第110話

「そんな死に掛けの状態で、よくもまぁ強がりが口にできたものね、フフ」


 ボルクスの言葉通り、既にギランの身体は限界であった。

 〈羅刹鎧〉でマナをほとんど吐き出している。

 その上、〈羅刹鎧〉の防御越しとはいえ、触手鞭の一撃を受けているのだ。


 もう〈魔循〉を万全の状態で維持するだけの力も残っていなかった。

 こうなってしまえばもはや、ボルクスを倒すどころか、まともにボルクスの触手を掻い潜って近づくことすらできない。


「騎士の誇りって奴かしら? だったら、あなたの心が折れるまで弄んであげるわ!」


 ギラン目掛けてボルクスの触手が放たれる。

 ギランにそれを避けるだけの力は既になかった。


 だが、ギランの横に滑り込んできたヘレーナが、触手の一撃を剣で受け流し、軌道を逸らして地面へと落とした。


「ヘレーナ! テメェ、まだ動けたのか……!?」


 ギランが驚きの声を上げる。

 だが、ヘレーナからの返事はない。

 ギランが目を向ければ、ヘレーナは虚ろな目で、口を微かに開けたまま、剣を構えていた。


「お前、意識が戻ってねぇのか」


 いつ死んでもおかしくないような重傷を負っていたのだ。

 そんな状態で気力だけで立ち上がったために、肉体だけが起きて、精神が追い付いていないのだ。


「あは、しぶとい子は嫌いじゃないわよ。死にぞこない二人に何ができるのか、見せてもらおうじゃない!」


 ヘレーナが前に出る。

 彼女は触手を紙一重で屈んで回避した。

 続く別の触手の一撃も、身体を微かに逸らし、最小限の動きで避けてみせた。


「何なのあの子……あの怪我で、鈍るどころか速くなってる?」


 ボルクスが困惑していた。

 ヘレーナの背後に立つギランも、その不可思議な様子に一瞬困惑したが、すぐにその訳に気が付いた。


 ヘレーナは速くなってはいない。

 今の彼女は叩き込まれてきた技術と、自身の脊髄反射のみで戦っている。

 思考や雑念が介在しないために、結果として動きに迷いや無駄がなくなり、反応速度が速くなっているのだ。


「ヘレーナの奴がまだ諦めてねぇなら、あんなヘタレより先に俺が折れるわけにはいかねぇよなァ!」


 ギランも剣を強く握って前に出る。

 飛んできた触手の一撃。

 ギランは地面を蹴り、続けて触手を踏み台に更に前へと出た。


「うし、行ける……!」


 だが、その先に、次の触手が控えていた。

 完全に宙のギランに狙いを付けている。

 身体を捻ってはみるが、とても避けられない。


「奇跡は長くは続かないものよ!」


「がはっ!」


 ギランの腹部を触手の鉤爪が貫いた。

 ヘレーナが受けた外傷よりも遥かに深い。

 鉤爪が曲がった形状をしているため、身体から簡単には抜けない。


「はぁい、これでもう絶対に逃げられない。さて、どうやって殺してあげましょう」


 ボルクスはギランを高く持ち上げ、楽しげに目を細める。


「そっちの金髪のお嬢ちゃんもここまでよ。いい動きだけど、どんどん〈魔循〉が弱まっているのが見てわかるわ。命を削って戦ってるのね。それに、根本的に速さがなさ過ぎる。逃げ場を丁寧に潰してあげれば……はい、これでお終い」


 二本の触手が同時にヘレーナを襲い、彼女の逃げ道を綺麗に潰していた。

 どう避けようとも触手の餌食にならざるを得ない。


 この攻撃は回避のしようがない。

 ヘレーナもここまでだ。

 ギランは歯を喰いしばった。


「〈車輪返し〉」


 ヘレーナは片方の触手の鉤爪の一撃を、剣の先端で受ける。

 その衝撃を回転運動へと転化し、独楽のように鋭い剣のひと振りを放った。

 二本の触手が、綺麗に前後に弾かれる。


 ギランは、ヘレーナの〈車輪返し〉を目にしたのは二度目であった。

 一度目は修羅蜈蚣相手に、ヘレーナが土壇場で成功させたのだ。

 しかし、それ以来、どれだけ稽古を行ってもヘレーナは〈車輪返し〉を成功させることはできなかった。

 だが、今のヘレーナは、事も無げに〈車輪返し〉を行ってみせた。


「……本当に、しつこい小娘ね」


 ボルクスが少し苛立ったようにヘレーナを睨む。


 ここしかない。

 ギランは触手の鉤爪で上へと持ち上げられた状態で、最後のマナをありったけ腕に注ぎ込み、〈剛魔〉で膂力を強化した。


「くらいやがれ!」


 ギランは空中より、ボルクス目掛けて剣を投擲する。

 一瞬遅れて、ボルクスがギランへと目を向ける。


「しまっ……!」


 ボルクスの胸部に剣が突き刺さる。


「へ、へへ、やってやったぜ……」


 ギランが笑う。

 ボルクスはギランを睨むと、自身に突き刺さった剣を素早く引き抜いた。


「チマチマと小賢しい……。こんな攻撃、私には全く通用しないのよ! 無意味な足掻き、ご苦労様ね!」


 ヘレーナへとボルクスの触手が真っ直ぐに向かう。

 ヘレーナも、もう攻撃を回避するマナは残っていなかった。

 どうすることもできず、ただ空虚な目で、迫りくるボルクスの触手の先端を見つめていた。


 そのとき、ヘレーナの目前に魔法陣が浮かび上がった。


超級魔術ランク6〈アブソリュートウォール〉」


 虹色の光の壁が競り上がり、触手の攻撃を完全に遮った。

 ボルクスの触手は壁を突破しようと再び押すが、まるでびくともしない。


「空間そのものを魔術干渉で断絶させてある。力押しで対抗できるものではないよ」


 完全にマナが尽きてその場に力なく倒れたヘレーナの身体を、背後から現れた一人の少女が支えた。


超級魔術ランク6〈キャスリング〉」


 続けて魔法陣が展開される。

 触手に宙へと掲げられていたギランは、気が付くと少女の横で倒れていた。


「狙った対象の空間転移……? それを、一瞬で可能にするなんて」


 ボルクスが少女を睨む。


「無駄な足掻きではなかったね。ボクが間に合った」


 無感情な目をした少女であった。

 澄んだ湖を連想させるかのような、綺麗な水色のショートヘア。

 黄金の片眼鏡モノクルを左目に掛けていた。


 騎士団の正装に似た格好をしているが、あちらが白を基調としたものであるのに対し、深い闇のような漆黒であった。


「お、お前、助けてくれたのか……?」


「そうなるね。ボクの立場としては、下手に姿を晒すより、君達が殺されるのを待ってから出て行った方がよかったのだけれど。ただ、その場合、アインに誤魔化して隠し通すのは難しそうだし……枢機卿様も、ボクとアインが不仲になることは望まれていないからね」

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