨ての忠犬とは憐れなものだ」


「お前といい、ウィザといい、随分と軽々しくあの方の名を口にするんだな」


「我と奴の因縁は、生まれて十数年の貴様には想像も付かんほどに深い。気に喰わん女よ。所詮は我と同じ闇の住人だというのに、片や大国の黒幕……片や小国の遣いとは。気付いていないわけではあるまい。我と奴、やっていることには何一つ変わりがないのだとな」


「戯言を」


 俺は地面を蹴り、ドルガの許へと駆けた。


「おお、狂信者は怖い怖い」


 ドルガもまた独特の歩術で俺へと距離を詰める。

 素直に目で追っていれば遠近を狂わされる。

 接触した際に刹那でも反応が遅れれば、そのまま命を奪われかねない。


 俺は〈怒りの剣グラム〉の刃で地面を叩き切った。

 衝撃波が走り、迷宮に亀裂が走って崩落する。


 ドルガの速さは侮れない。

 至近距離での戦いは徒手が凶器となる奴に分がある。

 〈怒りの剣グラム〉のリーチと衝撃波で牽制し、奴の決定的な隙を探る必要があった。


「……なんと大雑把な戦い方だ」


 ドルガは腕を防御に構えつつ、落下していく。


 俺が突然迷宮の地面を崩落させるとは考えていなかったようだ。

 如何なる身体能力を有していようとも、突然空中に投げ出されれば無防備にならざるを得ない。


 俺は準備していた〈軽魔〉で身体を軽くし、落下していく迷宮の残骸を蹴り、ドルガの周囲を高速で移動する。

 身体を丸めてドルガの死角へと回り込み、瓦礫越しに奴の身体へ剣を振り下ろした。


 岩塊など、グラムの前では意味をなさない。

 刹那の内に岩塊を両断した魔剣の刃は、ドルガの腕へと到達していた。

 ドルガは既に回避動作に出ていたが、このまま振れば当たる。

 俺は一気に刃を押し込んだ。


「ぐうっ!」


 ドルガへ刃が当たったとき……鈍い、大きな金属音が走った。

 奴の身体が迷宮下層を突き破り、地面を砕いて更に下の階層へと落ちていく。


 俺は瓦礫の一部を蹴り、その反動で素早くドルガの前へと移動した。

 ドルガがゆらりと立ち上がる。


「なるほど、機転とグラムの扱いは大したものだ。この我が意表を突かれるとは」


 さすがに驚かされた。

 まさか〈怒りの剣グラム〉の一撃をまともに受けて、悠々と起き上がるとは思っていなかった。


 ドルガが自身の胸部に手を触れる。

 

「威力の乗らん空中で我の肉体に傷をつけるとは、さすがは〈怒りの剣グラム〉といったところか。だが、それだけだ」


「……もはやゴーレムだな」


 刃が当たったときの感触が、明らかに人間のソレではなかった。

 

「夥しい時間を掛け、錬金術で我の肉体を完全に魔鉱石へと置き換えた。さて……ネティアのご自慢の剣の一撃も我には及ばんかったわけだが、どうする?」

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